第13話、主人公

「おい、どうするんだよ……これ?」


 瑠花が呆然とした表情で、ポツリと呟いた。

 目の前の惨状から目を背けて、視線を足元へ落とす。


「アタシたち……本当に生き残れるのか?」


 瑠花の声が震えている。

 どうやら、今まで麻痺していた感情が、緊張の糸が切れて、ようやく湧いてきたらしい。

 今の彼女の心を支配しているのは、純粋な生命の危機に対する恐怖だ。

 瑠花はそのまま、膝をついて座り込んでしまった。


「どうしたんだ、立たないと……」


「ダメだ……アタシ、もう立ち上がれない」


 瑠花は、その場で首を振った。


「アタシ……分かったんだ。どうしてパニック映画の主人公が、どんな状況でも立ち向かえるのか……」


 俯いたままの瑠花の顔を、乱れた長い前髪が隠して表情が見えない。

 声だけで、彼女の動揺はじゅうぶん過ぎるほど伝わった。


「主人公だから、自分たちが生き残ることを知ってるから、それで立ち向かえるんだよ。自分は、絶対最後まで死なないって分かってるから……」


「瑠花!」


 俺が差し出した手をぼんやりと見つめたまま、瑠花は首を揺すり続けた。


「アタシはダメだ……。アタシは、主人公じゃない。自分が生き残れるなんて、思えない……。だから、立ち上がれないよ。立ち向かえないよ」


 その声を聞きつけたのか、俺たちの周りには、いつの間にか人影が群がっていた。

 耐えがたい悪臭が、鼻をつく。

 周囲を取り巻いているのは、どれも見覚えのある顔ばかりだった。

 変わり果てた天文部の仲間たちの姿だ。

 様子の変化に気づいた瑠花が、顔を上げようとする。


「見るな、瑠花! 顔を上げるな!」


 俺は瑠花の肩に手を添えて、呼びかけた。


「見ちゃダメだ! 俺の顔を見ろ! ……いいか、主人公だから生き残るんじゃないんだよ! 生き残った奴が、主人公になるんだ!」


 瑠花が、俺の顔を見つめた。

 二人の目と目が合う。

 大きく見開かれた彼女の瞳に、自分の顔が映し出される。


「なれるさ……俺たちだって、主人公になれる。だから、立ち上がるんだ!」


 その瞬間、瑠花のそれまでキツく結ばれていた唇が開いた。


「……ぶ、ぶふう」


 そして、瑠花は俺の顔を見てふき出した。


「……え?」


 思わぬ反応に、目が点になる。


「日比谷。……お前、クサすぎ」


 瑠花は、腹を抱えて笑い出していた。

 まるで、周りの状況など少しも目に入らないかのように。


「いや……俺は、お前を励ましてたわけなんだけど?」


「ああ、そう……そうだった。ありがとう。アタシ、さっきまでパニクってたわ。日比谷の恥ずかしい台詞のおかげで正気に戻れた」


 瑠花は目に溜まった涙を拭きながら、そんなことを言う。


「俺は断じて、恥ずかしい台詞など言った覚えはない!」


 というか、カッコいい台詞を言ってビシッと決める空気だっただろ、さっきは。

 まあ、瑠花が本調子に戻れただけで、ここはよしとしようか。


「で、アタシたちはどうやって、この状況から生き延びればいいんだよ?」


 周囲に群がるゾンビたちの姿は、いよいよ数を増している。


「キャンプ場の裏手に古い山荘が並んでいるのを、昼間に見つけたんだ。あそこに隠れれば、朝まで乗り切れると思う」


「朝まで? ……あ、なるほど。そうか」


 俺の言葉に、瑠花が納得する。

 一般的なゾンビであるなら、朝を迎えればとりあえずはどうにかなるはずだ。


「行くぞ。走れるか?」


「大丈夫。アンタこそ、遅れないでついて来いよ。アタシ、中年のとき陸上部だったから」


 そして、二人は取り巻く人影をかいくぐりながら、並んで走り出したのだった。

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