第12話 オタクをめぐる心理戦

 17年前の記録を読みふけっている生徒会長を置いて、僕は藤野明を探しに出た。

「部室にいるといいけど……」

 廊下にはもう、低い西日が斜めに傾いだ窓の影を連ねている。

 僕はそれらを幾つも駆け抜けた、といえば格好良く聞こえる。

 だが、それはさっさと漫画研究会の部室で藤野からの聞き取りを済ませたかったというだけのことにすぎない。

 校門では、ミオノが僕と藤野の接触を待っているのだ。

「遅くなってごめん、ミオノ」

 つぶやきはするが、マギッターに触れてはいない。

 たとえ藤野に会えなかったとしても、謝るときはミオノに向き合いたかった。

 女の子をひとりで、他校の校門の前に放り出したままにしてしまったのだから。

「目立つよな、やっぱりミオノは」

 気になるのは、そこだった。

 昨日だって、校門を出る男子の8割が振り向いたのだから。

「妙な男子がちょっかい出したりなんかしてたら……」

 顔を見られないよう、門柱に向かって立って僕を待つのは、どれほど恥ずかしいことだろうか。

「あのときみたいに、僕が」

 ラッキーパンチとはいえ、ミオノを守ったときを思い出しながら拳を振るってみる。

 もちろん、周りに誰もいないと思ってのことだったのだが……。

「危ないじゃないか!」

 僕の拳の前で、妙にエラの張った顔だちの、全体的に四角い体形の男子が恐怖に顔を引きつらせていた。

 こういうとき、とりあえず謝って逃げてしまおうとするのが僕の性分だ。

「すみません!」

 そそくさとその場を離れようとしたが、相手は僕の腕を掴んで離さなかった。

「殴ろうとしたろ」

 目が座っている。

 キレたオタク君によくいるタイプだ。

 めちゃくちゃ執念深くて、人の言い分を全く聞かない。

 関わり合うと、かなり面倒臭いことになる。

「いえ、よく見てなかったんです」

 これは、本当のことだ。

 だが、僕に拳を向けられた相手にとってはどうでもいいことだ。 

「こんな近くにいたのに?」

 粘着質で、かなり理屈っぽい。

 その場にいても、見えていなければ意味はないだろう。

 しかし、そんなことを言ったら、相手の怒りを煽り立てることになる。

「いえ、考えごとを」

 ミオノを助けたときのことを思い出して、妄想にふけっていたのだった。

 それはそれで結構恥ずかしい。

 だから、次の質問には答えられなかった。

「じゃあ、何考えてた?」

「そこまでは……」

 言えない。

 そもそも、そんなことまで追及される筋合いはない。

 だから黙ったままでいるしかなかったのだが、向こうは決めつけてきた。

「つまり、嘘なんだな」

 理屈をこねて、相手が誤りを認めない限り納得しないといったところだろう。

 まずい相手にひっかかってしまった。

「本当です」

 こう言うしかなかったが、それでも、攻撃は止まなかった。

「とっさに言えなかったろ」

「それは……」

 ここまでくると、もうただの言いがかりだ。

 さらにこいつは、粘着してきた。 

「ちょっと先生に相談しようか、生徒指導部の」

 小さな事故に、こいつも意地になっているようだった。 

 こういうのにはあまり関わりたくなかったが、解放されるのが最優先だ。

 少しずつ、事情を明かしていくことにする。

「人、探してたんです」

「誰を」

 僕とミオノの問題だから、言うわけにはいかなかった。

「それはプライバシーで」

 用があるのは藤野明だが、無関係の人間にまで名前を明かすことはない。

 余計な人が関わってくると、話がややこしくなる。

 だが、このオタクは、勝手に話を大きくしていく。

「未遂罪だよ、暴行と傷害の」

 僕は法律に疎いから、それがどこまで本当かは分からない。

 ただ、腹が立つのは、こういうオタクの態度だ。

 聞きかじりの知識を振りかざして、人を責め立て、追い詰める。

 情けない話だが、こういうとき、僕は下手な反撃や抵抗はしないことにしていた。

「部室探してたんです、漫画研究会の」 

 人の名前は避けて、さらに、情報を小出しにする。

 これで更にツッコまれたら……。

 どうにでもしろ、もう知らん!

 そう思ったとき、このオタクは手を離した。

 詫びのひと言もなく、何事もなかったかのように、すたすたと歩み去っていく。

 その姿が夕暮れ時の長い長い廊下の向こうのどこで曲がったのか、ふいと消える。

 僕はようやくひと息ついて、再び漫画研究会の部室を探して歩きだした。

 頼りになるのは、生徒会から持ってきた部室の見取り図だけだった。


 やっと見つけた部室の前で、またこのオタクに会うとは思わなかった。

「入部?」

「いや、その」

 どう答えていいか分からなかった。 

「漫画描けるの?」

 おかしな誤解があるといけないので、そこはひと言、断っておいた。

「描けないけど」

「教えないよ」

 即座に冷淡な答えが返ってきた。

 だが、そう言うからにはこのオタク、漫画研究会の部員なのかもしれない。

 ……ということは藤野明しかいないはずだが、顔が違う。

 もしかすると、ミオノたちの知らないうちに、誰か入ったのかもしれない。

 すると、これも新入部員が仲間を増やしているのかもしれなかった。

 やはり誤解を招かないように、断っておく。

「別に……漫画描きたいんじゃなくて」

 エラの張った顔のオタクは、不愛想なうえに、急に不機嫌になった。

「じゃあ、なにしに来たの?」

 引っ張ってきたのは自分じゃないか、と思ったが、それは言わない。

「制服の資料とかないかな、と思ってさ」

 口から出まかせだった。

 ここまで来たら、あとは藤野明を待つだけだ。

 だが、やはりこのオタクはツッコんでくる。

「どこの?」

 とりあえず、思いついた名前を答えておいた。

「太乙玲高校」

 この辺では、この学校の名前しか知らない。

 近所の学校だから、こう切り返されても仕方がなかった。

「見に行きゃいいじゃないか」

 肩章のついた、あのブレザーをまとったミオノの姿が目に浮かぶ。

 神奈原高校の制服姿も悪くないが、似合うのはこっちだ。

 そんな邪な考えが頭に浮かんで、僕は思わず首を横に振った。

「いや、それやるとちょっと」

 リアクションが大げさすぎたかと気になった。

 そこをまた攻撃されるのは精神的にもこたえる。

 だが、帰ってきたのは妙な共感の言葉だった。

「分かる、変質者扱いされるのは」

 こいつにはそんな経験があるのかと思うと、ぞっとした。 

 だが、ここは話を合わせるところだ。

「いるよな、そういう目で見てくるヤツ」

 同類だとは思われたくないが、藤野明が現れるまでの辛抱だ。

 今まで放課後の部室に籠っていたような、することのない男子だ。

 新入部員が入った途端、自分の居場所を放棄するとは考えられない。

 部屋を開けたのがこのオタクなら、後でやってくるはずだ。

 それまで、コイツの相手は適当にしておけばいい。

 だが、次の言葉は聞き捨てならなかった。

「あいつら特別でもなんでもないってのな」

 カチンときたが、聞き捨てならない理由はもうひとつある。

 僕は心ならずも、話を合わせなければならなくなった。

「だからネットでディスられるんだって」

 マギッターをつないでいなくてよかったと思う。

 リアルタイムでミオノの大激怒に遭わされるところだ。

 だが、こちらも腹に一物ある。

 この、排外主義の強そうなオタクは僕の話にまんまと乗ってきたのだ。 

「ああ、オマエも見てるの、そういうの」

 そう言うからには、コイツも見ているのだ。

 魔法使いたちを差別し、誹謗中傷するブログやSNS、動画の類を。

「見てるだけだけどね、見てるだけ」

 そもそも見るに堪えないものだが、僕は無用のツッコミを避けるため、なるべく嘘のないように答えた。

 だが、もっと煽りにかかるかと思っていた僕の予想に反して、返事は穏便だった。

「そのほうがいい」

 読みが外れたかもしれなかった。

 その差別的な物言いから、僕はこのオタクが藤野明本人ではないかと思っていたのだ。

 たしかに顔は違う。

 だが、人間の見かけは絶対不変じゃない。

 僕は更に突っ込んで聞いてみた。

「やったことないの?」

 エラの張った顔のオタクは、急に口をつぐんだ。

 しばらく経って、突慳貪に言う。

「帰れよ、オマエ」

 図星だったのか、それとも感情を害しただけなのかは分からない。

 いい加減じれったいが、こっちから名前を聞くわけにはいかなかった。

 自分は目立って当たり前だと思っている長瀬雪乃とは違うのだ。

 変に警戒されたら、聞きだせることも聞きだせなくなる。

 だから、また、ミオノには聞かせられないようなことを言わざるを得なかった。

「いや、書かれても仕方ないんだよ、何やってんのか分かんないから、あいつら」

 藤野明かもしれないオタクは、鼻で笑って返事をした。

「どうせ、夜中に怪しげな儀式やったりしてんだよ、魔法陣とか描いて」

 言ってることが妙に具体的だ。

 こいつが藤野明である可能性は高い。

 おだててみれば、尻尾を出すかもしれなかった。

「すごいよ、よく分かるね、そこまで……僕なんかそういうの全然知らないのに」

 だが、一筋縄ではいかない相手だった。

「じゃあ、自分で聞きに行けばいいだろ」

 言われてみればごもっともという返事だった。 

 この場はごまかすしかない。

「いや、あいつらに聞いたって教えてくれるわけが……」

「だったら見に行けよ、そういうのやってる現場」

 間髪入れずに言い返してきた。

 こういうときは、下手に出るに限る。 

「へえ、あるんだ、そういうの」

 すごいすごいとおだててやれば気をよくするかとおもっていたのだが、甘かった。

 この、藤野明本人である疑いが濃厚なオタクは、猜疑心に満ちた目を僕に向けた。

「お前、本当に見てんの? ああいうの」

 まずい。いちばん痛いところを突かれた。

 見ていると言えるほどには見ていないのだから。

「え……」

 返答に詰まった僕には目もくれず、このオタクは部室の中に置いてあった紙袋をいくつか引っ掴んだ。

「俺、用事あるから」

 そう言うなり、僕を漫画研究会の部室から追い出すと、扉を閉めてカギをかけた。

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