第3話 墓穴と2つめの借りと

 次の日の、だいたい同じ時間帯だった。

 僕は神奈原高校ではなく、「太乙玲たいつれい」高校の正門前にいた。

 昨日会った、あの幡多ミオノという女の子が通う魔法高校だ。

 学校の名前は、ネットでちょっと調べたらすぐ分かった。

 太乙玲高校は、この辺りに棲む魔法使いたちが創立した学校だという。

 日本が戦争に負けた後だったらしい。

 それについてもネット上では散々な悪口が書き散らされていた。

 勝手に居座っただの、土地の登記をごまかしただの。

 ひどいのになると、生徒を訓練して内乱を企んでいるといったものまであった。

 そんなわけで。

 所在地から校舎の写真から、ご丁寧に地図まで確かめることができたのだった。


「確か、昨日会ったな、君」

 振り向くと、魔法高校の男子生徒が僕を険しい目で見つめていた。

「ええ、確か……」

 一応、そうは答えたけど、実をいうとよく覚えてはいなかった。

 僕の頭の中に強烈に残っていたのは、幡多ミオノの印象だけだったからだ。

 ショートカットの髪をした、頭の切れる女の子。

 小柄な体格の割には、気が強い。

 それでいて、初対面の僕にも何だかグイグイ来る。

 だが、目の前にいるのは名前も知らない、不愛想な男子生徒だ。

 肩章つきのジャケット姿で、冷ややかに僕を見つめる。

「ここに何か用か?」

「用というほどのことは……」

 なかった。 

 ただ、今日は朝から、ここが気になって仕方がなかっただけだ。

「ここはめったな用事じゃこられないところだ」

 そう言われると、言葉がない。

 6時間目までずっと、授業は上の空。

 終礼が終わったところで、転校生の分際で掃除当番をサボって校舎を出る。

 幡多ミオノに、もういっぺん会いたかった。

 だからといって、昨日のあの路地を再び歩いてみるのは危険すぎる。

 通りすがりに出くわしたふりでもして、太乙玲高校の前で待つのが得策だった。

「いえ、偶然です、偶然」

 言い訳でごまかすしかなかったが、それすら相手は聞いていなかった。

「まさかミオノにちょっかい出す気じゃないだろうな」

 そこで思い出した。

 確かに、この男子生徒には昨日会っている。

 たしか、バスに乗るときに、名前を告げる告げないでミオノと揉めていた。

「……そういうつもりじゃないです」

 実は、そう言うのにちょっとためらいがあった。

 全く関心がなかったかというと、そういうわけでもないからだ。

 可愛かった、というのは確かにそうだけど、それだけじゃない。

 何か、僕の中で眠っているものを叩き起こしてくれる、そんな何かがあった。

 そのやり方も、胸ぐら掴んで往復ビンタを食らわすくらいの勢いがあった。

 そんな思いがあるだけに、言いがかりをはね返す気力が出なかったのだった。

 だが、そんな僕に追い打ちがかかる。

 男子生徒が低くつぶやいた。

「おい」

 僕にではない。

 その目は、僕を無視して右から左へすっと流れる。

 何人もの視線を感じたけど、僕にではない。

 それだけの人数の視線が交差しているのが、何となく肌で分かった。

 何のためのアイコンタクトか、さほど想像力を働かせなくても察しがつく。

 僕の周りに、肩章つきのジャケットを着た生徒たちがぞろぞろ集まってきた。

 ほとんどは男子だが、スカート姿の女子もいる。

 まずい。雰囲気、まずい。

 昨日は生徒会長がいたけど、今日は僕ひとりだ。

 そして、昨日、地元のヤンキーに囲まれたときよりも怖い。

 昨日は幡多ミオノがいたが、今日は僕が自分で何とかするしかない。

 でも、そんな甲斐性があったら僕の人生はまた違ったものになっていたはずだ。

 だから、こう言うしかない。

「あの、僕は何も……」

 その先は、言葉にならなかった。

 僕を取り囲む生徒たちの、あの目が僕を見つめている。

 もの凄い力の爆発を強い意志の力で抑えつけているような、あの恐ろしい目が。

 しかも、昨日は1人だったが、今日は何人もいる。

 頭の中を、あのニュースがよぎった。

 普通高校の生徒への、魔法高校の生徒の報復。

 ちょっと待て!

 僕が何したってんだよ!

「それじゃ……」

 声も出なくなるくらい一触即発の事態から逃げ出そうと、猛ダッシュをかける。

 今日、ここに来たときぐらいの勢いで。

 でも、あくまでも勢いだった。

 逃げたきゃ逃げろ、という目つきで見送られると、かえって足がすくむ。

 これも、彼らの魔法なのかもしれない。

 それを操る太乙玲高校の生徒たちが、余裕たっぷりに、包囲の輪を狭めてくる。

 何をされるか分からない分、怖かった。

 僕たちとは違う人たちのすることだから、想像もつかない。

 だが、救いの神は舞い降りた。

 聞き覚えのある声が、張りつめた空気をいっぺんに吹き払ったのだ。

「何してるの? 狛屋こまやヒノエ君」

 その名前が、またホログラムのように空中に浮かぶ。

 名前を明かされたヒノエは、目を吊り上げた。

「ミオノ! 名前を口にするなと……」

「名乗るんじゃなきゃいいんでしょ?」

 恐る恐る振り向くと、そこにはあの女子生徒がいた。

 肩章のついた、魔法高校のジャケット。

 ショートカットの髪。

 小柄な体格 。

 黒い額縁眼鏡。

 頭が切れて気が強くて、初対面の僕にも何だかグイグイ来る、あの……。

 幡多ミオノが、狛屋ヒノエと呼ばれた気位と身長の高い男子生徒の顔を、小馬鹿にしたように見上げていた。

「だから、私たちに自己紹介はない。人から紹介してもらうんじゃないの?」

 お互いに分かりきったことをわざわざ説明してみせるのは変だと思ったが、これは僕に対するものだと気がついた。

 昨日の、このヒノエとかいう男子との間にあったゴタゴタの理由が分かるようにしてくれたのだ。

 見ず知らずの魔法使い同士だったら完全に告白でしかない自己紹介を、ミオノは僕にしてくれたことになる。

 それが、ヒノエには面白くなかったのだろう。

 声を震わせながら、こいつはミオノを問い詰める。

「こいつ……こいつ、君の何なんだよ!」

 ミオノは皮肉たっぷりに笑った。

「さあ……想像に任せるわ」 

 そう言うなり、いきなり僕の腕を掴むと、バス停とは逆の方向にさっさと歩きだした。

 ヒノエも他の生徒たちも、僕たちを追いかけようと思えばできるのに、ただ呆然と見送っている。

 ザマアミロ。

 僕は置いてきぼりを食った連中に見せつけるように、悠々と歩いた。


 しばらく歩いて、ミオノの温かい手はするりとほどけた。

「このくらいでいいかな……何やってんの」

 さっきまでの人懐っこくて明るい笑みが、一瞬で冷たい仏頂面に変わった。

 みっともない話だが、さっきと同じ言い訳が自然と口を突いて出た。

「ちょっと……通りかかっただけ」

 ミオノは僕を見据えて、たしなめるように言った。

「魔法使いに嘘はつけないと思ってね」

「……やっぱり、分かる?」

 苦し紛れにおどけてみせると、ミオノはさらに僕を追い詰めにかかった。

「魔法以前の問題ね。昨日、バス停にいたのが偶然でなかったら、わざわざこっちに来る理由は、1つしかないでしょ?」

 ごまかしたつもりが、墓穴を掘ってしまった。

 まずい。

 昨日会ったばかりのミオノ目当てで他校の門前まで来たなんて。

 それじゃ、ただのストーカーじゃないか。

 嫌われた。

 完全に、嫌われた。

 気分が、無間地獄のどん底へ向かってまっしぐらに落ちていく。

 ミオノは、抑揚のない声で、さらに追い打ちをかける。

「これで貸し借りなしね。さっきのも、魔法といえば魔法……相手の呼吸を読んで、正しい間を取って正しい行動を取れば、足止めも金縛りもできるの」

 さっきヒノエたちにかけられたのも、この魔法なのだろう。

「あ……ありがとう」

 やっとの思いで返事すると、ミオノは思い出したように言った。

「いや、貸し2つかな。昨日のと今日ので」

 ヤンキーと、ヒノエたちから救い出してもらった分だ。

 もう、立ち直れない。格好悪すぎる。

 うなだれたまま、果てしなく落ちていく気分に心を委ねる。

 そこで、ミオノは最後通告をつきつけてきた。

「どうやって返してもらおうかな? 佐々四十三さっさしとみクン」

 急に変わった口調に呆然として目を上げる。

 そこには再び、あの人懐っこい笑顔が輝いていた。

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