QUEST.4 1/100のリビングデッド G

 そんなわけで、清水さんとのわだかまりが、姫ちゃんの“熱血”によっていとも簡単に溶けたわけだ。待機をしていた僕らは、総長の指示を受けて隠れているゾンビがいないか確認しに行くこととなった。

「これでもう、ゾンビも問題なくなるか」

「まったくトンデモない休日になっちゃったよー。本来ならボクと晶くんがここでデートするはずだったのにぃ」

「え、デートって、姫っち、深玄くんとそういう関係なの……?」

 なんて清水さん、本気で尋ねてきてる。ここはソツなく否定しなければ――

「へっへーん、ボクと晶くんは子供のころからの縁なんだよ!」

 なんて言いつつ姫ちゃん僕と無理矢理腕を組んでくる。あれ、おかしいな。どうして姫ちゃんこんな誤解されそうな言動を?

「それってつまり幼なじみ同士ってわけね。じゃあ、デートって言っても、浮いた話はないでしょーね」

「むっ!? な、なにを言うんだよエイルっち! たしかに今までそんなフラグ立ってなかったけどさ!」

「深玄くん、今度私とデートしてくれないかしら」

「へ?」

 僕は泡を食った顔となる。

「デートって言っても、その、今までのお礼もかねてってワケだけど……ダメ、かしら?」

「いや、それはとっても嬉しいお誘いですけど清水さん。なぜゆえこんな状況のときにそれを言うんですか!?」

「こんな状況って?」

「僕、姫ちゃんに腕を掴まれてるんだよ! だからアガガガガガガガガガガガガガ!」

 案の定、僕は姫ちゃんに脱臼しそうなほどの力で腕を引っ張られている。柔道でいうところの……何の技だこりゃ。

「晶くんはボクとエイルっちどっちを取るつもりだぁ! 晶くんはいっつもいっつもぉ!」

「姫ちゃんやめなよ! いまは依頼中だろ、はやくゾンビが隠れてないか確認しないと!」

「そうやって言い訳して――って」

 その姫ちゃんが、言葉と手と目を止めた。

 腕を引っ張られていた僕は反動で床へと落される。いったい姫ちゃんどうしたんだろう。

「姫ちゃん……」

 姫ちゃんの視線を追うと――そこに、人の姿した誰かが座り込んでいた。

 ここはショッピングモールの二階。その側面の廊下を渡す道にある、休憩用のソファのの上に黒いなにかが座り込んでいた。

 まさかゾンビが――と思い、僕らは無言でそちらに近づいた。

 そこには体育座りした、黒いマントの男がいた。顔を膝にうずめて、ダンゴムシみたいに丸まっている。

 その男に、姫ちゃんが近づいた。

「あ、あのー。大丈夫ですかー」

「マブシイ、マブシイヨゥ……」

 その暗い男はどこか調子の外れた声で答えた。

「まぶしい? えーと、体の調子とかはどうですか? ゾンビに噛まれてはいませんか?」

「ゾンビ……ゾンビだけど、亡者だけどアレはベツモノ」

「え、え?」

「アレは、吾輩の“なりそこない”さ!」

 がばっ、と男のマントが巻き上げられる。そこから現れたのは――オペラに出てきそうな伯爵風の男だった。

 あれは……まさか、あの未来の!

「だ、ダメよ姫っち! それは妖魔よ!」

「え?」

「あの口の牙……血に濡れているわ!」

 清水さんに指摘され、僕は男の口元を見やる。渋い顔についたきりっとした口元から――常人では考えられないほど伸びきった牙が見えた。その牙の先は赤く染まっていた。

(吸血鬼――!)

 たしかレオンさんと沙菜さんが追い返したはずじゃなかったのか……

「マホロバヒメキィ! お前を食ウ!」

「あっ――」

 その伯爵男が牙をむき、姫ちゃんの肩へと噛みつこうとする。姫ちゃんはとっさの判断で背中に隠していた神器剣『艸凪剱』を引き抜こうとするが――

「姫ちゃん――!」

 遅かった。もう姫ちゃんの肩に、あの伯爵男の牙が刺さっていた。その姫ちゃんの血を、どくどくと飲み干している――

「あぁあああああああああああああああ!」

 僕は一心不乱にその伯爵男へと突撃した。ただ頭を伯爵男の胸に押しやった。

「ぐっ――」

 伯爵男が一瞬よろめき、姫ちゃんの肩口から口を離した。

「吾輩の食事ヲ邪魔するナぁ!」

 僕は伯爵男につかみ上げられた。まるで人形を持ち上げるかのように、軽々と頭の上に掲げられて、そして彼方へと飛ばされる。

「ぐぅっ……」

 立ち上がる。床と柱に体をぶつけて痛みが走る。でも、今は姫ちゃんが……

(…………!)

 頭が焼けるように熱くなる。僕の頭に思い起こされるのは吸血鬼に噛まれる姫ちゃんの姿!

 くそう! どうしてだ! どうしてこんなことになってしまったんだ! 何を抜かっていた! 僕は知っていたじゃないか! 姫ちゃんが吸血鬼に噛まれてしまう未来を!

 ゾンビのワクチンが来て、レオンさんが追い払ったとばかり思って……僕は油断してしまったんだ。

 でも今は――悔いてばかりは居られない。

「サテ。イただこうか。マホロバヒメキを、吾輩の血で染メ上げようカノォ!」

 その血濡れの牙が、姫ちゃんを貫こうとする。

 そのとき、

「姫っちから離れなさい! この――吸血鬼め!」

 一条の光――彗星のごとく現れた清水さんが吸血鬼の身体を貫いた。

「ウガッ」

 吸血鬼の筋肉が一瞬弛緩し、姫ちゃんを掴んでいた手が緩む。

「くぅ……っ!」

 姫ちゃんは死力を尽くし、吸血鬼の手から逃れた。

「吸血鬼! あなたは不運だったわ! 私はドイツのワルキューレ9の一人、ヴァルトラウテよ! 吸血鬼の倒し方なら、妖魔学の時間に習っているわよ!」

 清水さんは吸血鬼の脇腹に刺していた槍を乱暴に引き抜くと、吸血鬼の傷が再生しないうちに、またも槍を突き刺す。光の槍が厭うことなく吸血鬼の胸を穿った。

 『体を杭で打ちつける』『心臓を貫く』『聖なる武器で刺す』――対吸血鬼のための定石を一瞬にして清水さんは成したのだ。

「心臓をやれば、いかに吸血鬼だろうと倒れるわ!」

 心臓は血を送るポンプだ。吸血鬼は血を糧とするもの。その血が廻らなければ、事切れるのは道理だろう。

 だけど――

「ち……ガう」

 小首をかしげる吸血鬼。胸に貫かれた槍をワッペンみたいに見下ろして、狂気の顔を浮かべている。

 なんで。どうしてだ。心臓を貫かれても死なないなんて……じゃあ、どうすれば死ぬっていうんだよ!

「はっはっは! どうかね、私のアルノルト・アルターの力は」

「だ、誰だぁ!」

 突然、背後から白衣の男が現れた。

 メガネをかけたぼさぼさ頭、背は大人にしては小さいほう。いかにも研究者って感じだ。

「私は室戸という者だ。やがてこの日本を統べる存在――の一味だ」

「は、はぁ……?」

 靴音を鳴らして近づくその白衣の男――室戸は、何の気なしに、吸血鬼へと近づいた。

 一瞬「危ない!」と警告を促そうと思ったけど、しかしあの室戸の様子が異様だった。まるで仲間に出会うように、吸血鬼の傍に近づいて、吸血鬼の背を叩いていた。

「あ、あんた何者なの! その吸血鬼……まさか、あなたの」

「ご名答、さすが勇者だ。この吸血鬼、アルノルト・アルターは私が作り上げた最強の吸血鬼さ!」

「最強の吸血鬼……」

 どういうことなんだろうか。吸血鬼を、作り上げたって……。

 あの室戸という男の風体から察するに、まるでマッドサイエンティストがアヤシイ実験で作り上げたみたいに聞こえるけど……。

「アルノルト・オルターはここ20年に現れていた雑種吸血鬼とは格が違うのさ! いいかね、吸血鬼とは一度吸血鬼狩りヴァンパイアハンターによって絶滅の危機に立たされ、かろうじて残ったものの“勇者”によって根絶やしにされかけた存在なのだよ。残った希少種の吸血鬼は、絶滅を逃れるため人間と交わることにしてなんとか吸血鬼という種を残したが、人間との混血で吸血鬼は血を薄めてしまった。血が薄まると力も不死性も半端なものとなる。そういうわけでいま世の中に妖魔として蔓延っている吸血鬼は……ゾンビを生み出すぐらいしか能のない、しょぼい吸血鬼しかいなかったのだよ」

「そう……よ。吸血鬼なんて、槍で一突きすれば死ぬ存在……じゃなかったの!」

「そう。でも弱いなら、“作り変えて”しまえばいい。しょぼい吸血鬼という遺伝子プログラムを改竄してやればいいだけの話だ!」

「まさか……吸血鬼の遺伝子を操作したのか!」

 遺伝子の操作。遺伝子という、生命の設計図を書き換えてしまえばそれは“違う”存在となる。病気や気候に負けない強い作物を作ることができる、そんな便利な技術を――妖魔に使えば、いったいどうなるっていうんだろう。

 そもそも、植物はともかく、人間やほかの動物、果ては妖魔、吸血鬼の遺伝子操作なんて聞いたことがない。果たして人間に、目の前の室戸にそんな真似ができるんだろうか。。

「アルノルト・アルターは遺伝子操作によって100年前の、血の薄まっていない吸血鬼を再現したものだ! このアルノルト・アルターを量産すれば、日本どころでなく、あらゆる国を統括できる!」

「国……だって?」

 いったい、目の前の室戸はなにを宣っているのか。

「そう、私はアルノルト・アルターのクローンを作り上げ、吸血鬼の軍団を作り上げ、この日本を征服する! そして、その大将となるべく勇者――真幌場姫騎を捕獲する!」

「なっ……」

 なんで、姫ちゃんが……。

 まるで蜘蛛の糸のように、運命というヤツが姫ちゃんを搦めとる。

 そうだ。吸血鬼に姫ちゃんが噛みつかれる。その未来は、ある強い意志によって決定されたものだったんだ。誰かが、姫ちゃんを欲していた。生贄として、姫ちゃんの命を狙っていた……。勇者の誰かじゃない、姫ちゃんという一個人を狙っていたんだ。

「な、なんでボクを! その吸血鬼とボクがなんの関係があるっていうんだよ!」

 姫ちゃんが足を踏み込み憤慨していた。

「姫っち……。よくわからないけど、その室戸と吸血鬼は姫っちを狙ってるみたいだわ! だからあなたは逃げなさい!」

「なに言ってるんだよ! それじゃあエイルっちは……」

「グァウ! 喰ウ!」

 そんな僕らを余所に、ぱくりと吸血鬼――アルノルト・アルターが腔内の牙を剥いた。

 清水さんに刺された槍に目を落とさず、ぶすぶすと刺さったまま柄へと胸を近づける。聖槍〈ゲイルスゲルグ〉が紅く染まる。だけど吸血鬼の身体は傷を秒単位で癒している。

「あっ……」

 清水さんの槍の手元へとアルノルト・オルターがじりじり近づいてくる。出来の悪いホラー映画のようだ。

「清水さん!」

 早く逃げないと。その槍を手放してでも逃げないと!

 でも清水さんは固まってしまっていた。間近で、そんな恐怖映像を見せつけられたら足がすくむのは仕方がない。それはわずか数秒の出来事だったけど、清水さんの肩にたどり着くには余裕の時間だ。

 僕が手を伸ばす間もなく――

「成仏しろってんだバケモノぉ!」

 その背中に、大剣が振り下ろされた。

 それは『天巾斬あまのはばきり』。八岐大蛇を屠ったとされる、かの勇者の神器だ。その勇者の天命を引き継ぐ勇者の名は――

「レオンさん……!」

「ヨォ、晶。やべぇことになってんじゃねぇか」

 素戔嗚尊の天命を持つレオンさんが、満身創痍の身体で現れた。

 大剣、天巾斬で斬りつけられたアルノルト・アルターは一瞬よろめく。

「一時撤退だ晶! 清水エイルも離れろ! アレはオレ様と沙菜にも敵わなかったんだ!」

 僕ら勇者たちは、レオンさんの勢いに乗せられ疾風のごとくその場を去る。

 逃げなければ。あのアルノルト・アルターから逃げなければ、姫ちゃんが運命に食われてしまう……。

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