第23話、少女と黒猫とパンツ

 アタシの目の前を、ワンピース姿の少女が跳ねるような足取りで歩いている。

 足を踏み出すごとに、少女の白いふくらはぎが夜闇に浮かび上がって見えた。

 いったい何歳くらいなのだろう。

 姉妹のいないひとりっ子のアタシには、想像もできなかった。

 アタシは、その後ろを早希に肩を貸しながら、ゆっくりとしたペースでついて行く。


「ごめんね、道明寺さん。手間かけさせちゃって……」


 早希が、申し訳なさそうにそう囁く。

 そんなことを言われると、かえってアタシはまいってしまう。

 思うに、この優等生は気を回しすぎて逆に周りを疲れさせてしまうきらいがある。

 それが完璧超人たる早希の、唯一の弱点らしい弱点なのだ。


「それよりも、日比谷たちと途中でうまく合流できればいいんだけどな」


 あの二人を先に行かせたのは、失敗だったかもしれない。

 もっとも、今となってはそう言えるというだけの話なのだが。

 それにしても、日比谷と奏は今頃、どこで何をやっているのだろうか。


「そうだわ。あなたのお名前を教えてくれないかしら。まだ聞いてなかったでしょう? 私の名前は早希で、こっちの背の高いお姉さんは瑠花っていうの」


 早希が、前を行く少女に声をかける。


「私は、……そうね。周りからは、イヴって呼ばれているわ」


 少女は歩きながら振り返ると、そのまま後ろ向きに歩きながら答えた。

 今にも後ろに転びそうで、見ているこちらがハラハラするような仕草だった。


「いぶ? 伊武いぶちゃんか。見た目に似合わず、イカツい名前だね」


「ちがうわよ! おっぱいの小さい方のお姉ちゃん。私の呼び名は、イヴ」


 少女は、アタシへ眉を釣り上げて抗議する。

 しかし、聞き捨てならない台詞だ。

 弁明させてもらうと、今は早希という横綱クラスといっしょにいるからそう見えるのであって、もし隣にいるのが幕下以下の奏であったなら、アタシが『おっぱいの大きい方のお姉ちゃん』だったはずなのだ。

 あくまで、相対的な評価の話だった。


「イヴって……旧約聖書に出てくる名前よね。最初の女性にして、アダムの妻のイヴ」


 アタシの複雑な心境など気にも止めず、早希は何やら難しそうなことを口にする。

 ということは、この少女は日本人ではないのだろうか?

 たしかに少女の顔立ちは、歳のわりに整いすぎて日本人離れしているが、どうも国籍不明だった。

 その毛髪の色素の薄さは、見ようによっては西洋人に見えなくもない。

 アタシが、ぼんやりとその顔を眺めていると、イヴは舌をちょこんと出してあっかんべーとするのだった。

 ……まったく、どうもアタシは小さい子どもに懐かれることがなくて困る。


「あっ……、見て! あれは何かしら」


 前方を見て、早希が声を上げる。

 慌てて顔を向けると、暗闇の中に小さな黄色い光が二つ、並んで浮かんでいた。

 獣のモノのような、鋭い眼光だった。

 それ以外は、完全に闇に紛れてしまって、何もわからない。


「あっ、安心して。あの子は大丈夫」


 身構えるアタシたちに、すぐさまイヴがそう囁いた。

 その言葉の通り、アタシたちの前に姿を現したのは、一匹の黒猫だった。


「あ、猫ちゃん」


 猫なで声で差し出した早希の手を、黒猫はサッとすり抜けて行った。

 そして、黒猫は嘲笑うかのように一鳴きすると、イヴへとすり寄る。


「もしかして、この猫、イヴちゃんの飼っている猫なのかしら?」


「うん。この子、とっても懐いてるんだ」


 そう答えて、イヴは頬ずりをする。


「へえ、なんて名前なんだい?」


「えーっと……えーっとねえ、そうだ! この子はクロネコ。クロネコって言うんだ!」


 そのまんまのネーミングだな。

 というか、絶対、今考えただろ、それ。


「あ、ちょっと待って。この子、何か咥えているわ!」


 イヴが、驚きの声を上げた。

 たしかに、クロネコはびしょ濡れの布切れのようなものを咥えているのだった。

 広げてみると、それは……ウサギさんの柄の入った女物のパンツだった。


「はぁ? なんで、パンツ?」


「ちょっと、これ千倉さんのものだわ!」


 早希が一瞥して、そう言う。


「なんで、そんなことわかるんだよ?」


 パンツソムリエか、何かなのか?


「見て、ここに刺繍が入ってる」


 たしかに、早希が指さす場所に、赤い糸で『千倉奏』と刺繍してあった。

 それにしても、高校生にもなって名前入りのウサギさんパンツとは……。


「女児かよ! ……って、ツッコんでる場合じゃねえ! 二人の身に何かあったんだ!」


「大変! はやく千倉さんのところへ向かいましょう」


 こうして、アタシたちはクロネコのやって来た方向に急いで向かったのだった。

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