1章 神殿のひとびと
或る賢者と秘書 1
私はトーシス神殿に勤める、とある方の秘書係です。
この職についてから日が浅いので、まだ少しぎこちないところもありますが、日々頑張っています。
「おい、エアル」
丁度、今私の名前が呼ばれたのですっ飛んでいきますと、綺麗な顔をした少年が、ぼうっとした様子で猫を撫でています。この方が、私が秘書としてお手伝いをしている、上級神官のテア様です。本名は長いので覚えていません。ちなみに私のフルネームはエアル・レアル。大変覚えやすいと好評を頂いております。
「なんでしょう、テア様」
あまりにも猫を見つめていますので少し遠慮がちに発言しますと、灰色の両目がこちらを見ました。
「俺の今日の仕事、あといくつある」
「あとたった6つで終わりますよ」
「6つ…6つか………」
テア様は深くため息を吐くと、なにやら猫を転がし始めました。ところが猫は迷惑そうに唸り、テア様の袖に爪の一撃を加え、逃げてしまいました。
「ああ…バルトリエスユーラ…」
「また大げさな名前を勝手につけて…。全て覚えていらっしゃるんですか?」
「当たり前だろう…」
テア様はバル…えー、猫の去っていった方角を名残惜しそうに見つめながら言いました。この方、実は上級神官でありながら、この世にたった一人の貴重な存在、賢者なのです。ただ単にものを多く知り、賢い人ならば多く居ますが、この方はこの世の全てを記憶している凄い人です。
「そんなテア様にいいお知らせがありますが」
「唐突に何だ…」
あらら、大分干からびてしまっています。テア様、生きがいが本と猫とお酒しか無いのに、本を読む暇はなく、お酒も取り上げられ、挙句猫にまで逃げられてしまったのですから、無理も無いかもしれません。しかし、此処最近真面目に仕事をこなしてきたこと、神殿側もちゃんと見ていますよ。
「実は、明日はお休みです」
「本当か!?」
テア様は無表情ながらも子供のように目を輝かせ、私に聞き返してきます。見た目は贔屓目に見てもせいぜい16、7の少年ですが、実は御年21の立派な大人なのです。賢者にしては若いと思われるでしょうが、これにもちゃんと理由があります。
「ええ。明日は本に浸るも、猫をはべらせるも自由です。ただし、お酒は飲みすぎてはいけませんよ」
「よし、そうと分かれば仕事だ、仕事!」
「やる気を出していただけたようで何よりです」
その後、テア様は馬車馬の如く働き、いつもの2倍の早さで仕事を片付けました。……いつもこれくらいの早さでやれば、もっとたくさん暇をとれるんですが。
そして次の日、テア様の私室の扉をこんこんと叩き、中に入った私は唖然としました。
「テア様?」
てっきり猫と本と酒瓶の山に囲まれているかと思ったのに、もぬけの殻です。いくら休日とはいえ、テア様が変なことをしないようにと見張りを言い使わされた私の立場がありません。テア様の自由を妨害するようで心苦しいのですが、こちらも仕事。ここは情を捨てなければ。テア様が行きそうなところは大体知っているので、いくつか廻ってみましょう。
私は18歳とまだまだひよっ子です。そんな私が何故高位な賢者神官であるテア様の秘書になれたのか。推測ですが、多分私の足の速さと、人捜しの勘に理由があると思われます。小さい頃から、かけっことかくれんぼでは負けた覚えがありませんから。
基本的に、神殿側の意向もあるようで、神官の秘書は女性が勤めることが多いです。それというのも、神殿に勤めるものは、巫女様も含めて結婚が許されています。神殿につとめる神官の多くは、神殿内の女性と結婚します。それというのも、神殿の外に出ることが少ないからです。秘書の試験を受けに来る女性の中には、高位の神官様の玉の輿を狙ってくる方も多いとか。いえ、勿論私は違いますが。
しばらく神殿の廊下を歩くと、目星をつけておいた場所につきました。さて、テア様は、と見回すと。
ほら、やっぱりいた。
神殿の裏にある庭の一角、人がめったに通らない石道は綺麗な上に、日当たり良好。丁度いい具合にあたたまった石の上には、自然と猫が集まってきます。猫が集まるということは、必然的にテア様もよってくるわけです。
たくさんの猫に囲まれて一緒に日向ぼっこでしょうか。長くてだらだらした豪華な衣装も、猫にのられて…あーあ、くしゃくしゃです。折角見つけましたが、起すのは心苦しいですね。そういえば、私も連日テア様に付き合っていたので少々疲れが溜まっているみたいです。とりあえず、起さないように隅によって、柱によりかかりました。
テア様が起きるまで、ここで見守っていましょう。
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…不覚。どうやら、いつの間にか眠ってしまったようです。
すぐに我に返り、辺りを見回しましたが、既にテア様の姿はありません。肩にテア様の外衣がかかっているので、テア様は私に気付かれたようですね。それにしても、恐れ多いです。何がって、この外衣です。これ、見た目どおりとても高価なんですよ。多分風邪をひかぬようにと、テア様がかけて下さったのでしょう。そういうところは優しいのですが。取り敢えず、これは綺麗に畳んでお返ししましょう。
「次は…あそこでしょうか」
テア様は大変分かりやすい性格ですので、猫と睡眠を補給した後は、当然本かお酒でしょう。お酒に酔うと本に集中できないとこの前ぼやいていたので、ほぼ確実に本のたくさんある場所に向かっている筈です。
立ち上がろうとしたとき、何やら膝が重いなあと思って下を見れば、茶色いぶちの猫が私の膝の上に陣取っていました。
……葛藤です。私も猫は嫌いではありません。むしろ好きなのですが、これは如何ともしがたい。ここは心を鬼にしなければいけないと分かりつつも…ああ、そんな顔で寝ないで下さい。起こしたくないけれど、起さなければテア様を捕まえに行くことができません。お願いだから起きてください、猫さん。
と、祈る思いで猫を見つめますが、起きる気配はなく…仕方ありません。猫さんが起きるまでここに留まることにしましょう。ほら、神の教えにもあるじゃないですか。博愛の精神を大事にしろと。こんなに可愛らしい猫の睡眠を守っていたせいならば、仕事を完璧に遂行できなくとも仕方ありません。それに、テア様は一度本に嵌まり込めばなかなか戻ってきません。数刻は大丈夫なはずです。取り敢えず今は、一人、静かに本を読ませてあげましょう。
そう決意して膝を見ると、あれ、猫さんお目覚めで?先ほどまでぐっすりと眠っていた猫さんが私の膝の上で大あくびをしています。…人が折角決意した途端にそれですか、あなた。
「こんにちは」
話しかけてみましたが、ちらとこちらを見ただけで、どこかへ行ってしまいました。……そうですか、私は都合のいい女ですか。あなたにとって私は丁度いい座布団でしかなかったのですね。
少し切ない気分になりましたが、折角猫さんがどいてくれたならば、仕事遂行です。
「テア様」
「げ」
「はい、捕まえました」
またもや一発で当たりです。街で2番目の蔵書量を誇る我が神殿の書物室で、文字通り本に埋もれていました。私の顔を見るなり逃げようとしたところを、しっかり袖をつかんで離しません。
「何しに来た」
「テア様の見張りです。羽目を外し過ぎないようにと。それと、これありがとうございました」
綺麗に畳んだ外衣を差し出すと、テア様はふいと顔を背けました。
「いらないから離せ」
「私のことは銅像か何かだと思ってくださればいいので」
「そんなに喋る銅像があるか…いや、あったな。星暦400年頃だったか…古代魔術で、動く銅像があった。ごつい見た目の割りに饒舌で、しょっちゅう通りすがりの者に話しかけては驚かせていた」
「そうなんですか」
世の中にはまだまだ知らないこと、不思議なことがたくさんありますね。テア様の傍にいると、ありえないことは無いのではないかと思えてきます。
「その話、少し興味があります」
テア様は聞けば大抵のことは教えてくれます。私から外衣を受け取ると、両手に持った本を読みながら話し始めました。これが賢者たる所以でしょう。物覚えの悪い私にとっては信じられないことですが、これで、両手に持った本の内容もしっかりと覚えているんです。その上、淀みなく別の知識も思い出し、話すことができる。テア様の記憶力はずば抜けています。
「その古代帝国は、何故滅びてしまったんでしょう」
「魔術にばかり頼りすぎたからだ。時代を見なかった」
ふむふむ。勉強になりますね。そのまま半刻ほど、滅亡した古代帝国の話を聞いていましたが、唐突に思い出したことがありました。そうです、聞きたいことがあったんですよ。
「そういえば、北の方には職種を現す言葉を名前に入れる習慣があるとか」
「いきなり話が飛ぶな」
テア様はため息を吐きました。すみません。私、順序をおって話すのは得意ではありません。
「はい。今思い出したので。それで、確かテア様の名前も確か、途中に何か入っていたような…」
「テア・セディク・エルフェンラート」
相変わらず長い名前です。テア・エルで十分です。
「そう、その、セディって奴です」
「職名という」
「しきな?」
「ああ。これは、昔はこの地方にもあった習慣だが、職を自由に選べるようになってきてから、段々と廃れていった。が、まだ北と南には慣習的にではあるが、一部で残っている」
成程、だからですか。流石、賢者ですね。説明慣れしています。
「神官は基本的に一生の職だから、職名をもっていることが多い。ちなみにセディクは賢者という意味だ」
「へぇ…知りませんでした」
「仮にも神殿で働くのだから、これくらいは知っておくことだ」
皮肉るように言われましたが、けろりと言ってみせます。
「今知ったので大丈夫です」
「…そうだな」
「ああ、そういえば」
「まだ何かあるのか」
まだ聞きたいことがあるので。
「はい。春迎えの祭りがあったじゃないですか」
春迎えの祭りは、文字通り、春を迎えるためのお祭りです。毎年、最後の雪が溶けた次の日に、盛大に催されます。
「…3月ほど前だな」
「それのときに、四季の精霊におくられる名前も、確か職名がありません?」
伝承によると、その年の季節がちゃんと巡ってくるようにしてくれる精霊がいるそうです。よく知りませんが、毎年春迎えの日に生まれるそうで、そのときに巫女様が名を贈るんです。
「そうだ。それも職名だ…」
「長くて覚えてませんけど」
いっつもいっつも、長い上に発音しにくいんですよね。精霊もそんな長い名前をつけられたら逆に迷惑じゃないでしょうか。
「四季の精霊って本当にいるんですか」
「居るぞ。精霊と友になった人間の話もあるしな…」
「本当ですか。知らなかった」
精霊って、人間にも見えることがあるんですね。じゃあ、もしかしたら私もいつか、精霊と友達になれるかも。
「…本当に、よく喋る銅像だな」
「何か言いました?」
「言った」
素直ですね。でも、ここで引き下がる私ではありません。
「なんて?」
「よく喋るどうぞ」
「はい?」
「…嫌がらせか」
やっと気付きましたか。でも、ちょっと違います。
「いいえ。質問攻めは、半分は私から逃げた仕返しです。探す方の身にもなって下さい」
うんざりしている事ぐらい分かっています。
「………」
「もう半分は私の好奇心です。いつも色々教えてくださってありがとうございます」
「本当にな」
「はい。物知りなテア様は、私の先生ですから」
にっこり笑って頭を下げ、上げると、疲れたような、それでも少し照れているような顔がありました。テア様は基本的に、人にものを教えるのは好きですし、教えを乞われるのもある種、生きがいのようなものです。ただ、いつも仕事としてそれがみっちり詰まっている上に、書かなければいけない書類もあるので、疲れてしまうこともありますが。
私は、テア様のもとで働けてよかったと思います。思わぬ知識との遭遇。これも、私がテア様に仕えたいと思った理由のひとつですから。
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