天使
「ちくしょう、また『神』の野郎だ、、。」
今朝、自称『神』が座っていた信号機に、夕方、今度は2人? が立っている。
「どうする? 我々の使命は、彼という『バグ』の抹消でしょ。このまま、邪魔されました、って帰るの?」
「どうするも何も、『神器』は逃がすと危険だな。まだ開花したばかりのはず、私たちでなんとかできるはずだ。」
これまた奇怪で、実寸大ガラス人形というのが早く、ガラスのように透き通っている。人の形をしていて、背には翼ともとれる光の霧が漂う。
「じゃあ、自分は男子生徒に、リリは、女子生徒としてだな。」
「了解、、。」
そう言って、2人は空気に溶けるように消えた。
夕日が窓から顔に注がれ、律はゆっくりと目を開けた。視界に、見慣れた真っ白い天井が広がっている。
「なんだ、夢じゃねえか。現実味ないのに嫌にリアルな、妄想的な夢だった。」
律は、ゆっくりと体を起こす。視界には、仕切りの真っ白なカーテンと、息子の目覚めを喜ぶお母さん!?
「よかった、律が起きた! もう、本当に心配したんだから、、。」
「夢だった的な落ちじゃなくて?」
段々と記憶が戻ってきて、血の気が抜けていく。
「お母さん、会社にいたら、急に学校から電話がかかってきて、、。そしたら、息子さんが倒れて救急車なんて言うから。お母さん、心臓が止まっちゃうかと思ったわ。」
「母さんまで救急車じゃん、、。」
母は、ハンカチで目をこすった。
「本当に、、よかった。これも、きっと神の御加護だわ。」
自称神が笑っているのが頭に浮かんできて、律は咄嗟に、首を振って消した。
「今のところ、律君に異常は見られません、、。急に倒れた件の、原因は分かっていません。少なくとも、今の律君に異常がないことは確かです。」
母さんは大きく息を吐き、律は小さなため息を漏らす。
「一応、律君にも、何があったのか訊きたいんだ。」
律は用意していたセリフに、できるだけ感情を込めた。
「はい、歩いていたら、急にめまいを感じて、フラッと。で、気付いたら、ここでした。」
それを彼は、見事なタイピング捌きでパソコンに打ち込んでいく。みるみる画面が、律の寓話に浸っていった。
だからと言って、お医者さんに、あの時の事実をありのままに伝えたところで、笑ってくれるかも怪しい。
「過去に、学校なんかの心電図の検査で、引っ掛かったことは?」
これが最後の質問だった。ここ質問だけ、不自然に慎重だったことに、気付かない律ではない。
「いえ、、別に、中学では、、。あ、小学校の時に、一度だけ。けれど、精密検査に異常は無かったと。」
母が、まだ何か危険な物があるのかと、これも慎重に言った。
いいえ、と医者は強調するように言った。
「いいえ、異常が見られなかったのなら、心配には及びません。」
そう言いながら、パソコンに打ち込んでいく。
そして、決まり文句のように、
「では、また1週間後に、経過観察という形でいらしてください。」
と、2人それぞれに視線を配るように言った。
「ありがとうございました。」
母と子は、息を揃えて言った。
病室を出ようとした時、廊下から聞きなれた話し声が聞こえた。
「律、大丈夫かなあ、心配だよなあ。」
原田の声だ。4人分の足音も聞こえる。
足音がドアの前で止まり、ドアが開かれた。
「って、おい。律、大丈夫だったか?え、元気そうじゃね?」
「一緒に、帰りながら話しましょうか。」
母がいることに気づき、4人が会釈した。
「お前びっくりさせんなよな。」
日影たちも、激しくうなずいた。
「俺ら、急に倒れるからびっくりしたよ。今まで、ずっと一緒に通ってたのに、、。異変に気づけなくてごめんな。」
いつも通りのクールな日影の声に、3人もうつむいた。
「何でお前らが謝るんだよ。こっちこそ心配かけて悪かった。見舞い、ありがとう。」
4人とも、表情が明るくなる。原田の顔は明るくなり過ぎて、心配の色など吹っ飛んでいった。
「おい、律。お前、今学校の有名人だぜ。」
原田は、面白がっているようだが、律は気が気でない。
「自称神の野郎、もっと穏便に済ませらんないのか?」
律は、契約の瞬間を思い出すたびに、何度も思う。
今日も、目覚ましが6時きっかりに鳴り出した。
「今、起きました、、。」
今日は朝早く起きて、勉強机に向かう。昨日のことなど、何もなかったかのように。
「ここで動かないと、また夢に戻ってしまう。」
あの決意を、無駄にするもんか。
「律、体は大丈夫なの? 今日も、無理しなくていいのよ。」
「母さん、大げさだよ、大丈夫だから、、。ありがとう。」
いや、大げさなんかではない、体に起こった変化がどっかにあるはずだ。
「何が『バグ』だよ。僕は、そんなもんに負けねえ、僕の人生を邪魔させねえ。」
「ん? 母さんを呼んだ?」
「いや、大きな独り言だよ。」
確かに、クラスの視線がちらほら気になる。
「そりゃそうだろ、救急車だぜ。」
原田が言ってることがもっともなんだけれど、、。
「なんかこう、無理になんもなかった風に、いつも通りにしようとする消極的な感じ。すごい、歯がゆいな。」
「歯がゆいって?」
「背中がかゆいのに、手が届かない感じ。」
「ああ、担任がそこには触れんな! て、念押ししてたからな。誰も、背中は掻いてくんないぜ。」
「いい迷惑なんだよなあ、、。、」
「何話してんの? もしかして、昨日のこと?」
クラスの音がピタリと止んで、みんなが耳を澄ませている気がする。
「ああ、そうそう。」
原田も困惑している。
「そっか、私も聞きたいな。昨日、何があったのか。」
空気を読めないこの女子は、架理 莉架、幼馴染というのが早い。
ショートヘアの黒髪が、笑顔とともに揺れる。飾ることも、隠すこともない、全力の笑顔。でも今日は、いつもよりも無理をしている気がした。
「そんな、呆れた顔しないでよ。幼稚園からの仲でしょうが。ケチなこと言わないでさ。」
「ちょっと、やめなさい、莉架ったら。」
莉架と仲が良い凜々花が、莉架を引っ張っていく。
「おい、保護者さんがしっかりしないと、お宅の娘さん、育ち盛りですからねえ。」
莉架は原田を睨み、凜々花は愛想笑いでごまかした。
クラスの音が、不自然に戻った。
何も起こらなかった、、。
昨日の一件が嘘のように、平穏な日常が戻りつつあった。
「・・気がした。」
「世界のためだ、犠牲になってもらうぞ。」
確かにそう聞こえた。
「おい、律! お前、どこ行くんだよ。」
「ちょっと忘れもの、先に行っといて!」
律の体は反射的に、何かに吸い寄せられるように走っていた。
「もしかしたら、僕と同じことが、誰かに起こっている? そんなこと、許せるかよ!」
行ったところでお前に何が、とか考えてる暇はねえ。
もし、あの場に神がいなかったら? そう思うと、ほっておけない。
「やめて、僕が何をしたっていうんだ。」
その声に、律は足を速める。
「近いぞ、今行くから。」
どのくらい走っただろう、ある曲がり角を曲がった時だった。
そこは、軽自動車でやっとの、家とマンションの間にある細い路地だった。
「おい、大丈夫か。今、助けてやるから。」
昨日の衝撃的な光景で、ある程度『非現実耐性』がついていて良かった。
奥のブロック塀を背にしたガラス人形が、右手で握ったガラスの剣を振り落とそうとしている。そして、その先には、、。
「僕と同じ制服、同級生か。そうは、させるか。」
道路の手前側にしりもちをつき、血相を変えた男子生徒。
「やめたほうがいい、近づかないで! え、こいつらが、見えるのかい?」
こういった状況、人が襲われてる状況は初めてなので、模範的な処理を知らない。
「そいつから、離れろぉぉぉ。即興、飛び横蹴り!」
左足で道路を踏み切ると、右足で横蹴りを繰り出す。
やばい、間に合わないかもしれない、、。
ガラスの剣が、空を切っていく。
あと少しのところで、届かないのかもしれない、、。
「いや、僕はもう変わったんだ。この1年に、自分の全力をぶつけるんだ。」
体の底から、訳もなく力を振り絞る。
心の叫びが合図だったかのように、急に推進力が倍増した。追い風を受けた船のように、空中で大きく弧を描いた。
飛び蹴りが、『ガラス人形』目掛けて空を舞う。何か硬いバリアにぶつかった感覚がして、蹴りの威力が奪われた。
「元テコンドー初段を、舐めんなよ!」
すかさず、硬いバリアを蹴り足で踏み切る。そして、踏み切った勢いを利用し、空中で一回転する。背を向けたタイミングで反対足から、後ろ横蹴りにつないでいく。
バリアが割れ、尚も蹴りは加速を続けていく。
蹴りがうまい具合に腰に入った。あまりの自分の勢いに、律はその場にしりもちをついた。急激な疲労感と、何か水に溺れるような苦しさが、自然と呼吸を乱した。
「何者だ、なぜ我らの『加護』を破壊できるのだ?」
捨て台詞とともに、ガラス人形は勢い良く弾かれ、道端のブロック塀に激突した。
「大丈夫か、ケガは?」
「ないよ、ありがとう。」
第一印象が眼鏡のこの青年は、
『見えるのか?』
と、僕に聞いた。
つまり、このガラス人形こそが、『天使』、僕を消そうとした憎いやつらか。
「君強いんだね、僕も抵抗はしたんだけど、、。バリアに阻まれて、、。」
「いや、反射的なことだから。」
とは言いつつも、内心自分でも驚いている。反射的に、あいつがあんなに、吹っ飛ぶことになろうとは、、。間合いも威力も、想像を外れた。
眼鏡君の目に恐怖が再び宿った。
眼鏡君の視線が向く方を見て、律も再び悪寒を覚えた。。
「まさか、そういうことか。そうでもないと、あんな攻撃が、我らに触れることはないか。お前が、あの方が仰っていた『神器』か。なるほど、その噂は本当、神器の由縁分かったぞ。」
「おい、何が言いたいんだ。」
赤く光るガラス玉のような眼が、不気味さと神々しさを引き立てる。
「ふんん、今に分かるさ。また会おうぜ。」
不気味な暗示を残し、『天使』は空に舞い上がって消えた。先ほど蹴りを浴びせたところが、心なしか周りより、色が薄くなって見えた。
「本当に、ありがとう。君、強いんだね。」
眼鏡君に、やっと笑顔が戻った。
「僕は、神導 律。眼鏡君の名前は?」
「僕の名は、時々 望、同級生だと思うよ。これからもよろしく。」
そう言って、望は一人で帰っていった。
彼との出会いは、
「僕以外にも戦っている人がいる。」
という、心の支えになり、同時に、
「僕は、大きな物語に巻き込まれてしまった。」
ということの、証明にもなった、、。
そしてもう一つ、我々にとっては分かり切った話だったが、律は自分以外にバグがいること。つまり、バグは僕一人ではない。
この時、律は咄嗟に確信する。
「と、いうことは、僕はこれからそいつらとも、戦わないといけなくなるのか。」
と、彼の確信は確かに正しかった。正しいのだが、彼は、共に戦える仲間がいる、と思う前に、共に戦う敵がいる、と理解してしまっていた。
「おい、律。学校の位置まで、忘れちまったのかよ。」
戦場になった小道から出た時、進行方向から聞きなれた声がした。
「え、何で原田たちがいるんだよ。」
頭の上で大きく手を振る原田を先頭に、見舞いにも来てくれていた5人組が歩いてくる。
「あの時、近くにいてやれば良かった。俺たちなりの、成長だよ。」
皆の声を代弁するかのように、原田は胸を張って言う。
「お前らに出会えて、本当に良かった。やっぱり、持つべきものは友だな。」
そう言ってから、律はふと黙ってしまった。独りで走って行ってしまった、眼鏡くんの姿が目に浮かんだからであった。
彼は確かに、助けを求めていた。喩えバグではなく、普通の人間だったとしても、隣にいてその異変に気付かぬはずはない。先に逃げってしまったか、それとも、、。
そんな律をよそに、原田は他の奴らと笑い合っている。その姿を見ていると、何故だか深く考えなくてもよいと、自然に整理できてしまう。
だから律は、これ以上深く考えることはやめた。時々少年のことや、バグについて、そもそも普通の人間はどちらかなんてことも。
家路の途中、皆で律が走っていった後の話をした。
どうやら、律がいなくなった後で、
「俺たち、律を追った方が良くね?」
日影の提案に、2人ははっと、顔を合わせた。
「そうだな、また急に倒れちまったら、俺たちが運んでやんなくちゃな。」
4人は示し合わせたように、同じタイミングで頷いた。
それの代わりにと、日影は律の話を聞きたがった。
「じゃあ、律はどうして走っていったの?」
クール、寡黙、真面目の日影が自ら話を振るのは稀なことで、律は期待に応えたいと思った。
「それで、気付いたらさ、、。」
それでその場しのぎの、適当な言い訳をする。
「それはそれは、大冒険でしたね、お坊ちゃま。」
原田の冗談に、他の表情も柔らかくなった。そんな中、1人、鋭い目で律を見る者がいた。
「へえ、何やってんだか、まったく。」
日影も皆に合わせるように、自然と笑みを浮かべた。
が、その目は、、。
どこか僕らが見えているものよりも、深いところを見据えているようだった。それはまた、いつかルビーの石を覗き込んだ時に感じた、自分の心の方が眺められたような嫌悪感とも言えた。
日影の目が夕日を反射し、ルビーの様に赤く光った。
「いやー、本当にびっくりしたぜ。相変わらず、驚かせてくれるじゃないか、律さんよ。」
原田はそう言って、歯を見せて笑った。
申し訳ない、そう言って、律もそれに応えるように笑った。
夕日が二人の影を眼下に伸ばし、ゆらゆらと揺れるそれは、独立した生命体を感じさせた。毎度、途中で道が分かれるため、最後は原田と律が2人で帰ることになる。そして今まさに、オレンジ色に染まったアスファルトの上を、2人はゆっくりと歩いていた。
「でさ、その時のあいつの顔と言ったら、、。」
尚も一人、原田は相槌をもらいながらしゃべり続けていた。
原田は、どんな相手に対してでも、その人の趣味思考を踏まえながら、話題を提供し続けることができる。それはもはや、一種の超能力と言っても過言では無いスキルであった。
「おいおい、律、どうした? もしかして、まだ申し訳ないとか、引きずってんのか?」
そんな原田の饒舌を、律は止めることができた。特に付き合いが長いから、お互いに不調を感じられることもある。そして、律はわざと話を止めた面もあった。
「いや、そういうわけではなくてさ。」
原田は、興味と心配のこもった眼で律を見つめる。
「原田は、もし、もしだよ。もしも、身近にいる人間に、命を狙われていると知ってしまったら。そしたら、どうする?」
とても唐突で、滑稽で、意味深な質問だった。そんな質問をできるのも、律にとっての信頼からのものだった。
「うーん、難しい質問ですな。では、そのシチュエーションは?」
原田は顎を指で摩るようにしながら、真剣な表情を浮かべていた。
「なんでもいいよ、スパイだったとか。殺し屋、因縁のライバル、生き別れ、、。」
「その具体的な手段は?」
「いや、そこが分からないんだな。そこが一つ、大きな論点。」
「身近な人ってのも、どうせ分からないんだろ。」
さすが、鋭い。と、律は首を縦に振って見せる。
しばし悩んでいる様子だったが、不意に顎を摩る手の動きが止まった。
「うん、俺ならそうするな。」
律はその答えに向き合うようにと、今一度原田を見つめた。
「俺なら一度、刺されてみる。刺されてから、考えるんだろうな。」
その答えに、律は感心させられてしまった。そうだ、これが原田だった。訊くまでもなく、確かにこいつはそうしかねない、喩え相手が、一撃必殺の凶器を持っていたとしても。
「そうか、ありがとう。」
「ためになったか?」
原田は得意げに訊いた。
「いいや、全然。」
そう言って、2人は笑った。
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