第27話 ふたつの正義
「まあ、待ちなさい」
後ろから呼び止める、政野伽藍の声が聞こえた。
僕は振り向くつもりさえもなかった。
「止めても無駄です」
「どこへ行く気か知らないが、別に止めやしない」
姿が見えない分、声の響きの微妙な変化はよく分かった。
僕の足をすくませるくらいの重々しさがあるのに、心のどこかをずきりと痛ませる哀しさがあった。
それでも僕は、突っ張ってみせた。
「じゃあ、もう放っておいてください。僕はもう、用済みなんでしょう?」
どうやら公安関係者のひとりだったらしい政野伽藍の声が、余裕たっぷりに答える。
「どうせ出ていくなら、聞いていってもいいだろう……あの夜、私が見たことを」
政野伽藍が自分の言葉で語るのは、もちろん、17年前に魔法使いの若者たちが起こした暴動のことだった。
私は当時、17歳の高校2年生だった。家はそれほど豊かじゃなかったが、それだけに立身出世のために進学しようと、朝刊と夕刊の新聞配達で、高校の学費を稼ぎ、大学入学のための資金を貯めていた。
あの日、夕刊を配達して新聞店に戻ってきたときには、もうすっかり暗くなっていたっけね。
急いで家に帰ろうとしたら、店主が言うんだよ。
「何か、この辺が騒がしくなってる。あっちこっちの辻々に、警官が立ちん坊してるんだよ。厄介ごとに巻き込まれないように、遠回りして帰りな」
思えばあの時、たとえ危険と分かっていても、警官のいる広い道を通っていればよかったんだよ。
やましいことがなかったら、お上は私らの味方になってくれるんだからね。
それでもやっぱり警官がいるところを避けたのは、世間の高校生並みに部活やったり遊んだりしていないのに、引け目を感じていたんだろうねえ。
家への近道からどんどんどんどん遠ざかっていって、気が付いたらどこかの住宅地に入っていた。
何があったか知らないけど、こんなとこまで厄介ごとは来るまいと思って、立派な家と家との間を歩いていったよ。
そしたら、ある家の前で、若い男たちがたむろしているじゃないか。
これはどこかのチンピラだ、しまったと思って逃げようとしたら、どうも様子が違う。どうやら、家から車で出ようとしたのを、邪魔されてるらしい。
車の中で、大の男が泣きじゃくっていたよ、どいてくれって。でも、若い男たちは聞かなかった。
しまいには運転席から下りて、大勢に掴みかかったね。外套の灯で見えたのは、一緒に乗っていた若い奥さんが、ぐったりしているところだったよ。
多分、産気づいてるんだと見当がついたところで、若い男たちが父親らしい男を寄ってたかってぶちのめしはじめた。
「お前たちも同じ目に遭わせてやらないと気が済まない」とか言っていたな。しまいには、車のドアを開けて奥さんまで引きずり出しにかかった。
放っておけなかったね。
「やめろ!」
私は叫んで駆け寄った。
「子どもは引っ込んでろ!」
誰かがそう叫んだとき、何だか青い光が目の前を走った。
制服の胸の辺りが、すっぱり切れて驚いたよ。でも、怪我はしていない。
怖かったけど、刃物を振るったヤツに夢中で飛び掛かったね。若い男たちは、一斉に私を取り囲んで、袋叩きにした。
その間に、若い奥さんは旦那さんにおんぶされて、その場を逃げ出すことができた。そこでパトカーがやってきて、若い男たちはやっと手を止めたんだ。
一緒に警察へ連れていかれて初めて、若い男たちが魔法使いだったって分かったんだよ。
そいつら、口をそろえて言ったね。
「仲間を守っただけだ」
それで、無罪放免さ。
私の方はどうかっていうと、そのまま捕まってしまった。
人を傷つけられない魔法使いに、暴力を振るって怪我をさせたって。
私の両親が引き取りに来たけど、帰してもらえなかった。
あの旦那さんも、子どもが生まれた後にすぐ駆けつけてきたよ。
証言してくれて嬉しかった。
「子どもの生まれる若夫婦だからって因縁つけられて、車も出せず、救急車を呼ぶ間もなく、もう少しで妻も息子も死ぬところだった。あいつらは人殺しで、この子は命の恩人だ」
取り調べの警官は黙って聞いてたけど、旦那さんの言い分は認めなかった。ただ、魔法使いたちの訴えが取り下げられて、私を釈放した後に教えてくれたね。
何でパトカーがすぐ来たかって。
あの旦那さん、病院へ行こうとして広い道でパトカー呼び止めたんだけど、奥さんが警官に言ったらしいんだ。
私はまだ大丈夫だから、あの男の子を助けてやってくれって。
その話を聞いて、私はお礼を言いにあの家へ行った。でも、誰もいなかった。近所の人に聞いたら、子どもが生まれてすぐ、引っ越し屋を呼んで家を引き払ったらしい。こんな危ない街にはいられないって。
その後、私は高校を辞めさせられてね。それでもなんとか……いや、その先は言えないけど、とにかく、分かったことがひとつあったよ。
魔法使いたちは、自分たちの世界に閉じこもるために、平気で人を傷つけている。
私のやっていることは卑怯かもしれないけど、間違ったことをしているとは思っていない。
自由とか平等とか博愛とか、誰も反対できない建前っていうのは、どこにでもある。確かにそれは正しいし、守られなければいけないものだろう。
でも、そのタテマエのために、傷つく人がいるってことも忘れちゃいけない。自分や家族が無事に毎日を過ごすこともできないっていうんなら、私はそんなもの、ドブにどぶに投げ捨てたってかまわない。
君はまだ若いから、私の言うことには納得がいかないかもしれない。あの可愛らしい幡多ミオノが、自分の正義のために戦うのは眩しく映るかもしれないね。だから、軽蔑してくれて構わない。
ただ、ひとつ言っておく。
太乙玲高校の文化祭を止めようっていうんなら、君もタダでは済まない。
私と同じ人生を歩むまいと思うんなら、知らん顔しているか、黙って見ていることだ。
幡多ミオノたちが何をするつもりか知らないが、私たちは命に代えても、それを止めてみせる。
僕は交流センターの扉を開けた。
黙って外に出ようかとも思ったけど、政野伽藍にどうしても言わなければならないことがあった。
「ありがとうございました……17年前、あなたが救ってくださったのは、僕と……僕の母です」
しばらくの間は、返事がなかった。だが、その場で待っていた僕が帰ろうとしたとき、あの若禿げの政野さんが、おどけながら声をかけてきた。
「袖すり合うも他生の縁というけど、人のめぐりあわせっていうのは本当に不思議なもんだね。会えてよかったよ、佐々四十三君。それじゃ、元気でな」
何と答えていいか分からず、僕は道へ駆け出すと、交流センターを後にした。
それでも追いかけてくるのは、臆面もない男泣きの声だ。
何が正しいのか、これからどうすればいいのか、それを考えるだけで頭がどうにかなりそうだった。
政野さんには、政野伽藍としての正義がある。でも、ミオノにも、魔法使いとして譲れないものがあるのだった。
僕は今、そのどっちの側の人間でもない。その間に突っ立ったまま、黙って見ているしかない、「その他大勢」のモブに過ぎなかった。
ミオノや魔法使いたちのために戦っているなんて、所詮、思い上がりだったのだ。
そう思えば、もう悩むこともない。
僕は自嘲のため息をついて、ぶらぶらと歩きだした。
その一方で、そろそろ暗くなりかけた道の向こうから駆けてくる者がある。
生徒会長だった。
「あれ? 政野さんはもういいの?」
「今日は帰るって言ってました」
とっさに、嘘をついた。まだしばらく、男泣きは続くことだろう。ひとりにしておいたほうがいい。
生徒会長は、残念そうにつぶやいた。
「太乙玲高校との打ち合わせ終わったから、報告しようと思ったんだけど……」
その報告は、永遠にできないだろうという気がした。政野伽藍が正体を明かした以上、たぶん交流センターは閉鎖される。
いくら生徒会長でも、そんなことが分かるはずはない。あっさりと気持ちを切り替えたらしく、僕の肩をポンと叩いた。
「あ、佐々君、訪問セレモニーの実行委員にしといたからね」
「え……」
僕に決定権を与えてくれないのは、ミオノだけではないようだった。
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