第10話、遭遇

 突然ですが、視点変わります。

 って、これ誰に語っているんでしょうか?

 変ですね、私ったら。


 私、名取早希にとっては、この世界というは、すでに完成された出来合いの既製品のようなものでした。

 誕生したときから、すべては私のために準備されていて、その中で私は、周りの望むように期待どおりに生きてきたのです。

 仲の良い教養のある優しい両親、比較的裕福な家庭、与えられる洋服や玩具、たくさんの習い事……、不自由なことは何ひとつなく、とても満ち足りた環境でした。

 でも、そんな生活は時に、とても味気なく感じられます。

 まるで、起承転結のないドラマを見ているようなそんな気持ちに……。

 そんな瞬間が訪れたら、私はいつも夜空を見上げます。

 私の周囲は、両親や学校の先生たちによって用意されたものばかりですが、空の星はそうではないからです。

 さすがに、星たちを並べた神様はスケールが違います。

 そして私は、神様が無造作に散りばめた小さな輝きに、自分自身を重ねてみるのです。

 私も、こんなふうにキラキラ光って見えているのかな、って。

 幼い頃から星を見つめていた私は、いつしか本格的に天体観測を始めるようになり、高校では天文部へと入部したのでした。


 合宿の一日目の深夜、心地よい布団の中で夢を見ていた私は、ふいに目覚めました。

 奇妙な音が、耳に入ってきたせいです。

 それまで見ていた漠然とした夢は、途端にかき消されて思い出せなくなってしまいました。

 欠伸あくびを噛みしめて、寝床からむっくりと起き上がります。

 異音は、どうやら廊下から聞こえてきているようです。

 それは、ガリガリガリガリと何かを掻き毟るような、耳障りな音でした。

 消灯時間は、とっくに過ぎています。

 今すぐに暖かい布団に戻りたい気分ですが、天文部の部長として、異変を放置するわけにはいきません。

 私は、クマさんのパジャマから制服に着替えると、寝癖を手ぐしで整えて部屋を出ました。


 廊下は暗く、人の気配は少しも感じられませんでした。

 たしかに、さっきの音は廊下からのものだったのですが、今はしんと静まり返っています。

 私は、ひとり首をかしげました。

 そのとき、私の脳裏に蘇ってきたのは今朝読んだ新聞記事です。

 この近隣で起きた複数の集団失踪事件。

 それまでは、合宿の雰囲気を壊さないために、頭から追い払っていたのですが、一度思い出すと頭から離れなくなります。

 私の中で眠っていた不安の種に、芽が生えたようでした。

 私は壁に左手をついて、暗闇の中を少しずつ少しずつ進んでいきます。

 たしか、電灯のスイッチは廊下の突き当たりにあるはずです。


 しばらく這うように進んで廊下も残り半分となったあたりで、私は思わず声を上げそうになりました。

 暗闇を泳いでいた私の右手が、何か柔らかいものに当たったのです。

 あまりの驚きに口をぽかんと開けた私は、今が真夜中であることを思い出し、すんでのところで悲鳴を飲み込みました。

 その瞬間、異臭が私の鼻腔を襲います。

 暗闇に目を凝らすと、私の右隣にあるのは人間の身体のようでした。

 痩せた大柄な初老の男性。

 顧問の白柳先生に違いありません。


「先生、どうしたんですか? 具合が悪いんですか?」


 私が声をかけると、白柳先生の身体は音もなく目の前で立ち上がります。

 そして、何故か液体が滴り落ちるような音が、廊下に響き渡りました。


「……先生?」


 手を伸ばそうとした私を、白柳先生の枯れ木のような細い腕が突き飛ばしました。

 私は、廊下の壁に腰を打ち付け、鈍い痛みが身体中に走ります。

 床に転がった私の肩を、先生が強い力のこもった手で掴みました。

 指が皮膚にくい込む激痛で、私の意識は白いもやがかかったように遠のいて……。

 先生の……口を広げ……異臭が……私の腕に……歯……。

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