海辺の話
ある朝、目が覚めると美しい浜辺にいた。目の前には広大な海と青い空、白い雲、軽やかに晴れ渡る気候。これ以上ないロケーションである。ロケーションはこれ以上ないのだが、私の恰好は、これ以下は無い状況であった。そもそもほとんど全裸である。着ている物は布切れの様な半袖に、下は藁の履き物である。正直チクチクして痛い。しかし、文句を言っても始まらない、またしてもどこかの世界に転生してしまったのだから。まずは、どの物語に転生したのか考えてみよう。
そもそも、ここはどこなのだろう。こんなにも綺麗な海が広がっているのに、海の家もなければ、水着のお姉さんも居ない。おそらく現代ではないのだろう。しかし、私が着ている布切れは日本の物のようだ。海辺から始まる日本の童話。そもそもあまり童話を多く知らないが、割と候補は絞れそうである。浦島太郎あたりが濃厚そうだ。もし、仮に今回転生した私の役が浦島太郎だったら、さてはて、それは転生先としては、当たりではないだろうか。この後、浦島太郎である私はカメを助け、竜宮城に向かい、美女たちに囲まれて楽しく過ごす。間違いない。今回の転生は当たりである。その後、お土産の玉手箱を開けなければいいのである。いや、そもそも竜宮城から帰らなければ良いのである。童話の浦島太郎は人が良過ぎる、あんなにも良いところからわざわざ帰って来ることはないだろうに。
そんなことを考えながら浜辺を歩いていると、案の定、子供たちが5人、寄ってたかってカメをイジメていた。
「おい、ノロマなカメ。そんなノロマだからウサギに負けるんだよ。」子供Aがカメの甲羅を蹴りながら言った。
ちょっと待て、それは別の童話であるし、そもそも勝ったのはカメである。それに動物を蹴ったりしてはいけません。良いところに連れて行ってもらえなくなりますよ、などと考えながら、私は子供たちに話しかけた。
「こらこら、君たち。カメをイジメてはいけないよ。」私は優しく諭すように言った。
「ノロマな奴をイジメて何が悪いんだよ。てか、あんた誰だよ。」リーダー格風の子供Bが私に啖呵を切った。
「なるほど、カメがノロマである、と。そもそもそのカメがノロマである、という認識から間違っていると思うよ。人間が水中を時速6.5km程度でしか泳げないのに対し、カメは時速20㎞で泳げる。陸地が苦手だからといって、ノロマと決めつけるのは間違っているよ。」私は大人気なく、知識をひけらかした。
「関係ないね。今は陸地に居て、陸地でノロマなんだから。今いる、その場所で1番弱い奴がイジメられるんだよ。」整った顔立ちの子供Bが、その整った鼻で笑いながら言い放った。周りの子供たちもニヤニヤしながらカメを蹴ったり、棒でつついたりしている。
さてはて、困った。このままでは子供たちに言い負かされてしまいそうだ。しかし、このまま言い負かされるわけにはいかない。私はなんとしても竜宮城へ行き、美女たちと仲良く過ごすのだから。いや、なんとしてもカメを救い出し、正義を行わなければならない。
「なるほど、君の言う事も分からなくはない。分からなくはないが、君にとって非常に不利益になる発想だ。」
「俺の不利益になるって、どういうことだよ。俺は別に困ってないぞ。」子供Bが食いついてきた。
「今いる時点のみで立場を一方的に決めてしまうのはリスクが高すぎる、というお話さ。今の君にはイメージしづらいかもしれないが、弱いと思っていた存在が将来、自分より強い存在に成る、という可能性は十分にある。イジメていた相手が将来自分の上司になるかもしれない。それは君にとって大きな不利益だろう。」
「カメが俺の上司になるかもしれないってことか。」そんなことあり得ないだろ、という素振りで子供Bは笑っている。
「カメだけの話をしているわけじゃない。発想の話をしているんだ。それに、弱い者イジメは最終的に君の周りから人を消すことになるよ。」
どういうことだよ、と子供Bは睨んできた。
「弱い者イジメは、弱い者達がその中で一番弱い者を虐げたり、暴行する行為だからね。一番弱い者が居なくなれば、次の者を。居なくなれば、さらにその次に弱い者をイジメる。だから、固定されているメンバーの場合、そのメンバーの中でイジメられる人間が次々に不毛に代わるのさ。」私は子供たちの目を代わる代わる見ながら話した。
「メンバーが固定されない場合はもっとシンプルさ。君たちはカメが去った後には、C君をイジメるだろう。C君が去った後はE君を、その次はD君を。人数は減っていき、最後にはB君1人になる。君は排他的ではない、強い人間になる必要がある。」私はB君の目をじっと見ていた。
「しょーもない、お説教だな。俺たちがイジメなんてするわけないだろ。飽きたし帰ろうぜ。」子供Bは悪ガキ達をつれて帰っていった。
やれやれ、大変な話であった。彼らを最近の子供、と言っていいかは分からないが、最近の子供は口が立つから困ったものだ。軽い気持ちでお説教などしようものなら返り討ちに合いかねない。なんとか帰ってくれて本当に良かった。ほっと一息ついているとイジメられていたカメが話しかけてきた。
「この度は本当にありがとうございました。イジメられていたところ助けてくださり、大変助かりました。」カメは童話どおり恭しく頭を下げた。
「いえいえ、カメさん。そんなお気になさらずに。私は大人として当然のことを行っただけです。竜宮城なんて結構ですよ。もちろん、この後の予定は空いておりますが、竜宮城なんて結構ですから。」私は遠慮した。
「なんと、竜宮城をご存知でしたか。人間の方には竜宮城の存在は知られていないかと思っておりました。」私はカメの表情に詳しくはないが、カメが驚いた表情をした様に見えた。
「いや、詳しい訳ではありませんけどね。風の噂で聞いたことがありまして。」私は焦ってはいけない、と心の中で唱えつつ、努めて冷静に答えた。
「そうでしたか。それならお話しも早い。是非とも今回のお礼に竜宮城にお招きさせてください。姫様もおられますし、大変良いところでございますよ。」カメは遠慮する私をなんとか竜宮城へ招こうと誘ってくれた。
「はい。喜んで。」私は丁寧に即答した。
カメの甲羅は厚く、大きかったため青年の身体なら、なんとか跨り水上を進むことが出来た。天候にも恵まれており、海風が大変気持ち良い。向かっている場所が竜宮城だと尚更である。
「浦島様、もう少し進むと真下に竜宮城があります。垂直に潜るとお身体に負担がかかりますので、そろそろ潜りたいと思います。跨るのをやめ、しがみつく格好で身体を低くしてください。掛け声に合わせて大きく息を吸い込んでくださいね。」随分と人を乗せ慣れているカメだ、と思ったが言われたとおりにカメの掛け声に合わせ、息を大きく吸い込み、水中に潜った。確かにカメの言うとおり水の抵抗が大きく、振るい落されそうである。時速20kmは伊達ではない。私が息を止めていられるのは1分15秒程度だが、それだけ時間があれば、竜宮城へたどり着くのだろう。というか、たどり着いてもらわないと困る。それ以上は息も続かないが、この速度のまま1分間潜水をして、たどり着かないような場所は、人間の居られる場所ではない。水圧でぺしゃんこである。
「浦島様、見えて参りましたよ。竜宮城です。」カメが言った。凄く外観を見てみたいが、私は目を閉じたまま到着を待った。
「お疲れ様でした。竜宮城です、浦島様。もう呼吸することが出来るはずです。」私は恐る恐る口を開け、少し息を吸い込んだ。カメのいうとおり、呼吸をすることが出来る。どういう理屈かは分からないが、そこはおとぎ話、ということなのだろう。
「ようこそ、おいでなさいました。浦島様。」艶っぽく透き通った女性の声がした。目を開けると、そこには美しい着物を身に纏った美女が十数名、丁寧な所作で佇んでいた。その中でも先頭の女性は群を抜いて美人である。おそらく彼女が竜宮城の姫様なのだろう。あまりに美人なので、こちらが恥ずかしくなってくる程である。何せ今の私は、ほとんど全裸なのである。相手が誰であってもある程度は恥ずかしい。
「さ、浦島様。こちらへどうぞ。まずは冷えたお身体を暖めてください。此度のお礼は後程、ゆっくりと。」思わず鳴った喉の音に気付かれないように咳払いしつつ、私は美女たちに連れられ、竜宮城の中へ通された。しばらく歩くと温泉のような香りがして来た。
「こちらが竜宮城自慢の竜宮浴場です。」どうやら大浴場へ案内されたようだ。熱水噴出孔でも近くにあるのだろうか。
「今のお召し物はこちらへ。お着替えはこの棚に置いておきます故、どうぞごゆっくり竜宮浴場をご堪能くださいませ。」美女Cは丁寧に頭を下げ、浴室から出て行った。宮女なのだろうか。姫様には及ばないが美人である。こんな美人が何十人も居るところに来られるなんて、やはり今回の転生は当たりである。できる限りここに居られるように工夫し、長居出来るようにしよう。そんなことを考えながら風呂に入り、冷えた身体を温めた。
風呂から上がり、浴衣を着て更衣室から出ると、美女Eが待機していた。私は美女Eに案内され、階段を上がり、1つ上の階の大宴会場に通された。
「竜宮浴場の湯加減はいかがでしたか、浦島様。さ、奥の方へどうぞ。」竜宮城のお姫様が柔らかく受け入れてくれるような声色で私を席まで案内してくれた。
「とても良い風呂でした。冷えた身体も温まりましたよ。」私は努めて紳士的に応対した。
「それは良かった。私たちも普段、あのお風呂を使っていますの。美容にもいいですからね。」と、いたずらっぽく笑う姫様に大層どぎまぎした。
「さ、浦島様。お酒をお注ぎいたしますわ。飲みながら今回、うちのカメを助けてくださった話をしてくださいな。」美しい姫様にお酌をされ、美味い酒を飲まされ、持ち上げられて、自慢話を語らずに居られるほど、私はまだ人間が出来ていない。ついつい話を誇張しつつ、饒舌に語り始めた。美女たちも客人である私を持ち上げ、どんな話でも笑ってくれる。そうなると、もう紳士的な振る舞いなど、どこ吹く風。その後の記憶は断片的で思い出せないが、はっきりしていることは、三日三晩の大宴会になった、という事だけだ。
「おはようございます。浦島様。こちら二日酔いに効くお薬です。」あれだけ羽目を外した私をまだ客人と扱ってくれる姫様に感謝しつつ、薬を受け取り飲み込んだ。
「ご気分はいかがですか。」姫様が私に尋ねた。
「お陰様で良くなりましたよ。」大変よく効く飲み薬で、話をしている間にみるみる気分が良くなった。
「それは良かった。よく効く薬と評判なんです。気分も良くなられたようですし、ぶぶ漬けでもいかかですか。」姫様が微笑みながら尋ねてきた。遂にぶぶ漬けを勧められてしまったか、と心の中で思ったが、三日三晩騒いだのである、そろそろお暇するべきだとは思う。だが、せっかく当たりの転生、今回はそう易々と終わらせるわけにはいかない。
「そうですね、是非ともぶぶ漬けを頂けますか。」私はぶぶ漬けの意味など知らない、といった様子で姫様に応えた。一瞬、姫様の雰囲気が陰ったように見えたが、流石というべきかすぐに空気を立て直し、笑顔で返事をしてくれた。台所の方へ向かいながら、浦島様にぶぶ漬けをお願いします、という声が聞こえ、2秒程度の間をおいて、宮女達の返事があった。
出されたはぶぶ漬けにはクロダイや刻み海苔、あられ、少量の練りわさびが添えられており、お出汁がたっぷりかかった出汁茶漬け、となっていた。言うまでもなく、大変美味であり、満足感のある一品であった。
「浦島様、ぶぶ漬けはお口に合いましたか。」姫様がそっと近くに寄り、話しかけてきた。
「ええ、大変美味でした。ここの料理はどれも大変美味しいので、ずっとでも居たくなりますね。」私の発言に姫様は表情をやや固まらせながら上品に笑った。なかなか帰る素振りを見せない、私をどうしたものか、と竜宮城陣内は浮足だっている様子であったが、具体的な対策は講じられず、4日目の宴会が行われた。
5日目の朝、昨日同様に姫様がぶぶ漬けを勧めてきた。私は厚かましくもお願いした。姫様に困った人ですね、といった顔をされたが、見て見ぬふりをした。台所も少しざわついているようだ。
出されたぶぶ漬けは一見、昨日と同じだが、よくよく見ると魚が違うようにも見える。
「姫様、こちらのお魚は何という名前ですか。」私は尋ねた。
「竜宮城付近でとれる、カイズと呼ばれるお魚です。やや小ぶりですが、美味しいのでお召し上がりください。」後で知った話だが、カイズはクロダイの出世前の魚であった。あまりにも奥ゆかしい、対応の格下げである。
そうこうしている内に夜になり夕食会が開かれた。宮女の数は減り、やや寂しさを感じる夕食であったが、ご飯は美味しいし、姫様は美しい。このままずっと続いてほしい、と思いながら6日目の朝を迎えた。
昨日同様、ぶぶ漬けをお願いすると、台所はちょっとした騒ぎになっていた。
「あの浦島って男はいつまでいるつもりなのかしら。」などという声が聞こえてくる。出されてぶぶ漬けには刻み海苔しか乗っておらず、お出汁も白湯に代わっていた。これではぶぶ漬けと言うより、お粥である。
6日目の夕食はあまりの気まずさに客間で頂きたい、と申し出てしまうほどであった。一人で夕食を頂いていると襖がスッと開き、助けたカメが尋ねてきた。
「浦島さん、浦島さん。ちょっとお話が。私は貴方に恩がある。恩があるから敢えて言わせてもらいますが、そろそろお帰りになられた方が良い。宮女たちから悪い噂が出回っています。」カメは神妙な面持ちで私に訴えた。
「それについては雰囲気で察しているつもりだが、竜宮城は大変すばらしい場所だ。ご飯は美味いし、女性は美しい。少々雰囲気が馴染まないからといって、出て行くつもりはないよ。そのうち改善されるかもしれないし。」私は長居する心づもりであることを伝えた。カメは少し言いにくそうにこう続けた。
「それはやめた方がいい。実はここだけの話、浦島暗殺説も宮女の中から出ている程なんです。」私は、カメが大袈裟に言っているだけだろう、と思ったが、食事の箸は進まなくなった。
「カメの言う事はわかった。一晩考えてみるよ。」私はカメにそう伝え、下がってもらった。その日の晩は結局一睡も出来なかった。物音がすると気になってしまうのだ。このままだと精神的に病んでしまう。私は決心することにした。
7日目の朝、いつものように姫様がぶぶ漬けを勧めてきた。
「姫様、ぶぶ漬けは結構です。随分長居をしてしまった。そろそろお暇させてもらいます。」私は名残惜しいが姫様にそう伝えた。姫様は一瞬明るい顔したが、間違えたとばかりにすぐに暗い表情を作り、残念そうにした。
「そうですか、残念ですが、出立の準備をいたしますので、少々お待ちください。」程なくして、姫様と宮女達が玄関付近に揃い、浦島様ありがとうございました。またお越しくださいね。と別れを惜しんでくれている。
「浦島様、こちらをお土産にお持ちください。」そう言って姫様から大きな重箱を頂いた。
「ありがとうございます、姫様。しかし、この重箱、大きすぎやしませんか。」私は尋ねた。
「浦島様は長く居てくださったので、寂しさも大きいのです。是非ともこの重箱を受け取ってもらいたいです。ですが、この重箱は決して開けてはなりませんよ。私たちだと思って大事にしまっておいてほしいです。」姫様は童話どおり、一言付けたした。
私は大荷物を持ってカメに跨り7日前に通った道を引き返した。カメとも別れを告げ、浜辺で1人大きな重箱を前に立ち尽くした。さて、この後どうしたものか。竜宮城に永住出来なくなった今、この時代に残っても仕方がない。物語を終わらせて元の世界に帰らせてもらおう。そう思い、重箱に手をかけた瞬間、嫌な予感がした。もし、重箱を開け、老いることで元の世界に帰れるなら良いが、老いるだけでこの世界に残されてしまったらどうしよう。娯楽の少ないこの世界で老いたまま過ごす事は現代人には耐えられない。しばらく悩んだ挙句、私は重箱を開けることにした。老いたままこの世界に居る事は辛いが、青年の姿でもこの世界に残るのは辛いのである。それなら元の世界に帰られる可能性にかけることにした。私は重箱の紐をほどき、恐る恐る蓋を開けた。たちどころに煙が立ち上り、モクモクモクと私は煙に覆われた。みるみるうちに手が老いていくことが分かった。モクモクモク、モクモクモクと煙が立ち上る。モクモクモク、モクモクモク、モクモクモク、煙はまだまだ出てくる。モクモクモク、ちょっと煙が出過ぎではないか、と思っているうちに私はぽっくり逝ってしまった。どうやら竜宮城に長居し過ぎたようだ。
ある朝、目が覚めると 柏井 はじめ @k14124869
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