第4話 魔女の館の秘密とは



 早い方が面倒にならないと稲荷原流香が主張した事もあって、その日に青山にある魔女の館へと赴いたのである。


 その際、封印を施しているのか、白いぼろ布に巻かれているだけではなく、妙な御札が何枚も貼られた一メートル以上はあるものを抱えるようにして車に乗り込んできた。


 美玲が訊くと、これだけで十分ということであったので、拓郎が運転して言実町から青山まで向かった。


「ここです」


 館の前で車を停止させた後、後部座席に腰掛ける流香に告げた。


「他者の領域に踏み入れるのは気が引けますね」


 巫女は館には一瞥もくれずに皮肉そうに笑うと、包みを大事そうに抱えながら自分でドアを開けて車の外に出る。


「あ、待って」


 美玲が慌てて外へと出る。


 拓郎は二人の様子を眺めながら、館の門を開くのを車内で待っていた。


 自動や遠隔式ではないため、誰かが開けない事には門が開かないのだ。


 美玲がしかめっ面をしながら門を開けたのを見届けてから、すっと車を動かし、館の敷地内に車を滑り込ませた。


 巫女の流香はそうする事が必然とであるといった態度で、ゴミ一つ落ちていない清掃が行き届いた館への道に歩を進める。


 そんな流香の後ろ姿を疑うような視線を向ける美玲を、入ってすぐのところに車を停めて外へと出て来た拓郎が追った。


「……何も疑問に感じなかったのですか?」


 魔女の館の前でようやく足を止め、追っていた美玲と拓郎とを交互に哀れむような目を向ける。


「この館に?」


 追いつくも、息が上がってしまっていた美玲がようやく声を絞り出した。


「お金に逼迫していると、視界が狭まるものなのですね」


 皮肉ではなく、憐憫なのだと分かった。


 流香は身体を館の方へと向け直すと、一礼をした。


「お邪魔してもいいでしょうか?」


 すると、流香に応じるように、依然と同じようにカチャリと鍵の開く音がすると共に館の木製のドアが開いた。


「それではお邪魔しましょう」


 拓郎達を見ずに流香は玄関の前まで行き、開いている扉の前で恭しく一礼してから中へと入っていった。


 美玲と拓郎は血の気の引いた顔を見合わせて小首を傾げた。


「入らないのですか?」


 流香が顧みずにそうするのが当然であるかのように言う。


 拓郎と美玲はもう一度首を傾げた。


 目で合図を送った後、流香の背中へと目線を移すなり、渋々といったふうで後に続いた。


 拓郎もそうであったが、美玲もまた館内には父親である東喜八の気配があるような気がしてならなかった。


 館内に流れている空気が生前と変わらないものであるような気がするのだ。


「気づきませんか?」


 流香はまたしても二人に顔を見せずに言う。


「何を?」


「不可解である事を不可解と思わないその感覚は鈍感と捉えるべきではなく、感覚の喪失というべきものであるのかもしれません。だからこそ、魔女の館と呼ばれてしまったのかもしれませんね。そうですよね?」


 流香はそう問うた。


 美玲も拓郎も言葉の意味することが理解できず、答えに窮して何も言わなかった。


「ならば明かすべきです。明かせないのであれば、私が手を下しましょう」


「お父様の幽霊と対話をしているの?」


「……いえ。この館には東喜八の幽霊はいませんよ」


「だったら、誰と?」


「東喜八という人物は商才に長けていたのではなく、機運を読むのが上手であったのではないかと姉が言っています。その理由は……」


 流香の言葉を遮るように、ホールの扉が開いた。


 美玲も拓郎もぎょっとして一歩後ろに退きながら、開いた扉をまじまじと見つめる。


「さて、種明かしを促されているようですし、中へと入りましょう。魔女の誘いです」


 拓郎と美玲を促すように流香が顔を二人に向ける。


 その顔……強いて言えば、左目を見た瞬間、拓郎も美玲も恐怖心で射すくめられて、身動きが取れなくなった。


 いつ取れたのか、二人は推測さえする事ができなかった。


 流香がしていたはずの左目の眼帯が外れ、本来ならば目があるべきには、どこまでも広がる深淵に似たくぼみが存在していた。


 ゆらゆらと揺れる闇だ。


 それはまるで魂の揺らめきというべきものであるかもしれない。


 魂がそこにいると言っていたが、その言葉通り、魂が揺らめきとしてそこに居座っているかのようだ。


「ああ、失礼しました。左目のこの揺らぎが不肖の姉です。都市伝説の化け物に殺されたのですが、まだ現世に未練があるようでして。失った左目があった場所に留まり続けているのです。ふふっ、おかしいでしょう? 魔女を直に見たいというので出て来てしまったようです」


 左目の揺らぎも微かに微笑んだ……ように見えた。


 流香も揺らぎ同様に微笑するなり、ホールの方を顔で示した。


「謎解きをしましょう」


 優雅が動きを感じさせない足取りで進み始め、ホールへと入っていく。


 そして、件の魔女の油絵の前で歩を止め、美玲と拓郎の方へとくるりと身体を翻した。


「ご紹介しなくては……」


 流香がホールに入ろうともしない美玲と拓郎に対して不敵に笑った。


「化け物に祝詞だお経だのは意味がない事が多々あります。非力すぎる故に化け物を倒す力を持ち得ないと言えるのですよ。そう……徳を積んだ坊主であれ、神主であれ……」


 流香は抱えていた布を解き始める。


「化け物を倒すのであれば、私も化け物になるしかない。私はそう考えて、化け物である事を選択しました。そのためのエペタムです。今回は張り巡らされている魔法を断つために振るいますが」


 布と御札によって封印されていたであろう刀身が晒された。


 柄や鞘などにはこれといった装飾は施されていない白鞘であった。


 流香は迷うことなく柄を掴み、刀身を煌めかせながら見せつけるように抜いていく。


 禍々しさも何もない小ぶりな刀であった。


 小太刀というべきものよりも小さく、包丁よりも大きく、短刀と称する相応しい刀身であった。


「三ヶ月管理人が来ていないのにも関わらず清掃された館までの道、人の息吹が残された館……それの意味する事がわかりますか?」


 刀身に寄与せられるようにして、美玲と拓郎とがホールへとようやく入って来た。


 二人の視線はエペタムと呼んだ刀に注がれており、魅入られていると言っても過言ではなかった。


「それは幽霊がいて……」


 拓郎がかき消されてしまいそうなほどの声で答える。


「幽霊が道を清掃するのですか? 幽霊がいると人が住んでいることになるのですか?」


「それは……」


 美玲が言い淀んでいるところを、


「魔女の館の魔女とは誰の事だと思っていましたか?」


「この油絵の女性であって……」


「ふふっ、姉が嘲っていますよ。あなた方は何も見ていない、何も感じていない、何も悟っていない。見ていたのはお金ばかりだと」


 流香はエペタムをさっと振り上げ、


「彼女を紹介したとき、東喜八は油絵ではなく、彼女を見ていたのでしょう」


 そう呟いて、振り下ろした。


 硝子が割れたかのような刹那的な音がホールに響くなり、忽然と人が姿を現した。


「魔女は己の姿を魔法によって消していたのです。その姿が見えていたのは、東喜八と数人だったのでしょうね」


 その人は、展示されている油絵に描かれている女性と瓜二つの女であった。


「はっ?!」


「なっ!?」


 美玲と拓郎とが事態が把握できないといった驚きの声を上げる。


 現れた女は、美玲と拓郎とに幾多もの感情が入り乱れた複雑な表情で微笑んだ。


「何故魔女の館と呼ばれていたのかは簡単な話なんですよ。本当の魔女が住んでいるのですから、魔女の館と呼ばれて当然です。私のように見える人がいたのでしょうね。そして、魔法を使う魔女の存在を知り、魔女の館と呼ぶようになった……そんなところでしょう」


 刀を鞘に収めて、流香は再び封印を施すようにボロ布で巻いて御札を貼り直した。


「魔女が見えていなくても疑問に思うはずです。人が住んでいないのにも関わらず綺麗にされている事に。人が住んでいなければ朽ちるのが早いはずの屋敷がいつまでも変わらぬ姿である事に」


「そんなの分かる訳がない」


 拓郎がようやく反論するも、


「彼女が慈しみ、愛情を持って接してきたからこそ、この館は朽ちることなく、ここに有り続けました。そんな館をあなた方はお金に換えようとしています。その事を知りながらも温かく迎え入れてくれたのが彼女ですよ。一考すべき事だとは思います。それに……」


 蔑みを隠さない目で流香は美玲と拓郎とを見やった。


 心なしか、左目の揺らぎも二人を蔑んでいるような気配があった。


「良くは思っていない方もいるようですし」


 流香はちらりと魔女を見た。




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