第23話 さよなら、マギッター
ヒノエとミオノが夜の闇の中でしっかりと抱き合って消えた、次の朝のことだった。
僕は片頭痛をこらえながら、神奈原高校へと続く歩道に沿って、重い足を前へ前へと進めていた。
おまじないのように、同じ言葉を繰り返しながら。
「悪い夢でも見たと思うしかないか」
いや、それは実際、おまじないだった。
最後に見た、魔法使いの男女が固く抱擁しあう影は、陰画となって僕の瞼の奥に焼きつけられていた。
そのせいで一睡もしていない僕は、自分で自分を笑うしかない。
「夢も見てないのに」
昨夜、神奈原高校からどこをどう歩いて帰ったのか見当もつかず、家に帰りつくなり制服をあちこちに脱ぎ散らかして、ほとんど裸のままベッドへ倒れ込んだのだった。
それこそ、泥のように眠りたかったのだが、瞼を閉じれば見たくもない光景がまざまざと蘇ってくる。
僕はベッドに横たわったまま、目を剥いて天井のシミを睨みつけ、ひたすら夜が明けるのを待ったのだった。
そんな徹夜明けの目の前には、幻覚めいたものが鮮明な形をとって現れることがしばしばある。
僕が校門の前で立ち尽くしたのも、まさにそういうわけだった。
「夢……? まさかな」
どこかで見た覚えのある、神奈原高校の制服を着た女子の後ろ姿が目についた。
そういえば、確かミオノもこんなふうに、僕に背を向けて立っていたはずだ。
思わず、ふらふらと歩み寄って確かめようとすると、いきなり顔面に平手打ちが飛んできた。
ミオノならやりかねないと思ったが、おかげで目が覚めた。
ここは、魔法少女なんかいない日常なのだった。
「ごめんなさい、人違いでした」
相手も確かめずに頭を下げると、その上から身のほど知らずを徹底的にあざ笑う、高飛車な笑い声が降ってくる。
「何? ナンパ?」
その声には、聞き覚えがあった。
ミオノとは何の関係もないのに、なぜか思い出さないではいられない。
「あ、確か……」
睡眠不足で痺れた頭では、どうしてもその名前にまではたどりつけない。
ちょっと遊んでいる感じで、美少女ではあるけど真面目な男の子は近づかないタイプだ。
もっとも、僕の名前を思い出せないのは向こうも同じらしい。
「あれ、あんた……」
お互い、しばらく沈黙したままだったが、先に口を開いたほうは、僕の名前をすっ飛ばして言いたいことを言ってくる。
「本当に女の子好きよね」
世の中の男子に思いを寄せられて当然という、この態度。
そう、最初にミオノが調べさせた長瀬雪乃だ。
もっとも、僕はこの手が好みじゃない。
「いや、そういうわけじゃ」
女の子に興味がないわけでもなかった。ただ、その相手がこの世にひとりしかいないというだけのことだ。
でも、その名前も姿も、もう思い出したくない。ミオノとヒノエの影が重なる様子には、ひと晩かけて充分に苦しんだのだから。
もっとも、長瀬雪乃は僕の都合などお構いなしだ。
「和歌浦君と仲いいんでしょ? 合コンとかセッティングしてくれたら誰か紹介しても」
「いえ、そういうわけじゃ」
もともと恋になど縁がないのは、ミオノとの別れでよく分かった。
生徒会長とも、関わる気はなかった。あんな暗黒面を見てしまった以上、顔を合わせづらい。それは、見せた方も同じだろう。
長瀬雪乃が、呆れたように文句を言う。
「さっきから同じことばっか」
「いえ、そういうわけじゃ」
小馬鹿にされていると思ったのだろうが、別に、わざとじゃない。むしろ、長瀬雪乃の人を人と思わない態度からすれば、このくらいは正当な反撃である。
それでも胸が痛むのは、たぶん、僕が自分自身に嘘をついているせいだ。
それを見抜いたかのように、長瀬雪乃は大真面目な顔で言った。
「誰でもいいってわけじゃないんなら、気安く声かけないで。女の子によっては期待させちゃうから」
「……はい」
遊び人からの思わぬ説教に、僕はようやく落ち着いて、素直にうなずくことができた。
そこで長瀬雪乃は、幼い子どもを励ますような口調で僕をおだて上げる。
「じゃ、頑張ってね。いい線いってると思うよ……その気になればの話だけど」
その声が校門の向こうに消えると、僕は背中から差してくる朝日に向かって振り向いた。
そのまばゆい光の中からミオノが現れることを、僕は期待していたのだ。
もちろん、そんなことはまず叶わない。分かり切ったことだったが、それだけに、僕はマギッターに触れないではいられなかった。長瀬雪乃なんかに励まされるのが情けないと思いながら。
そのとき、指先が震えた。マギッターが鳴ったのだ。
「ミオノ……」
僕は朝の光の中に目を凝らしたが、そこに現れたのは細身に仕立てた背広を着た、品のいいサラリーマン風の中年男だった。
確か、マギッターで初めて魔法使いたちと交信したときに会ったことがある。あのときは、引っ込み思案の僕が見ず知らずの相手と話すにはどうしたらよいのか、他の魔法使いたちと一緒になって知恵をさずけてくれたのだった。
《止めてくれ、ミオノちゃんを!》
真顔でそう言う中年男に続いて、半袖短パンの男の子が可愛らしい顔を強張らせて、金切り声で訴えてきた。
《ミオノちゃんがダメって言えば、ヒノエだって》
察するに、太乙玲高校で禁呪が蘇ったという話は、魔法使いたちの間でかなり広まっているらしい。
《「アンタなら止められる!》
妙に太い声で、どっしりとした体形のオバサンが発破をかけてくる。
最後には、魔法使いのおばあさんが決定的なひと言で僕を奮い立たせた。
《ミオノちゃん、あんたが大好きなんだよ》
でも、その思いには応えきれない。確かに、みんないい人たちだ。いや、みんないい人たちだった。僕はもう、魔法使いには関われない。
思わず、スマホから手を離した。
「ごめん……みんな」
それでも、マギッターの振動は肌に痛かった。姿を隠して閉じこもっている家の戸を、群れなす借金取りに叩かれているような気分だった。
やがてスマホはおとなしくなったが、心が静まることはなかった。マギッターは止まったのに、心の奥底に抑え込んでいたミオノの姿が、目の前に浮かんでならないのだった。
初めて出会ったあの日。
絡んできたヤンキーたちから助けた、というか魔法で助けられた僕に、あの額縁眼鏡の奥で、ミオノの目は笑っていた。
……感謝してる。ありがとう、助けてくれて。
ミオノと一生に魔法使いたちのために戦いたい、と言ったときには、意地悪く言い返された。
……シトミくんに決定権はないの。
オタクどもに囲まれたとき、マギッターの向こうでミオノの目は、確かにこう言っていた。
……助けて。
でも、ミオノの思い出は全て、ヒノエと影を重ねて消えた昨日の夜に戻ってくる。
「ごめん、ミオノ……もう忘れるよ」
胸の奥が締めつけられて、その分、涙が身体の奥からあふれてきた。校門の前に立ち尽くす僕が邪魔なのか、何人もの生徒が肘で僕を押しのけていく。中には、お節介にも腰を屈めて、伏せた顔を覗き込んでいくのもいる。
ほっといてほしかった。
そこでふと思いついて、僕は静まり返ったスマホを上着のポケットから取り出した。「設定」のアイコンを操作して、アプリの整理にかかる。
メッセージウィンドウが尋ねてきた。
《削除しますか?》
ディスプレイに落ちた涙を拭き取ったとき、もう魔法使いの世界と僕をつなぐ超レアで不思議なアプリは、携帯端末の中から永久に消滅していた。
そのときだった。
「おい、お前」
僕をお前呼ばわりするヤツは僕の周りにはいないはずだが、声には聞き覚えがあった。
振り向くと、そこには顔から体格から四角い感じの、見るからに偉そうな態度でふんぞり返るる男子生徒がいた。
ひとりしかいない漫画研究会員にして、必然的に会長であるところの藤野明だった。
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