復刻

 文字がブレたことで、その先に浮く例の『矢』が見えて、律は少し焦った。しかしそれは、死への恐怖というより、別にあったといえる。

 「ちょっと待ってくれ、今いいところなんだ。」

そう、返事が返ってくるはずもない『矢』に言うと、文字に視界を向け直した。

 律は、ゆっくりと文字に手を伸ばした。

 「『選択する』が分からないなら、いろいろと試していくまでだ。そして、もしこのキャプチャーが、世界の動きをコントロールできるものだったなら、、。リモコンだったら、この世界を逆再生にして、『矢』から避けられるかもしれない。」

もし、、は、もう考えないことにした。

 そして今、律はゆっくりと、『<(逆再生)』の文字に触れようとした。

「痛い、何が?」

 律の手は何かの感触とともに、痛み、いや凍たみを感じて反射的に引っ込んだ。少し間があいて、律は今の感覚が、文字の先にある『矢』に素手で触るという自らの愚行によるものと気付いた。それは、ドライアイスに触るような、低温火傷したかのような鋭い痛みだった。

 つまりは、

「痛いなあ、、。そうか、この文字に実体はない、視覚的に存在しているだけか。そうするとますます、選択の先が気になるんだけど、どうすれば、、。」


 そこで今度は、触れる以外の方法を試すことにした。

「キャプチャー、逆再生せよ。」

その言葉には、なぜか感覚的な確信があった。何かが起こるという、確かな確信が。

その言葉を発する瞬間から、今までとの異状が起き始めた。

 目の前の文字の壁が、突如として青く発光しだしたかと思うと、律を正面から暴風雨が吹き付けた。強力な冷たい風に立っていることがやっとの状態で、目を開くこともままならない。

 「キャプチャー、ストップ!」

吹き付ける風の中、必死に叫んだ。しかしそれは、聞こえてかいないでか、何も変化を起こさない。

 「そうか、逆再生という言葉に反応したんだ、同じように、、。」

ここで息が続かなくなり、一度息を吸いなおす。

 「もういいって、もういいから、、。えっと、キャプチャー・再生せよ!」

すると、後ろから同じ強さの風が吹き付けて、鈍い衝撃に襲われた。

 「僕は、成功したのだろうか。」



 「そうだろうな、、。って、おい、律、授業中に寝てたのか?」

狩野先生が、黒板を背にイライラした口調で言った。

「え、あ、はい! あ、いや、聞いていましたよ、もちろん、、。」

クラスの視線が集まっていることに気づき、やってしまったと顔を伏せた。


 あれ、何か忘れていないだろうか。大切な、僕の人生の重要点的なものを、、。


 「気持ちよさそうだったな。『リリ』とか、聞こえましたけど?」

後ろから、原田が小声で茶化してくる。

「律、だったら、お前の考えを聞きたい。はい、立って、、。」


 ここはもう、無理にでも通すしかないだろう。授業中寝てしまうことは、一度や二度のことではないし、成功してきた確かな実力もある。

「はい、僕の意見はですねえ、、。」

すかさず、必殺、『黒板を見る』。


 確かここは、黒板を見てはいけないような、、。


 「世界恐慌の際の、アメリカの政策である、ニューディール政策です!」

どうだ、黒板の空欄をうまく埋めたはず、、だ?

 「り、律君の考えは、ニューディール政策ですか、、。」

先生の声が変に震え、律は異変に気付く、、ような気がした。

 「あれ、みんなの教科書、道徳じゃね?」

先生が笑いだすとともに、クラスが笑いの渦が起きた。

「律君は、主人公はあの時に、『アメリカのニューディール政策』を行えばよかったと、本当に思ってるんですね。」

 再びクラスに笑いの渦が起きた。律は恥ずかしくて、机に顔が埋まるかと思うほど、顔を机に押し付ける。


 そして、伏せた机の木目に、文字が書かれているのに気付いた。


『これは、チャプター<2>

 あなたはこれから、『天使の矢』に狙われて、避けようとするだろう。

 証明して見せろ、あなたの生き様で。』


 「律くん、授業中に、寝ないでください。」

狩野先生の声は、笑いの渦にかき消された。


 律は、今、全てを思い出した。いや、もはや全てかは分からないのだが。

「しかしどうする、逆再生をしたことで時が戻っているらしいぞ。少し戻り過ぎた気もするのだが、、。とは言え、成功したことは確かだ。」

 律は自分が満足感に浸っていることに、あまり良い思いはしなかった。

「しかし、まだだぞ。時が戻っているということは、あの『天使の矢』が、再び襲ってくるということだ。うまく避けないと、次はないのかもしれないぞ。」

 


 5分ほどたって、クラスが落ち着いてくると、今度は静寂がクラスを包んだ。

「で、ここで主人公は悩みます、、。」

狩野先生の催眠作用を伴う朗読、火曜の6時間目道徳とは、『混ぜるな危険』である。

「はい、皆さん考えてみてください。」

 クラスの大半が隠すことなく寝ている中でも、先生はいつも通り授業を続ける。

「ああ、目が覚めちゃったよ。どうしよう、寝れないな、、。」

そんな中、律は集中するわけでも、寝る訳でもなく、ただぼーっとしていた.


 振りをしていた、、。なぜなら、ここで大きく不審な動きをしたりすれば、一度死に損なった意味さえなくなってしまうのだ。つまりは、『犬死に損ない』に、成ってしまう恐れが十分にあるのだ。

 「どうする、最悪の場合には、能力があるはずだぞ。いやしかし、能力が連続して使えるかは分からないぞ、だって世界に影響を及ぼしたのだから。」

いや待てよ、と思い、それ以上考えないことにした。

 その理由は1つ、下手に変化を加えてはいけないこと。

      2つ、これ以上考えると、『では僕がコントロールできてしまっている

         この世界は、何なのか?』

         『僕という存在は、何なのか?』

などという、今踏み入れてはいけない問いが芽生え始めたからである。


 「いけないぞ。僕は、全力で頑張ると決めていたではないか。」

とは言っても、道徳は、評価が入る授業ではないのだ。でも、これからは評価が付くというし、ここで手を抜くのに納得できない、、ように、思考しておく。

 「では何をするべきか。を、今は考えなければならないのだ。」

授業への積極的な参加という選択肢以外を、考えていた時のことだった。


 「何かが、こちらを睨んでいる、、。」

何かの視線、いや、もはや純粋な殺意をまたも感じる。


 律は、慎重に周りを見回したが、こちらの動きを確認しているのか、それらしい人物も、物体もない。


 「なんだ気のせいか。とは言え、確かに天使たちが、いつまた襲ってくるのかは分からないからな。」

『実際は分かっているのだが、気にしてはいけないのだ。』

そう思い、教科書に目を落とす。


 「やはり、何かが狙っているな。」

視線を落とした瞬間に、先より強力な殺意が向けられた気がした。

「どうする? あいつらの『矢』は、当たったら終わりだぞ。とは言え、敵の場所が掴めないと、避けることなど不可能だ。と思い、前回は失敗したのだ。」

 律は考えつつも、視線を教室中に向けることで、時間稼ぎを図った。やはり、数人の優等生と先生ぐらいしか、今活動している者はいない、、。窓の外には、校舎に沿った形で造られた、グラウンドが見える。勿論、そこにはいないであろうが。

 「そうだ、わざと隙を見せて、何らかの動きを見せるのを待ってみよう。しかし、もし気付かず、射られることがあったら、、。あってはないが、結果はそうなる。」

しかし律は、自分でも不思議なほどの自信と、落ち着きがあった。

 「ま、その時はその時だろ。死活的状況に立たされれば、僕の能力もわかるかもしれないしな。そうか、それでいいのかもしれないな。」

 そう思い、律は深く息を吸った、、。そして、海に飛び込むダイバーのように、勢いよく視線を机に向けた、、。


 「3、、4、、5、、。」

律は秒数をつぶやき続け、顔を上げたい衝動を抑えていた。これは、前回よりも、緊張してしまい、肩に余計な力が入る。やはり、命を狙われているというのは、どうにも緊張するものであった。

「まるで、スナイパーに狙われているみたいだな。なんで、中3でこんな経験してんだろ?」

 そう言いつつも、一方で律はこの状況を楽しんでいた。そう、そこは変わらないのだ。



 「21、、22、、23、。」

そこまで数えて、律ははっきりと何かが、、。何かが今にも、自分に向けて放たれることを感じた。

 「来たか、かかって来い! 今度は、絶対に避けてやるぞ。」

律は、水面に上がるような重みを感じつつも、ゆっくりと、死神と向かい合った。


 「え、何でチョーク? と、みせかけて、、。」

視線の先では、狩野先生が投げたとみられるチョークが、滑らかな弧を描きながら律に飛んできていた。

「律、お前また寝てるのか!」

それに続くように、狩野先生の叱責が聞こえた。

 「何だ、チョークかよ、、。ホントにさあ。」

全身の筋肉が緩み、律は体ごと机に崩れたようにしつつも、体に力を入れたままにする。すぐに、動けるようにするのだ。

コンッ、チョークが脳天に勢いよく当たって、床で折れた音がした。

 「じゃあ、動きますか!」

教室に、再び笑いが起こった。

 

 律が言葉を発する前に、次の展開に切り替わる。

全身に軽い痛みが走り、律は体を反射的に起こした。そして、黒板のある前方を睨んだ。あまりに咄嗟のことで、クラスメイトも律が倒れたことに気づいていない。

 律は、確かに感じた、

「今、前方から、何か強い風を感じたぞ。冷然としていて、命の温かさを吸いつくすかのような。」

それはまさに、

「あの時と同じだ。あの矢と同じ、澄んだ殺意、冷然とした美しさ。すなわち、僕の死神だ。」


 案の定、そこに、いや宙に死神はいた。しかし今、死神の手に鎌はない、、。

 「自称神ではなく、今度は確かに僕が自分で助かったんだよな。ちょっと、無理をしたけれどさ。で、このまま完結かあ、とはいかないよな。」

律は、神と初めて話した時を思い出し、静かに笑った。

 その間にも『矢』は迫っており、目的物を見失っているとは知らないその矢は、今は美しさだけで捉えられた。

「そんな甘くないんだぜ。」

 律は目を閉じて深呼吸した。




 「これで、使命は達成ね、、。」

そう言って、リリは深く息を吐いた。そうは言ったものの、リリは悲しげだった。

「これで、いいのよね、、?」

 しかし、リリの顔はすぐに血の気を失った。まさに血相を変えたというのが適しており、青白さを通り越して透明度すら覚えるほどだった。

彼女と律の目が合って、『矢』が教室の後方の壁に刺さるまで、7秒間ほどにらみ合いが続いた。

 その間にクラスでは、律の突然の店頭にざわめきと笑いが起きて、狩野先生はただ茫然とその光景を眺めていた。

「どうして、どうして律は、そこにいるんだ?」

しかしその声は、2人にはほとんど届いておらず、まるで『消音』機能でも使ったかのように、とても静かだった。

 そののちに、律は笑っていた。そして、それにつられるように、莉架も丁寧に笑った。


 「やっぱり、君だったんだね。リリ、、。」



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