第22話、猫耳白スク、あるいは変貌

 目の前には、俺の最愛の妹、遊がなぜか寝転んでいる。

 しかも、遊が身にまとっているのは白スク水だった。

 白スク水とは、言うまでもなく純白のスクール水着のことだ。

 それを、水気のない自宅の居間で身につけて、床に寝そべっているのだ。

 見方によっては、滑稽にも見えるその姿は、日常感と非日常感とのギャップが蠱惑こわく的な魅力を生み出している。

 特に、スポーツで焼けた遊の健康的な小麦色の肌と白スク水は、コントラストが実に映えている。

 思わず、生唾を飲み込む。


「おにぃ、遊のこと心配だったんでしょ?」


 遊が、俺に気づいてそう喋りかける。

 俺は妹の声に頷く。

 そうだ遊、お兄ちゃん心配してたんだぞ、と声をかけようとするが、どうしたわけか言葉が出てこなかった。

 ただ口がパクパク動くだけだ。


「でも、お兄。遅いよ、もう遊は……」


 そう言うと、白スク水の妹はそれまで手で隠していた自分の頭をこちらに見せた。


「……遊は、こんなになっちゃったんだ」


 そこには、ぴょこんと二つの小さな猫耳が生えていたのだった。

 スク水の白さと対象的に、耳は黒猫のそれであやしく黒光りしていた。

 よく見ると、ご丁寧に遊の頬には三本線の猫ヒゲまで描かれている。

 どストライクだった。

 うん……これは、これは夢だな。

 さすがに、それくらいの察しはつく。

 しかし、夢ということは現実ではないのだから、それはつまり……何をしてもいいということだな!

 俄然がぜんやる気を出し、実の妹に近寄ろうとしたその時、遊はむっくり起き上がった。

 そして、引っ掻くポーズで兄を牽制する。


「もう、お兄ったらサイテー! 全然、遊のこと助けてくれないんだもん!」


 次の瞬間、遊の額から二本の角が突き出し、その小柄な女子中学生の身体はどんどん大きくなっていった。

 たちまち、目の前には鬼のように巨大な遊が立ちはだかり、遊は俺を踏み潰そうと、左足を上げた。


「お兄なんて、ぺったんこになっちゃえ!」


 巨大な遊の生足が、頭上に迫る。


「ぬわああああ!」


 そして、俺は意識を取り戻した。

 一面の夜闇の中、固い地面の上に寝転がっていた。

 何やら頬に、くすぐったい感触がある。

 目をやると、少し前に出会った黒猫が俺の顔を舌で舐めていた。

 なるほど、これがさっきの夢の正体か。

 俺は黒猫の頭を軽く撫でると、手をついて身体を起こした。

 あちこちに擦りむいた傷はあるが、大怪我はしていないようだ。

 身を起こすと、前方の物体が目に飛び込んで来る。

 その瓦礫は、大破して面影を失った電話ボックスの残骸だった。

 そこでようやく、俺はあの鬼に襲われたことを思い出した。


「奏! 大丈夫か!」


 思わず叫んで周りを見回すと、ありえないような光景がそこにはあった。

 子どものような小柄な身体つきをした、奏の後ろ姿が見えた。

 その奏が、目の前の鬼と対峙しているのだ。

 至近距離で向かいあっている鬼にたいして、奏からは一切の恐怖心は感じられない。

 まるで、試合中の武闘家のような迫力すら漂っていた。

 そして、睨み合う両者のうち、鬼が先に動きを見せた。


「奏、危ない! 避けろ!」


 俺が声を上げた刹那の出来事だった。

 奏の身体が、鬼の動きに合わせて小さく動いたように見えた。

 いつかテレビで見た、合気道を思わせる動作だった。

 次の瞬間、鬼の巨体が宙に舞っていた。

 そして、そのまま鬼の身体は地面に激しく叩きつけられる。

 鬼はそれきりピクリとも、動かなくなった。

 俺は目を疑った。

 あの、天然娘の奏が鬼を投げ飛ばしたのだ。


「奏? お前って……」


 振り返った奏の顔つきは、普段と違ってまるで別人だった。

 氷のように冷めた目つきしている。

 見たこともない顔をした奏が何かを話そうと口を開いたその瞬間、どこからかじょわわと水の流れる音がした。

 何かと思って視線を下げると、溢れる液体で奏の足元がみるみる濡れていった。


「ほら、トイレしようとして、結局できなかったから……」


 泣きだしそうな声で、奏がそう説明する。

 その真っ赤になった顔はすでに、俺の知っている、いつもの奏に戻っていた。

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