或る賢者の溜息 1

 今日は国をあげた祭りの日ゆえ、日々多忙を極めている賢者である俺にも2日間の休暇が出た。しかも、祭日は人々皆着飾っているから、賢者の格好で外出しようとそこまで目立つ事は無いだろう。年に何度とない絶好の外出日和だと思う俺の考えを否定する者は、そうそう居ない。

「いいえ、テア様」

 …訂正しよう。一人居た。

「何がいいえだ」

「こんな人ごみの中外出するのは危険です。ついこの間、あんなことがあった後なんですから。雑踏の中でテア様を見失ってしまえば、見つけることが難しくなります」

 翡翠色の目でこちらを振り向いた少女の名は、エアル・レアル。

 今年から新しく賢者専属の秘書として配属されたのだが、良くも悪くも好奇心旺盛で、高位の賢者であり、神官である俺に物怖じする様子も無い。

「…それが狙いだと分からないのか」

 視線をはずしてぼそりと呟くと、エアルは途端に目を吊り上げた。

「やっぱり!駄目ですよ、お一人で行動されては。外にはどんな危険があるか分からないんですから!」

「………」

 一瞬、お前は俺の母親かと言いそうになったが、あまりにも大人気ないので喉もとでとどめる。何か勘違いをしているようだが、一応子供時代は小さな町の至極普通の家で普通に育ったのだ、世間の事情くらい知っている。

「…今は見ての通り軽装だろう、あの面倒な衣装は脱いでいる。賢者とバレなければ良い話だ」

「それは良い考えかもしれませんが…駄目ですよ、それでもテア様は目立つんです。顔を知っている方はたくさんいらっしゃるでしょう」

「顔を見せない格好をすればいい」

「駄目ですよ、神殿関係者が顔を隠すなど後ろ暗そうな真似をしては」

 ああ言えばこう言う秘書だ。真面目なのは良いが、いかんせん真面目すぎる。…仕方ない。気は進まないが、こういった手合いを納得させるためには予想外の奇策を出す以外にない。

「……それならば、こうだ」

 俺がある術を使った途端、くだんの秘書は唖然とした顔で俺を見下ろした。そして、ああ、来た。この目だ。好奇心が目の奥でうずいているのがありありと見て取れる、そんな表情。今まで何度この表情を見て、いくつの質問に答えてきただろうか。

「…テア様、それって魔術ですか?法術ですか?」

「お前にはそれしか感想が無いのか」

「いえ、子供の頃のテア様を見られてある意味感激なのですが、一応魔法を使う身として知っておきたいと思いまして」

 熱心に聞いてくるエアルの両目には、小さくなった俺の姿が映っている。今使ったのは姿を変える術。それによって俺は、不本意ではあるが小さな子供に代わっている。流石に、こんな小さな子供を賢者と思う馬鹿は居ないだろう。

「テア様、どちらですか?」

「これはどちらでもない。そもそも、法術は善、魔術は不浄のものと決めたのは神殿側であって、実質的にはさしたる違いはない」

 魔力だの聖力だの言うが、根本的にはどちらも魂そのものが持つ力。

 法術、魔術という括りはただそれを修める人間にとって便利なように分けられているだけで、魔法使い以外にははっきり言えばどうでもいいことだ。法術書も魔術書も一般人から見れば魔法の本という一つの括りに納められる。

 ただ、神に仕える身として魔という響きは良くないと思ったどこぞの聖職者共が魔術師、法術士という括りをつくり、そのことによって、もともと魔術師を忌避していた聖職者達は益々その傾向を強め、魔術を嫌うようになった。勿論魔術師だからといって悪だとか、そういった論は根拠の無い、全くの作り話だ。魔力の質がどちらに好まれるかなど生まれついたもので、本人にはどうしようもない事だ。

「そういえば、私も魔術とか法術とか、特に意識するようになったのは神殿に勤めてからですね」

 神殿も、全ての人間は神の名の下に平等だなどと謳う気ならば、こういう偏った思想を伝えるのはおかしい。

「そうだ、大きい括りでは“魔法”でいいし、俺はいちいち分ける気はない。低級術士が使う、魔にも聖にも属さぬ術は専門分野でも魔法術と言うだろう。あと、これは更に特殊だが、精霊を介さずに魔力だけで使う魔法もある。これはそのうちの一つで、姿を変える術だ」

「へぇー、そこに繋がるんですか!」

 俺と目を合わせるようにしゃがみ込んでいたエアルは軽く頷きながら相槌を打った。この好奇心旺盛な秘書は、こちらの言葉を本当に感心するように聞くので、多分これは俺でなくとも話しやすいと感じるだろう。

「それと、魔のものや精霊と直接契約を交わして魔法を行使する者達も居る」

 数えるほどしか見た事は無いが、確かに中級から上級の精霊や魔物を常に魂の一部に住まわせている奇妙な魔法使い達が居た。

「…直接?それって、召還契約みたいな?」

「いや、常に専属で憑くことになる」

「いいですね、可愛い精霊がいつも一緒だったらそれだけでも契約する価値はありそうです」

 エアルが虚空を見つめて自分の相棒となるべき精霊に想いを馳せる姿を見て、俺は意地悪く笑った。

「…いいのか?」

「は?」

 怪訝な顔をして聞き返す秘書を、俺は軽く脅かしたくなった。

「常にということは、魔力を吸い取られつづけるという事だ。相当才能が無いとお前、干物になるぞ」

「干物に…」

「干物だ」

 数秒間表情を変えずに止まっていたエアルは身震いすると、少し顔を蒼くしてこちらを見た。

「…今、テア様の干物を想像してぞっとしました」

「……………不愉快な想像をするな!!」

 この無駄に想像力豊かな秘書のせいで、こっちまで自分の干物姿を想像してしまった。しかも、何故よりによって俺でする。普通は自分の姿を想像するだろう。つくづく妙な思考を持つ秘書だ。

「第一俺は干物になどならん」

「賢者だからって、謙遜しないのもどうかと思いますよ」

「事実をありのまま言っただけだ」

「そうかぁ…干物…干物…」

「というのは冗談だがな。干物になる程度なら契約すら出来んし、お前なら普通かそれ以上の精霊もなんとか従えられるだろう」

「嘘!騙したんですか!?賢者ともあろうものが!!」

 さり気なく褒めてやったのに、察しが悪い。

「だから冗談だと言っているだろうが」

「うそをつく子は黒い沼のおばけに舌を切られますよ!」

 いかにも聞き分けのない子供をしかりつけるような口調に、数瞬の間絶句したが…落ち着け、俺が今子供の姿をしているからこんな事を言うんだ、こいつは。でなかったら平常心を保てない。

「…………お前、グレ地方の出身か」

「いいえ、母の実家です。良く分かりましたね」

 黒い沼のおばけ、とは確かグレ地方に伝わる伝承で、嘘吐き男が沈んだ黒い沼は嘘吐きを食べるんだとか。

「子供を幽霊などの抽象的なもので脅してしつけをする方法は世界中で行われているが、俺は感心しない。それは或る意味、恐怖支配というものだろう」

「まぁ、確かに子供にとっては怖いですけど、必要じゃないですか」

「…そういうものか」

 幼き頃、母によって散々脅しつけられたのを思い出して顔をしかめた。

 只の風鳴りなのに『風が泣いているよ。悪い子を連れて行こうとしてるんだ』などと脅かされ、良い子たれと必死に家事手伝いをしたのを覚えているが、今となっては何故あんなに簡単に騙されたのか…。不意に遠い目をした俺を見てエアルは首を傾げると、思い出したように幼き日の武勇伝を語った。

「私が子供の頃は、ゆらゆら谷にオバケがいるよと言われれば皆で退治に向かい、裏の山には幽霊が居るから行っちゃだめだよと言われれば皆で捕獲に行ってましたよ」

「お前はおかしい」

 子供が危険に向かわぬ様にと怖がらせたのに、逆に進んで関わろうとするようでは親の立場もないだろう。そもそも、何故退治だとか捕獲だとかそういうった方向に進むんだ。この上なく呆れた目で見上げるが、気にする様子なく能天気に言った。

「お転婆だったんですねー。でも、何度か大冒険をすると、親ももう懲りたのか何も言わなくなりました」

「………そうか」

「はい」

 どうでもいいときに限って果てしなく気持ちいい返事をする秘書を見上げていると、段々と首が痛んできた。

「首が疲れた」

「はい。私もです」

 気のせいか、頭まで痛くなってきたようだ。そもそも、この立ち位置が気に入らない。せめて街に出てから小さくなるべきだった。いや、それとも顔を変える…いや、頭の固いこの秘書が許す筈もない。見下ろされるのは只でさえ嫌いなのに、俺よりわずかにだが背の低いこいつに見下ろされるとは。

「………お前も小さくしてやろうか」

「えー、折角テア様を見下ろして今少し小さな幸せに浸っているのに」

「………」

「きゃああ、嘘です嘘!嘘ですからその手下ろしてください!私まで小さくなったら護衛が出来なくなりますよ!!」

 色々と無駄話をしながら、いつもと違って門番の居ない門を抜ける。今日は祭りなので、神殿の門も開けてあるのだ。その代わり、悪しき者を封じる結界が普段より何倍も強く張られているのだが。

「祭り騒ぎに乗じて神殿に忍び込もうとするならず者を取り締まる絶好の機会の日でもある訳だ」

「なるほど」

「狡い考えだとは思うがな。本来犯罪の取り締まりは警備兵団の仕事だが、この街はなまじ治安がいい所為でたるんでいる」

 溜息をつくと、隣に居るエアルが、あ、と声を上げた

「でも新しい団長が中央のほうから派遣されてきたそうですよ。結構な男前だとかで、街娘さん達のあいだで持ちきり」

「……それくらい知っているが、噂など往々にして真偽の程は分からぬものだ。男前かどうかなど、実際に見なければ分からぬだろう」

「あ、じゃあ見に行ってみます?」

 もし本当だったとしても男前だからなんだと言うんだ。重視すべきはその実力だろう。そして、意外なのはこの秘書の方だ。

「お前はそういう話題に興味があると思わなかったが」

「好奇心はありますよ」

「俺は興味ない」

 なんとなく面白くない気分になって半眼になると、エアルは意外にあっさりと話題を切り替えた。

「そうですか。じゃあ、いつも通りワグさんとこの店に行きますか?また猫酒も入ってるかもしれませんし」

「…お前は見に行きたいのではなかったのか」

「この街に住んでれば、いつかは会うことになるかもしれませんし、今は仕事です。一般人が有名人に抱く一過性の好奇心なので、そのうち忘れますよ」

 矢張り、この秘書はこういう人間だった。街娘のように、噂の団長に憧れを持っていた訳では無かったようだ。

「…そうか。邪推をしたな、謝ろう」

「あれ、邪推してたんですか?素敵な騎士様との恋物語を期待するような女の子でもないですよ、私」

「憧れたこともないのか」

「そういうお話は好きですけど、自分がとなるとちょっと実感が湧きませんね」

「変った奴だ」

「全くですね…」

 喋りながら商店街の入り口に来ると、既に人でごった返している。また、道端で芸でもやっているのか、一点に人が集中していてとても通れる状態ではない。

 ―と、俺は思ったのだが。

「今日は凄い人ごみですね…でも、そんな事で怯む私ではありません。その挑戦、受けてたちましょう!」

 行く気か、こいつ。第一、挑戦という言い方は何だ。本当に、この秘書は摩訶不思議な思考回路をしている。過去にも活発な女性は何度も見たが、神官秘書でこういった性格の者はなかなか居ない。

「さあ、テア様行きますよ」

「…何だそれは」

 エアルが俺に向けて手を差し伸べているが、まさかまさか、そんなことは無いだろうと思ったのだが。

「テア様がちっちゃいので、見失う危険があります」

「だからと言って、良い年した男が仲良く手をつないでなど…」

「今は7歳くらいでしょう、ほら」

 一応10歳の頃の姿になったことは言うべきか言わぬべきかと悩んだが、話がややこしくなるだろうと思い、耐えることにした。

「…チッ…仕方ない…」

 渋々手を出した途端に腕が引っ張られ、一気に雑踏の中に突っ込んだ。

「お前、おい!待て、こら…」

 言っている間に人ごみを抜けて、少し人通りの少ない路地に入った。

「はい、抜けました。じゃあ、ワグさんとこ行きます?でも、せっかくお祭りですし、色々露店も見て行きましょうよ。

 古本市もやってるみたいですし」

「…手は」

 暗に、手を離さないのかと仄めかしてみるが、エアルはにっこりと笑った。

「私体温低いですから大丈夫でしょう?それとも抱っことどちらがよろしいですか」

「…………」

 こいつは、本当に今俺を子ども扱いしているようだ。

「さ、行きましょう!」

 もう反論する気力も失せたので、ここは素直に従っておこう。

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