獅子と英雄 1
季節は段々と春から夏へと移り変わり始めていて、木々は花から葉へと姿を変えつつあります。神殿内の廊下を歩きながら、庭園の木々や夏の花を眺めていると、ひとつ、見慣れない花が生えているのを見つけました。
小さく、地味ながらも可愛らしい花は鈴なりに連なっているその花は、中を見ると袋のようなものが入っていて、揺らすとしゃらしゃらと微かに音が鳴りました。
「この花は…」
野山で生まれ育った私でも、この花は見たことがありません。
「牙棘の花じゃない?」
しゃがみ込んでいたところに降ってきた声。
聞き慣れた声に振り返ると、同僚である神官秘書の青年が後ろに立って、にこにこしながらこちらを見ていました。
「きばとげ…聞いたことありません」
「まあ、いわゆる雑草だねー。この辺じゃ珍しいんだけど、僕の生まれたところにはそこらじゅうに生えてた。まあ、普通蔓を伸ばして増えるから、花が咲くのは滅多に無いことだけど」
少しゆったりした話し方をするこの青年はユアン。同期の中で唯一の男性秘書で、神官長であるクレブ様の秘書をしています。穏やかな気質のクレブ様とはうまが合うようで、のんびりしているように見えて仕事をするのは一番早いという不思議な人です。
「へえ…雑草にしては可愛らしい花ですね…でも、牙棘という割には牙も棘もありませんよ」
「うーん…種なんだよね」
「種?」
小さな花の中を覗き込と、小さな袋の中に微かに揺れる種のようなものが透けて見えました。
「時期が来ると破裂するんだ、この花。種は白くて尖っていて、いろんな所に引っかかるし、軽いから飛ぶ。人や獣に噛み付くようにくっついて別の場所に運ばせようとするから、だから牙棘」
「くっついたままとれなかったら?」
「いや、これが面白いことに、3日くらい経つと自然に牙がとれて地面に落ちるんだよ」
「不思議でたくましい花ですねえ…これ、机に飾ろうかな」
「それを?うん、いいかもね。花だけなら可愛いし…ただ、破裂する前にちゃんと始末しないと、痛いよ」
「花瓶か何か無いですかね…」
ユアンの話を半分に聞きながらきょろきょろと周りを見回しますが、そう都合よく花瓶なんて転がっていません。
「ま、あとでにしましょうか」
「そうだね。あ、そういえば、旅士の人がこの辺に来てるって」
ふと、思い出したようにユアンが手をぽんと叩きました。
「えっ…あの?」
「うん、あの」
何年かかけて色々な所を旅をしながら、その地の文化とか伝承とか、色々なことを調べながら記録を作って、それを最終的に王へ献上するという、あの旅士さんですか。
「面白そうですね!」
「うん。別の土地の色々な話が聞けるから、結構人気者なんだよね。僕も珍しい動物の話とか聞きに行きたいんだけど」
少しそわそわとした様子のユアンを見て、私はくすりと笑いました。
「ユアンは動物が好きですね。私も好きですよ、熊とか」
ある日森の中で出会った日には、流石の私も逃げ腰になりますが。でも熊を子犬のように扱う人をひとりだけ知っています。あれは真似できません。
「熊は怖いよ、小熊ならいいけど。あとは子犬とか小鳥とか、子猫とか…」
「小さい動物が好きなんですよね。ユアンってそういえば子供好き」
「うん、腕の中におさまるくらいが好きだなあ。可愛いものは心を癒してくれるから」
人懐っこい笑みを浮かべるユアンは、小さく腕を広げて、何かを抱きしめるようなしぐさをしました。仕事真面目な彼も、庭で小さな動物などを見つけるとつい立ち止まってしまうようです。
「そうですねー。でも私大きい動物も好きですよ、強そうだし」
「なんだか、君の基準が分かってきたような気がする」
「そうですか?」
しみじみと言われ、軽く首を傾げます。
「結構わかりやすいよ」
「んー…まあ、分かりにくいより分かりやすい方がいいですよね」
「そうかもねー」
うんうんと二人で頷いていると、ひょいと割り込んできた人が居ました。
「あんた達、何話してんの?」
よく手入れがされた目立つ金色の髪は、軽く上に纏め上げられています。
「ああ、シャンティ、おはようございます」
「おはよう、シャンティ」
ユアンと同じく、同期の秘書の一人であるシャンティは一気に呆れ顔になりました。
「もう昼じゃない。そういえば、そんなあんた達にちょっと素敵な話よ。旅士の人がさっき、門のところまで来てたの」
「え?」
「旅士が?何でこの神殿に?」
珍しいですね。この街に来ている上、この神殿にだなんて。かなり気が長い仕事な上危険もつきまとう旅になるので、その数はそんなに多くないそうで、私が幼い頃住んでいた小さな村にも、1度だけ旅士さんが来たことがありました。
「なんだか、誰かに会いに来たみたいよ」
「誰に?」
「わからないけど、クレブ様と話していたのを見たわ」
「ああそういえば、誰かに呼ばれてさっき出て行ったな」
「クレブ様は偉い人だから、色んな人が会いに来ますねえ」
私も、クレブ様にはお世話になったことがありました。恐れ多いですが、こちらのお父さん、という感じです。父親のような愛情に溢れた方で、ユアンと並ぶと本当の親子のように見えます。
「もしかしたら男前かしらと思って見に行ったけど、普通の人のよさそうなおじさんだったから、ちょっと残念」
「君ねえ…」
今度はユアンが呆れ顔になりました。シャンティは普通の町娘とあまり変わらない感覚を持っていて、自由奔放な少し秘書としては変わった気質の持ち主なのです。おしゃれで噂話とお菓子が好きで、いつも華やかな雰囲気をまとっているシャンティは、エイリア様という女性神官の秘書です。
「でも、連れてたお弟子さんは愛想が良くて素敵だったわよ。二人とも、少し変わった服を着てたかな」
「へえ、弟子…」
「やっぱり、旅士としての技術とか伝えていかなきゃいけないんですね」
師弟といえば、私も自分の師匠のことを思い出します。今思えば破天荒で無茶苦茶な人だったようにも…いえ、今もそうですが、色々なことを教わりました。新しい課題を出され、それを達成するたびに、父が苦々しい顔をしたような気がしたのは遠い記憶です。
「旅、かあ…いいねぇ、自由きままで」
ユアンがほのぼのと呟いた言葉で、やや脱線しかけた思考は引き戻されました。
確かに、普段一つの土地にとどまりがちな神殿の者にとっては、夢のまた夢です。はるばるやって来た旅士さん。機会があるなら、旅のお話を聞いてみるのも、面白いかもしれません。
その後、ちょっとした井戸端会議になってしまいましたが、すぐに仕事があるので解散し、私は昼休みになるといつもの通り神殿を出て、昼餉のパンを買いに街へ出かけました。
***********
「えーと、今日はこれと、これ…あと、そっちの白いやつください」
「はい、どうぞ秘書さん!焼き菓子ひとつ、おまけしとくよ」
「ありがとうございます!」
今日はいつものパンに加え、なんと焼き菓子という戦利品まで手にして上機嫌です。久しぶりにスヴァさんの描いた空の絵でも見に行こうかなと、いつもと別の方向へ足を向けたとき、道の端に変わった二人組みを発見しました。
「…あれは…?」
壮年の、盛大に飛んだり跳ねたりしたひよこ色の髪を後ろでひとつにくくっている男性、そしてこげ茶色の髪を高いところで半端にくくった若い男性の二人組。どうやら旅人らしく、服装はゆったりとした旅着をまとっています。もしかしなくても、旅士の方なのかもしれません。
「そろそろ宿へ帰りましょう、今日は無理そうですし」
「や、もう少しだけ…仕事が忙しいってことは、仕事が終われば会えるってことでしょ?折角近くまで来たんだし…」
何を話しているのかはよく分かりませんが、こげ茶の髪の青年が、ひよこ色の髪の男性を説得しようとしているように見えました。
なんとなく興味本位で道の端から眺めていると、青年の方がこちらに気づいたようで、続いて壮年の男性の方も、こちらに振り向きました。
「あ、すみません…」
じろじろ見て失礼だったなと思い、踵を反して去ろうとすると後ろから声がかかりました。
「あの」
「あ、はい?」
振り返ると二人がゆっくりと近づいてきて、壮年の男性の方が言いました。
「…その格好、神殿のひとだよね?」
「いかにもそうですが」
「じゃあ賢者様のこと知ってるよね」
「知ってるも何も、私はその賢者様の秘書ですよ」
「…え!?」
少し胸を張って答えると、相手は驚いたのち、一瞬沈黙しました。その沈黙はどういった種類の沈黙でしょうか。私の肩書きに感動しているというわけでもなさそうですし、秘書だからといって自慢げな態度に閉口しているというふうにも見えません。
「秘書、きみが、彼の…」
「彼?テア様をご存知なんですか?」
「ご存知も何も…」
「ええ、旧知の仲、だそうです」
胸を張って何か言おうとした壮年の男性を押しのけて、青年がにこやかに言いました。…あの、押しのけるにしても顔を掴んで押しのけるって、どういうことなんでしょう。
「それで、今朝神殿を訪ねたのですが」
自分の顔を掴む手をなんとか引き剥がして、壮年の男性が残念そうに続けます。
「忙しくて今日は会えないと言われてしまってね…代わりに、神官長様とお話をしていたんだ」
神殿を訪ねた、ということは、ますますこの方達は旅士なのだろうと分かりました。
それにしてもまさか、旅士の方が尋ねてきたのがテア様だったなんて驚きです。何か相談事でもあるのでしょうか。クレブ様と話していたのは、テア様に会えなかったからだったんですね。
「そうだったんですか?そんなに忙しかったのかな、テア様…」
確かにいつもより書類は多かったけれど、旧知の仲の客人に会えない程たくさんはありませんでした。それに、普通ならばテア様は仕事をさぼる口実ができたと、嬉々として面会に応じるはずです。
「テア様、かぁ…彼も、偉くなったんだね」
「この世にひとりの賢者様ですから!」
よくは知りませんが、賢者と名のつく人は他にも居ても、テア様のような賢者はひとりしか居ないそうなので。少々自慢げに言うと、何故だか旅の人も嬉しそうに笑いました。
「そうだね」
つられて私も嬉しくなって笑いました。
「あ、そういえばあなた方、旅士さんですよね!」
「はい」
琥珀色の目をした青年の方が答えましたが、多分この方が例の、シャンティが騒いでいた愛想のいい素敵なお弟子さん…なのでしょう。確かに爽やかな感じのする好青年ですが、少々師匠さんへの扱いがぞんざいのような。
「わあ、やっぱり!!じゃあ、旅のお話とか…」
目を輝かせて言おうとした瞬間、遠くで鐘が鳴り響く音が。
「…聞かせていただきたいと思ったんですけどすみませんまた明日!」
「あっ…明日?」
少々面食らったようで、壮年の方は丸い目を瞬かせました。
「はい、明日!ここにまた来ますよね!」
「いや、来られないこともないけど…え?来るの?」
「お願いします!駄目だったら宿の場所教えてください!」
「あ、うん分かった…じゃあ、神殿にまた明日訪ねるから、そのときにね」
にっこりと笑った旅士さんが輝いて見えます。私の頼み方が強引だったからといっても、見た目どおり優しい方です。なんでテア様はこの親切な人と会ってあげなかったんでしょう。
「ありがとうございます。テア様には私から言っておくので、きっと明日は会えますよ!」
「うん、じゃあ…」
「そうだ、旅の方、お名前は?私はエアル・レアルといいます」
ちゃんと名前をテア様に確認しないと、よろしく伝えられませんからね。
「私は、オルシアン・エルドール。オルシャで良いよ」
ひよこ色の髪をした壮年の方は人懐こそうな笑みを浮かべて名乗りました。
ふんふん、オルシャさんですね。女の人にもありそうな、優しい感じのするお名前です。
「秘書のエアルくんか…賢者殿も、可愛らしい秘書がついて幸せだね」
「そんな、恐縮です」
お世辞と分かっていても、嬉しくなりました。なんだかこの人に言われると、お世辞っぽく聞こえませんし。オルシャさん、人を褒め殺す才能がありそうです。
「で、こっちが…」
オルシャさんの隣に佇む青年は、にこりと笑って名乗りました。
「キーシュ・デリスといいます」
「彼は旅士見習い…私の弟子なんだ」
「分かりました!オルシャさんにキーシュさんですね。テア様に伝えておきます!」
走りながら二人に大きく手を振ると、オルシャさんは大きく、キーシュさんは小さく手を振り返してくれました。たまに街へ出かけると、こういう出会いもあるんですね。
急ぎながらも、上機嫌で私は神殿へと向かい、秘書長にたっぷり絞られることになりました。パンを買っただけで、昼食を取り損ねたことに気づいたのも、あとのことでした。
************
仕事に戻った私は、早速テア様に先ほどのことを報告しようと、上機嫌で執務室の扉を開きます。
「テア様、さっき私街に出たんですが」
「猫の集落でも発見したか?」
「それはテア様の希望ですよね。そうじゃなくて、テア様を訪ねてきたっていう旅士の方達と会いました!」
楽しそうな方達でしたよ、と言うと、席について羽ペンを滑らせていたテア様は一瞬ぎょっとしたように肩を揺らして、それから胡乱な眼差しで私を見上げました。
「……………お前、何か余計なことを言ってないだろうな」
「は、余計…?いいえ、別に」
余計なことって何でしょう。私、特にまずいことは言ってないですよね。テア様の身長がいくつだとか、実はまだ辛いものが苦手だとか。私は少し思いを巡らせてから首を振りました。それを見て、テア様はほっとしたように視線を書類に戻します。
「そうか、それならいいんだ」
「今日も多分訊ねてくると思うので、今日は会えますよね!」
「…いや、無理だ。今日は用事が」
「ありましたっけ?」
「あるんだ。だからその者たちには悪いが、丁重に帰っていただけ」
その普段とは明らかに種類の違う冷たさに、私はどうしても違和感を感じてしまいました。
「ちょっとくらい仕事さぼったっていいじゃないですか。『旧知の仲』なんでしょう?そう言ってましたよ」
そう言うと、テア様は少し固い顔になって、一瞬沈黙しました。
「…俺との関係を聞かれて、旧知の仲とそう言ったのか」
「はい。確かに」
「そうか…確かにな。まあいい、お前も早く仕事に戻れ」
何がいいのか全くわかりませんでしたが、テア様はどうも虫の居所が悪いらしかったので、早々に部屋を出て、書斎から持ち出した本の返却などに向かうことにしました。それにしても、心なしか避けているようにすら見えたテア様の態度がどうしても納得いきません。あんなに良い人そうなのに。
「テア様の心は複雑怪奇…分かりやすい推奨の私には、ちょっと難しいです…」
庭の木の上で歌う小鳥に話しかけるつもりで独り言を言って、ふうとため息を吐きました。
「そうだねえ、乙女並みに複雑なんだよ、賢者殿の心は」
不意に降ってきた声は、よく知る友のもの。
「レヴィ、こんにちは…何か知ってるんですか?」
いつも突然現れるのがこの人の特技なんでしょうか。私の頭の少し上程度にせり出している窓の柵に、レヴィがよりかかってこちらを見ていました。
「私はエアルより長い間、この神殿にいるからね…増してや賢者殿なんて面白い題材、知っていることはたくさんあるよ」
「題材…ですか」
「うん。人の一生なんて寸劇のようなものだから」
相変わらずレヴィの言は謎めいていて、理解しきることはできません。私はあまり深く考えないことにして、気になっていることを聞いてみることにしました。
「何故テア様はあの方達と会ってあげないんでしょう。いつもなら、仕事を怠ける口実ができたと嬉々として出て行くはずなのに…」
「賢者殿がまだまだガキだってことだよ」
背中を柵に預けてもたれかかったレヴィは、口の端を上げて楽しそうに言いました。
相変わらずレヴィは豪胆ですね。仮にも高官であるテア様にこんな口を聞く人はそう居ません。そういうところが凄いなあと、いつも私は感心してしまいます。
「…それは、どういう?」
「今更、何て呼んでいいのか分からないんだねえ…でも、可哀そうなのはオルシャ殿だ」
結局レヴィは何も教えてくれませんでしたが、皮肉気に呟いたレヴィの言葉が、脳裏から消えませんでした。
************
翌日、やっぱりオルシャさん達は神殿を訪れました。
書庫で本の整理に勤しんでいた私は、その報せを聞いてすぐ書庫を飛び出し、一般開放されている中庭の長椅子に腰掛けていた彼らのところへ駆けつけました。
「お、おはようございます!」
「おはよう、エアルくん」
私の唐突な登場に目を丸くしながらも、オルシャさんはあの人懐こい笑みで返してくれました。
うう、その笑顔、癖になりそうです。気持ちを柔らかにしてくれるというか、さては人たらしですね、オルシャさん。
「あ、それで、テア様には会えましたか?」
「…ううん。仕事が多くて、無理だって。仕方ないよね」
椅子に座ったまま残念そうに首を振ったオルシャさんを見て、テア様への怒りがふつふつと湧き上がってきます。外道です、外道。ここまでしてテア様と話がしたい旧知の仲のオルシャさんを無碍に扱うなんて悪魔の為せる業です。
「仕事が多いのは確かですけど…それにしたって、テア様も冷たいことを」
「会いたくない理由でもあるのかもしれませんね」
キーシュさんが特に感慨もなさそうに呟くと、オルシャさんは軽く口を尖らせました。
「変な憶測をしちゃ駄目だよ、キーシュ君。テアはきっと忙しいんだ」
「あれ、テア様を、呼び捨て…オルシャさんて、ひょっとして凄く偉いんですか?だったら、私…」
「違う、違う。様をつけ忘れちゃっただけだから。つい、昔の呼び方で読んでしまったんだよ」
オルシアン様いやむしろエルドール様と呼んだ方が良かったのだろうかと慌てた私を見て、オルシャさんは慌てて否定します。目を丸くして慌てた表情を見せると、食事中に背後をとられた子りすのようですね。
「じゃあ、オルシャさんは昔、テア様より上の立場で…?」
「うん、まあ…そういうことなのかな?」
ひよこ色の髪を揺らして、オルシャさんは自信なさげにキーシュさんを振り仰ぎます。弟子のキーシュさんの方が、師であるオルシャさんより身長が高いんですね。
「僕に聞くんですか、それを…知りませんが、上下というよりむしろ対等だったんではないですか?この人ですし」
呆れたようにキーシュさんは一瞬口の端を歪めましたが、どこか投げ遣りな口調で答えました。
「キーシュ君、言外の意味が感じ取れたんだけど、気のせいだよね?」
「貴方がそう望むならそうなんじゃないですか?」
随分といびつな師弟関係に見えなくもありませんが、これもひとつの師弟の形なのだろうと受け止めることにしました。
それはともかく、わざわざ2日連続で来てくださったのに会えない程仕事が忙しいなんて、ちょっと異常です。折角訪ねてきてくださった二人に、私は謝ることしかできません。
「…今日テア様に会うことができなかったのは、多分、秘書の私の責任でもあります。申し訳ありませんでした」
片膝を突いて胸に手を当て頭を垂れる、正式な謝罪の姿勢をとって詫びると、すぐにオルシャさんは椅子から立ち上がり、私と同じように膝を突いて視線を合わせ、大きく首を振りました。
「昨日と今日はたまたま、運が悪かったんだよ。貴方が詫びることじゃない。明日は会えるかもしれないし、それに、可愛い秘書さんに旅の話を聞いてもらえるんだから私の気分も潤うよ」
「…聞かせてくださるんですか!?旅のお話!」
はじかれたように顔を上げてしまい、少々恥ずかしい気分になりました。なんという変わり身の早さでしょう、私。というかむしろ呆れられていないか心配になりますが、どうやらそんなことはなかったようです。
「うん。行く先々でせがまれるから、結構話すのは上手いと思うよ。しかも」
「しかも?」
「歌物語つき」
歌物語って…あの、歌で物語を語る、吟遊詩人とかがやる奴ですか。
「え、オルシャさん、歌もできるんですか!?」
「旅士は大抵何か芸を持ってるよ。でも歌をやるのは多くないかもね…」
そう言うと、オルシャさんは両膝に手を置いて立ち上がると、私に長椅子に座るよう促しました。
それに甘えてここは座っちゃいましょう。同時にキーシュさんも立ち上がって、なにやら大きな荷物の中から、5つの弦がある、大きさの違う丸い楽器を2つ取り出しました。
「じゃあ、最初に…軽く歌っとこうかな。有名な物語だから知ってると思うよ…『ベイドリールの獅子と王冠』」
芝生の上に直接腰を下ろしながらオルシャさんが言った言葉に、私は耳ざとく反応します。
「あ、それ、知ってます!」
というか、多分誰でも知っている筈の有名な物語です。
「良かった。では、序章を省いていきなり3章の血沸き肉踊る戦い…いや、若い娘さんには2章の恋歌の方がいいかな」
「是非、血沸き肉踊る方で」
「そう?じゃあ第3章、はじまりはじまり!」
そう言うと、いつの間にか後ろで準備していたらしいキーシュさんが五弦の楽器を不思議な韻律で弾き始めました。
これは…尋常じゃなく、上手いです。素人の私が聞いても分かるくらい巧みな演奏ですが、矢張り戦いの章らしく、どこか血の匂いがするというか、昂ぶるような激しい調べです。
五弦の奏でる音だけで、立ち昇る大砲の火薬の匂い、甲冑の擦れ合う音、馬の嘶き、そして大地を覆う地響き…そんなもの全てが伝わってくるような気がして、自然に目を瞑ります。
まぶたの裏にうつし出されるのはまさに、100と3年前の大いなる戦い。
「荒地を境に敵国へと攻め込む東軍、荒地を境に侵入を阻む西軍、ふたつの軍のぶつかり合い。それに怒り狂うのは荒地の主である獅子」
音楽の中で語りに入ったのは、器用に楽器を奏でているキーシュさん。落ち着いた声で、物語の本筋を話し始めます。
「自らの縄張りの中で縄張り争いを始めた人間は、彼にとっての害悪でしかない」
続いて口を開いたのは、手前で五弦をかき鳴らすオルシャさん。
どうやら、師弟で語る部分が分かれているようです。不思議な旋律に聞き惚れる中、二人により、物語は紡がれていきます。
「獅子討伐の声が高まる中、たった一人、獅子に戦いを挑むことに名乗りを上げたのは、勇敢なる騎士オルディーン」
「その戦いを見守るは東西両軍の騎士たち。両軍睨みあう中、いざ決闘を始めんとする」
旋律がひと際迫力を増してくる中、オルシャさんが歌い始めます。
高らかに、騎士オルディーンと、獅子王ゼグナの戦いを。
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