或る賢者と秘書 2

「…酒」

 本を3冊ほどいっぺんに読んでいたテア様が、唐突に呟きました。

「お酒ですか」

「そうだ、酒だ。丁度いい」

 肩にぽん、と手がおかれます。なんですか?

「買いに行くから、着いて来い」

 先ほどはあんなに逃げたがっていたのに。

まぁ、いいでしょう。これも仕事です。

「分かりました、お供します」

 テア様ほど高位になると、外に出れば誘拐などの危険があります。その上、テア様はまともな相談ならばまともに考えますが、ご自身が下らないと判断した相談は相手にしません。この前など、『妻に浮気がばれているかどうか教えてくれ』という相談に門前払いを食らわせていました。テア様への相談は人気ですので予約制。その方は4日も待っておられましたから怒り心頭でした。


 つまり、テア様は感謝もされていますが、恨みも多少買っています。逆恨みはどういう結果になるか分かりません。なのでテア様の秘書である私は、同時に護衛でもあり、当然武芸と法術の心得があります。

 法術はいわゆる魔術と似た様なものなのですが、魔術は魔の術で、法術は聖なる術だとかなんとか。どちらも自分の聖力か魔力かを使って精霊に力を借りるのですから、あまり変わらないと思うんですが。基本的には、全ての人が聖力と魔力の両方を持っていて、そのどちらかが高ければ術士の素質があるということです。一般の人でも、修行をすれば炎くらいは出せるようになりますが、稀にそのどちらも全く無い人もいるようで、その代わりそういう人は大抵何かの特技をもっているらしいですよ。

 そしてもっと稀なのが、両方を使える人。 

 自分の中に多く眠っているのが聖力ならば法術士に、魔力ならば魔術師になるのが一般なのですが、両方が高ければ、ほぼ全ての術領域を治めることができるので、術士よりもっと高位の、導師となる資格があります。

 ちなみに私は法術士で、魔術は殆ど使えません。なので、神殿向きと言えるでしょう。神殿では、魔術はあまり好かれていませんから。


 聖力を好む精霊は、神の眷属の眷属、つまり天使の眷属と呼ばれ、殆ど人に害を及ぼすことはありません。より高位な術士は、天使から力を借りることもできるそうです。しかし、魔力を好む精霊は、魔物とも似た性質をもっており、時には人に害を及ぼすこともあります。

 テア様は噂によると法術も魔術も両方使えるそうなのですが、私は使ったところを見たことがありません。多分面倒だからでしょう。2、3度、遠征のときに賊に襲われたこともありますが、基本的に私含めた護衛隊が即座に鎮圧。テア様は指一本動かす必要がありませんでした。


「通せ」

 なんて思い出している間に、テア様と私は、神殿の門の前に居ました。

門番の方は、きちんと私がついているのを確認すると、頭を下げてすぐに通してくれました。

「この門ばかりは、お前がいなければ止められるからな」

「でも、テア様なら魔術か法術で抜け出すくらいできるのでは?」

「神殿内で魔術など使えば、即座に神殿じゅうに知れ渡る。それに、神殿内には結界がある。結界を壊すほどの術を使えば私が疲れるだろう」

 そうですか。

「で、どこに買いに行くんですか?」

「いつものところだ」

「ワグリーズさんのお店ですか」

「分かっているなら聞くな」

 そう言っている間に、私達は商店街についていました。

 商店街は流石に賑やかですね。久しぶりにおりたので、ついうきうきしてしまいます。

「あ、あの果物おいしそう」

 つい、ふらっとしそうになると、テア様に裾をつかまれました。

「おい」

「はい?」

「お前は、俺の、護衛と、見張りで、来てるんじゃ、なかったのか?」

 目を正面から見つめ、一言一言、区切るようにはっきり言われました。

「はい。そうですが」

「…もういい」

 ふふ、勝ちました。先に諦めた方が負けですよ。

「大丈夫です。周囲もテア様もしっかり見てますよ。危険はなさそうです」

「そうか」

 賑やかな商店街なのに通りにくくないのは、テア様が神官の格好をしているからです。トーシス神殿の神官は人々から尊敬されているので、自然と道をあけてくれます。今まで皆さんが積んだ善行の賜物でしょう。感謝しなくてはいけません。

「ワグリーズ、居るか?」

 少し薄暗いお店に入ると、テア様は暗がりに向かって呼びかけました。

「いらっしゃい…ああ、賢者様!」

 すぐに返事が返ってきて、店内に灯がともされます。今日の店番は、ワグリーズ夫妻の、旦那さんのほうみたいですね。初めて会ったときはその立派な髭に怯みもしたものですが、今では気のいい方だと知っています。先代の賢者様とも親しかったらしく、休みがとれるたび、このお店にお酒を買いに来るテア様は上客のようです。

「何かいい酒は入っているか?」

「そろそろお越しになるだろうと思って、とっておいた奴がありますよ。エルフェンラート様は、イコラ酒は飲んだことがおありで?」

 差し出された瓶を手に取ると、テア様は懐かしそうに目を細めました。

「240年ほど前に流行った酒だな」

「こりゃあ参った。お知りでない酒がないんだから」

 ワグリーズさんは肩をすくめながらも、嬉しそうに笑いました。そりゃあ、テア様ほどお酒に詳しい方はあまりいませんよ。古今東西のお酒を知っていますから。

「最近では見るのも珍しくなったな…そういえば、まだ西部の方では一部で造られているのだったか」

「ええ。ド田舎ですが、未だに昔ながらの方法で醸造しているところがあって。お気に入りなら、これからも取り寄せしましょうか」

「頼む。それと、いつものファレットを5…いや、6本くれ」

 そう言うと、テア様は懐から銀貨と紙幣を何枚か取り出すと、勘定台の上に置きました。ファレットというのは、結構一般的なお酒で、値段もお手ごろです。テア様が一番よく飲むお酒ですね。

「ああ、そういえばエルフェンラート様、掘り出し物があるんですが」

「何だ?」

 ワグリーズさんの目がいつになく輝いているのを見て、テア様も興を引かれたようで、わずかに身を乗り出しました。

「これなんですが…」

 目の前に差し出されたのは………えーと、あの、それは?

「あの、すみません…それ、大変可愛らしいんですが、何ですか?」

 テア様が硬直されているので、代わりに私が訪ねると、店主さんは口を尖らせました。

「わかんねぇですか?見ての通り、猫酒ですよ」

 猫酒という名のとおり、瓶は可愛らしい猫が座っている形です。まさか瓶が猫だからなんてオチは無いでしょう。お酒自体が猫と関わりがなければその名前は詐欺というものです。

「…猫が入っているんですか?」

「猫好きのテア様にそんなもの出したら殺されちまいますよ」

 …ですよね。よかった私の思い違いで。

「じゃあ、何故、猫酒なんて名前が?」

「猫が酔うものといえば?」

「…マタタビ…ああ、だから猫酒と?」

「勿論ですよ。まあ、この酒の一番の特徴といえば、味よりも瓶で。ごく最近、猫好きの人への贈り物として作られ始めたって噂を聞いて、すぐ取り寄せたんですよ。味もまあ、女性でも飲みやすい甘口ですから、秘書さんもどうですか」

「可愛い瓶ですよね、これなら私も飲みたくなります。ね、テア様…?」

 テア様の方をふりかえると、がっちりと瓶を両手で抱え込んでいます。…どうやら、大変お気に入りのようですね。顔を上げたテア様は、無表情なのですが、目は輝き、幸せ全開といった感じでしょうか。

「恩に着る。釣りは払わなくていい」

「いえいえ、そんな訳にはいきませんので」

「ワグさん、けちなテア様がこう言うんですから、貰っておいてください」

 押し問答になるのを止めようと気を利かせたのですが、逆にテア様から睨まれてしまいました。むう、不服です。

「では、またイコラ酒と猫酒を仕入れときますよ」

「頼む。あと、次来るときにはトカリも入れといてくれ」

「了解」

 トカリなんて強いお酒、果たしてテア様が飲めるのでしょうか。そう思ってちらと見ると、水で割って飲むんだ、という答えが返ってきました。

「成程、水割りならテア様でも飲めますね」

 合点がいって手を合わせると、髪をくしゃくしゃにされました。いつもなら軽く頭をはたかれてもいいところですが、上機嫌だからでしょう。


髪を直すのが大変なので、頭をはたかれるより面倒なのは言わないでおきます。



 =================



「良かったですね、テア様」

 猫酒の瓶を抱えて上機嫌のテア様は、賑やかな商店街を歩いています。私は周囲に目を配りつつ、その後をついて行きます。

「まさか、こんな酒があったとは」

「賢者でも知らないことがあるんですね」

「…当たり前だろう」

 そう言いながらも、前を歩く肩が少し下がったような気がします。

「大丈夫ですよ。私は尊敬してます」

「お前に尊敬されてもな…」

 失礼な、と口を尖らせてみせますが、振り返る様子が無いのですぐ表情を改めました。

「そういえば、これからどうなさるんですか」

「書店による」

「今度は何の本を?」

「……何でもだ。料理本から哲学まで」

「毎度毎度、大変ですね」

「別に、大変ではない」

 賢者に課された義務として、人々の相談に応えることと、『多様な知識を吸収し続ける』ということがあります。最も重要なのは歴史や地理、法律などですが、全てを知る者としてあり続けなければいけないのです。私だったらとっくに嫌になって逃げるのですが。

「ものを知ることは嫌いでは無いから」

「あ、それは私もわかります」

 わかりますけど、それはあくまで興味のあることだけで…。たとえば、難しい哲学の本なんて、読めと言われたらその人に軽い投げ技をかけたくなるくらいには嫌です。

「それでも偉いです、テア様は…」

 歩きながら少し俯いてしまいました。いけないいけない。常に周囲に気を配らねばなりません。顔を上げると遠くにいつもの書店の看板が見えて、少し背伸びをしてみます。そのとき、人ごみの中に一瞬ちらついた影がありました。

「…テア様、早く行きますよ」

「どうした、突然」

 瓶をうっとりと眺めていたテア様は気付かれなかったようです。…まあ、事がなければ一番なのですが。でも、流石テア様は何でもお見通しのようで、よからぬ者がうろついていることに感づかれました。

「…ああ、放っておけ。どうせこの前俺が追い払った奴だろう」

「くだらない質問でも、軽くあしらっちゃえばいいのに」

「人をわざわざ呼びつけておいて、浮気がばれているかだの、楽してもうける方法を教えろだの。挙句の果てには今年の秘書試験の問題を教えろだと?賢者を一体なんだと思っているんだ」

「まあまあ、落ち着いてください」

 喋りながらも少し早足で、私達は急いで書店へ向かいました。隙をつくらなければ、そうそう無茶な行動を起されることも無いでしょう。

「テア様、私が見張っています。とりあえずは気配もなくなったので、ゆっくり本を選んで大丈夫ですよ」

「そうか」

 そう言うと、テア様は本当に落ち着いた様子でのんびりと本を選び出しました。ここは、実力を信頼されていると解釈して喜んでいいのでしょうか。いえ、でもテア様の自信の現れのような気も…いえいえ、ただ単に緊張感が無いだけかもしれません。

「…何か今考えただろう」

「はい」

 少しだけ咎めるような響きをもって言われましたが、そんなことで怯むような私ではありません。テア様は少し意外そうな顔をしました。

「…素直だな」

「はい。そう努めていますので」

 神殿で働く者として、嘘はいけないと言われていますから。ちゃんと高いお給料を頂いている以上、なるべく神殿の方針には沿うつもりで生きているのです。

「お前は、本を読まないのか」

 ふと、テア様に尋ねられましたが、今、本を選ぶのは怠慢というものです。

「仕事中ですので」

「仕事ではないときは?」

「読みますよ。哲学などの本は読めませんが」

 そう言うと、テア様は少し迷うように俯きました。なんですか?

「…どんなものに興味がある」

「軽い物語や…歴史や神話、それに魔術書、法術書はよく読みます」

 指を折りつついくつか挙げてみますと、魔術書あたりで怪訝な顔をされました。

「お前は法術士ではなかったか?」

「はい、そうですが」

「魔術書など、読んでも役に立たないだろう」

「賢者様、私の仕事をお忘れですか?もしかしたら魔術師が襲ってくることもあるかもしれません。相手の手の内を把握しておくのも、私の仕事のうちですよ」

「…」

 テア様は不覚をとったという様な顔をしていますが、まあ、実はこれは建前だったりします。

「というのは建前で、本当はただ知りたいだけなんですけど。ほら、国を壊すような大魔術とか、わくわくしません?」

「お前はそんな顔でよくもまあそんな恐ろしいことを言えるな」

 そんな顔ってどんな顔ですか。

「別に、破滅願望とか破壊願望とかは無いですよ。裏で密教団と繋がっていて、実はテア様が油断したところで攫ってしまおうとかもないです」

 冗談めかして言いますが、テア様を見ると、あれ、挑戦的な目をされました。

「やってみろ。仮にそうだとしても、エアル・レアルに負けるほど落ちぶれてはいない」

 これは私もちょっとだけカチンと来ますよ。

 子供の時は女だてらに近所の子供達を束ねていた負けなしの私に勝負を挑みますか。

「滅多に運動しないもやし賢者のくせに」

「その貧弱な賢者にさえ勝てない護衛は誰だったか」

「…ああ、そうですか。でしたら、遠慮なく!!」

 叫ぶと共に、指先に意識を集中して、力を集めます。

 私は法術士としてはそんなに優秀ではありませんが、軽いものなら呪文ナシでも使えるんですよ。

「…エアル、冗談はよせ」

 すぐにテア様が眉をひそめ、私を睨みますが、私は不適に微笑んでみせました。

「生憎、冗談じゃないですよ」

 指先に風が渦巻くのを感じ、十分に溜まったと感じた瞬間、叫びました。

「テア様、しゃがんで下さい!!」

 テア様が身をかがめると同時に、私は指先に集中していた風を、目的の方向に飛ばしました。

 小さな風のカタマリは、真っ直ぐ目的の方向に飛び、目標物に当たると同時に弾けます。弾けた風はテア様の後ろに忍び寄っていた輩を吹き飛ばし、奥の壁に叩きつけました。

 場所を選んだので、周りには特に被害を与えずに済みました。惜しむらくは、本が2冊ほど落ちてしまったことです。それはあとで購入するとして、私もまだまだ未熟ですね。風の拡散具合が少し大きすぎたのかもしれません。

 すぐにぐったりしている暴漢のもとに向かい、力がなくなっているうちに確保用の法術で手足を封じさせていただきました。手から落ちているのは…ああ、やっぱり短剣です。何かがきらりと光ったので、嫌な予感はしていたんですが。

「テア様、終わりました」

 短剣を没収した後、他に武器がないことを確認して、とりあえず床に転がしておきました。どうせ目が覚めても動けませんし。

「ああ、ありがとう。よくやった」

 たとえ仕事でやっていることにでもお礼を言うのは、テア様の高位らしからぬところです。

「わざわざ演技、ありがとうございました」

 少しわざとらしかったですけど。

「一瞬恐ろしく感じたが」

「嘘に決まっているじゃないですか…実際、テア様より弱い護衛ですから」

 本当に、情け無い話です。自嘲気味にため息をつくとテア様は、眉をひそめました。

「卑屈なことを言うな、先程のは演技だ。本気で言ったわけではない」

「でも、事実ですので」

「…ちっ」

 テア様は苛立たしげに舌打ちをしたかと思うと…舌打ち?あの、仮にも神官なのですから、舌打ちは控えたほうがいいと思うのですが。なんて一瞬考えた私の頭に両手をおくと、思いっきり髪をかき回して、くしゃくしゃにしてしまいました。

「何するんですか!!」

「物分りの悪い者は嫌いだ」

「私も物分りの悪い者は嫌いです」

 かみつくように言うと、テア様は一瞬怯みました。

「だから、物わかりの悪い自分を恥じています。だから、テア様を尊敬しています」

「…そうか」

「はい」

「そう自分を嫌うな。私は一切危険にさらされていないのだから、ちゃんと仕事を全うしている。違うか?」

「…でも」

「言っておくが、今、私はトーシス神殿の賢者としてお前に言っているのだ。意味は分かるな」

「…ありがとうございます」

 テア様の一人称が、俺、ではなく、私、になっています。最近気付いたことですが、テア様は、真剣にものを言うとき、賢者としてものを言うときは、私、という一人称を無意識に使うのです。

「たまには人の言葉も聞け」

「…はい…」

 単なる慰めで無いと分かる言葉に涙が滲んできたそのとき、私は目を見開きました。

「テア様!!」

 まだ残っていた。今度は一芝居うつ余裕も、増してや法術を使う時間もありません。即座に地面を蹴り、猛然とテア様に向かって走ります。

「うわっ!?」

 ぎくっとした様子で引くテア様の肩に手をかけ、そのままテア様の斜め後方に向けて、渾身の蹴りを叩き込みました。

「ぐふぁっ…!!」

 なんとも形容しがたい潰れ声を上げ、後ろに忍び寄っていた暴漢は沈みました。

「…申し訳ありません、テア様。一人見逃していました。でももう……!」

「きっ…ざまぁああ!!」

 ところが入りが浅かったのでしょうか。すぐに立ち上がり、今度はこちらに向けて短剣を振りかざしてきました。…面倒なので、ここは少し心が痛いですが、伝家の宝刀を抜かせていただきましょう。

「失せろ」

 と思ったら、後ろからテア様の声がしたと同時に、文字通り暴漢の体が石畳の中に沈みました。

「あ…?ひっ…うわああぁあ!!」

 悲鳴を上げながら男は沈み、肩から上だけが地上に残りました。それを、テア様は冷えた目で見下ろします。

「大の大人が情けない声を出すでない、たわけが」

 ご自分だって私が蹴りかかったとき『うわっ!?』なんて悲鳴を上げていたくせに。あれは絶対おびえてましたよね?それにしてもテア様、大分お怒りのご様子。口調が爺やのようになっていますよ。れっきとした20代ですが、テア様は時々、口調が古めかしくなります。感情の高ぶったときが多いのですが。

「今のは、私一人でも大丈夫でしたよ」

「短剣を持っている上に無駄にでかい男を一体どうやって片付けるつもりだ」

「どうやってって…女性秘書達が一番最初に習う護身の方法ですよ?世の中の約半分の人間に有効な一撃必殺の攻撃法がありますから」

 テア様は途端に、苦虫を噛み潰したような顔をされました。

「お前には血も涙も無いのか」

「ありますよ?ところでテア様、今のは法術ですか?魔術ですか?」

「…神官としては、法術と答えなければならないのだが」

 その顔を見るに、やっぱり魔術ですね。石に沈めるなんて術、雰囲気からしても魔術です。

「…さて、ではさっさと仕事を済ませましょう」

 テア様が石に沈めた悪党のもとに向かいます。賢者に手を出した罪、重いと考えてくださいね。未遂とはいえ、短剣を持っていたんですから。

「仲間はもう貴方達だけですか?」

「はっ、どうだかな!?」

「嘘は吐かないでくださいね。うちの賢者様、善人にはお優しいですが、悪人には大地に沈めるほど厳しいので」

 にっこり笑いつつ少し脅しをかけると、案の定怯んだ様子です。ほら、気丈に装おうとしていても、頬がひきつっています。

「くそっ!そうだよ!!」

「目的は何ですか?賢者の殺害ですか?だとしたら、それ相応の代価を支払っていただくことになりますが」

「ち…違う!!ちょっと痛めつけてやろうと思っただけで…」

「では、どこかから依頼されたとか、そういう事ではないんですね?」

「ああ!!」

 良かった。本当にただの衝動犯だったようです。

「そうですか。では、神殿で懺悔しますか?それとも、警備兵団につき出されたいですか」

 警備兵団、という言葉が出ると、流石にもう気丈な態度は保てないようで。やっと事の重大さが分かってきました?もう遅いですけど。

「…ざ、懺悔する」

「聞こえません。テア様ー!この人面倒ですので沈めちゃってください」

「懺悔!!ざんげする!!助けてくれぇ!!」

 意地悪く聞こえないフリをして恐ろしいことを言ってみると、途端に泣き声を上げました。なんだ。ちゃんと大きな声出るんじゃないですか。

「そうですか。きっと神もあなたをお許しになられますよ?」

 そう言うと、顔をゆるめました、が。ふふ、甘いですよ。

「きっちり、人の世の法で裁いたあとならきっと」

「あ?」

「警備兵団でたっぷり絞って頂いた後、本当に改心したら懺悔に来て下さいね。待ってますから」

「そんな…」

「犯した罪は償わなければいけません。でも、大丈夫です。テア様は本当は私よりお優しい方なので、酷い刑にならないよう、口利きをして下さるそうですよ」

「ほ、本当に…?」

「ええ。ね?賢者様」

「…仕方ない」

 テア様が言うと、暴漢はほっと息を吐き、頭を垂れました。すると、今までおっかなびっくり見守っていた通行人の方々が、ぱちぱちと拍手して下さいました。

「どうも、皆さんご迷惑をお掛けしました。すぐにここを片付けますので、どうぞ安心なさって下さい」

「いいねえ、秘書の嬢ちゃん」

「若いのにしっかりしてるわぁ」

「いえいえ」

 照れますけど、もっと言ってほしいです。

 その後、石に沈んでいた暴漢さんを動きを封じた後引き上げ、意識を取り戻していたもう一人と共に警備兵団に引き渡しました。これにて一件落着、というわけでしょうか。

「それにしても、テア様も落ち着いてましたよね。暴漢怖くないんですか?」

「いや。俺は、暴漢よりもお前が怖かった」

 失礼な!



 =============



 これは後日談ということになりますが、あのあと落ちた本を、神殿名義で買いました。


 そして、何という偶然か分かりませんが…法術書と歴史書、それに魔術書でした。しかもテア様、それをもう知っていることしか載っていないからと、私に全部下さったんです。

「こういう場合でもなければ、神殿名義で魔術書なんて買えませんよね」

 魔術書も法術書も、高価なものが多いです。法術書ならばもちろん神殿内の書室にありますが、魔術書は置いていません。

「そうだな」

「ところで、私少し疑問に思ったんですが」

「…なんだ」

「あの風で落ちたのは、ぱっと見た限り2冊だったと思うんです」

「…気のせいだろう」

「そうですか…ありがとうございます」

「だから、気のせいだと言っているだろう」

「とりあえず、気のせいでもありがとうございます」

「………頑固者め」

「はい。テア様と同じですね」

 そういえば、あの後テア様は植物本や伝統料理の本、異国の本と哲学の本と、それとお酒の本を2冊ほど買っていました。やっぱり悔しかったのでしょうか?その日の夜、猫酒の瓶を抱えて眠るテア様の姿があったとか無かったとか。



 まぁ、テラスで眠りこけているテア様を発見したのは私なんですけどね。

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