獅子と英雄 3


「御用です!もう逃げられませんよ!!」

「…は?」

 勢いよく入ってきた私を見て、テア様は灰色の瞳を丸くしています。

 言おうとしていた言葉と微妙に違う言葉が出てしまいましたが、この際それはどうでもいいことです。大事なのはテア様を今すぐオルシャさんのところへ連れて行くこと。


 テア様の思考は複雑で、まさにベイドリールの獅子と王冠。英雄オルディーンのように、何を考えているのか分かりません。獅子ゼグナも、オルディーンの考えていることなんて分からなかったでしょう。でも、戦いの後、獅子の足元にある英雄の遺体を連れ帰ろうとした騎士たちに獅子が攻撃しなかったのは、きっとオルディーンの考えは分からなくとも、望みが分かっていたから。だから、自分に挑んだ勇者に敬意をはらったんです。

 私にもテア様の思考回路なんて分かりません。でも望みだけははっきりと分かっています。たとえ待ち受ける結果が望むものでなくとも、ここで行かなければそこには後悔しかありません。

「…何の真似だ?」

 胡乱な眼差しで私を見るテア様に近寄り、書類の山を横へどかします。

「オルシャさんに、会いに行くんです!ほら羽根ペン置いて、立ってください今すぐ!」

「お前もいい加減しつこいな」

 腕を掴むと、煩わしげに振り払われてしまいましたが、こんなことでへこたれていたらこの石頭を説得などできません。

「しつこくても結構。オルシャさん達、もう今日でこの街を旅立ってしまうそうです」

 この言葉は効いたようで、テア様は体をびくりと震わせ、驚いた目でこちらを振り向きました。ほら、やっぱり気になるんじゃないですか。

 しかし再び首を振ると、頑固に口を引き結びました。

「あの人も今さら、不出来な弟子と話すこともないだろう」

「…ふざけてるんですか?話があるから何度も来てるんですよ!!」

「そんなことは知っている!!」

 ああもう、本当に拗ねると子供のようです。いえ、頑固な老人でしょうか。どちらにしても始末に終えません!!

「知っていて言うなら、ただ拗ねているだけでしょう」

「私とあの人の間には、もう師弟関係というものがない。その上あの人より高位になってしまった。立場上も、もうあの人を師と呼ぶことは出来ぬ」

「嘘です。だってテア様は、いつもそういった立場に捉われないじゃないですか。そんなところ、私尊敬してるんですよ。なのにこういうときだけ言い訳に理由に使うのは卑怯です」

 そんな逃げ口上が私に聞くと思ったら大間違いです。尊敬しているんだから、自分の都合で信念を曲げるような真似をしてほしくありません。

「ならばどう言えと!もう、私はあの人の弟子ではないのに、昔のように話すことなど…神殿行きを決めたとき、決意の証に、私はあの人との誓書を燃やした。散々世話になりながら、跡を継げなかった俺に弟子を名乗る資格は無い!」

「資格って何ですか。第一、さっきからあの人、あの人って…。師と呼べないなら名で呼べばいいじゃないですか!?もう弟子ではないと自分で言っておいて、本当はそれをはっきりと示したくないんでしょう。弱虫!」

 珍しく乱暴に声を荒げたテア様に、私の方も知らず熱くなります。思えば初めてかもしれません。テア様とこんな風に本気で言い争うのは。その上、テア様自身のことで。普段テア様はあまり自分のことを話さないので当然ですが、ちょっと新鮮かもしれません。

「…お前、そんな暴言を」

 弱虫と言われた本人は、私にそんな風に怒鳴られるのが初めてだからか、少し怯んだ様子です。私は今だ、と思いました。

「暴言もへったくれもありません。お気に召さないなら、減給でも降格でも勝手にどうぞ。テア様が燃やしたのはただの紙切れです。本当の絆は切ろうとしたって、そう簡単に切れるものじゃない。私にだって師匠は居ますけど、テア様の言っていることは違うと思います」

 喧嘩も説得も勢いが大事。相手がこちらの勢いに押されたときを狙ってたたみ掛け、一気に押し流すんだと私の師匠も言ってました。実際、彼は両方強い人でしたし。何度理の無い勢いだけの説得に押し流され、あとで疑問を感じたことか。

「…どういうことだ」

「お互いに我が強かったし、しょっちゅう大喧嘩して私は何度も破門されました。でも、師匠は、私が師匠って呼ぶとついおうって答えちゃって、破門もいつもなかったことになってました」

「……」

 顔をしかめたままですが、今は私の話に耳を傾けてくれているようです。頑固なテア様のためらいを突き崩すまで、あと二、三歩かもしれないと感じ、私はテア様の目を真っ直ぐ見つめたまま言いました。

「先ほどまでのテア様の言い分は、賢者としてのものであって、本当のテア様の気持ちじゃありませんよね。じゃあ、『貴方』は?『テア』はどうしたいんですか!!」

 ずっと会えない会えないと首を振っていたテア様が、賢者の肩書きに縛られていたのは容易に見て取れました。でも今必要なのは、今私が聞きたいのは、テア様自身の気持ちです。

 『賢者』が素直になれないならば、『テア』が頑張るべきなんです。賢くなんてなくていいから、たとえ馬鹿と言われても、自分の気持ちに素直になるべきなんです。

「跡を継ぐから弟子なんですか?誓書があるから師匠なんですか?違うでしょう!!もういい加減弱虫はやめて、ひと目くらい会ったらどうですか!?この大陸をゆっくり回ってきたら、次はまたいつになるか分からないんですよ!!」

「ああもう、馬鹿秘書!!そんなことは分かってるんだ!!」

 バンと大きな音を立てて机を叩き、テア様は羽根ペンを乱暴に床へ投げ捨てると同時に立ち上がりました。

「テア様!?」

 そして机の下に隠していたらしい酒の瓶をつかんでぐいと煽ったものだから、私は軽く悲鳴を上げます。そんなふうに飲んで、あとで頭が痛くなっても知りませんよ!

 ぐいと口元を腕で拭って顔を上げたテア様は、どこか憑き物がとれたような表情をしていました。

「…だが、俺はもっと馬鹿だ。大馬鹿だった…悪いことをしたな…ありがとう、エアル」

「いいですから、早く行って下さい!」

 テア様に殊勝な態度は似合いませんね。私の方に向き直ったテア様の体を再び反転させ、私は出口の方へぐいぐい押しやりました。

「ああ。悪いが、少し抜けさせてもらう」

「いってらっしゃい。帰ってきたら仕事はちゃんとやって下さいね」

「うるさい秘書だ」

 珍しく口の端を上げて微笑んだテア様は、大きく足を踏み出して、オルシャさん達を追いかけるべく走っていきました。夕焼けの光の中へ飛び出していく姿を窓から見て、思わず私が吹き出しそうになったことはテア様には内緒です。


 どうしてあんなに素直じゃないんでしょう。本当は、すごくすごく会いたかったくせに!



 *********



 すぐにオルシャさん達を追いかけたテア様は、なんとか間に合って、5年ぶりに話すことができたそうです。具体的に何を話したのかは私の知るところではありませんが、戻ってきたテア様はなんだかすっきりしたような顔をしていました。そのことがあった翌日、昨日余らせてしまった仕事をしながらそれとなく伺うと、テア様はぽつりぽつりと話し始めました。

「…お前と同じ事を言われた」

「はい?」

「師は、君が燃やしたのはただの紙切れだよ、と笑ったんだ。どうやら気にしていたのは俺だけだったらしい。たとえ肩書きが変わろうとも、弟子だと思っていると…そう、言われた」

 そりゃあ、オルシャさんは最初からそうでしたもの。それにしても、呼び方が、あの人、から『師』になっています。ちゃんと心のもやもやは清算できたようですね。

「そうですね。テア様は気にしすぎるところがありますから」

「度が過ぎれば、何事も害悪だな」

「美点でもありますよ。私は考えなさすぎると言われますけど」

「ああ、全くその通りだな…しかし、それに救われている者も居る。時には感情に任せてみるのも必要ということだな」

 最初は貶されているのかと身構えましたが、どうやら褒められているようです。ここは素直に喜んでおきましょう。

「…ああ、そういえば、エアル」

 ごほん、といつものごとくわざとらしい咳をして、テア様が何事か言おうとしています。

「はい?」

「師が、お前に伝言だそうだ」

「…私に?なんでしょうか」

「…その、何だ。『私の一番弟子をよろしく頼む』だそうだ」

 微妙に照れたような、顔でそっぽを向きながらでしたが、伝言はきちんと伝わりましたよ、オルシャさん!

「了解しました!」

「………お前によろしく頼まれるほど堕ちたのか、俺は…」

 あ、今回の恩人に何てことを!前言の撤回を求めます。



 ********





 これにて騒動は終わるかと思われましたが、この話にはまだ続きがあります。オルシャさん達が王都へ経ってから十日程経ったある朝のことです。

 軽快で明るい声が、静かな神殿内に響きました。


「あ、テア!テアくん!おはよう、久しぶり!!」

「…何で、アンタが、ここにいる?」

 たとえ世界の果ての人智を越えた姿をした珍獣を見たとしても、こんな顔はしなかったでしょう。

 私も思わず夢か幻かと目をこすりましたが、紛れも無く、目の前で楽しそうにはしゃいでいるのは、十日前王都へ発った筈のオルシャさん。そしてその後ろにキーシュさん。未だ現実をうまく受け止められていないらしいテア様が心なし震えた声で問うと、オルシャさんはきょとんとした顔で小首を傾げました。

「何でって、王都から戻ってきたんだよ。二日もあれば行ける距離じゃないか」

「そうでなく、王都での報告が終わったら、再び旅へ出る筈だっただろう!!」

 あれ、テア様、師匠の前では殊勝なのかなと思っていたら結構強気です。それにしても、この二人が並んでさえずると、白いひよこと黄色いひよこの喧嘩に見えてきます。

「いや、今までの旅の記録をそろそろ一旦まとめなきゃと思って。あと半年はここに留まってその作業だよ」

「それは王都に留まってする作業だろうが!!」

 黄色いひよこさんのあっけらかんとした物言いに、白いひよこさんは何故かつっかかる姿勢です。黄色いひよこさんはそれを意に介さず、楽しそうに言いました。

「だって折角この街にはテアも居るんだし、それにこの街が気に入ったんだよ。なかなか賑やかで面白いし」

 白いひよこさんは面白く無さそうに口を引き結びます。珍しく走っていく程会いたかった人に対する態度とは思えません。もしかしてこれが普通なのでしょうか。

 腕を組んだテア様は、傍観を決め込んでいた人に話を振りました。

「…キーシュとやら、お前も弟子ならこういう勝手な行動を…」

 あ、責任転嫁です。揚げ足を取るようですが、テア様も弟子ですよ!

「いえ。僕は基本的にこの人のすることに手出ししませんから。その方が面白そうですし」

「キーシュ君、流石分かってる!」

「まあ、僕に被害がない範囲だけですけどね」

 こげ茶のひよこさんも結構言います。白いひよこさんはますます分が悪くなったようで、小さく呻いています…今こっちに加勢を求める視線を送った気がしますが多分気のせいでしょう。 

「というわけで、当分この街に留まることになったよ」

「どちらに住まれるんですか?」

 休日などに遊びに…いえ、有難いお話を拝聴しに行きたいなあと思って問うと、オルシャさんは街の方向を指差しました。今は朝の時間帯で、段々と街は賑わい始めているようですね。

「商店街の奥の借家に。路地の奥の方だから、こじんまりしてるよ」

「どうしてそんな場所に?」

 よく分かりませんが、各地の生の声を王都へ届ける大事な役目の旅士さんなら、必要経費その他もろもろ、結構がっぽり出るんじゃないでしょうか。

「わざわざ路地裏を選ばなくたって、もっと他にいい場所があるのでは?」

 どうにも分からず首を傾げると、キーシュさんが軽くため息を吐いて肩をすくめました。

「僕もそう言ったんですが、気分で生きているような人ですから」

「キーシュ君、なんだか悪意を感じるよその言い方」

 相変わらず不思議な師弟ですね。どちらかというと、テア様とオルシャさんだと、奔放な師にテア様が振り回されている感がありますが、キーシュさんは振り回される気すらないような。例えはかなり悪いですが、飼い犬の紐を握る飼い主の違いという奴でしょうか。

「この街をちょっと探検したときに、良いものを見つけて。その路地の辺りにあった空き家の持ち主に家を貸してもらってさ」

「良いもの…路地…ああ!」

 分かりましたよ、何のことだか!テア様は私より早く思い至ったようで、複雑な表情をしています。テア様はまだスヴァさんのことが嫌いなのでしょうか。スヴァさんには街を歩いていると時々会いますが、最近はとんと会っていません。もしかしたら、亡命で保護されたというお師匠様を訪ねて王都へ行ったのかも知れません。

「…用件は、それだけか」

 なんだか疲れきった表情のテア様は今すぐにでも執務室へ戻りたそうですが、オルシャさんはまだまだ話したいようで、残念そうな顔をしました。

「この前、王都へ旅立つときと扱いが違うよね…だって、あの時は」

 何か言おうとしたオルシャさんの口をテア様が慌てたように両手で塞ぎます。

「あれは!!向こう五年は会わないだろうという前提の元だったから…ああもう、俺は仕事に戻る!行くぞ、エアル」

 ああ、ようやく分かりました、テア様が居づらそうにしている訳が。もう当分は会わないと思って、よっぽど感傷的な別れ方でもしてしまったのでしょう。あとでこっそりキーシュさん辺りに聴いてみたら教えてもらえるかもしれません。

「あ、私もう少しここでお話聞いてていいですか?私がやらなきゃいけないことは大体終わってますし」

「…勝手にしろ」

「はい、勝手にします」

 にこにこしながら答えると、ふん、と踵を反し、階段を上がっていってしまいました。

 本当は師匠といつでも会える様になって嬉しいくせに、素直じゃありませんね。


 でも、師匠が同じ街の中にいてくれるのは幸せですね。私の師匠は、今どこに居るのでしょうか。私と似て気分屋な上、昔は放浪癖が大変だったらしいですから、ひとつの場所に留まっている可能性は低いですし。まとまった休みが取れたら、家族に会いに行くのは勿論、師匠も探さなければいけませんね。



  **********



 そういえば、ひとつ残った疑問。テア様を縛っていたという『負い目』の正体なのですが。あれは自分への『負い目』だったようです。もっと具体的に言うと、キーシュさんへの劣等感。

 テア様も劣等感を感じることがあるという事実を最初は信じられませんでしたが、そうだったようです。テア様はオルシャさんの新しい弟子であるキーシュさんのことを既に色々な噂などで聞いていたらしく、私は知りませんでしたが、キーシュさんには他の人には無い特別な能力があるそうなのです。

 草や木、精霊など、自然の意思を感じ取ることができる、という性質で、私にはいまいち分かりにくいものでしたが、とても稀有なのだそうで.。山の中で道に迷うことも無く、危険の気配も感じ取ることができるのは、旅士として申し分の無い資質だとか。

 いやー、実は凄い人だったんですね、キーシュさん。

その上私からとても歌が上手いなどということを聞き、どうやら歌や芸の類がからきしなテア様はとてもとても複雑な気持ちになった、らしく。自分より旅士の素質を持った人間が新しい弟子となったことに、安心だけでなく、色々な感情が沸き上がって余計心を凝り固まらせてしまったのでしょう。


 だからと言って、何もかも完璧な人間がこの世に居るはずも無く。あとになってから聞いたことですが、その代わりキーシュさんには魔力が全く無いのだそうです。魔法の才能が無いとかそういう次元の問題でなく、本来魔法攻撃から身を守るべく備わっている対抗性の魔力すら無いということで、それはとても危険で。

 だからキーシュさんはオルシャさんの魔力を込めた守護の装飾品をつけていますが、旅士で魔法の使えない人は今のところ一人も居ないそうなのです。


 この世の全てを記憶できる能力と、師を凌ぐ、導師級の魔力を持つテア様。

 歌の才能や、自然の意思を感じる能力と、一切の魔力を持たないキーシュさん。


 兄弟弟子でありながら正反対の二人。そう聞くと、改めて歌も魔法もできるというオルシャさんが凄く思えてきます。

 師は偉大なり、これに尽きますね。

「何を一人で笑っているんだ、気味が悪いぞ…」

「いいえ、色々なことに納得がいって、すっきりしただけで。そういえばテア様、それなんですか?変な模様の壷ですね」

「師匠が置いていった…というか押し付けられた変な壷だ。欲しければ持って帰ってくれ、捨てたらなんだか呪われそうで嫌だ」

「花でもさしておきましょう…そうだ、牙棘なんてどうでしょう?」

「別に良いが、机の上に惨事が起こるぞ。師との旅の途中でよく破裂の場面に行き会って酷い目にあった」

「旅…」

 そういえば、テア様は賢者になる前、オルシャさんと旅をしていたんですよね。今度のことが無ければ知りませんでした。

 まだまだ知らない部分の多いテア様ですが、またひとつ、近づけた気がします。私の秘書人生の大きなところを占めるであろうテア様のこと、もっと知っていかなければいけませんね。


「テア様」


 だから、私に教えてください。


「旅の話、もっと聞かせてくれませんか?」


 旅のこと。貴方のこと。オルシャさんのこと。

 きっと私の知らない、面白いことで溢れているんでしょう?

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