第4話 魔法少女の危険なミッション

「ついてきてよ」

 ミオノはさっさと先へ行ってしまうかに見えて、僕の前から消えることはない。

 そのくせ、その姿は常に、目を凝らせばなんとか見えるくらいでしかなかった。

 目の前を誰かが通りかかることもあったし、何度か道の角も曲がった。

 だが、ミオノの姿を見失うことは絶対になかったのだった。

 それだけに、小さな後ろ姿が家々の塀の中へ消えたように見えたのには驚いた。

「幡多さん!」

 その現場へ慌てて駆け寄ると、人が1人、やっと通れるほどの路地があった。

 この奥へ入っていったのだろう。

 魔法どころか、トリックというほどのものでもない。

 路地の奥から、微かな声が聞こえた。

「ミオノでいいわ、シトミくん」

 もぞもぞと路地に入ると、遠くに見えたミオノの影はすぐに消えた。

 もちろん、そのあたりにはまた路地がある。

 そんなことを繰り返していると、最後には小さな家の前に出た。

 家というよりは、2階建ての事務所だった。

 路地に面した、窓のないコンクリートの壁に、頑丈そうな金属製の扉がある。

 その傍らには、ただ「政野伽藍」とだけ表札がかけてあった。

 情報セキュリティに誰もが神経質な昨今では珍しい。

 呼び鈴のない扉の前で、僕は立ち止まった。

「あの……」

 何と声をかけていいのか分からない。

 とりあえずノックしようとしたところで、扉が開いた。

 顔を出したミオノが、眉を寄せて不愛想に囁く。

「遅い。こっち来て」


 言われるまま入っていったところで見たのは、薬局みたいなカウンターだった。

 その向こうに、スチールの事務机と椅子、カウチとテーブルが1組ずつある。

 ただし、誰もいない。

 部屋の隅には階段が見える。たぶん、2階へ続いているのだろう。

 僕を連れてきたミオノは、そっちに向かって声をかけた。

「マサノさん! いますか?」

 頭の禿げあがった小柄で小太りのおじさんが、これも今時は珍しい瓶底眼鏡を拭きながら階段を下りてきた。

「ああ、幡多さん……ちょっと、お客さんがあってね」

 途端にミオノは恐縮した。

「すみません、紹介したい人がいるんですけど、待たせてもらいます」

 悪いね、とだけ言い残して、そのおじさんはカウンターに名刺を置いていった。

 ミオノが渡してくれたのを眺める。

「魔法関係調整ボランティア 政野まさの……」

 真っ白な紙に、必要なことだけが印刷してあった。

 ただし、最後の名前だけが読めない。

 ミオノが口を挟んだ。

伽藍がらん

 この、政野伽藍まさのがらんさんを僕に引き合わせて、どうしようというんだろうか。

 それよりもまず、ここが何なのか知りたかった。

「魔法関係調整ボランティアって?」

 聞き慣れない名前だったし、こんな場所があることさえ知らなかった。

 そもそも、魔法使いじゃない僕が来ても意味ないんじゃないかという気がする。

 カウンターにもたれたミオノは、わざとらしいくらいの笑顔を見せた。

「魔法使いってさ、いろいろうまくいかないじゃない? 他の人たちと」

 そのとき思い出したのは、例の乱闘騒ぎだ。

 ミオノから見れば、僕は魔法高校の生徒たちとケンカした「他の人たち」のうちに含まれる。

 そうすると、僕とミオノの関係は敵味方ということになるのだろう。

 そこで、ここがどんな場所なのか見当がついた。

「もしかして、関係調整っていうのは?」

「大きなトラブルになる前に仲裁するの」

 やっぱりそういうのだった。

 正直なところ、あんまり関わりたくない。

 かと言って、こんなことでミオノと距離を置くのも嫌だった。

 不吉な予感はするけれども、一応は聞いてみる。

「で、僕はここで何を……」

「手伝ってほしいの。交流イベントとか」

 おおかた、そんなところだろうと思っていた。

 言い方は悪いけど、僕は人手不足解消のためのいいカモだったのだ。

 ようやく盛り上がってきた気持ちが、また急降下していく。

 昨日会ったばかりの美少女と急接近なんて、うまい話がそうあるわけがない。

「そういう仕事は、ちょっと……」

 引っ越してきたばかりの街で、そんな器用なことができる性質ではなかった。

 できれば、避けて通りたい。

 何よりも、この落ち込みからは、ちょっと立ち直れそうになかった。

 自分でも気づかないうちに、足が帰ろうとする。

 だが、そのとき、腕のほうは背中にねじ上げられていた。

「紹介させといて、それはないんじゃない?」

 凄む声が吐息になって、耳元を撫でる。

 ミントの香りがした。

 もっとも、僕から頼んだ覚えはなかった。

 議論になればこっちに分があるが、言い分を口にはできなかった。

 それは、ミオノへの未練以外の何者でもない。

「僕は、その、急にちょっと用事が」

 その場しのぎの言い訳をしている自分がたまらなく情けなかった。

 だからといって、できもしないことを引き受けて、ミオノの足を引っ張ったり、その目の前で恥をかいたりしたくはない。

 いや、もう、既にこの時点で恥は充分かいている。

 あとはどうやって逃げ出すかだ。

 だが、幸か不幸か、その必要はなくなった。

 階段を下りてきた若者が、僕に声をかけたのだ。

「あれ……佐々くん、その子は?」

 聞き覚えのある声に、首だけで振り向く。

 そこにいたのは、昨日、バス停で会った和歌浦新わかうら しんだった。

 僕の腕をしっかり掴んだまま、ミオノがまた耳元で囁く。

「知り合い?」

「生徒会長……神奈原高校の」 

 ミントの香りに酔ったのと、完全アウェーの状態で知っている顔を見たのとで、僕の緊張は一気に解けた。

 逃げるのも忘れて、その場にへたり込む。

 その上、ミオノがいきなり手を離した。

「あ、この人が……知ってる、私」

 顔面から倒れた僕の目から、火花が散ったのが分かった。


 ミオノは、自分でやった割にはてきぱきと、僕の鼻血の手当てをしてくれた。

 カウチにもたれて眺めた天井が、冷たい濡れタオルで隠される。

 傍らでほとんど身体を密着させながら、ミオノがかぶせてくれたのだ。

 文字通り、怪我の功名というやつだが、僕への詫びは一言もない。

 どちらかというと、ミオノの関心は生徒会長に向けられていた。

 しかも、やたら愛想がいい。

「すみません、和歌浦さん」

 その生徒会長は、このタオルを氷水の入った洗面器に入れてきたところだった。

「いえ、こちらこそ、こんなことしかできなくって」

 タオルのせいで顔は見えないが、低音の利いた美声は、それに充分釣り合う。

 実を言うと、ここに生徒会長が都合よく現れたのには理由があった。

 その偶然の出会いに、ミオノはちょっと浮かれている。

太乙玲たいつれい高校でも、和歌浦さんは有名です」

 その話によれば、生徒会長はなかなかの異端児だった。

 神奈原高校の中では、たった1人で率先して魔法高校との交流を主張しているらしい。

「いや、校内では全然相手にしてもらえなくて」

「ウソでしょ? 圧倒的に支持されてるって」

 太乙玲高校に聞こえてくる話では、生徒会長は学業も外見もリーダーシップも非の打ちどころがないという。だが、どうやらこれについてだけは、孤立無援の状態にあるようだった。

「それで、今日は何が?」

 興味津々といった口調でミオノが尋ねる。

 だが、答えたのはその和歌浦生徒会長ではなかった。

「私が呼んだんだ、幡多さんから相談もらってた、あの件で」

 いつの間にか事務机に向かっていたらしい、政野さんの声だった。

 

 身動きできないままに政野さんの話を聞いてみると、ミオノの相談は交流ボランティアとは次元が違っていた。

 魔法高校生への暴力が絡んでいたのだ。

 それをSNSで煽った犯人がいるらしい。

 転校してきたばかりだけど、そんな噂も聞こえてはきていた。

 魔法使いたちは魔法使いたちで、どうしたわけか、それが神奈原高校にいると踏んでいる。

 そこで、ミオノは放課後に潜入捜査をしようとしているのだった。

 何でも、生徒会活動をその隠れ蓑にしたいらしい。

 もちろん、生徒会長は止めた。

「悪いけど、幡多さん、生徒会だけでどうこうできる話じゃないな」

 鼻血が止まったところで、顔にかけたタオルをどけてみると、生徒会長が端整な顔をしかめていた。

 僕の隣をちらっと見ると、ミオノはまだ僕のそばにいた。

 だが、その真剣な目は生徒会長を見つめている。

「和歌浦さんも知ってるでしょう? 神奈原高校が怪しいって言いがかりつけられてるの」

 実を言うと、僕も怖いもの見たさで、ネットの検索をかけてみたことがある。

 道で見かけたら殴っていい、どうせ抵抗できないと嘲笑するSNSの書き込み。

 制服姿の女子を辱めるような、アダルト系サイトから拾った写真との合成。

 悪口雑言や写真のコラージュが、魔法使いたちを挑発していたのだった。

 同じ高校の生徒のすることとは、とても思えなかった。

 だが、相手の感情を逆なでする言葉遣いや、手の込んだ画像編集は、あの粗野なヤンキーどもには無理だという気もする。

 似たようなものを思い浮かべたのか、生徒会長も苦虫を噛み潰したような顔をして答えた。 

「それはね。でも、あくまでも噂だ。そのまま信じたら、逆に魔法高校と普通高校の間に大きなトラブルを起こすことになる。それこそ、この街をまるごと巻き込んで。そうなれば、警察も放っておかない。もしかしたら……公安だって」

 生徒会長という立場の上でも、そして常識的にも、至極真っ当な返事だった。

 警察とか公安とか言うのは大げさだとしても。

 だが、ミオノは引き下がらない。

 その言葉は丁寧だったが、氷の刃のように冷たかった。

「正確ですよ……魔法使いの情報ネットワークは。みなさんと違って」

 生徒会長の口調も、一転して険しくなった。

「やめてほしいな、そういう言い方。魔法使いとそうじゃない人間を区別したことになるんだよ」

 ミオノが淡々と言い返した。

「分かってるでしょう? ずっとそうされてきたって。私たちが……」

 生徒会長も、きっぱりと言い放つ。

「危険だ。そもそも、何で幡多さんが? 女の子にやらせることじゃない」

 それも納得できる話だった。

 だいたい。他校生がこっそり神奈原高校に紛れ込むこと自体が問題だろう。

 そのうえ、魔法高校の生徒だとバレたら、ミオノ自身に危険が及ぶ。

 だが、そのミオノはさらりと言い切った。

「私が勝手にやってることです。大人たち、何にもしませんので」

 もちろん、魔法使いの世界でのことなのだろう。

 だが、政野さんは何故か、自分のことのように小さくなった。 

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