第19話、猫と電話ボックス

 早希と瑠花の二人を山荘に残して、俺は奏と並んで夜道を歩いていた。

 目的は、あの昼間会った少女を探すことと、朝まで隠れられる場所を見つけることだ。

 今までのところ、この辺りにはゾンビの姿はなかったが、用心に越したことはない。

 山荘で見つけた懐中電灯で前方を照らしながら、恐る恐る進んで行く。


「本当に、ゾンビなんて出るんですか?」


 奏が半信半疑といった顔で聞いた。

 瑠花のことで機嫌を損ねていたのは最初だけで、今はすっかり普段の彼女に戻っている。


「ああ、信じてくれよ。まあ、実際見てなきゃ俺もとうてい信じられなかっただろうけど」


 その時、懐中電灯の小さい光の前を何かが横切った。

 とっさに、俺は身構える。

 隣の奏が小さく悲鳴を漏らした。


「安心しろよ。ただの猫だ」


 俺は明かりにぼんやり浮かんだ黒い影の正体を知って、そう囁いた。

 それは、真っ黒な子猫だった。

 猫はこちらを睨むと、訝しげな顔でニャーと鳴いた。


「ゾンビ猫じゃないですよね、この子?」


 奏はおっかなびっくりといった様子で、エンカウントした相手を見つめる。


「まさか。ノラじゃないみたいだ。ちゃんと首輪をしてるぞ」


 見たところ、毛並みも飼い猫のそれだった。


「それって……近くに、この子の飼い主がいるってことですよね?」


「ああ、ここだって山奥だけど陸の孤島ってわけじゃないからな」


 そんな会話をしていると、黒猫は俺たちに飽きたのか暗闇の中へと走り去ってしまった。


「あ、行っちゃった」


 名残惜しそうな奏をよそに、俺たちは再び歩き続ける。

 怖いのか、奏がやたら俺の周りにまとわりついてきて正直歩きにくい。


「おい、奏。しっかりまっすぐ歩けよ」


 こんなにくっついて歩いていると、よそからは仲の良いカップルのように見えるだろう。


「マナマナ先生、マナ先生!」


 奏が、何やら挙手をして連呼する。


「……はい?」


「マナマナ先生、トイレ」


 ……先生はトイレじゃありません。

 なるほど、さっきから妙にモジモジしてたのはそれだったのか。


「我慢できないのか?」


「無理。実は、けっこう前から催してたんだ」


「じゃあ、行ってこいよ。外でするしかないだろう?」


 そう言う俺の顔を、無言で奏はジーッと見つめてくる。


「何だよ?」


「なんて言うか……側にいてほしい」


 仕方ない。

 俺は、奏から数メートル離れたところで見張ることになった。

 そっぽを向く俺に、奏が声をかけてくる。


「見ないでね!」


「へいへい」


「音、聞かないでね!」


「聞かねえよ! って言うかサッサとしろよ」


 俺には、そういうマニアックな性癖はないんだよ!

 数秒の間が空いて、また声が響く。


「ねえ、見て! 見て!」


「いや、見ねえよ! お前、露出狂か?」


「違うよ。ほら、あれあれ!」


 奏がそう言うので振り返ると、奏が指さす方向に何やら薄明かりが見えた。


「何だろう? あの光?」


「間違いない。あれは電話ボックスだ」


 慌てて駆け寄ると、たしかにそこには一台の公衆電話が闇の中で明かりを放っていた。

 今の時代にこんな電話ボックスがあるとは。


「よかった。これで外部との連絡が取れる」


 部活の合宿ということで、俺たちは携帯電話のたぐいは一切持ち込み禁止だったのだ。

 そのうえ、キャンプ場上周辺はずっと圏外のため、外と通信できるとは思っていなかった。

 この電話ボックスなら、ようやく外の世界に救助を呼べる。

 焦って震える指で硬貨を入れて、ダイヤルを回すと、聞きなれた発信音が耳に流れてくる。


「ちゃんと、繋がるみたいだ」


 俺は、歓喜の声を上げた。

 しかし、その喜びはすぐさま萎んでいった。

 だれも出ない。

 だれも電話に出ないのだ。

 俺と奏の自宅の電話にかけても、警察にかけても、消防にかけても、だれも電話を取らなかった。

 ただ耳元でずっとコール音が鳴り続けているだけだった。

 繋がってはいるのに、だれ一人電話を取らないなんて……。


「これって、いったいどういう意味だろう?」


 凍りついた顔でそう聞く俺に、奏はわけがわからないといった表情で首を傾げた。

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