第24話 オタクの語る真実

 オタクどもが、その手の本屋で開かれたその手のイベント会場で、ミオノを取り囲んだことがあった。

 もう忘れようと思っていたミオノが、さっきスマホから外したばかりのマギッター越しに、もう必要ない助けを求めてくる。

 そんな妄想が情けなくて、僕は藤野に返事もしないで校門を通り抜ける。

 さっきまでの偉そうな態度はどこへやら、人を小馬鹿にして恥じることのないオタクは、急に腰砕けになって僕に媚びてきた。

「ええと、シトミ君……だっけ」

 背筋に寒いものが走る。

 たいして親しくもない男から、名前で呼ばれる筋合いはない。

「そうですけど」

 フルネームを教える義理もないので、僕はすたすたと歩きだした。

 別に、冷たい振る舞いでもない。後ろから両脇をすり抜けていく生徒たちはいくらでもいる。そろそろ、生徒朝礼も始まる頃だ。

 お互い、急がなくてはならないはずなのに、藤野は僕の後ろにぴったりとくっついてくる。

「あ、待ってよ」

 ミオノに会ったのは5月の連休の後ぐらいだったから、そろそろ衣替えの時期というのもあるが、急に馴れ馴れしくなった口調は、別の意味で暑苦しい。

「急ぎますんで」

 教室へと急ぐ生徒たちに紛れ込もうとして小走りに足を進めたが、すぐ隣にまで追いすがってきた藤野は、四角い身体を弾ませながら息も絶え絶えに言った。

「彼女……ミオノちゃんに会いたいんだけど」

「ダメ」

 僕は言下に突っぱねた。

 藤野がミオノの名前を聞いたとすれば、確か、僕が本屋の階段を駆け上がったときだ。

 確かにあのとき、僕とミオノはお互いの名前を呼び合っていた。

 それを他の男、しかもこんなのが見ていて、いままでしっかり覚えていたというのは面白くなかった。

 校舎の中央にある生徒用玄関に駆け込んだところで、藤野は荒い息をさらにつきながら追いすがってくる。

「謝りたいんだ。彼女たちのこと、よく分かろうともしないで、興味本位でしか見てなかったこと」

 なに善人になってるんだろ、いきなり。

 オタクの藤野にしては思いがけない真面目な言葉に、夕べから張り詰めていた気持ちもふっと緩んだ。

 急いでいるはずなのに、つい、足が止まる。

「いや、そういうんじゃなくてさ」

 別に、お詫びとか反省が聞きたかったわけじゃない。

 僕にとっては、どこかの国にどこかの国の政治家がその気もないのに口にする、社交辞令くらいの価値しかない。

 とにかく、ミオノのことにはもう、触れてほしくなかっただけだ。

 それを藤野はどう誤解したのか、僕の隣に立つと、ようやく落ち着いた声で、しかし恥ずかしげに言った。

「そう、本当のこというと……現実の女の子が、怖かっただけなんだよね」

 何だか、ますます深みにはまっている気がする。

 こんな四角いオタクが心に秘めた傷のありかなんか、見たくもなければ知りたくもない。

「そんなこと言われても」

 困る。

 だいたい、そろそろ朝礼のチャイムが鳴る頃だ。腕時計を見て確かめたかったけど、肩を強張らせて傍らに立つ藤野には、それをさせないだけの妙な気迫があった。

「そうだよね。そういう自分から逃げてたから、危ない目に遭わせちゃった」

 分かった。

 オタクの深い反省、よく分かった。

 でも、もういい。時間もないし、そもそも、このむさくるしい

のと暑苦しいのと重苦しいのは、我慢できない。

 いや、それよりも。

 ミオノに関係したことにはもう、何ひとつ触れてほしくない。

「伝えとくよ」

 それだけ言い残して、僕は教室へ向かう階段を駆け上がろうとした。

 雨の日の体育会がときどきやっているトレーニングのようにはいかないけど、急げば遅刻だけはしないで済む。

 でも、藤野の心の傷は、はるかに僕の想像を超えて深かった。

 僕の腰に手を回してとりすがったので、僕は階段につんのめりそうになった。

 思いっきり、顔面を階段の角にぶつけそうになる。

 あの本屋でミオノがオタクどもにかけた魔法がいかに危険だったか、身に染みてよく分かった。

 もっとも、藤野はそんなことなど気にもしていない。

「直に会って謝りたい」

 無茶なことを言う。

 僕は力任せに、藤野の肥えた腕をふりほどいた。 

「無理だよ」

 はっきり言ったが、藤野は納得する様子がない。

「太乙玲高校に行ったら、会えるかな」

 僕の耳の中に、夕べ聞こえた怪しげな呪文の詠唱が蘇る。

 夜は明けたけど、とても近寄る気にはなれなかった。

「やめた方がいいと思う」

 別に藤野の心配をしなくても、その言葉は自然に口を突いて出た。

 しょんぼりとした声が返ってくる。

「そうだよね……怒ってるよね、きっと」

 正しい判断だけど、相手の範囲も感情の幅もはるかに違う。

 ミオノは魔法使いでない、あらゆる人間たちへの憎しみを胸に抱いて、時空を操る禁呪を手に入れたのだ。 

 ヒノエたちと共に、どこで何をしているか分からない。

 そこで始業チャイムが鳴りはじめたのをいいことに、僕はその場の思い付きでお茶を濁した。

「SNSとかにそれとなく書いたら……見るんじゃないかな」

 今までならどうだか知らない。魔法使いたちに対する自作自演の誹謗中傷を、あちこちのSNSに書き込んでは同胞たちへの敵意を煽っていたのがミオノだったとすれば、どこかで目にする機会もあったかもしれない。

 そして、もし、僕たちが日ごろから自分の偏見や無関心に気づいていたら。

 恥ずかしい思いをしても、それはもちろん人前では口にできない。匿名でSNSに書き込むぐらいしかできないだろう。

 でも、それをミオノが見たとしたら。

 ぼくたちへの憎しみはここまで深いものにはならなかったのではないだろうか。

 そんな思いは、藤野が校則に背いて電源を入れたスマホの画面で打ち砕かれた。 

「無理だよ……これ見て」

 それは、かなりマイナーなWeb配信ニュースの記事だった。

 しかも、外国の業者らしく、英語で書かれている。


 Banned in JAPAN? MAGI’s Access to SNS……


「日本で魔法使いのSNSアクセス禁止か?」

 考え考え訳してみて、はたと思い当たることがあった。

 こんなのが、人の目に止まるはずがない。ましてや、僕がこの街に引っ越してくる前に書かれた記事だ。何かと忙しかったから、気付くはずがない。

 藤野は、元通りの偉そうな態度で、とくとくと述べ立てた。

「海外コスプレイヤーのブログ探してたら、偶然見つけちゃってさ。たいていの日本人はこんなの知らないけど」 

 確かに、平凡な日常を送る普通の人間には全く問題にならない。本当にオタクどもは、知っていったってどうなるものでもないことを、自分が誰よりも先に探り当てたかのように自慢するものだ。

 でも、今の僕には、かけがえのない重大情報だった。

「……いつから? SNSが使えないって」

 マギッターは動いていたから、もしかするとガセネタかもしれない。

 藤野はスマホの画面をさっと指で流す。僕よりは英語が読めるらしい。

「ちょっと見ただけだったから、よく覚えてないけど……だいぶん前から、こうなってたらしいんだ。

 そこでニュース画面から拾ってみせたのは、メジャーなSNSの数々だった。

 トゥーイッタ、ギューグル、ヤピー、ヨウトウベ……

 マギッターの名前はない。たぶん、知っているのは世界中でも僕ぐらいだ。

 アプリから外すんじゃなかった、と後悔しながら、僕は尋ねた。

「でも、ログインできなかったら分かるんじゃないか? 弾かれてるの」

 それはそれでミオノの手を止めることはできたかもしれないが、今、問題なのはそこじゃなかった。

 記事を流し読みした藤野は、事も無げに答える。

「アクセスした魔法使いのほうには分からない設定に……」

 藤野がスマホをポケットに引っ込めるのと、おい、と階段の下から声が掛かったのはほとんど同時だった。

 ジャージを着た生徒指導の先生が、白々しく笑いながら片手を突き出している。

 おとなしくスマホが渡されたところで、僕も素直に頭を下げた。

「すみません。朝礼、始まってますよね……見せてくれって、僕が頼んだんです」

 藤野は感動の眼差しで僕を見たが、校則違反の罰は免れなかった。

 共に説教されるために生徒指導室へ向かう途中で、僕は海外のWebサイトにまで詳しいらしいオタクの傍らで囁いた。

「……力を貸してほしい。もしかしたら、彼女に会えるかもしれない」

 他の男には、ミオノの名前を口にしたくない。

 いや、もう、忘れる必要なんかないのだ。

 ミオノがどんなSNSを使っていようと、魔法使いへの誹謗中傷は別の誰かがやったことだ。

 何の罪もないミオノの手を汚さないために、これから僕ができることは山ほどあるのだった。 

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