第15話 最後の挑戦
「危ないところだったねえ、ミオノちゃん」
関係調整ボランティアセンターの政野さんは、顔をくしゃくしゃにして僕たちを出迎えた。
よほど心配だったらしい……といっても、それはミオノだけだ。頭の禿げあがった小太りのおっさんは、僕など眼中にありはしない。
ありがたいことに。
悪い人ではないんだけど、こんな暑苦しいオッサンに一挙手一投足まで見張られているっていうのはぞっとしない。
ミオノはというと、気にしていないのか慣れているのか、事務所の中のソファにぐったりともたれかかった。
「あの……制服が」
はだけられたジャケットから覗く豊かなブラウスの胸が、大きく上下している。
強がってはいるけど、やっぱり怖かったのだ。
こんな思いをしてまで、ミオノが探し出さなくちゃいけないことなんだろうか。
ネット上での、魔法使いに対する誹謗中傷の犯人を。
確かに、それが元で魔法高校の生徒が普通高校の生徒と殴り合いの喧嘩をしたりしてはいる。
でも、それを止めるのは大人の仕事なんじゃないだろうか。
そんなことを考えていると、いきなり起き上がったミオノがジャケットの前を掻き寄せて言った。
「どこ見てんのよ」
政野さんの視線は気にならなくても、僕のはセクハラになるらしい。
心配してるのは同じなのに、何だか不公平な気がする。
もっとも、その話はそれで済んだので、僕はこの身にほとんど覚えのない変態扱いをどうにか免れることができた。
ミオノの目には、今まで僕も何度となく見てきた険しさが表れている。政野さんもそれが分かったのか、そそくさと2階にある自分の部屋へと引っ込んでいった。
僕は居住まいを正した。同じ建物の中にもうひとりいるとはいえ、この部屋ではミオノと二人っきりなのだ。
自分でも気づかないうちに、さっき咎められた眼差しをミオノに向けてしまう恐れがある。政野さんを気にしているふりをして、それとなく天井を見上げることにした。
「いや、政野さん、今度は何も教えてくれないから」
話をそらしながらも、牽制はしておく。ミオノが真面目な顔をしている理由は分かっていた。
「政野さんは、あくまでも魔法使いと普通の人たちの橋渡しが仕事だから」
普通の人、という言い方が、ちょっと引っかかるようになっていた。
それは、魔法使いは僕たちと違う特別な何者かだとミオノが思っていることを意味している。
要は、最初から喧嘩腰なのだ。
今まではわけも分からずにミオノに付き従ってきたけど、いつの間にか、何かが自分の目で見えるようになってきていた。
だから、やんわりと言ってみる。
「探したって見つからないんじゃ」
たちまちのうちにミオノが眉を吊り上げて、面倒臭そうに言い捨てた。
「イヤなら帰って」
そう言われてしまうと、かえって居座らないわけにはいかなくなる。売り言葉に買い言葉というやつで、もう引っ込みがつかない。
ミオノはスマホの画面を繰って、いつもの通り、次の容疑者の顔写真をつきつけた。
柔和な顔立ちの少年が、優しく微笑んでいる。
「小笠原健太郎」
ミオノはまだ不機嫌が収まらないらしく、必要なことしか言わない。
僕は僕で、頭を切り替えてミオノの希望に応じてやることにしていた。
「クラスは?」
「聞いても意味ない」
ぶっきらぼうな答えが返ってきたところで、関係調整ボランティアセンターにやってきたものがあった。
ミオノの態度が一瞬で変わる。
「あ、和歌浦さん!」
我が神奈原高校の生徒会長にして魔法使いたちのよき理解者、和歌浦新だった。
ミオノが臍を曲げてしまった以上、ここで頼れるのは生徒会長しかいない。
「この人……知ってますか?」
目の前に突き出されたままの、スマホの画面を指差す。
ミオノは僕を睨んだが、生徒会長はそれだけで何の話か察しがついたらしい。
「彼は関係ないだろう」
そのひと言で、ミオノの機嫌は急降下した。
僕への助け舟はなかったものの、話の腰をぽっきり折られてしまったのだ。
それがよほど面白くないのか、いつになく、生徒会長に食ってかかる。
「妙にかばうのね。どういう関係?」
この小笠原が生徒会長が友達同士でも、不思議はない気がした。
やっぱり美男子だし、性格も同じくらい穏やかそうだ。
だが、生徒会長の返事は、予想した以上に説得力があった。
「どっちかっていうと、こっち側の人だよ」
つまり、魔法使いたちに対して理解があるということだ。
わざわざ疑いをかけて、探りを入れることもない。
でも、こっちも売り言葉に買い言葉というか、とにかくミオノはやたらと意固地になっていた。
「あっちとかこっちとか、そういう言い方やめてください」
どちらかというと、それはミオノの物言いじゃないかという気がする。
もっとも、そこは生徒会長だ。
そんな小さいことには目くじら立てることなく、認めなくてもいい非をすっぱりと認めて頭を下げた。
「済みません。配慮が足りなかったみたいで」
生徒会長は、そのまま関係調整ボランティアセンターを出ていこうとする。
僕は慌てて止めた。
「そこまですることないです」
ミオノの態度もあんまりひどかったし、僕はというと小笠原健太郎という生徒に少し興味が湧いてきてもいた。
ネット上で魔法使いたちを誹謗中傷している犯人かどうかなんてことは、もう小さな問題だった。というか、ほとんどあり得ない。
それよりも、生徒会長が無条件で信頼しているのはどんな人なのかということのほうが知りたかった。
でも、ミオノとしては僕がそういう態度に出たのが気に食わなかったらしい。
「もういいわ、佐々君。私が直に話を聞くから……その、小笠原さんには」
持って回った、妙に他人行儀な言い方をして立ち上がる。
そう言われると、意地でも僕が引き受けないではいられなくなる。
僕はミオノの前に立ちはだかった。
身長差のせいで、どうしてもミオノを見下ろす形になる。
ミオノからすれば、僕を見上げて喧嘩を吹っ掛ける姿勢にならざるを得ない。
仮に、その気がなかったとしても。
「どいてよ」
前言撤回。完全に、戦闘態勢だ。こういうときに張り合うと、お互いの傷が深くなる。
僕は極力、感情抜きの言葉を選んで返していった。
「いや、そこは……同じ高校の男子のほうが、相手も話しやすいと思うんだ」
魔法高校の女子では無理がある、とまでは言わない。そんなことが分からないミオノじゃない。わざわざ魔法使いであることにも女子であることにも否定的な言葉を使って相手を逆上させることはなかった。
ミオノは僕から目をそらして、生徒会長に尋ねる。
「どこ? そいつのクラス」
この勢いだと、教室まで押しかけかねない。だが、生徒会長はのらりくらりとかわした。
「聞いても仕方がないよ」
賢明な返答だった。クラスが分からなければ、会いにも行きようがない。
怒りに任せたミオノの手に押しのけられながら、僕は生徒会長に相槌を打った。
「そうですよね……学校の勉強もあるでしょうし、邪魔しちゃいけませんよね」
会って話を聞くのは、別の機会でもいい。
でも、それもなかなかに難しそうだということは、すぐに分かった。
生徒会長は、ためらいがちに言葉を継ぐ。
「そうじゃないんだ……学校に来てないんだよ、小笠原君は」
言いにくそうにされると、僕もそれ以上は尋ねづらい。
「入院……か何かですか?」
真っ先に思いついたのはそれだったが、小笠原さんの置かれた状況は、別の意味で深刻だった。
しばし考えてから、生徒会長はぼそりと口を開く。
「同じ中学校の出身なんだけど……家を一歩も出てないんだ、この春休みから」
部屋の中の空気が、一気に重苦しくなった。
そこから逃げだすかのように、ミオノは外へ出ていく。代わりに、ポケットの中でスマホが震えた。別に隠すこともなかったが、もしかしたらと思いながら、生徒会長に背を向けて触ってみる。
やっぱり、マギッターだった。
ミオノの姿が目の前に浮かぶ。
《小笠原の自宅に行くんなら、任せるわ。でも、これでダメなら手を引いて》
冷ややかな眼でそう言うと、ミオノは消えた。マギッターを切ったのだろう。
代わりに、生徒会長の声が後ろから聞こえた。
「小笠原に電話してみるよ。あいつには、僕の他にも話し相手は必要だからね」
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