或る賢者の溜息 2
その後、色々と露店を廻ったが、周囲からやたらちやほやされる。人の良さそうなおばさん方からかわいいかわいいと褒めちぎられ、やたら触られそうになる。菓子屋によればおまけがもらえる。歳の離れた兄弟にでも見えるのだろうか、道行く人々からは暖かい視線が降り注ぐ。
「テア様大人気ですね!それにしても沢山貰ってしまいました」
「……疲れた」
矢張り子供になったのは失敗だった。無遠慮に…いや、親しげに触ってくる手を失礼にならないよう極力避けるのは至難のわざだ。しかし、疲労困憊の俺とは反対に、エアルは上機嫌のようだった。
「今度から買い物に行くときは子供のテア様についてきて頂こうかな…」
「誰が行くか」
「冗談ですよ」
冗談には聞こえなかったが、と言おうとしたとき、こちらを観察するような視線を感じ、二人同時に振り返った。しかし視線は雑踏の中に消え、こちらに向き直ったエアルは多少真剣な顔をしていた。
「……テア様、貴方は今のご自分が周りに与える影響をしっかりと見極める必要があります」
「…ああ、大体は想像がつく」
世の中には、かどわかして金を要求するのは勿論、多少見目の整っている子供を売買する者達が居るのだ。いくら祭りであり、治安の良い土地だと言っても、油断はならない。むしろ、こういった人々が浮かれ騒ぎつい子供の手を離しやすいときにこそ、邪念を抱く者たちは騒ぎに乗じて子供を攫いうる。
「つまり、子供の姿の俺の可愛らしさに、妙な気を起こす者がいるやもしれぬということだろう」
何でもない風に言うと、エアルが心もち体を後ろにひいて俺と距離をとった。
「自分で言うと気色悪いですよ」
「何とでも言うがいい。事実をありのままに受け止めただけだ。実際、幼き頃より何度もそのような目にあっているのだからな」
エアルは途端に顔をしかめ、目に同情の色を宿らせた。子供時代に世の汚らしさを象徴するような犯罪に巻き込まれた俺を哀れんでいるのだろう。
「…攫われたんですか?」
「まぁ、当時から私には神殿による監視と警護がこっそりとつけられていたからな。何もせずとも大丈夫だっただろうが、とりあえず腹が立ったので地面に沈めたり氷付けにしたり雷を落としたり色々したが」
あまり手加減の必要が無かったので、ある意味楽しかったし日ごろの鬱憤も発散できた。輝かしい日々を思い返して懐古の念に浸っていると、エアルはたちまち同情の色を消して、脱力すると呆れなのか諦めなのか良く分からない表情を浮かべる。
「…私が悪党でも、テア様だけは誘拐の相手に選びたくありません」
「一応、褒め言葉と受け取っておく」
「まあ、大丈夫ですよ。テア様をさらおうとする様な不届き者は私が魔法で…」
エアルが宣言しようとしたその時。
「わっ……」
エアルにとられていなかった方の手を何者かが力任せに引っ張り、倒れこむようにして人ごみに突っ込んだ。
「テア様!!」
すぐにエアルが俺の手を引き戻そうとするが、人ごみが少し割れて俺を引っ張っている人物を見とめた瞬間、予想外さに手が緩んだ。
「エアル…」
馬鹿、と言おうとしたが、人ごみに流され、あっという間に迂闊な秘書の姿を見失う。手を引かれて路地に入り込んだ俺は、腕を振り払って目の前の相手を戸惑い気味に睨んだ。その相手は腰に手を当てると、不機嫌そうに言った。
「何よ、そんなに怒ることないでしょ」
「何のつもりだ……お前」
誘拐犯の正体は、7、8歳に見える小さな少女だった。
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「…何だ、お前は」
最初の質問への答えが無かったので再び問うと、期待とは外れた答えが返ってきた。
「ミーファだよ」
「…何故こんなことをしたんだ」
子供だからと言って油断するのはまだ早い。俺のように、大人が子供に化けている可能性さえあるのだ。しかし、子供…ミーファという少女は笑みを浮かべると、覗き込むようにして逆に尋ねてきた。
「ね、パパはえらい人?」
質問に質問で返すのはどうかと思うのだが、ここはこちらが大人にならなければ。
「……社会的地位という意味ならば、確かに良い人間だが普通の工芸師だ」
「うそ!じゃあ何でそんなごうかな格好してんのよ」
「それは、一応俺が高位に居るからだ」
「高位って、えらいの?」
「大体そんな感じだ」
女の子は一瞬ぽかんとすると、満面の笑みをたたえた。
「最高!ね、ね、あたし、お願いがあるの」
「何だ?内容によっては聞いてやらないことも無いが」
何か、高位の人間にしか解決できない問題などがあるのかもしれない。そう思い、いつもの賢者の仕事の感覚で耳を傾けると、ミーファの口からとんでもない言葉が飛び出した。
「ケッコンして!」
………ああ、本当にいつもの賢者の仕事だ。5人に1人は、こういう無理難題を押し付けてくる輩が居る。しかし、幼女に求婚されるという体験は幼き頃以来したことが無いし、これからも無いほうがいいのだが。
「………………あー、それに値するような美女が居れば考えるんだが…」
「だから、あたしとケッコンしてよ!」
「生憎幼女と結婚する趣味はない」
薄ら寒い笑いを浮かべながら切り捨てると、少女は頬を膨らませて腕を組んだ。
「何言ってるのよ、あんたも子供じゃない!ケッコンくらいしてくれたっていいでしょ、けち!」
「待て待て、一体どういう流れでこんな話になるんだ。法の第274条に依ると、女人は15から、男は17からでなければ夫婦として添うことは認められぬ筈だが」
「そんなのどうでもいいじゃん!」
「どうでもよくはない。まず落ち着いて話せ。何故そんな突拍子も無い考えが浮かんできた?」
「ママが言ってたのよ、ケッコンするなら若いうちに金持ちの男を見つけておけって」
一体こんな幼い子供にどんな教育を施しているのだ、母親よ。
「…それにしても若すぎるような気がするが」
「ちっちゃいうちに仲良くなっておけば、そうそう簡単に捨てられないわって」
「……………」
そして一体何があったのだ、母親よ。子供に聞かせるには多少どろどろとした内容が多く無いだろうか。あまりにもあんまり過ぎるその言葉に絶句すると、ミーファは両手を組んでこちらを見上げた。
「あたしも、どうせケッコンするなら綺麗でお金持ちな子がいいもん。ね、だからケッコンして!今駄目なら、約束して!ちゃんとしょうしょも書くのよ?」
「断る」
有無を言わさずばっさりと切ったが、それでも尚食い下がる。
「えー!ね、あたし絶対きれいになるよ?いい奥さんになるから」
「悪いが先を急ぐので失礼する。その望みは到底叶えられそうに無い」
「じゃ、じゃあ友達になるだけでも…」
ミーファが眉根を下げて懇願するような口調になるが、こちらも今は子供に戻ってしまっているのか、少し大人気ない怒りが湧いた。
「そんな下心満載な友達はいらん!!」
いらつきのまま、叱り付けるように言ってしまった。しまったと思ったときにはもう遅く、ミーファの大きな茶色の目にみるみる透明な涙が盛り上がった。
「……うっ…」
「……す、すまなかった…おい、泣くな、おい…」
「うえぇ…ふぐっ…ひっく…けち…いいじゃん…ふぇえ…」
こっちが泣きたい。
どうしようもない無力感に襲われて天を仰いだとき、やっとこちらを見つけたらしいエアルの叫び声が響き渡った。
「あー!テア様、何やってるんですか、女の子泣かせて!!」
お前は何をやっているんだ、護衛すべき相手を幼女に攫われて。お陰でこっちは幼女を泣かせてばつの悪い思いをする羽目になった、と言おうとしたが、エアルはすぐにミーファのもとに屈んでよしよし、と背を撫でた。
「…お、ねえちゃ…ふぇ…っ」
ミーファはそのままぎゅっとエアルにしがみ付き、肩に顔を埋めてすすり上げる。
「ちゃんと説明してください」
「こいつが幼女のくせに結婚しろなどと言ってくるから…」
「いいじゃないですか、結婚の約束くらいしてあげたって」
「…お前、ちゃんと意味を分かって言っているのか?」
信じられぬという目で見上げるが、本人は至って普通の調子で言った。
「分かってますよ?私だってちっちゃい頃は結婚の約束なんてごまんとしましたから」
「は?」
「キーレンくんでしょー、おとーさんでしょー、えーとあとそれからテルヴァちゃんにドクくん…」
「お父さんって何だ」
「ちっちゃい頃は本気でお父さんのお嫁さんになる気まんまんでしたから。お父さんは無理だよって笑ってましたけど」
こいつは、一体どこまで本気なんだ。それとも、実は何も考えていないのか。
「色恋ごとには疎いんじゃなかったのか」
「小さい頃は殆どノリで意味も考えず結婚の約束してましたから」
「…その約束は、どうしたんだ」
「勿論全部自然消滅ですよ?小さい頃の約束なんて、大抵はなかったことになります」
「……そうなのか…それなら…」
そういった途端に、すすり上げていたミーファが顔を上げ、嬉しそうに叫んだ。
「ケッコンしてくれるの!?じゃあしょうしょかいて!けっぱんもね!」
「ほら見ろ、この子供は絶対に幼き頃の思い出などという形で片付ける気が無いぞ!!」
証書の上に、血判まで要求している。これは子供の思考ではない。絶対に後ろに母親の影がある、と目で訴えると、エアルは溜息を吐いて再び屈んだ。
「…仕方ありませんね…ねー、お嬢さん。この子、悪いけどほかに好きな子がいるんだって」
「リコンしなければうわきしてもいいよ?我慢するから」
「…テア様、私としては嫌ですが、男性にとっては便利なのでは」
エアルは複雑そうな顔をしながらこちらを振り向いたが、俺は首を激しく振って拒否を示した。
「嫌だ。そんなどろどろした結婚生活は嫌だ」
「ごめんね。テア様は意外と純情なの。でも、友達になるならいいって」
「お、おい!何を勝手に…」
こいつは一体何を言い出すんだ、と抗議の声を上げるが、ミーファは目を輝かせてエアルを見上げた。
「本当?」
「うん。あそこの神殿にすんでるから、いつでも訪ねてきていいよ。今はとりあえず忙しいからまた今度ね」
「わかった!じゃあね!」
「またね。…さあテア様行きますよ」
爽やかに少女を見送ると、エアルはまた俺の手をとったが。
600年の歴史の中でも、ここまで賢者の意志を無視した者は…居たには居たが、それでも数えるほどしか存在しない。
「……………勝手に友人を選ばれたのは初めてだ」
「ああ、すみません。やっぱり、子供を泣かせるのはちょっと」
本当に泣きたいのは俺の方なんだが。
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その後、神殿に訪ねてきたミーファに泣かれるのを覚悟で状況を説明したが、子供ゆえの柔軟さというものなのか驚きはされたが割と簡単に受け入れた。
それから神殿に出入りしていた神官の子供と仲良くなったようなので、目的は達成されたのだろう。しかし、遊んでいるその顔からは下心は感じられなかった。結局は子供だったということだろう。言いたい事をはっきりと言う性格のせいで、街に住む他の子供と上手くいかなくなったのかもしれないが、神殿の子供たちにはむしろその活発さが眩しいようで、なかなか上手くやっているようだ。あの子達と接しているうちにきっと、人付き合いも上手くなるだろう。
とりあえずこの件については一件落着と言っていいのだろうが、折角の休暇なのにどっと疲れた気がする。それと、その件から暫くの間は人ごみを見るとつい、二人とも手をつなぎそうになる癖がついてしまい、お互いの間に妙な空気が流れることが何度もあって難儀した。
しかし、神殿内の平穏さにはひたすら安心する。ただ、勿論無理難題を言ってくる相談者も居るし、秘書の妙なとぼけっぷりも相変わらずだ。
「……さて、猫でも撫でるか…」
賢者の日々に、溜息は絶えない。
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