決戦
僕は今、薄暗い広場に一人立っている。住宅街に囲まれた広場は楕円形で、まさに広場である。どういうことかと言えば、砂利の地面以外何もない、周りを緑のフェンスに囲われた土地だからだ。5月下旬だというのに寒気が体を震わせたかと思ったら、自分の武者震いだと気づいた。
「こんな緊張するの、いつぶりだろうか。」
考えたけれど、答えなんて出なかった。まず、恋愛に消極的な僕は、夜の広場は勿論、一人で女子を待った経験が皆無だからだ。ましてや、多分ごく一般的に生きてきた僕としては、今までずっと近くにいたはずの人に、命を狙われたことなんて無かった。
「遅いなー、相変わらずだけど、、。もう、こんなに暗くなっちゃったよ。」
とは言え、彼女が時間にルーズなことはよく理解していたし、ありがたいくらいにも思えた。
何しろ、明るいと目立ってしまい、お互いにまずいからだ。
『もしかしたら』、の想定はしておいている。相手はもう、二度も僕を殺そうとしているのだ、いくら幼馴染でも、無いとは断言できない。
「多分、幼馴染だからこそ、なのだけど。」
「ごめん、待ったー?」
入口のほうから、場違いなハイテンションの声が、広場中央の律にもはっきり聞こえた。
そうか、あくまでいつも通りなんだな。そう思い律は静かに笑うと、
「いや、今僕も来たばかりだから、、。」
と、手を振り返した。
この定番の会話から、二人の対話は始まった。
「いやいや、絶対律は、先に来てたでしょ。」
広場の闇は、電灯や住宅の明かりで、かろうじて二人の輪郭を保っていた。
莉架の恰好は、これから予想される展開を自ら否定するような、まさに女子学生の若さファッションだった。いっそこのまま、デートにでも行けるような雰囲気。
「いやいやいや、僕だって遅れてきたのに、莉架がさらに遅れるもんだから、、。さすがだな、感心させられるよ。」
対する律自身も、実は自身の可能な限りのお洒落をしてきたはずだったが、あまりうまくはいかなかったことが、莉架の無反応で分かった。
「そうか、そういえば、、。律も昔から、時間にルーズだったもんね。よくここで遊んでいたっけ。はは、やっぱり私たち、あんま変わってないみたいね。」
律の体は確かに、無意識的に反応していた。『昔』という言葉に、無意識的に。
リリ、その言葉を使うのか。君は、そうやって笑えるのか。
「律、今日も面白かったなー。なんかさ、さすがって感じだよね。」
「おい、何がだよ。」
負の感情に染まっていく心を落ち着かせ、出来るだけ陽気に答えようとするも、やはりそれはぎこちない、、。
「いやさー、さすが律。昔から、その変に抜けてるとこ、面白いんだよなー。」
ダメだ、抑えているのに。さらに心が重くなる。『昔』という言葉が、君の笑顔が、あんなに僕を救ってくれた君の笑顔が、、。
今の僕には、ただただ苦しい。
「律、で、今日は何の用なの? まさか律が、自ら女子に声をかけてくるなんて、、。もしかして、告白?」
そう言って、莉架、リリは笑った。いつと同じ笑顔なのに、こんなに自然な笑顔を作れてしまうことが、今の律には不気味にすら感じられてしまった。
「まるで、あの時の自称神と同じだ。」
2人は似ていないのに、どこか似ている。
「もう、いいだろ、、。やめてくれよ。」
不意に律は、噛みしめるようにゆっくりと言った。言ってしまっていた。
ヤバイ、開いた口が塞がらない。心に溜まった泥水が、口から溢れてくるようだ。
「もうわかってんだろ、というかそれ以外の何もないだろ。もう、無理をしないでくれよ。」
リリの顔から、笑みが波の如く引いていき、むしろ珍しい真顔で律を見つめていた。リリのこんな顔を見たのは、ほとんど初めてだった。
「どうしてお前なんだ。どうしてお前が、『天使』だった? いつからだろう、中学生になってからか。それとも、僕が倒れてからか? お前は、リリに憑りついてたんだろ? 教えてくれ、、。」
もう止まらない、律は自分の弱さにここにきて気付いた。こんなの自己中だ、僕がただ楽になりたいだけだ、、。
「いや、どれも違うわ。」
リリとは思えない、別人のような大人びた暗い声に、律は現実に引き戻された。
「どれも違う、あなたこそ分かっているんじゃないの? いや、分かっているのよ。それなのに、わざわざ本人の口から求めるなんて、あなたこそ楽をしようとしている。無理をしないでではない、もう無理したくないんでしょ、あなたが。」
その通りだ。その通りだが、分かっていたとしても、それを実際に言葉にして言われるのは辛く、痛い。リリの言葉は鋭く、冷徹さと美しさを纏っていた。
「私はリリ、15歳の女の子。そして確かに、私はリリ。私には家族がいて、友達がいて、幼馴染がいる。これらの設定に、嘘はない、、。」
リリの声に感情はこもっていなかった。顔も体も、段々と生気が失われていき、空気と同化していくようだった。律は、リリに向かい合うように直立し、リリの言葉を受け止めようと必死だった。
「嘘はないけど、全部幻なのよ。私が作り出した、私が律を殺すために作りだした、幻影であり夢なのよ。我々天使は、世界の加護により、事実を歪めることができるの。そうやって、バグを抹消していくのが役目。あなた達は騙され、私は後一歩までいったわ。」
リリは、表情一つ変えなかった。表情一つ変えていないのに、微妙に視線が低いのが、律には悲しんでいるように感じた。
「けれど、失敗した。あの時は、神の奴に邪魔され、今度は律の能力が開花してしまったわ。それで今、ここにいるの。はい、私は言ったわよ。」
そう言って、リリは視線を地面に落とした。そして手を腰にあてて、動かなくなった。
次は自分の番なのだと、律は声を出そうとした。出そうとしただけで、実際は深い息を吐いていた。体に力が入らず、立つことがやっとだった。
少しの沈黙の後、律はゆっくりと、口を開いた。
「僕は、、。僕が今日、君を呼んだのは、なにも戦おうというわけではない。僕は君を傷つけたくない、絶対に。たとえそれが天使と人間でも、僕らは分かり合えている。だから、、。」
「何を甘いこと言っているの? あなたはまさか、私と戦って勝てるとでも思っているのかしら。やっぱり変わらない、昔から律は、、。」
「話を聞いてくれ! 僕は君を、気付けたくな、、。」
律は咄嗟に、左半身を右足を軸にひねると、そのまま右に倒れた。
律を切り裂こうとした閃光は、宙を漂った後にリリの腰に消えていった。
「な、何すんだよ?」
倒れたままの律は、体を起こしながら言った。
「こうするしか、無いのよ。ごめんね、さようなら。」
リリの声とともに、先ほどの閃光が上から降ってくる。
律は体ごと地面の上で2,3回ほど転がり、よろよろと立ち上がった。
「リリ、やめろって、、。」
律の視線の先には、夜の闇の中で輝く、月光を纏ったガラス人形がいた。
右手に、パチパチとはぜる光が、剣の輪郭を形作る。
「これは、我々天使の救済の剣、イミュニティー。これであなたの物語に、終止符を打つ。」
律は莉架と少し距離をとった。しかし、あくまで戦闘態勢にはならず、直立の姿勢を保つ。
「リリ、こんなことをしたって無駄だ。やめてくれ。」
「嫌よ、これも世界のため、、。私の使命。」
そう言うと、リリの光が闇に溶けていき、残った剣の先が律を向いた。
「私は、あなたを見誤っていたみたいだわ。だから二度も、失敗を犯した。だからもう、手加減はしない、全力でいくわ。」
律は、諦めたかのように、疲れた笑みを浮かべた。そしてまた、確かに嗤った。
「分かった、僕も全力で行くよ。」
リリが、剣の光が一直線で律に向かってくる。
「キャプチャー、発動。」
→キャプチャデバイス・・On・・、
・・起動を確認、異常はなし。・・
・ファイルを選択し確認、対象を確認、、。・・
・命令を確認・・確認できず・・・・
・・・命令を待機中、、・・画面に表示・ます。・
→コントロールメニュー <表示>
さあ、選択してください。 [再生終了]
_ <(逆再生) ・ <一時停止・再生> ・ (早送り)>_
リリの動きは、キャプチャー起動中にもかかわらず、止まるどころか加速していくようだったが、律はそこには深く考えていなかった。
「これが、律の能力か。さあ、どうするの?」
律は、今度は冷静だった。
「いや、僕は選択しないぞ。僕の能力が早送りをできるなら、低速することもできるはずだ。キャプチャー、低速させろ。」
・命令を確認・・、命令・実行開始・・・。
・・・低速化します・・。
『(低速)|> 』
その瞬間、確かにリリの動きは鈍くなった、その瞬間だが。少しも効果がないのか、閃光がどんどん近づいてくる。
「へえ、これがあなたの能力なのね。でも、我々には、世界の加護があるの。世界が、我々を必要とし、加護しているのよ。あなたの能力は、私には届かないわ。」
律の目には確かに、彼女の周りを静かに囲む、透明なバリアが見えていた。いや、目では目でも、心の目で見ていたのかもしれない。どっちにしろ律は、集中していた。
「え、それってやっぱり、天使共通なのね。それにしてもバリアは、ずるくないか。能力効かないとか、すごい困るんだけど。」
一周回って明るい声が出たものの、実際、律は追い詰められているように見えた。
「痛っつ、思ったよりも動きが早いな。」
そう言って、律はよろけた。体勢を立て直し、また後ろに距離をとっていく。
「でしょ、こんなもんよ。」
リリは、自慢げに言った。
律は、軽く切れた頬から出る血を手で拭うと、
「僕って今、生きてるんだな。」
と、ボソッと呟いた。
「どうする、僕の能力はリリに届かないぞ。でも、このまま届かないままでは、いつか僕の体がもたなくなる。」
と、闇の中を泳ぐ閃光をに注意しながら、疲れを抑えきれずに前かがみの体勢になった。
律は、リリのバリアを破る方法を考えるのだが、やはり前回同様、直接物理的に攻撃するしかないだろう。
「でも、リリに近づくのは難しいぞ。前回は不意打ちだったが、今回は正面からだ。近づこうとすれば、今度こそ深い切り傷を受けるぞ、、。」
蛍のように宙を舞う、光の剣に注意を向けながら、律は即座に作戦を練っていた。傷を追った相手をわざわざ、そっとしておくわけがない、リリには今がチャンスなのだ。
「今あなた、どう近づこうか考えているんでしょ。」
闇の中から、リリのからかい混じりの声がする。
「そして、『いつか、自分の体がもたないとか、考えているでしょ。』そんなに、私は甘くないわよ。」
光の剣が律の視線の先でピタっと静止して、地面に直立するように光っている。
「くるのか、リリ。」
律は体を戦闘態勢に立て直すため、上半身を持ち上げようとして、極端な疲労感に襲われた。
「どういうことだ、体が、重いぞ。」
そう言って、右手で頬の軽い切り傷をさすった。軽い切り傷を、さすったはずだった。
「痛い、何だよこれ。こんな傷、こんな深い傷、受けた覚えないのに。」
律は、顔の隅々まで調べた後、やはり先ほどの傷に戻ってきた。
「そうよ、それが『イミュニティー』の固有能力なの。あれに傷を受けた者、要はバグは、どんなに浅い傷であろうとも関係ないの。『傷つけられた』ということが重要なのよ。」
律は、恐る恐る上半身に手を当てていく。なるほど、いや良くないことに、確かに至る所に受けた覚えのない傷がある。しかもそれが、段々と深く開いていっている感覚がする。それはまるで、熟れて割れてしまったトマトのようとも言えた。
一斉に体の至る所から激痛が襲ってきて、律は悶絶してしまった。
体温計で自分に熱があることを認識してから、熱が上がり始めるように。
「そう、一度傷を受けると、段々とその体に傷が刻まれていく。刻まれていくだけではない、そこからバグたちの力を奪っていくの。力、というかエネルギーを。」
「そんなの、いくらなんでも無茶苦茶だ。」
そう訴えようとして、喉の傷が開いてしまった。
「ああああああ。」
悲痛な叫びが、夜の闇にこだました。その叫びは、あまりの痛みに発せられたわけだが、そう考えてみると、今まで、この物語で彼が叫んだことはなかった。まるで、それを嫌うように、いつも嗤っていた。
「もう、苦しまなくていい、終わりにしましょう。本当に、。」
喉を押さえながらも剣を睨む律の、なぜか後方から声は聞こえてきた。
「何? ま、さ、か、、、剣は囮で、、。」
「そうよ、どうしても抹消するには、『天使の矢』が必須なの。お願い、終わりにしましょう。あなたが何もしなければ、『矢』に痛みは伴わない、、。ゆっくりと、意識がなくなるだけだから。」
律がなんとか振り向いた先では、リリが右手を頭上に伸ばし立っていた。状況によっては、選手宣誓をしているみたいだと笑えただろう。
闇の中でそれがはっきりと確認できたのは、リリの背後に、オーロラのような光の靄が広がっていたからである。それはリリの『天使の翼』であり、その光の中で、例の『矢』が成長している。成長しているというのは、小さな結晶に光が溶け込み、段々と大きく形成されているからである。
「・・・・、・・・・・。」
リリの口が、何かを告げた。そして右手を律に向けて下ろすと、光の靄から『天使の矢』達が律に向けて放たれた。
律はただ、茫然と立っていた。傷だらけの、血だらけの体で、リリの光に見とれていたのかもしれない。
「ここで終わり、はダメかな? そうだよな、ダメだよな。」
そう、独り言なのかボソッと呟くと、なぜか軽く笑みを浮かべた。この状況で、絶望的状況で、、。と言うより、そんな状況だからこそなのだが。
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