第12話、二人

 その頃、俺は駐車場の電灯の薄明かりの下、クラスメイトの女子の姿をした何かと向き合っていた。 

 佐伯さんの、まるで蝋人形のように白い手が、俺の首筋に触れる。

 体温がまったく感じられない。

 氷の塊を押し付けられたかのようで、背筋にゾクゾクと悪寒が走った。

 指先に力が込められる。

 気管が圧迫され、息が……できない。

 俺の頭に、死という文字が浮かぶ。

 童貞のまま……死ぬのか、俺は?

 一度も、現実の女体を知らずに?

 あ……、そういえば。

 PCのハードディスクの中身、合宿に行く前に消しとけばよかった……。

 自分の兄が女子中学生のスク水ニーソが好きだと知ったら、遊が哀しむ……。

 脳裏に遊の姿が浮かび上がる。

 なぜか、紺のスクール水着と真っ白なニーソだけを身につけた扇情的な恰好だった。

 真新しい胸のゼッケンに『日比谷遊』とマジックで書かれている。

 これでは、あのエロ画像の姿そのものだ。

 ああ……、いよいよ酸素が欠乏してきて、脳が混乱しているのだ。

 幻覚のスク水妹が、俺の耳元で囁く。


『この……バカおにぃィ!』


 その瞬間、俺は脇腹に激しい衝撃を受けて、真横に吹っ飛ばされた。

 俺は最初、遊に蹴られたのだと思った。

 しかし、あの妹は死にかけた俺の見た幻で、俺の腹部の猛烈な痛みはリアルだった。

 すっかり混乱した俺の耳に、聞いたことのある女子の声が飛び込んだ。


「日比谷! お前、大丈夫か?」


 そこにあったのは、息を切らし髪を振り乱した道明寺瑠花の姿だった。


「ツ……ツンデレギャルッ!」


「誰がツンデレだ! まだ一ミリたりともデレてねえよ!」


 脳に酸素がまだ行き渡らず、思いついたまま口から出た俺の言葉に、瑠花がつっこむ。

 じゃあ、お前はこれからデレる予定があるのか……という返しは置いておくとして。


「おい、これはいったいどういうことだよ?」


「アタシが知るか……それよりアンタ大丈夫か、怪我は?」


 瑠花が、倒れたままの俺の側へ駆け寄る。


「お前に蹴られた脇腹が……痛い。どういうつもりだよ?」


「バァーカ! アンタを助けてやるために蹴ったんじゃねえかよ!」


 どういうわけか、そこで顔を赤らめる瑠花。


「いや、どう考えても、アッチを蹴るべきだっただろうが!」


 そう言って、俺は佐伯さんの姿をした何かの方を指さした。

 その異形は、ぎこちない動きでゆっくりとこちらへ近づいて来る。


「あいつ……どう考えてもアレだよな?」


「ああ、ちょっとテンプレすぎるくらいだ」


 俺の言葉に、瑠花が頷く。

 そして二人は声をそろえて、こう呟いた。


「……ゾンビだ」


 次の瞬間、ゾンビはこちらに飛びかかるようにして襲ってきた。

 しかし、動きは鈍い。

 余裕をもって、相手の指先をかわす。


「おい、逃げるぞ!」


「……言われなくても、逃げるよ!」


 俺と瑠花の二人は、ゾンビのいる駐車場から走って抜け出した。

 振り返って、後方を確認する。

 佐伯さんの姿はない。

 佐伯さんゾンビは、どうやら走って追いかけてくることはできないみたいだ。

 思いのほか、簡単に振り切ることができた。


「おい、瑠花。お前、バイオハザードってナイフ縛りでクリアしたことあるか?」


 隣を走る瑠花に、そんな言葉をかける。


「あ? アタシって、ゲームはどうぶつの森しかやらねえんだよ」


 ……かわいい趣味してるじゃんか。


「ち、ちげえぞ! 村のお友達から手紙もらって癒されたりなんてしてねえからな!」


 俺の表情に気づいた瑠花が慌てて弁解するが、逆効果だった。


 そうこうしているうちに、二人の前方にキャンプ場が見えてきた。

 しかし、俺と瑠花は思わず足を止めて、その場に立ち尽くしてしまった。

 キャンプ場にこだまする、いくつもの人々の叫び声が聞こえてきたからだ。

 あまりの光景に、俺の傍らにいる瑠花の口から小さな悲鳴が漏れた。

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