QUEST.4 1/100のリビングデッド D

「ほらほら晶くん脇が甘いよぉ! こんなんじゃ全然ボクに追いつけないよ!」

「あ、相変わらず姫ちゃん早いな……」

 僕と姫ちゃんは健全な汗を流していた。

 宗像闘技場の道場にて、僕と姫ちゃんはスポーツチャンバランバラの打ち合いをしていた。ちょっとした遊びのつもりだったけど、姫ちゃんと僕は次第に熱を上げてきて、激しい打ち合いとなった。

 姫ちゃんはやっぱり強い。剣の速さ正確さ、すべてが折り紙付きだ。僕が姫ちゃんに剣を教えていたときとはすっかり違っていた。まるで童話のウサギと亀のよう。僕はウサギで姫ちゃんは亀さん。僕がいない間、亀だった姫ちゃんは迷わず進んでいたんだ。

 まっすぐに、僕を追い越したんだ。その追い越した距離は長く険しい。もう追いつけないほどの距離かもしれないけど、でも――

「僕も――負けないよ!」

「てやぁああああああああああ!」

 スポーツチャンバラ用の空気のチューブの剣(短剣)を振りかぶり飛び掛かる姫ちゃん。

 その姫ちゃんのがら空きとなった胴に向かって僕は居合斬りのごとく小太刀を薙いだ。

 速い。お互いの持つ剣は剣道の竹刀ではなく、エアチューブの剣だ。素人でも刹那の速さで振るうこともできるそれを、僕ら勇者が振るう。

 そして――

「ぐあっ!」

「ぐぎゃ!」

 僕と姫ちゃんはビリヤードの球みたいにぶつかって、お互いはじけ飛んだ。


「くふー。デートがお流れになったのはアレだけど、でも晶くんと久しぶりに稽古するのもやっぱりイイネ!」

「そうだね。そういえば、こんなふうに打ち合うのなんて久しぶりだね」

「ボクも友達と稽古したりするんだけどさー。やっぱり晶くんとの稽古がしっくりくるよ」

「格1の僕じゃ、姫ちゃんの相手にならないだろうけどね……」

「そんなことないよー! 晶くんなんか最近いい感じだよ! さっきもボクの剣を見切ってたし、清水エイルとの決闘以来、なんだかカッコよくなってるかなー」

「カッコよくか。たしかに、あの日以来妙に体が軽くなったような気がするんだよな……」

 僕の未来視の力は、総長いわく未来の穴を視る能力だそうだけど、それじゃあ決闘のときに顕れた言いようのない“力”は何なんだろうか。レオンさんが言ったみたいにプラシーボ効果なんだろうか。それとも……

「晶くんなに考え事してるのー」

「いや、なんでもないよ。ただ今日は……宗像闘技場が貸し切りだなーって思っただけで」

 体操服姿の姫ちゃんが僕の目なんか気にせずびっしょり濡れた白いシャツを引っ張っていた。ちなみに下は臙脂色のブルマ。うーん、この学園を創設した人のセンスって……

「みぃんな遊びに行ってるんじゃないのー。日曜日に汗水流してトックンしてる生徒なんでボクらくらいだよ」

「ふぅん……。じゃあ、清水さんも」

「……なんでそこで清水エイルの名前が出るのさ」

「あ、いや……。べつに深い意味はないんだけどさ……」

 姫ちゃんが不快な表情を浮かべている。

 ただ僕はふと思ったのだ。あの孤独となった清水さんが一体何をしているのか。休日も訓練に励んでいるのではと思ったけど、闘技場を一回りしてもその姿はなかった。

「清水エイルは毎日闘技場来てたよ。といっても、友達なんかいないからずっと自主トレしてるんだよね」

「へぇ……」

「まー、高天ヶ原って西洋剣術や槍術とか疎いから、やり合おうにも相手が見つからないだろうからね」

 姫ちゃんのその話はどこか物寂しいものだった。やはり、僕はどこか心の中で彼女に対して申し訳ない気持ちがある。

 同情――なんてもの、掛けるのもどうかと思うけど、でも、なんだか引っかかるんだ。

「ってぇ、晶くん! ボクとのデートをドタキャンしておきながら別の女の話なんてどういうことなんだよ!」

「あーいや、その」

「やっぱり男の子はおっきい胸の方がええんかぁ! ボクを幼児体形だとか言うのはどこのドイツだぁああ!」

「待って姫ちゃん落ち着いて、どうどう」

 怒りに火が付いた姫ちゃんはどんな調教師にも手名付けられない。暴れ馬だ。

 姫ちゃんは脇に置いてあったスポーツチャンバラ用の剣を4本ほど手に持ち、阿修羅みたいに振り回す。

「晶くん許さないぞぉ!」

「ぎゃああああああああああ!」

 姫ちゃんの手には一本の槍があった。それはもちろんスポーツチャンバラ用のやわらかいものだけど、なんだか姫ちゃんの気迫があれば岩でも砕けそうな雰囲気だ。

 姫ちゃんは短剣を得意とするけど、でも達人は武器を選ばないもので。槍を姫ちゃんは難なくかるぅーく振るう。あれで脛をやられた日には歩けなくなるかもしれない。

「晶くん覚悟ぉ!」

「僕が何をしたっていうんだぁ!」

 脱兎のごとく逃げる僕は道場の隅に追いつめられた。ただ僕は小太刀を手に、武蔵坊弁慶たる姫ちゃんと対峙しなければならない。

「ヒンニュウの何が悪いんだぁ!」

「ぎゃぁああああああああああああ!」

 その槍が僕の喉元へと突かれる――そのとき。

 僕の頭に――ダダッ、とアドレナリンのようなものが流れ込む。しばらく僕はとろけるような感覚につかり、そして一瞬――夢を見た。


 その正面に、槍を手にする――姫ちゃん。

 いや、あれは……。

「い、いやっ! やめてやめてっ! こっちに来ないでぇ!」

 プラチナブロンドの髪、豊穣の神を彷彿とさせる豊満な胸。その服装は学校のときとは違い、ひらひらした袖のついた白のブラウスと青いジーンズというラフなものだった。

 そこはショッピングモールだった。

 なんで僕は、ショッピングモールにいるんだ。そしてなんで、目の前に清水さんがいるんだ。

 僕は姫ちゃんと稽古をしていたはずなのに、なんで……。

 まさか、これは……。

「あ、あっ……。あぅっ……だ、ダメ……」

 清水さんに、青い顔した……ゾンビが押し寄せる。それが清水さんの肩や腕に噛みつく。清水さんが食い物になっていた。勇者である清水さんは、なぜか手にしていた槍を振るうことなく、なすがまま、されるがままゾンビたちに襲われて……

 その身体がゾンビに覆われて見えなくなって、そしていくらかしたあと、ゾンビの波が引いて現れた清水さんは……。

「グァ……ウ……」

 黄色い目をした、ゾンビに成り下がっていた。

 ――――。


「ん? どうしたの晶くん? な、なんだか顔が真っ青だよ」

「う、うぁっ……」

 僕は、声にならない悲鳴をあげた。

 あの情景はなんなんだ。あの、ショッピングモールで清水さんが……ゾンビに噛みつかれて、ゾンビになってしまうなんていう、縁起の悪い夢は。

「おーい晶くん」

 目の前には槍を構えた――姫ちゃんが。

 ここはショッピングモールじゃない。そして清水さんもいない。

 そして今、清水さんは。あの情景は――もしかして、未来!

「ひ、姫ちゃん! た、タイヘンだ! し、清水さんがっ! ゾンビに襲われる!」

「は、はにゃ? だ、だからなんで清水エイルの名前が出てくるのさ!」

 僕は姫ちゃんに説明する間も惜しんで、ジャージ姿のまま荷物を置いていた道場の隅へと向かう。そこで電子端末を取り出し、レオンさんに連絡を取る。

「もしもしレオンさん! そっちは大丈夫ですか!」

 僕は電子端末に向かって叫んだ。

「おう……。晶じゃねぇか。はっはっは、やっぱお前すげぇぜ。こーんなにぴしゃりと言い当てちまうなんてな」

「えっ……」

「こっちは大参事だぜ。ショッピングモールの中がゾンビだらけだ。しかも、吸血鬼のヤロウも出てるぜ」

「そん……な」

 やっぱり、僕の未来視は的中したんだ。

 それを僕は、姫ちゃんを救いたいがために……ショッピングモールの人たちを犠牲にしてしまった。

 いや……でも、そこにはレオンさんと沙菜さんがいるはずだ。それなら……

「一応オレ様と沙菜と……ほかの勇者で一般人の避難誘導はやったんだけどよ。吸血鬼に噛みつかれて、“吸血鬼のなりそこない”つまりゾンビになった人間が現れてな。日本は吸血鬼の発生の前例がないから、対応がわからないもんだから右往左往してんだよ」

「そんな……」

「しかも厄介なことにな、沙菜のヤロウが怪我しやがった」

「え、ええっ!? さ、沙菜さんが!」

 沙菜さんは性格はアレだけど……。でも勇者の格は格10以上で姫ちゃんに勝るとも劣らない実力だ。だから、大丈夫と思っていたのに……

「あいつの身体が鈍ってたのか、相手が予想以上に強かったのか……。腹パン一発で、1階から2階に飛んでっちまってさ。かくいうオレ様も……ちょっと噛まれてな」

「噛まれたって……」

「もちろんあの伯爵の吸血鬼にだよ。まぁ、噛まれたのは一瞬だから、アイツの愉快な眷属にもゾンビにもならなかったけどよ。よくわかんねぇけど、オレたち絶体絶命よ。しかも総長とも連絡取れねぇし。たしか総長、今日は会議で京都まで飛んでってたんだっけ?」

「そんな……」

 レオンさんが、沙菜さんが……。

 僕のせいだ。僕が、レオンさんに頼んだから。僕が甘かったんだ……。ただ、姫ちゃんを救いたいがために、向こう見ずになっていた。

「晶くん、電話してるの? いったいなにがあったの?」

 姫ちゃんが絶望する僕の顔を窺っている。

 姫ちゃんに、なんて言えばいいんだ……。

「姫ちゃん……」

 これが未来視の代償。その能力は、否応なく僕を押しつぶす。僕の大切な人を。

 レオンさんも沙菜さんも、姫ちゃんも、そして……

「そ、そうだ! 清水さんだ!」

 僕は思い出す。さっき、僕は視てしまった。清水さんがゾンビに囲まれて、ゾンビに噛まれる情景を……。

「レオンさん、そこに清水さんは居ますか!」

「清水エイル……か。ああ、たしか居たな。アイツもリフレッシュでショッピングモールに来てたんだろうが、こーんな騒動に巻き込まれて、災難だろうな」

「清水さんはゾンビに噛まれてしまうんです! そう……視てしまったんですよ」

「お前の未来視ってヤツでか」

「はい……」

 清水さんがゾンビと化す。それはもしかして、僕が姫ちゃんとのデートを辞めたために起きたものなのか。もしくは、最初からそう決まっていたことなのか。

 なんにせよ、早くしないと清水さんがゾンビになってしまう。これが決められた運命なら、誰かが軌道修正するしかほかない。

 誰が? それは……。

「じゃあ晶、お前はどうするつもりだ? 正義感振りかざして、清水エイルを助けに行くか? でもそうしたら、ヒメ坊が死ぬかもしれねぇ。ヒメ坊のことだ、今の騒動を知ったら何があろうが駆けつける」

「それは……」

「さぁて、晶。お前はどっちを救う? 清水エイルかヒメ坊か。オレ様も清水エイルを助けられるなら、助けてやってもいいが、今のオレ様は人を助けてる余裕もねぇんでな。しかも、周りにはゾンビ化した人間がうじゃうじゃ……」

「…………」

「つまりはオレ様もお前も、他人にかまってる余裕はねぇってことだぜ。だから晶、このことはお前が決めろ。どんくせぇ話だが、今のオレ様には、なにも――」

 プツン――と、突然電子端末の音が途切れた。

「れ、レオンさん!」

 レオンさんが……。このままでは、みんなゾンビと吸血鬼に食われてしまう。

「あ、晶くん大変だよ! ネットの速報でショッピングモールにゾンビが出没だって! アルゴスの緊急依頼も出てるよ! しかもこのショッピングモール渋谷の……。ボクたちが今日行こうとしていたトコロじゃないか!」

「姫……ちゃん」

「どういうことなんだよ晶くん! まさか今日デートを中止にしたのって、このことを知っててなの? いったい何がどうなってるの!?」

「姫ちゃん……僕は……」

 僕は……。大馬鹿野郎だ。

「僕は……姫ちゃんを救いたかっただけなのに……。レオンさんが、沙菜さんが、清水さんまで……。大変なことになってる」

「レオンさんたち、清水エイルもそこにいるの? じゃ、じゃあ早く助けに行かないと!」

「ダメだ姫ちゃん! 姫ちゃんが行ったら、姫ちゃんは吸血鬼に――」

 吸血鬼に噛まれてしまう。それは僕の見た未来視どおりの結末だ。

 だけど、ここで手をこまねいていたら、もう一つの未来――清水さんが……。

 僕はどうすればいいんだ。僕は弱い勇者だ。僕は何にもできない。そんな僕に、どうして神様は未来視の力を与えたんだろう。

 教えてくれよ、僕の天命、少彦名。

 どうして君は弱いんだ。どうして君は、僕にこんな力を与えたんだ……。

『君は姫騎にふさわしくない男だ』

 そう、昔、姫ちゃんのお兄さんに言われたことがある。

 そう言われても当然だった。僕は鹿島家を勘当されて、姫ちゃんとの約束――『最強の勇者になる』ってことをすっぽかして、1年後のこのここっちに帰ってきて、勇者になったんだから。

 僕は……

「僕は勇者失格だ! みんなを犠牲にしてしまった! 姫ちゃんが言ってた最強の勇者になんか成れない! 僕は弱くて、そして、なにもできなくて……」

 僕は無様に、膝立ちで道場の床を眺めていた。その鏡のようなツルツルした床に、ショッピングモールの情景が浮かぶ。

 でも、僕はその情景へとたどり着けない。ただ僕は、そんな未来を受動的に見ることしかできない、ふがいない勇者だ。

 そんな僕のもとに、ゆっくりと姫ちゃんが近づいてくる。静かなまま、僕へと近づき、そして――

「晶くんのバカァアアアアアアアアアアアアア!」

「うぁあああああああああ!」

 耳元で絶叫され、僕は両耳を押さえあたりを転がりまわる。姫ちゃんに喝を入れられた。

「なぁにそんなところでウジウジしてるのさ! 晶くんは最強の勇者さまなんだろう! だったら、どんな事情があろうとも助けに行かないと! レオンさんと、ついでに不本意だけど清水エイルも助けに行こう!」

「で、でもショッピングモールに行けば姫ちゃんは吸血鬼に噛まれてゾンビになっちゃうんだよ! そう決まってるんだよ! 僕はそんな未来いやなんだよ! 僕は姫ちゃんのお兄さんに姫ちゃんのことを頼まれてるんだよ! それに僕は姫ちゃんのこと大好きだし」

「晶くん……」

 姫ちゃんは、僕の手を取った。

「だいじょーぶだよ晶くん! なんてったってボクは日本最強の勇者だよ!」

「あっ……」

 なんてあっさり、姫ちゃんは言いのけた。

「運命とか未来とか知らないけどさ、でもボクは負けないよ。それにボクは信じてるよ! どうしようもない時になったら、きっと晶くんがそのどうしようもない“未来”を変えてくれるってさ!」

「姫ちゃん……」

「晶くんは、ボクが清水エイルに負けてしまう未来を変えたんだよ! だからきっと今回も大丈夫だよ! 晶くん、全部救っちゃおうよ! そうしたら、誰も悲しまない未来が来るだろうからさ」

 そうだ。最初から分かり切っているじゃないか。

 思い悩むなら行動すればいい。たとえ姫ちゃんが吸血鬼に襲われる運命があったとしても――それでも、それに立ち向かわないなんて“勇者”じゃない。

 逃げちゃだめだ。未来から逃げたら、きっと悲しい未来しか訪れないんだ。これは僕に与えられた試練なんだ。

 だから僕は、立ち向かわないと。

「姫ちゃん! 僕は無力だ。なんにもできない勇者だ! でも、レオンさんと沙菜さんを助けたい、清水さんを助けたいんだ! だからっ」

「みっず臭いぞ晶くん! 言われなくてもボクは晶くんにお供するよ! 吸血鬼だろうがゾンビだろうが、ボクらに敵わない敵はない! 行こう晶くん!」

「おう! 未来を変えよう、姫ちゃん!」

 僕は決意する。この未来を変えてやると。そして、この未来から、決して逃げないと。

 僕ら勇者は、戦う。

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