終章)経験

 「はい、はいそうですか。ええ、了解しました。ああ、手が空いていればそちらも、ですか。あは、分かりました。うん、それでは。」

スマホで通話しながら、見えもしない相手に何度も礼をするこの男。確かに今更彼が、人間ではない。と言われても、周囲は気付かないだろう。それどころか、実はスマホは見せかけで、本当は頭に直接言葉が聞こえているのだとは、同じ天使の目も欺けると思われた。

 「ま、俺は結局、任務を全うするだけなんだけどね。そっちの処理は、専門の方たちが適切に処理してくれるし、出る幕無いっていうか。それに、あいつのこと、嫌いじゃないから。」

教師狩野はそう言って、職員室を後にする。そのままのんびりとした足取りで、廊下を進んでいく。傍らには、教科書の束と、、ガムテープ?

 

 「はい、じゃあ授業を始めましょうか。号令よろしく。」

 「起立ーっ、気を付け、礼。」

無意識的に礼をしているようで、着席の衝撃で目が覚めた。とでも言おうか。まったく、彼は今いつ死んでもおかしくないというのに、何をウトウトしているのだろう。

 「はいじゃあ今日は、教科書13ページを開いて。」

わざと、大袈裟に眠たげな一声から、4時間目を始めていく。4時間目の国語、昼休みという山小屋の前に立ちはだかる急斜面は、はっきり言って苦痛だろう。

 「じゃあ皆さん、ここを音読しましょうか。はい、隣の席と向かい合い、2人で丸読みしてください。よーい、始め。」

その一声で、教室は良い騒がしさに包まれる。皆しっかりと音読してくれているからで、ガムテープを切ったくらいでは、誰一人反応を示さなかった。

 「さあ、ここからが肝だぞ。」

そう言って、彼は生徒たちの間を見回るように通り抜け、対象の隣まで来ていた。

 なるほど『神器』は、学習はしているらしい。音読をする間も、絶えず周りに視線を泳がせており、それは自分も例外ではない。隣に近づいているだけで、彼の警戒心が伝わってくる。

 「さて、ここからどうするか。」

狩野は計画通り、手に持っていたペンを落とす。

「あっと、ごめん律くん。君の机の下に転がってしまった。取ってくれないかい。」

「ああ、何だ先生ですか。分かりました、ちょっと待ってください。」

そう言って律は、一瞬教室中を見渡したかと思えば、素早く机に潜った。

 しかしその一瞬で、狩野は十分工作できた。素早く手を机の側面にぶつけて、その瞬間ガムテープを張り付けた。

 当の律は、

「先生、見つかりましたよ。良かったですね。」

などと、僕は気付いていません。と、自分から言ってくれたようなものである。

「おう、ありがとう。助かったよ。」

 確かにリリは、近づきすぎたな。教師という立場でも魅かれるのに、幼馴染は近づきすぎだ。そういう部分では、あの子はまだ、若すぎたのだ。


 「はいじゃあここ、律くんが読んで。」

ここでまた、すみませんどこですか? を期待していた自分がいたが、前回の失敗を活かしたらしい。

「はい、13ページですね。」

 彼は注意深く教室中を見渡しながら、ゆっくりと席を立つ。注意深く慎重に、そんな彼には、『灯台下暗し』ということわざを、掛けてやりたいものである。

「痛ったい、、。」

そう言って、彼は立ったまま少したじろいた。そして教室中を見回すが、何周かした視線は最後に手元に至った。彼が右手を抑えたのを確認し、安堵の表情を抑えた。

 「大丈夫ですか、律くん。手を押さえているようですが。軽い切り傷なら、保健室に行ってらっしゃいよ。」

「いえ、ご心配なく、、。」

そう言いながら、傷を見せようとなのか挙げた手を、彼は不意に止めた。そしてそのまま、しばし茫然と立っていた。

 その意味は、律を含め3人しか分からず、クラスメイト達は律の行動に、受けを狙っているとでも感じていただろう。狩野はそれを、見慣れているとでもいうように眺めていた。

「やっぱり、保健室に行ってきます。」

そう言って律は、足早に教室を出ていった。

「行ってらっしゃい。」

そう、狩野は言った。

「これで、作戦はほぼ成功だろう。」


 コンコンっと、ドアがノックされる音がした。

「失礼します、律くんいるかな? こんなこと言うけれど、君はここにいるはずだな。あの傷も随分と増えているはずだし、第一君も、被害を押さえたいと思っているはずだ。」

 ガラっと、ドアが開けられた。

「さあ、これより、ランクA-『神器』の処理を行う。迅速で適切な対応を目標とし、達成に全力を尽くす。」

 狩野先生改めニクスは、楽しそうに笑った。

 

 ドアが開いたのと同時に、閃光が部屋を包み込む。状況を知らない人間が見たら、特殊部隊の突入の瞬間に立ち会ったと思ってもおかしくはない。しかしながら、状況を知らない人間は、きっとこの光を見ることはできないのだから、考える必要はなかった。

  光の粒、天使の矢が浴びせられていく保健室。

「僕のイメージでは、ここで23人が死んだ。残機は、77人といったところか。」

律はそう思う余裕はあったが、光の雨には圧倒されていた。

 初めは、カーテンで仕切られて見えないようになっている、奥のベッドに向かって集中砲火だった。次に段々と、矢の横雨は散らばりを見せ始め、棚やさらに奥の教師用の机に向かって降り始める。

 ここで驚くべきことは、あれだけの矢を食らいながらも、実際の損害は一切無かった保健室の強度。ではなく、バグ以外のものには一切の傷を与えない、通り抜けてしまう矢の特異性であった。

 「さあ、これでランクB以下なら任務完了、ランクA-なら五分五分ってとこだな。さて、『神器』の力やいかに。」


 やっと姿を見せたニクスは、既に矢を放っていた翼をしまい、剣を右手に掴んでいた。扉の前で、部屋の中を隅々まで見回していた。

 そんな彼にも、『灯台下暗し』ということわざを、掛けてあげたいものである。

 「この時点で、さらに35人が死んだ。残機は、32人といったところだろうか。」

そう、律は思っていたが、口に出せる状況ではなかった。

 「うーん、何とも言えないが。もしかしたら、あまり骨がないやつだった、とか?」

そう言っておきながら、彼はさらに何周か繰り返し、それでもと一歩踏み出した。

 ビッチャ、確かにそう聞こえた。驚いたニクスは足を戻し、音の正体を確認した。

「血? ……はて、なぜゆえここに、血の水たまりができてるんだ?」

矢は、触れたものを殺せるが、その際に血は出ない、必ず出ないはず。

「っ・・・、・・・。」

「ということは、これは彼の血としか考えられない。血だまりであって、動いた跡は見られない。・・・まさか。」

そう言って、すかさず顔を上げるが、そこにあったのは律の足だった。待っていましたとばかりに、ニクスの顔に足をぶつけようとする。

「はっはっは、面白いですね。こんなこと、長い人生で、初めてかもしれない。」

もし本当に足が当たっていれば、彼は今頃、

「い、いってえ。」

とでも言っていただろう。けれど、実際は違う。

「いやあ、忘れてないですか? 我々天使には、世界からの加護があることを。」

律の足はバリアに弾かれ、保健室の奥の壁に衝突した。後ろの棚から、包帯などの備品が落ちてくる。

「っつ・・・・・・・・・・。」

衝突の反動で、さらに傷が開く。熟れたトマトが地面に落ちたようなもので、律は歯を食いしばっていることが精一杯だった。包帯から薬品の臭いがして、意識を持っていかれかける。


 「惨めだな、、。俺も初めの、天井に張り付いて上からキックっていうのは、好きだったんだけどな。」

「うるさいぞ、現場にいないくせに。分かったようなこと、言ってんじゃねえ。お前なら、どうしたっていうんだよ?」

 決して律は、天国での神との再会、みたいな状況にいるのではない。これまた奇妙な描写だが、包帯の中に神が立っていて、ニコニコと話しかけてくるのだ。中というのも、包帯が最新テクノロジーでVR眼鏡に早変わりしたというのが早い。まあ律もほとんど理解しようなんて、気を起こさないようにしている。

 「ああ、俺だったら、さっきの雨の間を縫うように避けるか、全部打ち返すかのどちらかだな。まあ、俺って全知全能の神だから。」

お前に訊くのがバカだった、そう思ったが言えなかった。神はまだ、喋り続けていて、間を与えてくれない。

 「それよりさ、まずいんじゃないの。今だって、まさに最終局面ってやつでしょ。俺今回、まったく手を出さないことにしたから。期待なんてしないでよ。」

 誰がお前に期待するか、そう言いかけて、今度は言えなかった。確かに、期待していた自分がいつかに、いたのは確かだった。

 「大丈夫、ではないけれど。まだ、計画通りと言えなくもない。まあ、包帯の中ででもいいから、見ていろよ。」

 そう言って、顔に掛かった包帯やらをどけると、そこにはニクスが仁王立ちしていた。見下ろすようにこちらを眺めている。

 「さあ、次で残機32人の運命が決まるぞ。」

 

 「まだ、君の能力が見れてない。今までとは違う、そんな君の能力は、きっと私を驚かせてくれるだろう。」

そう言って、ニクスは笑うが、律はそれを直視できなかった。ニクスの背に後光のように、青白い光が集まりだしていたからだ。

 それが何を意味しているのか、律は嫌でも理解できていた。

「さあ、ここが勝負どころだぞ。ここを乗り切れば、チャンスは必ずある。」

ゆっくりと慎重に体を起こしながら、成功イメージを固める。未だ自分の能力の起動

の仕方が分からないため、起動できた時の律を思い出した。


「キャプチャー、発動。」

そう言って、律は嗤った。するとやはり、文字が次々と現れていく。ニクスにも文字は見えているらしく、少し距離をとったようだった。


→キャプチャデバイス・・On・・、

 ・・起動を確認、異常はなし。・・

・ファイルを選択し確認、対象を確認、、。・・

・命令を確認・・確認できず・・・・

・・・命令を待機中、、・・画面に表示・ます。・

→コントロールメニュー <表示>


 さあ、選択してください。                  [再生終了]


_ <(逆再生)  ・   <一時停止・再生>   ・    (早送り)>_

<|(低速)  ・  (低速)|>


 「さあ、君が『神器』と呼ばれる由縁、見せてくれよ。」

ニクスは楽しげに言ったが、今の律には真意は分かりかねるものだった。とりあえず、能力に期待しているらしいと理解し、さらに集中を高める。体中に散らばる血液とは別のエネルギー的な粒子を、体の中心の一点に集中させるイメージ。というのも、律は体中血だらけも問題ながら、その血とともに、体を流れるエネルギーも一緒に流れ出てていた。

 「刻まれていくだけではない、そこからバグたちの力を奪っていくの。力、というかエネルギーを。」

 またも彼女の言葉の意味を、律は改めて理解する。身体的なダメージだけでなく、能力も封じられる剣。弱らせて、矢を確実なものにするための、救済の剣。

 「なるほど、確かにチート武器だな。しかし、、。」

律には逆に、そこに希望のようなものがあった。国語の文章題で、こんな主張があった。

 「科学は両刃の剣である。科学は人類の生活を豊かにしてきたが、使い方を間違えるとそれは、人類の脅威になりかねない。」

その言葉を思い出したのは、律の計画の核となる希望と、類似的だと思ったからに他ならない。

 「多分、魔術が発達していたにせよ、同じことが言えたのだろう。そして今、目の前の天使が握っているその剣も、きっと両刃の剣なのだ。副作用が、主作用に対する副作用があるはずだ。」

 この時の律は、目の前の戦いに集中していたため、この言葉はすぐにどこかへ流れてしまう。いつか、この言葉を律自身痛感することになるのだろう。


 「来ないのか? では、こちらから行くぞ。もうそろそろ、昼休みも終わるしな。随分と、気付かぬうちに時間が過ぎていたよ。」

 ニクスは、時計を見てから言った。

 その言葉に、自分が学校の保健室にいるのだと、死にかけているのだと気づいた。保健室で血だらけとは、これから先自分はどうなってしまうのだろうか、下手したら、スカイツリーの上で戦ってしまいそうだ。

 「キャプチャー、早送りしろ。」

 またしても文字が青く発光し、律の背後から追い風が吹き付けるような感覚がした。その風になぜか、所々にある傷たちが、春の訪れかとばかりに一斉に開き始めた気がした。その言葉と同時かどうかで、光の雨が放たれ始めた。

 もちろん、律は自分の能力で加速し、全ての矢の間を縫って避けきった。なんて、出来るはずもなく、加速してなんとか雨宿りできる位置に移動した。ボロボロで体力も限界なので、さほど早いわけでもなく、追尾する雨のギリギリを走って避ける。その姿はとても戦っているなどとは遠く、文字通り必死に保健室中を蹴り散らしながら走る。

 「そんなものか、私はもっと君には、向かってきてほしかったのだけど。君の能力は、走って逃げることで、精一杯なのかい。」

ニクスの背後で、天使の翼が蒸発するように空に溶けて消えた。ニクスは翼が消えたことに動じる様子はなく、部屋の隅で壁にもたれかかる律に歩み寄る。

 律は、壁があって立てているかの状態で、とても反撃できるようには見えなかった。痛みに歯を食いしばりながら、虚ろ虚ろな目で敵を眺めている。

 「これまでか、お前の物語は。ならば最後に一つ、教えてほしい。これはただの、私の興味に過ぎないのだが。」

その独り言のような呟きに、律は微かに顔を上下動させた。

「お前はなぜ、そこまでの傷を負い、それでもなお、立ち上がるのだ。お前は、言ってしまえば巻き込まれた側の、被害者ではないか。お前が特別何か、罪を犯したわけではないのに。それでもなお、なぜおまえは立ち上がる? もう、楽になって」

「違う、それは違うよ。」

かすれた声で、律の言葉はつなぎつなぎだった。重苦しい予鈴が昼休み終了5分前を知らせる間、2人はただ睨みあった。


 予鈴が鳴り終わるとき、3つのことが同時に起きた。

 一つは、保健室のドアが乱暴に叩かれ出したこと。

「開けて律くん、そこにいるの? どうしたの、律くん?」

けれども保健室からは反応がなく、石井先生は応援を要請しに行ったのか、また保健室は静かになった。

 二つは、ニクスの背後で光が集め出したこと。

これは、時間に対する危機意識から、これ以上伸ばせないと判断したようだった。その姿はまるで、傷ついた少年を迎えに来た、天使そのものと言えた。

 最後は、律が消えた。少し語弊があるが、実際はニクスの背後に回った。ニクスはすぐさま振り向き、最後の悪あがきを防ごうと、剣を振り上げた。

 「あんたは、いや狩野先生は、何か勘違いをしてらっしゃる。先生が思うような、優等生ではないよ。」

 血だらけの少年は、今までの死闘が嘘のように凛と立ち、天使に嗤いかけた。

「なるほど、全てはこの瞬間のための演技。この、私に隙ができる瞬間のための演技。いやしかし、私は最後までこの剣を振る、それが誇りある天使の最後なり。」


 この瞬間、律は人生の賭けに勝った。

「僕は、何も誰かのためにとか、そういう立派な志を持っているわけじゃないんだ。本当に、つまらない理由なんだよ、きっと。僕はヒーローではない、けれど、確かにここに、生きている。」

そう言い終わるかどうかで、律はバランスを崩した。何か呟きながら、その場に膝をつく。

 振り落とされた剣は、なぜか天使の手を抜けた。剣の方から、手から離れたようだった。空に浮いて停止した剣は、ニクスが焦って避けようとする前に、力尽きたように落下した。

 「な、なんだと? 律は、初めからこれを狙って?」

そう言って、今度はニクスが膝をつく。

「やっぱり、両刃の、、剣、だった。きっと、、天使にも、効果があ、、ると思った。いやむしろ、あんたら、、の、方が、効果が出る、のでは?」

 ニクスのガラスの体に、次々と皹が入っていく。

 「僕がこうやって、戦うのは、、。僕らを嗤うこの世界に、ざまあみろって嗤ってやるためだよ。」

 そう言って、律は笑った。



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