第26話 ただ勝ち取るべき未来がある
今年の梅雨入りは早かった。
中間テストが終わって6月の衣替えをすると、もう空がぐずつき始め、雨が降ったりやんだりの湿っぽい季節がやってきた。
転校して初めての試験勉強に集中していたおかげで、心の中にいたミオノの姿は少し薄れてきた。思い出すことがあっても、胸は痛まない。
ただ、心配ではあった。禁呪を使って、何をするか分からないからだ。
それとなく、生徒会長や藤野、長瀬雪乃などにも、魔法使いたちに変わったことはないか聞いてみたりもしたが、特に暴動や喧嘩などと言った話は聞かなかった。
ところが、6月も半ばになったある日のことだった。
学校からの帰り道で、僕は生徒会長に呼び止められた。
交流センターが閉鎖されてこっち、浮かない顔をしていたのに、今日は晴れやかな顔をしていた。
「太乙玲高校の文化祭から招待があったんだ。今週末の日曜日だって」
以前から文化祭を通しての交流を申し出ていたのだが、校内での反発を心配して、なかなか前向きな返事がなかったのだという。
「こんな季節にですか?」
文化祭というのは、秋にやるものだと思っていたが、生徒会長によれば、進学校や商業高校ではそうでもないらしい。
「受験とか検定の邪魔にならないように、早めに済ませるんだ」
神奈原高校は、そのどっちも問題にならないということなんだろう。
それにしても、何だか急な話だった。
「今まで、知らなかったんですか? いきなりですね」
「日程さえも公開されていなかったからね、今まで……あ」
生徒会長が驚いたのは、懐で呼び出し音を鳴らすスマホを取り出したときだった。
僕も驚いた。
いつもは感情を表に出さない生徒会長が、道端で踊り出したのだ。
「いったい、何が……」
「政野さん、帰ってきた! 交流センターも再開だって! ……え? ここにいますけど」
僕に返事をしたり、政野さんと話したりと、生徒会長らしからぬ落ち着きのなさだった。
こういう人が傍にいると、かえって気持ちが冷めてくるのはいつものことだ。
「僕に……何か用ですか? 政野さん」
何かがおかしい、と直感したのも、僕の性分がそうさせたのだろう。危ないことから逃げ回ってきた分、こういうときの勘も鋭く働く。ただし、勘は勘にすぎないから、何が危ないのかということまでは分からなかった。
生徒会長も、怪訝そうに答える。
「すぐに……連れてきてくれって」
交流センターでは、政野さんひとりが待っていた。
ちょっと期待していたけど、やはりミオノはいない。
聞くまいとは思いながらも、にこやかに挨拶を交わす生徒会長の後ろから、つい、尋ねないではいられなかった。
「あの、行方不明の魔法使いのことは……」
生徒会長が、困ったような顔で僕に振り向いた。その向こうでは政野さんが、今までになく渋い顔をしている。
その口元が、ふと緩んだ。
「ああ、和歌浦君、急な話だったから、向こうの生徒会と打ち合わせをしてくるといい、今からでも」
生徒会長は、きょとんとした顔をすると政野さんに向き直った。
「じゃあ、太乙玲高校の文化祭って……」
「もうあちこちで、噂になっているよ。知らなかったのは和歌浦君ぐらいさ」
瓢箪から駒とはこのことだ。長瀬雪乃が流した噂は、こんな形で実現していたのだった。
政野さんがにやりと笑ってみせると、生徒会長は無言で頭を下げて、すぐに交流センターを飛び出していく。6月の文化祭を仕組んだのが誰なのか、察しがついたのだろう。
そして、僕ひとりが残された。
「じゃあ、もうご覧になりましたね」
僕が言ったのは、もちろん、藤野がオタクたちと流したSNSのつぶやきのことだ。
全ては直観を離れて、もう、頭の中でつながっていた。
政野さんは、生徒会長が去ったときの笑いを崩すことなく答えた。
「そんな手に引っかかると思っているのか」
藤野が拡散させた、意味不明の断片的な言葉に隠された意味を読み取れるのは、この世界中で政野さんしかいない。長瀬由紀が流した噂を、わざわざ実現してみせたのだから。
この人は、職業不詳の若禿げオジサンなんかじゃないのだ。
僕は心臓はバクバク鳴るのをこらえながら、努めて冷静に答えた。
「思っていません。お話がしたかっただけです」
確かめたかったのは、自作自演はもうひとつ仕組まれていたということだ。
ミオノは魔法使いたちへの敵意を煽りながら、それを隠すために僕に見当違いの人物を探らせていた。それが徒労に終わったのも、計画されていたことだろう。
同じやり方でミオノを操っていた政野さんは、面白そうに尋ねた。
「どこまで知ってる?」
言いたいことはたくさんあったけど、僕は緊張の中、要点だけをまとめて答えることができた。
「あなたの目的は、魔法使いの暴動を誘発し、逮捕者の中から呪文使いを手に入れることだった」
もちろん、それはミオノだ。交流センターを隠れ蓑にすれば、この先、いくらでも手先として操ることができるだろう。
政野さんは頷いて、質問を付け加えた。
「何の?」
答えはひとつしかない。僕は余裕たっぷりの笑顔を見据えて、それを告げた。
「狭間潜み」
「ご明察」
手まで叩いて見せる政野さんに、僕は真顔で精一杯のハッタリを利かせてみせた。
「黙って諦めれば、秘密は守ります」
ミオノひとりを操るために、民間のSNSまで止めたのだ。国家的な組織じゃないと、とてもそんなことはできないだろう。政野さんは、たぶん、そういう公安関係者のひとりなのだ。
これは国家にとってのスキャンダルだった。もちろん、一介の高校生が暴露したところで、どこまで信用されるか分からないが。
そのせいか、政野さんは落ち着いたものだった。
「残念だが……目的は達した」
「まさか……もう?」
そこで気付いた。
逮捕者を出すなら、一網打尽にするほうがいい。神奈原高校の生徒を招いた文化祭は、行方不明になっているミオノたちに暴動を起こさせるには格好の舞台だ。
政野さんは、慇懃無礼に頭を下げてみせた。
「よく働いてくれたね。あのミニコミ誌は、君にこうさせるつもりで渡したんだよ」
魔法使いたちをつなぐ情報誌。
『ウァンガルド』の前身、『同胞と魔法のために』……略して「どうま」。
そこには、17年前に僕が生まれるきっかけとなった、不幸な事件が日付抜きで記されている。
考えてみれば、文化祭が政野伽藍によって仕組まれるまでの僕の行動は、全てこれが引き金になっていたのだった。
「畜生……」
僕は呻いた。完全に、政野伽藍の掌の上で踊らされていたのが悔しかったのだ。
いや、まだ間に合う。太乙玲高校まで走っていって、全てを明らかに……。
できるわけがない。
ミオノが帰ってくる場所は、なくなってしまう。名前を初めとして事実を伏せれば、僕の話は信憑性を失うだろう。
政野伽藍は、穏やかに、しかし逆らい難い重々しさで言った。
「元の世界に帰りなさい」
僕が元いた世界は、穏やかだった。
この街に来る前、僕は魔法使いのことなんか何も知らなかったし、自分たちとは違うとか同じだとかいうことに悩んだこともなかった。
こんなに苦しい思いをすることになったのは、ミオノと出逢ってからだ。
魔法使いたちからすっかり離れて、そのことさえも忘れてしまえば、僕は元の世界に戻れる。誰かが自分たちとどこが同じで、何が違うのか、どう分かり合えばいいのか、そんなことに悩んだり苦しんだりしなくてよくなるだろう。
僕は、政野伽藍に背を向けると、交流センターの扉に手をかける。
「元の世界も、今の世界もない」
あるのは、勝ち取るべき未来だけだった。
その世界には、きっとミオノがいると僕は信じていた。
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