第11話、異形

「……だからさぁ、口でいいからさ。抜いてくれ、って言ってんだよ」


 その嘲笑あざわらうような口調に、アタシは心底うんざりする。

 とびきりキツい目付きで声の主をにらみつけると、アタシは無言のまま、その場から立ち去ろうとした。


「おい、待てよ。減るもんじゃねえんだから」


 そいつはしつこく背後から声をかけてくる。

 んなわけあるか。

 色々と減るんだよ、バーカ。

 罵倒を胸の中にしまいこんで、足早に部屋へと戻ろうとする。


 アタシ、道明寺瑠花はどういうわけか、他人からそういう目で見られてばかりだった。

 それは、たぶん育ってきた家庭のせいだ。

 シングルマザーで女手ひとつでアタシを育ててくれた母親は、夜の商売だった。

 いつのことか母親が連れてきた男が、まだ幼かったアタシにこう言ったことがあった。

『淫売の娘』と……。

 きっと、それがすべての元凶なのだ。

 今夜のこともそうだった。

 今朝のバス酔いから回復するために昼間ずっと寝ていたアタシは、夜になってもなかなか寝付けず、ぶらぶらと夜風に当たっていたのだ。

 そこを、さっきの男子生徒に見つかってしまった。

 奴は、しきりにアタシに言い寄ってきた。

 酒が入っているのか、そいつの息はひどくアルコール臭かった。

 アタシは鼻から相手にせず、軽くあしらって部屋へ戻ろうとしたのだが、そいつはなかなかしつこく離れようとしない。


「なあ、お前。ここまで来るのに大変だったらしいじゃん。ゲロひっかけたんだろ? ほら、あいつ……日比谷だっけ? あのキモい奴にさ」


 そいつは、調子に乗ってペラペラと唾を飛ばして喋り始めた。

 思わず、アタシの足が止まる。


「アイツ、お前のゲロかぶったまま、ずっとヘラヘラ笑ってたらしいじゃん。変態かよ、キメー。あんな陰気な野郎は、ほっといて……」


 あ、やべっ……と思ったときには、すでにアタシの拳はそいつの顔面にめり込んでいた。

 我ながら、見事な右ストレートだった。

 相手の鼻血に濡れる不快な感触を、手の甲に感じた。

 しかし、さすがに力が足りなかったようだ。

 そいつは、それでもダウンせずにアタシの腕を掴んできた。


「いってぇ! ……てめえ! やりやがったな」


 苦痛に顔を醜く歪めながら、奴は馬鹿力でアタシの腕を引っ張った。

 途端にバランスを崩して、アタシはそいつの方へ倒れこむ。

 奴はそれを抱きとめると、アタシの腰へと手を回した。

 撫でるような手つきに、アタシの身体中に悪寒が走る。


「お前から手を出したんだからな、覚悟しろよ。無理やりでも、犯してやるっ!」


 身体をよじって逃れようとするも、がっちりと腕を取られていて身動きができない。


 奴の吐息が顔にかかって、泣きだしそうになったその時だった。

 暗闇から何かが現れたのだ。

 アタシはそれを最初、野犬かと思った。

 それは獣のような匂いを放っていた。

 這うような姿勢で姿を見せたその異様な生き物は、一瞬のうちにアタシの目の前へと飛び出してきた。

 そして、アタシの腕を掴んでいる男子生徒へと覆いかぶさる。

 そのまま、口を驚くほど大きく開いて、牙を相手の喉元に突き立てた。


「あが……がが……が……」


 奴の口から、壊れた機械のような奇妙な音が漏れた。

 喉を噛み千切られて、声が出せないのだ。

 一瞬のうちの、出来事だった。

 男子生徒は、数回痙攣すると人形のように地面に崩れ落ちた。

 異形は奴の身体から離れると、アタシの方へと向き直った。

 そこでアタシはようやく、その異形の生き物の正体に気づいた。


 女子生徒だった。

 学校指定のジャージに身を包んだ、小柄な女の子が歯を剥き出しにして、地面に張り付くような姿勢で這いつくばっているのだ。

 彼女の口の周りを、真っ赤な鮮血が染め上げている。

 その瞳は白く濁って、一切の生気が感じられなかった。

 まるで、死体の目のようだ。


 彼女が再び動き始める前に、アタシは回れ右をして全力疾走で走り出した。

 こんなガチで走るのなんて中学生ぶりだな、という場違いな感想が、なぜか頭によぎった。

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