第8話、ラブレター

 やっとこさ奏カレーを処分して、キャンプ場へと戻った俺を待っていたのは、驚くべき出来事だった。

 部屋に置いていた、俺のリュックサックの上に、手紙が置かれていたのだ。


 それは、淡い桜色の封筒だった。

 ひっくり返すと、『日比谷学くんへ』と整った女性らしい字で書かれている。

 俺はとりあえず、封筒を顔へと持ってきて、匂いを嗅いでみた。

 うん……、紙とインクの匂いしかしない。

 当たり前だ。

 どうやら、俺はテンパっているらしい。

 封筒を開ける指先が、震える。

 糊付けを剥がすという、それだけの動作に数分も費やしてしまった。

 中から出てきたのは、白い便箋だ。

 広げると、そこには封筒と同じ筆跡で一文。


『今夜零時に、駐車場で待っています。』


 なるほど……。

 なるほど、なるほど。

 落ち着け、これはつまり、もしかすると、いや、もしかしなくてもアレだ、……恋文だ。


「ふっ……。ラブレターか。まあ、俺としてはこんなもの貰いなれてるし、別に嬉しくも何ともないんだけどね。やれやれ……またか、って思ちゃったくらいだし。今どき、手紙? SNSとかで済ませろよ、中学生じゃないんだから、とかそんなこと言っちゃったりなんかしちゃったり?」


 深く息を吸って吐くと、ようやく俺の思考が状況に追いついてきた。


「うぉおおおお! やったー! ラブレターだ! 俺ラブレター貰っちゃったよ! 何これ! 脱童貞じゃん? リア充じゃん? わーいわーい!」


 ひとり万歳三唱をしていると、部屋の扉をノックする音がして、俺は正気に戻った。


「ちょっと、日比谷くん? ひとりで何騒いでいるの? そろそろ日が昏れるし、天体観測始めちゃうよ」


 扉の向こうにいたのは、早希だった。


「やあ、早希さん! おはよう!」


「……おはよう、って時間じゃないし。なんか、テンションおかしいけど大丈夫? 変にニヤニヤしてるよ?」


 早希が心配そうな顔で、俺を見つめる。


「まさか、そこら辺に生えてる変なキノコとか、食べてないよね?」


 俺は早希にそんなアホみたいなキャラだと思われていたのか……。


「大丈夫、大丈夫さ。オーケー、天体観測だっけ? すぐ行くよ」


 普段のテンションに戻りきれない俺に首を傾げながら、早希は部屋を出て行った。


 夜空に、一面に星が並んでいる。

 暗いキャンプ場で見上げた空には、肉眼でじゅうぶんに見えるくらい星が輝いていた。


 たしかに、綺麗ではあるんだけど……。

 俺は、いまいちその良さが理解できない。

 大昔の人間にとっては、あの程度の輝きで満足だったのかもしれないけれど、現代社会に生きる俺には、あまりにちっぽけな光であるように思えてならないのだ。

 星の光よりも、もっと華美な輝きは身の回りに満ち溢れている。

 それなのに、なぜわざわざこんな手間をかけて見つめる必要があるのだろう。


「あれ? 日比谷くん、今度は打って変わってあんまり元気ないんだね」


 さっきまで望遠鏡の使い方を他の部員にレクチャーしていたはずの早希が、いつの間にか俺の隣に立っていた。


「日比谷くん、実はあんまり星好きじゃないんでしょう?」


 早希は俺の顔を覗き込むと、ふふふっと笑ってそう囁いた。


「いや……」


「ううん、知ってる。他のみんながどういう目的でこの合宿に参加してるかも……」


 俺の隣に寄り添うように腰を下ろして、早希は星を指さす。


「ちっちゃくて、全然頼りない光でしょ? でもね、だから私はこうやって星を見るのが好きなんだ。ほら、こんな遠くのちっちゃい光を、ずーっとずーっと遠くの星から眺めてる人がいるって、なんかすごいと思わない?」


 早希の掛けている眼鏡のレンズに、夜空が映し出されているのが視界に入った。

 まるで小さな星々の中に、早希の瞳もいっしょに並んで光っているかのようだ。


「こんなふうに、私たちのこともずーっとずーっと遠くのどこかの誰かが眺めてくれているとしたら、素敵だと思うんだけどなあ」


 早希がポツリと呟いた言葉が、妙に俺の耳に残った。


 それからしばらくして、急に風が吹き始めて、そこで天体観測はお開きになった。

 そして、俺にとっての運命の深夜零時は、刻一刻と近づいていたのだった。

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