第26話、湯けむり反省会

 湯船に浸かると、身体にたまっていたその日の疲労がみるみる浮かんでくるのを感じる。

 頭が、ボーッと痺れる感覚だ。

 あちこちにできていた細かい傷が、湯にみて痛みが走る。

 女子たちが先に順番に入って、俺の番が回ってきたのは最後だったが、それでも湯はじゅうぶん熱いままだった。

 ん、……待てよ。

 ということは、今俺が浸かっているこの湯に、少し前には、早希や瑠花たちが浸かっていたということか。

 それも、一糸まとわぬ姿で……。

 そんなことを考えると、途端に妙にそわそわとした気持ちになる。

 何やら、彼女たちの成分が湯に溶けて、俺の周りを漂っているみたいな気がする。

 その透明な湯を、手のひらで掬ってみる。

 そして、俺はそれを口元へと運んだ。

 ゴクリと一口、飲み込む。

 ……うん、ただのお湯だった。

 いったい、俺は何を考えていたんだろうか。

 どうやら、疲れすぎて変なテンションになってしまっていたようだ。

 俺は肩まで、お湯に身を沈めた。

 思い返せば、本当に色々なことがあった一日だった。

 バスで初めて瑠花と会ったのが、遠い昔のことのように思える。

 それから起きた、あの騒動。

 まるで映画の中に入り込んだかのように、非日常の連続だった。

 あれから、早希の身体にこれといった異変は起きていない様子だ。

 おそらく、早希は感染していない。

 それだけが、唯一の幸運だ。

 しかし、もしあそこで早希が発症していたら、俺はそれを見捨てて置き去りにすることができただろうか?

 ……いや、やめよう。

 そんなことを考えるべきではない。

 俺は、考えを振り払ってさらに湯へと深く身を投げ出す。

 身体に生じる、浮力が心地いい。

 それよりも、奇妙なのは奏の方だ。

 あの見たこともない、奏のもう一つの顔。

 それに、豹変した奏は、あの化け物を素手で投げ飛ばしたのだ。

 そんなことが、生身の人間に可能だろうか。

 それにしても、あの鬼は何だったのだろう。

 アイツも、ゾンビの一種なのだろうか。

 それとも……。

 わからないことばかりだった。

 あのとき、そんな疑問に捕われていたら、俺はどうかしていたことだろう。

 あそこで俺の頭がパンクしてしまわないで済んだのは、奏の失禁のおかげだった。

 アレのせいで、すっかり現実に引き戻されて、冷静になることができたのだ。

 奏の失禁には、感謝しなければならない。

 いや、変な意味じゃなくて……。

 だいぶ自分が湯に逆上のぼせていることに、俺はそこでようやく気がついた。


 風呂から上がった俺は、各自に割り振られた客間のひとつへと向かって、灯りの消えた廊下を歩いていた。

 ロビーには、もうだれの姿もない。

 みんな寝床についてしまったのだろう。

 湯上りの火照ほてった身体に、夏の夜の涼しさが快適だ。

 外は本格的に土砂降りのようで、窓に降りつける雨の音だけが山荘に響いている。

 いや、そのとき、雨音以外に異質な音が、俺の耳に聞こえきた。

 それはだれかの話し声のようだった。

 それも、中年男性の重低音の声だ。

 イヴの父親のものだろうか?

 音がこもっていて、なんと言っているのかは聞き取ることができない。

 どうやら声は、イヴが開けるなと言っていた、奥の書斎の扉の向こうから聞こえているようだ。

 気になった俺は、忍びよって壁越しに聞き耳を立てる。


「……奴らには、完全に先を越された。もう間に合わん……対症療法しか……手遅れに……」


 断面的にしか、聞き取ることができない。

 何の話だろう、よくわからない。

 その瞬間、急に扉が開いた。

 俺は寸前で、扉の影の隙間に隠れる。

 書斎から出てきたのは、山荘の主であるイヴ、その人だった。

 イヴは眠そうな顔で、あくびをひとつすると、スタスタと歩いて行ってしまった。

 どうやら、バレずにうまくやり過ごすことができたようだ。

 イヴは、部屋に鍵をかけては行かなかった。

 俺の足を、好奇心が突き動かす。

 俺は、ドアノブを掴むと、扉を少しだけ開けて中を盗み見た。

 一見すると、部屋の中は闇に包まれ、誰もいない様子だった。

 先ほどの声の主は、いったいどこに消えたのだろうか。

 その瞬間、近くに落ちたのか激しい雷の光が一瞬だけ視界を明るく照らした。

 俺の目に飛び込んできたものに、俺は思わず声を上げそうになった。

 部屋の壁に一面に広がっているのは、明かりを抑えた液晶の画面だったのだ。

 そして、その画面には、俺たちが合宿していたキャンプ場のありとあらゆる場所が映し出されていた。

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