第3話 宇宙の猿

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 NY某所の高級ペットショップへ、一人の男が入っていく。後ろから召使いがついて行こうとするが、トランクを押し付けられたうえで鬱陶しいからついて来るなとエントランスへ置き去りにされた。

男が袖を通している高級スーツの胸元に下がるIDカードには、顔写真とショーン・パウエル・ドッジという名が記されている。淡いブロンドを軽くなでつけ、イタリア製の高級な革靴で絨毯を踏む姿はいかにも金持ちのボンボンといった風情だ。目元を覆うバイザーグラスは、有名ブランドの新作だろう。

 ペットショップという場所にも関わらず、嫌な臭いも騒がしい鳴き声もあまり無い、落ち着いた雰囲気の店内を、男は順に見て回る。広い店内には哺乳類、爬虫類、鳥、魚、昆虫など様々なコーナーがあり、オーソドックスな人気の動物から、特別に許可を得て独占的に販売している珍獣の類も展示販売されている。ショーケースを眺める度にバイザーの奥、長い睫の下でヘーゼル色の勝ち気な瞳が品定めをするように煌めくが、なかなか気に入るものが見つからないようだ。やがて見逃しているコーナーは無いかというように、きょろきょろと店内を見回し、ついに飽きたのか観葉植物をじっと見つめたかと思うと、奥に控える店員に目を留めた。

「ちょっといいかな」

 口調は穏やかだが、やや尊大な態度で呼び留められた店員はすぐに男の傍へ駆けつけた。

「はい、何かお探しでしょうか」

「ここにいる動物はこれで全てなのかい?」

「いいえ、展示が不可能な種の動物もおります……Mr.ドッジ」

 茶色の髪をきっちり七三に分けた店員は、男の身なりとIDカードをちらりと見て、慇懃に頭を下げる。

 ショーン・パウエル・ドッジ。富豪の隠し子、やりたい放題の遊び人…そして、偏執的な珍獣蒐集家。多くは使用人に命じて動物を買う彼が自らペットショップに足を運んだということは、きっと大物を狙っているのだろう。店員は思わぬ上客の来訪にやや緊張した様子を見せながらも、うやうやしく答えた。

「こちらのカタログをどうぞ」

 男は差し出されたカタログをパラパラとめくったが、これも興味無さそうに突き返す。

「これだけ大きなペットショップでも、ありふれた動物しかいないのか」

 男が落胆した様子で辺りを見回すと、店員はにこやかに爬虫類コーナーを示した。

「あちらにいる珍種のトカゲはご覧になられましたか?」

「見た。けれど…別に面白くもないな。僕は他に誰も持っていないようなやつが欲しい」

 高圧的で我儘な物言いだが、ちょっとした無理な物言いには慣れたものなのか、店員は表情を変えずに彼を見返す。

「誰も持っていないような、でございますか」

「ああ。もし僕も知らないような面白い生き物が手にはいるなら、いくら積んでも惜しくはないんだがね…」

「取り寄せ可能な動物はまだおります」

 店員は順に取り扱いのある珍しい動物を挙げていくが、男は首を縦に振らない。

「駄目だ駄目だ。どれもこれも知っているし、つまらない」

「なかなかご期待に添えず申し訳ありません…」

 申し訳なさそうに頭を下げる店員の姿を見ると、男はしばし顎を手に当て逡巡する様子を見せ、問うた。

「…ところで、この店のマネージャーは君かね」

「いえ、私は」

「ああ、なんだ。すまないがマネージャーに会いたい。呼んでくれたまえ」

 お前では話にならないという態度がありありと浮かんだ声音に、店員の営業スマイルがほんの一瞬強張った。皺眉筋と口角下制筋のわずかな緊張を男は見逃さなかったが、それを店員に悟らせる気は無いのだろう、相変わらず尊大な笑顔を向けている。

「…かしこまりました、しばしお待ちを」

 店員が奥に引っこみややもしないうち、足早に恰幅の良い中年の男が出てきた。

「大変お待たせいたしました、Mr.ドッジ! 私が当店のマネージャーでございます。わざわざのお運び大変光栄で」

「用は彼から聞いたかな」

 長くなりそうな口上を遮るように、男は話を進めるよう促した。

「ええ、珍しい動物をお探しだとか」

 いくらでも金を詰みそうな雰囲気をまきちらす上客に商売のチャンスを嗅ぎ取ったのだろう。歳の割には豊かな毛髪をワックスでぴっちりと固めたマネージャーは、団子鼻をやや膨らませてにこやかな笑みを浮かべている。

「ここは我が国いちのペットショップなんだろう?」

「いいえMr.ドッジ! 地球いち、でございます」

 自信ありげなマネージャーの様子に男も期待の表情を見せる。

「では………ここでしか手に入らない、そんな動物はいるか?」

「勿論ございます。トビハナアルキモドキダマシはいかがでしょう?珍種中の珍種です」

 マネージャーが胸を張って提案した生物の名を聞き、しかしMr.ドッジは眉をひそめた。

「珍種?50年前ならともかく、ナゾベームなんて今更珍しくもなんともない」

 虚を突かれたような顔をするが、マネージャーはすぐに次の弾を撃ち出す。

「おや…では大型のスナークテイル・ドッグは?」

「大人しくてつまらないな…それにただのブレンド種はお呼びじゃないね」

「では…」

 その後もマネージャーはいくつか、一般人なら名も知らないだろうという珍獣の名を挙げたが、この青年はどれも知っている、つまらないとはねつける。流石の珍獣マニアの名は伊達ではないらしい。とうとう言葉に詰まってしまったマネージャーを見て、生意気な金持ちはやれやれとばかりに肩を竦めた。

「私が知らないような動物はどうやらいないようだね。地球いちのペットショップがこれならもう、宇宙へ出かけるしか無いな」

 Mr.ドッジは唇を軽く噛んで何か悩むようにしているマネージャーに冷たい視線と皮肉をぶつけた。

「無駄な時間をとらせて悪かったね。失礼する」

「…………お待ちを」

 踵を返しかけた彼をマネージャーが、いやに柔らかい声音で呼びとめた。

「……まだ何か?」

 ゆっくりと振り返った男に、マネージャーはにたりと含みのある笑顔を見せた。

「いいえ、Mr.ドッジ。この広い宇宙に、まだまだ貴方様のご存じない珍獣はおります」

 待ちわびた言葉に、男はバイザーの奥の瞳を煌めかせ、満足げに口角を引き上げた。




『うまくかかったな』

「…それにしてもやはり、高圧的すぎるのでは」

『いや、高慢で鼻持ちならない珍獣マニアのMr.ドッジだ。これでいい』

「…そうですね」

 密やかに成される会話は、マネージャーの耳には届いていない。




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 Mr.ドッジはマネージャーに導かれてスタッフルームへのドアを潜り、鍵のかかったプレートの無いドアから更にエレベーターを使い下へ降りていた。

 やや薄暗く、至る所にシャワーノズルが付きだしている廊下を歩き、更に洗浄室のような部屋へ入る。

「衛生には気を使っておりますが、念の為こちらを」

 服の上から渡された白い防護服を着込み、更に奥へ進むと、金属製の扉の群れが現れた。普通の廊下よりやや広い空間の壁に、厳重なロックシステムに閉ざされた扉が貼りつくような形だ。それぞれに何やら番号付きのプレートが埋め込まれている。

「……これは」

 ものものしい光景に目を見開いている様子の男を、マネージャーは一つの扉の前へ誘う。

「さあMr.ドッジ、貴方様が絶対にご存じない生き物をご覧にいれましょう」

 笑う中年男はそう言って、06というプレートの扉の多重ロックを外した。

 数字認証、フリック認証、指紋認証、眼球認証の上カードキーを使いようやくガチャリと音を立てた扉を押し開くと、隙間からエンジン音の様な唸り声が漏れ出した。

「こちらが宇宙の黒い猿、ニグリ・シミアでございます」

 眼前に現れたのは、強化ガラスの向こうに並んだ3つの檻。そしてその中に繋がれた、黒いしなやかな猿のような生き物…ただし、腕にあたる部分は4本あり、1対は肩上あたりから上向きに伸び、もう1対は胸辺りにぶら下がっている―多腕の獣。

「ニグリ・シミア…?」

「ええ、猿とは言っても、チンパンジーより凶暴でゴリラより強い握力を持つ宇宙生物です。地球の環境でも生きられるよう多少の改造はしてありますのでご心配なく」

「……………」

 Mr.ドッジは恐れているのか、表情をやや強張らせ、「猿」と呼ばれた生物を見た。充血したように赤い目がこちらを見て、大きな体が檻を揺らす。時折旧型車のエンジン音に似た唸り声を挙げ、等間隔に並ぶ黒い牙を剥いて見せた。口の中の色は鮮やかな黄色だ。

「高い運動能力で、故郷の星では尾と第一腕で木から木へ矢のように飛び移り、鉤爪を持つ第二腕で他の生物を捕えていたそうです」

 しなやかな体には筋肉の隆起が見え、ぬるりとした黒の毛並みは光沢を帯びている。しなる尾が時折檻の床を叩き、鞭のような音を立てていた。

「どうです、お望み通りの、『地球のここでしか手に入らない』、あなたのご存知ない生物ですよ」

 さあいくら積む気だと言わんばかりの笑顔を向けられた男は、3つの檻を凝視して呟いた。

「何匹、いるんだ」

「この部屋には全部で7匹。1番と2番の檻は2匹で1つですが、3番の檻だけ3匹入っています。もっと近くで見てみましょう」

 得意げに説明しながら強化ガラスのロック解除に向かうマネージャーの言葉はMr.ドッジに届いていたが、彼の意識は殆ど視線の先に向いていた。

 檻がひとつ、内側から強力な力で曲げたように歪み、隙間が広がっている。檻には3番のプレート、そして檻の中にいる「猿」の数は――。

「だめだ、待て!!」

「Mr.ドッジ、何を」

 突然飛びかかってきた上客の方を驚いた様子で振り向いたマネージャーの手は、既にドアを開いていた。そしてその後ろには、檻の陰から飛び出してきた黒い影が迫る。

「――危ない!」

 Mr.ドッジは咄嗟に捕まえていた肩を突き飛ばし、マネージャーを「猿」の攻撃範囲から逃がした。代わりに振り下ろされた鉤爪は、一撃目で防護服を斜めに裂き、二撃目で彼のブランドもののバイザーを掠り、砕いた。

 高い音を響かせて砕けた黒い破片は光を反射させながら飛び散り、覆い隠していたものを明らかにした。

「あなたは」

 目を見張るマネージャーへ再び振り下ろされようとした鉤爪の前に、彼は再び飛び出した。

 鋭い鉤爪を腕で受け止めた瞬間、高い金属音が響く。破片が落ち、現れたのは、肌に直接貼りついたバイザーと、緑に光る目。

「逃げろ、早く!!」

 Mr.ドッジ改め、ハウンド・エレクトロンは、鉤爪の追撃を受けながら再び叫んだ。




 ==========




 この任務が彼のもとに持ち込まれたのは1年ほど前だ。

違法に輸入された地球外生命体の売買ルート調査。その窓口としての最有力候補がこのペットショップだった。事が明らかになったのは、とある富豪が突然死し、屋敷の地下室からどの生物学者も知らない生物が見つかったためだ。その生物には既に知られている地球外物質が何種類か付着していたため、すぐに遺骸は銀河連盟地球支部へ送られ、宇宙生物であることが確認された。そして、富豪が生前何度かこの店に訪れていたことも使用人の証言から分かっている。

 しかしそこまで分かっているのに、店の方も強かで、警察による全店舗一斉捜査の時には何もボロを出さなかった。

 恐らく警察内部に内通者でもいたのだろう、抜き打ちのはずの捜査情報が漏れていた。それだけやって証拠が出なかったことは今後の捜査を難しくした。また、そのペットショップで何かを買ったのだろう金持ちからの圧力もかかり、国家警察は動きを封じられているのが現状だ。そこで、まだこの件に手をつけていないインベル社へ銀河連盟は秘密裏に捜査を継続することを託した。

 こういった対人間の隠密捜査はハウンドの得意とは異なる。しかしこのペットショップを押さえることを皮切りに多発している地球外生物密輸の大元を暴くことができれば、インベル社は銀河連盟から更に深い信用を得、国民からの人気も高まるだろう。そしてその悪事を天下に暴く者こそ、インベル社の技術の粋を集めたロボットヒーロー、ハウンド・エレクトロン。これを機に、会社のイメージキャラクターであるハウンドの人気押上げと会社イメージアップ相乗効果を狙う…そういうシナリオをインベル社は描いていた。


 ショーン・パウエル・ドッジという男は、インベル社が作り上げた架空の人物だ。富豪の三男坊、高慢な珍獣蒐集家。インベル社はこういった隠密捜査のため、銀河連盟の極秘権限を借りて数人の架空の人物の戸籍やIDカードを取得してある。それだけでなく数年に渡り架空の人物の行動・言動の痕跡を作り、時に応じて使っているのだ。今回の場合も、1年かけてMr.ドッジと言う人物像を作り上げるため、実在の富豪に協力してもらい、「隠し子」としてショーンの戸籍を取得。1年より前の記録もデータバンクへ捻じ込んだ。業界で珍獣マニアの名を得るため、各地のペットショップから珍獣を購入し名を売った。ちなみに「Mr.ドッジ」が使用人に命じて購入させた珍獣は殆ど全て、銀河連盟が擁する地球生物研究所で飼育されている。

 そして流布させてあるMr.ドッジの姿を模すため、ハウンドは戦闘力に優れたボディ「アルファ」から、新しく開発された人間に近い外見のバージョン、「ベータ」へとボディを変更し、髪も赤からブロンドに換装した。細部にこだわる分機動力も防御力も落ちるが、代わりに表情や声音のスキンが充実し、検査能力も強化してある。いつものメットや装甲はトランクの中だが、こちらは持ちこむこと叶わず、エントランスに預けてある。


 頼りない装甲で彼を送り出すことを嫌がっていたハウンドの保護者たるサラ・マッキンリー博士は渋りに渋った。しかし今回は、証拠を押さえるのみが目的であるため戦闘は行わない、と言う条件を会社につきつけた上で急ぎベータの開発を行った。1年がかりの計画であり、うまくいけば新人ヒーローであるハウンドにとって最も大きな手柄となる。失敗は許されなかった。




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 このペットショップを自ら訪れるのは初めてとなるMr.ドッジ…もとい、ハウンドは、ケースの中の動物一匹一匹を品定めするように見ながら、密やかにスキャンしてまわった。このスキャンによって先の事件の際に見つかったものに加え、数種類の地球外物質を微量でも特定できる筈なのだが、猫も犬も兎も、特に怪しいところは無い。小さな魚、虫などを見るがやはり表の店にはそれらしい痕跡は見当たらない。更に店内の壁や床にもスキャンをかけるが、ハウンドに搭載された簡易装置で地球外物質が検出されることは無かった。

『ハウリィ、念の為観葉植物も調べてみろ』

「はい」

 不意に通信が入り応答するが、店員にこの声は聴こえていない。口は動かず、音も出ていないがラボで待機している博士の元にはいつもの彼の声が届いている。

「…植物も、その土も駄目です。やはり一般には入れない場所があるのでしょう」

『そろそろ段階2だ。珍しい動物が欲しいと、店員にカマをかけてみろ』

「了解」

 ハウンドは、事前に描いて来たシナリオを実行に移した。

 高圧的な台詞や態度は事前の設定とシミュレーションに加え、相手の反応を見ながら博士の指示に従い振舞った。入念な準備の甲斐もあって予想以上に計画はうまくいき、マネージャーを煽って地下への侵入に成功した。歩きながら何度かスキャンを行うと、洗浄室を越えた先には大量の地球外物質が床に付着していることも分かった。

 更に地球外生物の実物の証拠を撮ることができれば、動かぬ証拠となる。そのまま歩みを進め、ついに「猿」―G357-11惑星系の高等宇宙生物、ニグリ・シミアの姿を確認することができた。これで計画は成功した筈だった、が、予想外の事態が起こった。

 マネージャーにとっては残念なことだが、ハウンドはこの生物をデータ上で名前と簡単な生態だけは知っていた。そして恐らく、マネージャーは知らなかった――彼らの知能の高さを。

 ニグリ・シミアは仲間同士協力して物事を行える。こじあけられた檻は、いかに怪力と言えども、一匹の力では歪ませることはできない。今回のケースは、体の小さい個体が1匹、逃れられる隙間を作るために、3匹が協力してなんとか少しだけ、檻を捻じ曲げたのだ。檻から出た猿は、檻の陰に身を潜め、マネージャーが鍵を開けるのをただ待っていた。そしてついにその時が来た。猿は自分たちを閉じ込めていたマネージャーの顔を覚えているのだろう、怒りも露わに、真っ直ぐマネージャーへ向けて飛びかかってきた。


 ―馬鹿め、地球の常識に当てはめ、ただの猿だと甘く見たな。

 サラ博士は心中でひたすら、ありとあらゆる悪態を吐きながら、各所に緊急事態を伝えた。

 今のハウンドは戦闘力が高くない。体の小さい個体とはいえ、体躯に見合わない怪力を持つニグリ・シミアに急襲され、頼りない装甲でマネージャーと言う足手まといを庇っている。

『ハウリィ、その爪を無理に受けるな、避けろ!』

 サラはほぼその身で鉤爪を受け止めているハウンドに対し呼びかけるが、彼は従わない。

「しかし、まだ彼が逃げていません!」

 マネージャーは腰を抜かしながら、這うようにして出口のドアへと向かっていた。それに気づいた猿はハウンドの腕を鞭のようにしなる尾で払いのけ、男の丸い背中へ猛然と向かっていく。

「伏せて!」

 言われるまでもなく、背後に迫る吠え声を聴いたマネージャーは悲鳴を上げながら床へと突っ伏した。猿が地べたに貼りついた白い防護服に跳びかかる刹那、その背にハウンドが指先から射出した麻酔弾が刺さった。

 ギャアと一鳴きした猿はふらつきながら、ドアの隙間を通り部屋の外へ逃げていく。

『追え!』

「了解」

 ハウンドは通信に短く答えながらマネージャーの首根っこを掴み、やや強引に猿の部屋から扉の間へ引きずり出す。可能性は薄いが、興奮した残りの猿がいつ怪力を発揮して檻を脱出するかもわからない。

「乱暴ですまない、あなたはここに!」

 ハウンドは振り向きざまに分厚いドアを蹴り締めながら、荒く息を吐く男へ律儀に声をかけ、すぐ廊下を疾走する猿の背を追った。

 体にまとわりついて邪魔な防護服を廊下に投げ捨てていつものようにスピードを出すと、すぐに駆動部が熱くなるのを感じ、ハウンドは歯噛みした。

 ――遅い。

 わかっていたことだが、戦闘用でないボディはスピードも無く、無理をすれば熱暴走の危険も高い。

『温度が上がってる、余計な機能は切るぞ』

 緊迫した博士の声が響き、いくつかの不要な機能が遠隔シャットダウンされたが、状況はあまり良くないようだ。廊下に落ちた麻酔弾を見て、ハウンドは刺さりが浅かったことを知った。ニグリ・シミアの肌はしなやかで、とても堅い。

『地上へ逃げれば厄介だが、地下深くならまだ猶予がある』

「いいえ博士、ここは恐らく、地上です」

『何!?』

 衛星経由の位置情報は、電波が妨害され送れなかったが、位置センサーによって大体の高さや移動距離から、現在位置を割り出すことができる。

「最初に入ったエレベーターは下と横、最後に通った洗浄室は上へ向けて動いていました…ここは恐らく、元のビルの斜め後方にある施設の中」

 ―だから、ビルの地下を調べた時は何も見つけ出すことができなかったのだ。  今度から地下の操作は超音波式を取り入れろ、エレベーターの軌道が本当に上下だけかを確認すべきだ、そう警察へ文句を言おう。そう胸中で思いながら、ハウンドへ少しでも「猿」を足止めする支持を送る。

『防火扉でも何でもいい!火災報知器を作動させてシャッターを閉じろ』

「見当たりません」

『危機意識が無いのか、どこまで馬鹿なんだこの施設の連中は』

「非常階段はあるようです」

 ニグリ・シミアが器用に階段のスロープを伝っていく様子を実況され、サラはうめき声を上げた。



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半端な危機意識なら無い方がマシだと、博士は言った。

結果から言えば、ニグリ・シミアは非常階段を登り切り、ガラスを割って街へ出た。密売所の上に建っていた施設は貸し倉庫だった為、中に殆ど人がいなかったのは不幸中の幸いだろう。ともあれ、凶暴な黒い4本腕の猿が倉庫から飛び出してしまったのだから一刻も早く捕まえねばならない。

消えたニグリ・シミアの背を追って外へ飛び出そうとするハウンドに博士から指示が飛んだ。

『アルベールがバイクで入り口近くにいる。装備を換装しろ。窓からは出るな』

「了解」

 ハウンドは窓からの脱出を諦めて走った。出口に待っていたのは、先ほどエントランスで荷物を預けた召使い…に、扮していたアルベールが、ヘルメットを被り大型バイクに跨っていた。

「アルベール!」

「うわっひどいな、高級スーツが!」

 こんな緊急時に破れてしまったスーツの値段を気にできる彼の冷静さに脱力している暇はない。

 かぎ裂きになった高級スーツを脱ぎ捨てると黒いボディが露わになったが、ハウンドが表皮擬態システムを実行すると、いつもの赤と白のペイントへと変わった。

 胸部装甲を見につけベルトを閉め、腕と膝下をアルファへ換装すると、バイクの後ろに飛び乗った。

『今のところ奴は人に興味を示さず一定方向へ逃げている。先回りして捕まえろ』

 ニグリ・シミアに向けて撃たれた麻酔弾はとれたが、同時に放った小さな発信機は粘着物質と小さな爪でニグリ・シミアの背中へとりついたまま。位置は把握できている。

「ハウリィ、振り落とされるなよ」

 思い切りアクセルを握り込んだアルベールの背でメットを被ると、両側から口元を覆うマスクが閉じた。

 戦闘力に劣る今でも、意のままに操れる特殊ロープ、リーシュならばニグリ・シミアを遠距離から捕獲することができるだろう。

 ハウンドが街へ走り出るとその姿に気づいた人々はにわかに歓声を上げる。ハウンドが人前に姿を現すようになってからまだ1年経っていないが、インベル社による宣伝や、アンドロイドであるという物珍しさから注目度が高まっている。

 しかし今の彼は、戦闘に適さないベータ版だ。パフォーマンスはいつもの半分程度、しかも熱暴走の危険を抱えている。

「単独での捕獲は困難です、応援を」

『既に要請した。お前は奴が人を傷つけないよう最善を尽くせ』

「了解」

 サラはインベル社を飛ばして銀河連盟に確認をとり、警察と全てのヒーロー―企業や政府への登録が行われ、街の自警を容認されている人々―に応援要請とニグリ・シミアの位置情報を送った。

 ハウンド一人で事件を解決することにこだわっていたインベル社にとっては手痛い誤算だが、凶暴なエイリアンが街に放たれればそんなことも言っていられなくなる。これで怪我人や死人が出れば、インベル社の不手際として手柄どころか汚点にすらなり得るからだ。少なくとも「猿」を地上に逃してしまった時点で、「ハウンド」が隠密を行った事実は伏せなければならなくなった。サラやハウンドの意志とは関係なく、ベータ版の機体はしばらく不祥事と共に隠蔽されるだろう。珍獣マニア、Mr.ドッジの動向に注意を払って監視を続けた結果、猿が飛び出してくるところに遭遇した―シナリオはそう書き換えられる。

 せめてアルファ機体を丸ごと外で待機させ、コア部分だけでもすぐ換装できるようにしておけば良かった。いや、まだ機体丸ごとの換装はラボでなくてはできない。どちらにしろ、危険と隣り合わせの任務だったのだ。

 歯噛みするサラの目の前の画面には、アルベールのバイクで移動するハウンドと、ニグリ・シミアの位置が示されている。もう二つの点はわずかの距離に迫っていた。

『誰か来るまで時間稼ぎだ。南方向、D43地区へ追い込め』

  「了解」

 ハウンドはいつもの端的返事をして、位置情報を頼りに「猿」を追った。D43地区は町はずれに位置している廃墟群だ。不本意にも街中で追走劇を繰り広げる羽目になった時、周りの人や建物などに被害を出さないため、ヒーロー達がターゲットを追い込む場所として使うため、手つかずの土地となっている。

「奴の前に出る!準備しろハウリィ」

「了解した」

 リーシュをすぐ伸ばせるよう準備をし、先回りした道で目にしたニグリ・シミアは、人を襲わず誰かから必死に逃走していた。

 屋根や車の上、電柱や街灯を飛び移りながら物凄い勢いで逃げるその背を、蛍光イエローのフード男が追っている…休みなく喋りながら。

「こらこらこらこらモンキーちゃん、跳ねるのはベッドの上だけにしとけよなァ!ママとお医者さんに言われなかったのか?落ちて頭打ったら脳震盪じゃすまないぜ、俺そんなモンキーちゃん見たくないワ!」

 驚くべきは、ニグリ・シミアのむちゃくちゃな逃げ方と、男の追い方がそう変わっていないということだ。とにかくすさまじい跳躍力で屋根の上を走り、飛び移っている。

「モンキーちゃんなかなか素早いな!もしかしてこの俺とフリーランニング勝負しちゃう感じなのかそうなのか?この俺の無敗記録に名前刻んじゃいたいのねモンキーちゃん!だったらまず名前を教えてくれないかなーワッチャネーム!?あっでもやっぱり俺が当てたいわ名前!言うなよー言うなよー…やっぱり虫コング?それとも虫モンキー?もしかして虫ゴリラ?どうモンキーちゃん正解あった?どれが正解!?」

 よくもこれだけ跳ねまわりながら喋れるものだと感心する。ごついスニーカーとグローブとゴーグルぐらいしかまともな装備が無い。恐らくサイクリング用と思われる膝サポーターをジーンズの上から巻き、蛍光色のロングパーカーの上からゴーグルを嵌めているだけの、シンプルな恰好だ。

「あのやかましいのが応援のヒーローか!?」

 謎の男の登場に出鼻を挫かれ、バイクで再び追跡しながらアルベールが叫んだ。

「あれは…」

 ハウンドはヒーローのリストにアクセスし、同じ特徴を持つ人物を見つけ、アルベールに伝えようとした。

「おーおーこのチャルラタン様に名乗りもせずに勝負だなんてクールじゃねェか」

 が、本人が盛大に名乗ったのでアルベールも思い出したらしい。

「いいよいいよノッてやろーじゃないの!!勝負がつくまでお互い名乗りは無しだ!わかったかモンキーちゃんおいもしかして俺の声小さいかなァおいおーーーい?」

 ほんの数秒前に盛大に名乗ったことを忘れているこの特徴的過ぎる人物は、若手ヒーローのチャルラタンだ。ごく一部の者にしか存在しないという稀有な力、俗に言う所の「超能力」を有しているらしい。その実情が肉体強化なのか、サイコキネシスなのか分からない。データが少ないのはまだ活躍があまりない為と、スポンサーがいないことによる。そのため装備も自前らしく、名が少し売れた先からMr.低予算と囁かれているが、この奔放すぎる男のスポンサーに名乗りを上げる企業はなかなかいないだろう。

「博士、無所属のチャルラタンが応援に」

 ヒーローの登録証には全て発信機が入っていてお互いの位置を把握できるようになっているのだが、やはりというか登録証を持ち歩いていないらしく、マップに彼の位置は表示されていない。

『聞こえていた…猿が二匹になったかと思ったよ』

 アルベールが吹き出して一瞬ハンドルさばきが乱れた。あまりの言いぐさだが、納得できてしまう。

『しかし丁度いい、このまま真っ直ぐ行けばD43へ出る。なんとかして彼に作戦を伝えろ』

「やってみます!」

 とは言ってみるものの、チャルラタンはまだ喋りつづけている。

「言っとくけど無視してりゃあこの俺が黙ると思ったら大間違いだかんなー黙るわけにはいかねーんだよ、なんてったって俺は死ぬほど陽気がウリのチャッターボックスだぜフゥーー!!モンキーちゃんが黙ってる分喋ってあげるから安心してネ!分かったらいい加減振り向いて私寂しーいーねぇおいモンキーちゃん聞けよなーおいコラモンキーコラ」

 ニグリ・シミアが必死に逃げるのも分かる。きっと、マシンガントークで背中を蜂の巣にされているような気分だろう。言葉の途切れ目に声をかけようにも途切れ目が一向に見当たらないので、ハウンドはバイクを彼の手前へ寄せて叫ぶ。

「チャルラタン!」

「あ?誰か呼んだか俺の名前!」

 意外にも一度で反応が返ってきた。嬉しそうに斜め下を見て、ハウンドをそのゴーグルに映した。

「応援感謝する!このまま真っ直ぐ南へ誘導してくれ!」

「あーーーっ!?お前アレだろロボットのハウンドエレクトロン!?すっげーマジだ本物だあとでサインくれよサイン!」

「話は聞いてたか!?」

「オーケーオーケー、このまま南へバカンスだろ?猿だから南の島に返すんだろ?聞いた聞こえたノアイプロブレーマ!」

 どうやら話を聞かないのはこの猿も同じらしい。どこかでイエローモンキーと呼ばれていそうだが、彼の英語はラテン訛りだ。

「D43地区の!!廃墟へ!!」

「あぁ?なにそれ俺のホームじゃねーの!?うわーどうしようお招きしちゃう!?モンキーパーティーしちゃうわけ!?やっべーよバナナねえよおもてなしできねぇよー」

 どうやら話題の若手ヒーローが廃墟地区のどこかに住んでいることまで分かってしまった。そして恐らく許可は得ていない。とにかく今は、話が正確に通じたのかは微妙だが、とりあえずその地区へ追い込みたい意図が伝わったことを喜ばねばならない。

 そうこうしているうちに、真新しいビル群がふっつりと途絶え、朽ちた工場跡が現れた―D43地区だ。飛び出すようにして、ニグリ・シミアとチャルラタンが、灰色の街へ消えていく。

「アルベール、ここまでありがとう」

 素早くバイクを飛び降り、ハウンドは身一つで2匹の猿を追った。



=03-5=



 廃墟へ入ってすぐ、ハウンドはニグリ・シミアを見失った。

 その理由は、ハウンドがニグリ・シミアを捕えようと伸ばしたリーシュの先に…何故かチャルラタンが飛び込んできたためである。

 挙句の果てに、「今のうちに逃げろ!」などと叫び、当然ニグリ・シミアは逃げた。位置情報を確認するとまだ地区内を彷徨っているが、再び街へ出るのも時間の問題ではないかと思われた。

「何故」

 焦燥と困惑に包まれてハウンドが尋ねると、リーシュに絡まったままチャルラタンはフードから除く口元を尖らせた。全くかわいくはない。

「俺が捕まえなきゃイミねえだろホラホらだってよ、俺の飯の種だもんなァ、ロボットは飯いらねーだろ?あっ燃料いる?燃料いるか!あーやっぱでもでも俺ほど明日の生活に困ってないはずじゃんだってスポンサーいるもんな!高級オイルだかエネルギーだか知らないけど毎日ガブガブいってんだろ?」

「一体何を言ってるんだ」

 ハウンドはいきなり食事の話を始めた男を、EMPに表示された目を吊りあげて見下ろした。

「いやいやホラさぁ、金ねえなーやべえなーって思ってたら銀河連盟が困ってるってビルのテレビが言ってたんだよ、つまり猿捕まえたらエライ人から金もらえんだろ、そしたらうまい飯が食えるだろ!だから俺が捕まえなきゃいけないんだってわかるだろ?な!」

 また新たな事実が判明した。チャルラタンはあの猿を捕まえて、銀河連盟から謝礼金をもらう気でいたらしい。そして、その謝礼金を生活費のアテにしているようだ。

「そんなこと言ってる場合じゃ…命がかかってるんだ。早く追わなきゃ」

 言いながらリーシュをゆるめて回収しようとするが、またもやフード男に途中で掴まれてしまった。

「だから待て待て、俺の命がかかってるんだってだから!猿捕まえる、うまい飯食えるしガス代も払えるし、俺は明日を生きられる!猿捕まえられない、うまい飯食えないガス代も払えないで俺飢え死にする!ついでに餌が買えなくて俺の飼ってる犬も死ぬ!かわいそうだろ?とてつもなく尊い命かかってんだよホラわかってくれるよな?だからお前ここで大人しくしててくれよ!俺を助けると思ってさーワンちゃんよ」

『もういいハウリィ、私が全責任を負うからこのうるさい猿を黙らせろ』

 ハウンド越しに顛末を把握しているサラ博士の怒りに満ちた通信が入ったが、この男を黙らせるためには意識を失わせる以外無いのではないか。そして今は同士討ちしている場合でもない。

 いかに自分の生活が苦しいかを語り出そうとするチャルラタンから、ハウンドは隙をついてリーシュを引っ張り、奪い返した。

「おいおい乱暴だなぁ、忠犬かと思いきや狂犬かぁ?話はまだ」

「すまないがいい加減にしてくれないか、既にニグリ・シミアへの射殺許可が降りている。もう一度街に入ったら殺されてしまう」

 第1種の危険生物が街に放たれ、人間を殺す危険が高い場合、銀河連盟から射殺許可が降りる。そういう取り決めになっているのだ。銀河連盟の駆除班が来る前に保護しなければ、ニグリ・シミアは殺されるだろう。

「人間にとっての危険生物と言っても、望んでここへ来たわけじゃない、密猟され、密輸されてきたんだ!それなのに殺すことを、君は許すのか」

 ハウンドはエイリアン犯罪者や危険生物を狩る猟犬だが、決して無差別に排斥するために働いているわけではない。人間の都合で連れてきたものを理不尽に殺すことを良しとするな、そう学んできた。家畜でもペットでもなく、地球の生物ですら無い。無理矢理連れて来なければ、決して人間を脅かすはずの無い種族。早く保護すれば、あの施設にいたニグリ・シミアと共に元いた地へ帰すことも可能なはずだ。

 人によっては偽善、幼いと切り捨てるだろうハウンドの主張を、しかしチャルラタンは気に入った様子でニヤリと笑った。

「ふーん、お前もロボットのくせに結構喋るんだな?いいねぇますます気に入ったぜ、ただのカタブツかと思ってたけどなかなかかっこいいじゃねーかよ、ペロ!お前に免じて、あの猿捕まえたら俺を無視した罪で1発ぶん殴ろうと思ってたけどやらないことにしてアゲル!だから俺があの猿無傷で捕まえたら謝礼金、お偉方に頼んでくれよな」

「私が捕まえたとしても頼んでおくから、もう妨害はしないでくれ」

 言葉を切って走り出すと、ぽんぽん跳ねるような走り方でチャルラタンが横に並んだ。ハウンドのパフォーマンスが落ちていると言っても、かなりのスピードが出ているはずだ。見たところ人間なのにこの並外れた身体能力は、噂通り超能力で強化しているのか、それとも身に着けているグローブやスニーカーに秘密があるのか、未だ判断がつかない。

「オーケーオーケー分かったぜ相棒!俺に任せとけ」

「相棒じゃありません」

「なんだいきなりよそよそしくなって!ああライバルか!望むところだ我がライバルよ!いざ進め猿のもとへ!タララ~チャルラタ~ンデデデーデーデーーレーースチャチャッ!」

 勝手に何か迷惑なことを決めて余裕の表情で歌まで歌いだした。緊張感というものが無いのだろうか。いや、無いのだろう。

『やはりあっちの猿を追う前にこっちの猿の息の根を止めろ、害悪だ』

「博士、それは私には無理です……」

 博士の殺意に満ちた通信が入るが、ハウンドには従えない種類の命令だ。博士のように殺したいとは決して思わないが、もしこの先のヒーロー活動で何度もこの男に会う機会があるとしたら、自分は、「うざったい」という人間の心理を散々に思い知ることになるだろうという、嫌な確信がハウンドの中にあった。

 隣の壊れたラジオのような男の声を聞きながら、熱暴走しない程度のスピードでしばらく走っていた時、併走していたチャルラタンが突然バランスを崩し、つまづいて地面をごろごろと転がった。

「痛ってぇーー!」

「大丈夫か!」

 不意のことにハウンドも驚き、ブレーキをかける。チャルラタンは転がったことでうまく衝撃を殺したらしく、仰向けの状態から両足を上げ、跳ねるようにして起き上がった。どうやら大事無いようだ。

「かっこわりぃーな俺よー!でも今のはただ転んだんじゃねーよ、いきなり頭がキーンとしてホラ、耳鳴りみたいなよー!聞こえなかったか?」

「…?いや、何も。具合が悪いなら休んでいた方が」

 とりあえず休養を勧めるハウンドに、チャルラタンは両腕をクロスさせ、NOを主張した。

「おいおいやめてくれよ、ライバルに心配されるなんて情けねぇな!でも大丈夫、ノアイプロブレーマ。俺ってば不思議なくらい元気だ、そうだろ!?休憩はナシだぜ、モンキーちゃん逃げちゃうし!ホラホラそれで、愛しのモンキーちゃんは今どの辺にいるワケ?」

「……この近くだ、しかし、移動していない」

 ずっとうろうろ彷徨いながらも、街へ向かっていたニグリ・シミアの位置が何故か動いていない。休んでいるのか、それとも…。

「逃げ疲れたのか?ラッキーじゃん!よーし手柄は俺がもーらうっ!」

 元気そうに飛び跳ねて再び走り出す黄色フードを追ってハウンドも走り出した。とにかく街に入る前に捕まえなければならない。耳鳴りはないが、駆動熱が危険な域に達し始めているのだ。

『ハウリィ、位置情報がおかしい』

 不意に博士からの通信が入り、ハウンドもまた同時に気づく。

「これは一体…」


 ニグリ・シミアの位置情報が、突然に高度を上げたのだ。


『あの種に飛翔および滞空能力は無い…発信機が狂ったか?』

「とにかく現場へ向かいます」

 猿の位置情報が狂った地点へ。

 地面を強く蹴る度、ベータ版の胴体に負荷がかかるのがわかった。駆動熱が高まり過ぎれば、やがてコアにもダメージがいく。動けなくなれば、隣のよくわからない男に任せるしかなくなる。

「他のヒーローは何故来ないんです」

『B34地区で護送車が襲撃され、Aクラスの指名手配犯が複数名逃走中の上、F地区でもビル火災が起きてる。そっちが片付き次第向かうとの返答があった』

「こちらで何とかしろってことですね…」

 隣を走る男がどれだけ強いのか分からないが、リーシュを正しく操れれば捕獲に問題は無い筈だ。確実に届く範囲まで近づきさえすればいい。これは時間との勝負だ。

 停止した猿の位置へ近づいたとき、最初は、空に点のようなものが見えた。ぐんぐん距離を詰めるにつれ、その正体が見えてきた…見えてきたが、それが何なのかハウンドには識別できなかった。

「おいおいどうしたペッロ、空なんて見て、天使ちゃんでも見つけちゃったかァ?」

 やはりロボットであるハウンドほど望遠視力は良くないのだろう、茶化すようにしていたチャルラタンもまた、そのうちにハウンドの視線の先に気づき、空の一点を注視した。上空に浮かぶ影をはっきり眼に映し、口笛を吹く。上空5m近い空中に、透き通る金の翅と、先端に白い毛房のある純白の触覚。虫のような特徴を持つ少女が、ニグリ・シミアを膝に乗せ、座ったような姿勢で浮かんでいた。




=03-6=



「…ワーオ!親方、空に女の子が!」

 空に女の子はともかく、親方と呼ばれるような人物はこの場にいない筈だが、とハウンドは戸惑いを浮かべたが、彼の戸惑いを察したのだろう博士は、『この男の発言は考えるだけ無駄だ』と忠告した。実際その通りのようで、空に浮かぶ人物が女だと認識した瞬間黄色フード男はピーピーと指笛を吹いたり大きく手を振ったりと、ナンパでもしているような所作でその人物の気を引こうとした。

「ヘイヘイヘーイ推定・ベッラバンビーナ!遠すぎてちょっと顔よく見えないから降りてきてくれないかなー‥あとその可愛くないでっかいぬいぐるみもしかしてキミの趣味?ちょっとそれは流石にナイと思うなー俺!あー気を悪くしないで、見ようによっては美女と野獣かもしれないからとりあえず顔見せてよハニー!」

 ハウンドはチャルラタンが喋っている間にAIの混乱を抑え、状況確認を図ろうとした。先ほどまで恐慌状態で逃げ回っていたニグリ・シミアはぐったりと大人しく少女の腕に抱かれている。咄嗟にスキャン機能で生体反応を確認するが、眠っているのか気絶しているのか、意識を失っているだけのようだ。

「博士、これは一体」

 咄嗟にアイカメラを再起動し、状況を博士の元に送信すると博士もまた驚愕の声を上げた。

『…どういう状況かわからない。とにかく危険だから、大人しいうちにニグリ・シミアを拘束し、少女から話を聞きなさい』

「了解です」

 ハウンドが再び顔を上げたとき、少女の前にぴょんぴょん跳びあがり何事か喋っているチャルラタンの姿が見えた。

「ホラやっぱりベッラだ!お嬢さん俺とあそぼーぜ!この街なら俺の庭みたいなモンだしどこだって案内するからさー」

 少女は猿を抱えたまま、うるさそうに眉根を寄せて、跳ねる男を見つめている。

「そこのお嬢さん、聞いてください」

 ハウンドが呼びかけると、少女が緩慢な動作でこちらを見下ろした。その恰好は、上下ともわずかに光沢のある黒。ぴったりとした袖の無いハイネックに、ショートパンツを着ている。歳の頃は16,7だろうか…緑の髪と、両目とも虹彩が桃色と緑に分かれた奇妙な色の瞳。髪の間から出ている黒い羽根のような形をしたものは位置関係的に見て多分耳だろう。純白の甲殻が膝下を覆い、足先はすぼまって角をとった刺のような形をしている。甲殻は腰のあたりからも生え、黄金色の4枚翅を支えている。人間離れしたパーツが色々とついているようだが、それ以外の造形は人間の少女そのものだ。

 翅をわずかにしか動かしていないところを見ると、彼女を空中にとどめているのは何か別の力のようだ。二の腕まである黒い手袋を嵌めた指先が、同じように黒く輝くニグリ・シミアの背を、優しく寝かしつけるように、ゆったりと撫でている。

「その猿は凶暴な宇宙生物です。危険ですから、どうぞ降りてきて、その生物をこちらへ」

 ハウンドが手を伸ばしこちらへ来るよう促すと、少女は獰猛な目でハウンドを見下ろした。初対面だが、いい印象を持たれていないようだ。

「あんたたちでしょ、この子を追い回していじめてたのは」

 澄んでいながらも、気丈で厳しい声音が降ってくる。そのように見えたのだろうか、追い回していたことは事実だが。

 ハウンドは少し驚いて訂正した。

「いじめていたのではありません、私は銀河連盟の指示のもと、密輸された生物を保護しています」

「ふうん」

 少女は興味無さそうな返事をし、上からじろじろとハウンドを眺めまわすと、挑戦的な笑顔を浮かべた。

「まあいいわ、どっちにしろもう私のだから。ニグリ・シミア、前からほしかったの」

 少女のとんでもない言動に、ハウンドは目をチカチカと点滅させた。勿論、容認できることではない。

「だめです、元々住んでいたところへ帰してやらなければ」

「だめじゃないわ、私が拾ったんだから私の。そういうことだから、帰って」

 ぐったりしている猿を抱え直し、少女は苛々した様子でハウンドを睨んだ。白い触角の先が、心なしか膨らんでいる。

「待ってください、そのニグリ・シミアは子猿です。親のところへ帰してやりたい」

「マジかよその大きさで子猿!? ってことは大人はゴリラサイズだなァー育ったら餌代すげーぞ!」

 チャルラタンの軽口のとおり、大人はゴリラほどの大きさがあり、子供に比べ体も堅い。逃げ出した個体は子供ゆえに体が小さく身も柔らかく、わずかに広げた檻の隙間に体を通すことができたのだろう。そして多分、一緒の檻に入れられていた二匹が親だったのだ。

 少女はハウンドの説得に、益々心象を悪くしたように不機嫌な表情を見せた。

「子供だから何。親なんてどこにもいないじゃない!」

 駄々をこねるような少女の口調に、研究員の子供に散々手を焼かされたことを思い出し、ハウンドの口調は子供をなだめるようなものに変った。

「その子の親は、その子を逃がすため必死に檻を曲げて隙間を作ったんだよ。子供だけでも逃がそうとして」

「自分たちの分の餌が減るから追いだしたのよ。この子だって親なんてどうでもいいから、置いて逃げてきたんだわ」

 どうしても譲りたくないのか、少女は唇を堅く引き結んで目を吊り上げている。

「それは親に会わせてやればわかることだよ」

「…あんた、嫌い!」

 どうやら嫌われたらしい。完全に敵意を向けられてしまった。

「なー嬢ちゃんよー、その猿返してやろーぜ! な! 俺の飯のためにもさ? なんなら代わりに俺のこと可愛がっちゃう?」

 我慢して比較的静かにしていたらしいチャルラタンが見かねて口を挟むと、少女はつれない態度で答える。

「いらないわ、あんた弱そうだし、うるさい」

「アッハッハッハ言ってくれるねー! 言っとくけどこのスタイルはやむなく低予算なんじゃなくて無駄のないシンプルさとエコに基づいたデザインなわけよ、見た目で判断すると後悔するぜ? いいからモンキーちゃん渡しなさい?」

「嫌!」

「そう? じゃあ悪いけど力づくだなー!」

 チャルラタンは喋りながら少女の傍まで跳び上がり、少女に手をかざした。

「何…」

 咄嗟に少女が身を引くと、男の手は少女の浮いているあたりの空をかき…何かにぶつかった音を立てた。

「んんっ!?」

「やだ、やめてよ!!」

 何もない空間だと思ったところに手が当たったことで、チャルラタンが驚きの声を上げ、少女の方は悲鳴を上げた。少女の身体は前後にぐらつき、そのあたりの空にノイズが走った。一瞬だけ浮かび上がるのは、ゆらゆらと揺れる小型の飛空艇のようなシルエット。


「何だアレかっけえ!?」

 目を輝かせながら着地したチャルラタンに、ハウンドは一言呟く。

「光学迷彩だ」

 すぐにハウンドのスキャン機能が、揺れが収まると共に再び透明になった飛空艇を認識する。浮いているように見えた少女は、限りなく静かに滞空する飛空艇の翼部分に座っていたのだ。

『見たことの無い型だが、銀河連盟で使っているのに形が似ているな』

「やはり彼女はエイリアンでしょうか」

 博士からの通信に応えている間に、バランスを取り戻した機体の上で少女が怒りの声を上げた。

「落ちちゃうじゃない!」

「俺にオチちゃうって? 参ったなぁーモテる男は辛い! じゃあもういっちょ行くぜベッラ? おいハウンドちゃん、アレ落とすから、猿は任せた!」

 少女の抗議は、猪突猛進ヒーローを逆に焚き付けることになった。ハウンドが静止する間もなくチャルラタンは不穏なことを良いながら地面を蹴った。先ほどより高く跳んだが、今度は少女を狙わずその下の機体へとりつき、両手を押し付ける。

「下へ参りまぁすっ!」

 男が手を押し付けたところが凹み、透明な機体ががくんと揺れた。

「きゃああっ!?」

 少女の悲鳴が響き、飛空艇は突然地面に引き寄せられるように、ノイズを走らせながら急降下した。チャルラタンが笑いながら少女を落下する飛空艇から攫うのを見て、ハウンドも少女の膝から落下したニグリ・シミアにリーシュを伸ばし、巻きつけて引き寄せ、仰向けにスライディングする形で受け止めた。幸い傷は無く、まだ意識を失っているようだ。受け止める者のいない飛空艇は点滅しながらかなり大きな音を立てて地面とキスをし、地面にヒビを入れて止まった。

「あーはははははは! これが引力だ!!」

 少し離れたところにチャルラタンが少女をいわゆるお姫様抱っこで捕まえたまま着地し、謎の雄たけびを上げている…多分キメ台詞なのだろう。一瞬呆然としていた少女はばたばたと暴れ、男の腕の中から逃れようとした。

「嫌!離しなさいよイナゴ男!」

 イナゴ呼ばわりされても特に意に介さず、黄色いフードのゴーグル男は楽しそうに少女を羽交い絞めにしている。一見するとチャルラタンが悪者だ。

「ところがどっこい離せないんだなぁゴメンネ! 一応容疑者確保っていうか、君と俺の間に万有引力が発生しちゃったからさぁホラ恋と言う名の?」

「気持ち悪い、離して! 離せぇえっ!!」

 怒りと恥辱に顔を真っ赤にした少女が大声を上げ、それまでほとんど動かしていなかった4枚の翅を広げた次の瞬間。

「……っ!?」

 余裕の笑みを浮かべていたチャルラタンが、引き攣るような悲鳴を上げて膝をついた。腕の拘束が解けた少女は、突然無抵抗と化した男を甲殻に覆われた脚で思い切り蹴り飛ばした。

「チャルラタン! 何をされた!?」

 やや尖った脚先がみぞおちの辺りに入ったらしく、チャルラタンは体を折り曲げて地面に転がったが、何故か両手で押さえたのは蹴られたみぞおちではなく頭だ。苦しげな声を上げ、足をわずかにばたつかせている。

「フフ、いい気味だわ! 動けないでしょ、脳みそがグラグラして」

 少女は、地面に転がる男まで歩み寄り、顔を覗き込んでいるようだ。ハウンドは彼女が広げている4枚の翅が、人間の肉眼ではとらえられないほど細かく震えていることに気づき、博士に伝えた。

「少女の翅が振動しています…これは」

『恐らく音波攻撃だ』

 サラが遠隔でハウンドの聴覚センサの感知範囲を引き上げると、ハウンドにもチャルラタンを苦しませている音を認識できた。頭痛を起こさせ、脳が揺れるような強い不快感を与える音だが、ロボットであるハウンドには効果が無い。先ほどチャルラタンが感じたという耳鳴りは多分、ニグリ・シミアを気絶させたものだろう。

『これ以上あいつの脳がどうにかなる前に止めさせろ!』

「了解」

 博士との通信の間に、ニグリ・シミアに巻き付けたリーシュを形状固定したハウンドは一人、チャルラタンの元へ走った。

 と、チャルラタンを観察するのに飽きたらしい少女が近づいてきたハウンドを振り向き、ぎょっとした表情をした。

「あんた、何で立ってるの!?」

 この少女はどうやら、ハウンドのことを知らないらしく、人間だと思っている。驚いた拍子に翅を動かすのもやめたらしく、苦しんでいた男が、ぐったりと四肢を投げ出した。

「君は一体何者だ」

「……あぁ、そのダサいヘルメットのせいね。もっと音量上げてやろうかしら」

 できればロボットであることは言わないでおこうとしたが、それをされると、今度こそチャルラタンがどうなるか分からない。ハウンドは渋々種を明かした。

「…言っておくが無駄だ、ロボットの私にそれは効かない。認識はできるが痛手とはならない。君は何者だ」

「ロボット?なにそれ、ずるい!」

「君は人間か、エイリアンか」

「…つまらないから帰るわ」

 少女は踵を返し、先ほどチャルラタンに落とされた飛空艇へ歩いて行こうとする。

「待ちなさい、君は…」

「少しでも動いたら、今度こそそいつの脳みそぶっ壊すから」

 脅しの言葉にハウンドはぎょっとして、ストップモーションのように歩みを止めた。そいつと言って指差されたのは、地面にぐったり倒れているチャルラタンだ。少女の力が実際に人間を再起不能にできるほどの力を持つのかは分からないが、気絶させたり苦しませる力がある以上滅多なことはできない。

「なっ‥」

『…お前用のリーシュを予備でもう1本作らせておけば良かったな』

 やり取りを見ている博士が悔しそうに呟いた。確かにリーシュがあれば、この距離からでも少女を素早く拘束できただろう。しかし今は元々のターゲットであるニグリ・シミアに巻き付けたまま。優先順位は明らかにあちらの方が上だ。

「本当にロボットなのね、不気味!」

 不自然な姿勢で硬直しているハウンドを見てせせら笑うと、少女は飛空艇へゆったりと歩いて行き、振り返った。

「あ、その猿はもういらないからあげるわ。じゃあね」

 ニッコリと手を振った少女を、カプセルのような形の飛空艇の蓋が覆い隠すと、飛空艇は立ち尽くすハウンドと地面に転がるチャルラタン、2人のヒーローの目の前でゆらゆらと浮かび上がり、再び透明になって消えた。



 =============



 こうして、1年越しの任務は奇妙な形で終結を迎えた。高級ペットショップによる密売問題を摘発し、脱走した宇宙生物を無事保護したことで、ハウンド・エレクトロンとチャルラタンの名はしばしの間ニュースに取り上げられた。チャルラタンはスポンサーこそつかなかったものの、銀河連盟からそれなりの報奨金が出たようだ。Mr.ドッジの正体は伏せられ、サラはインベル社に直訴してベータ版の機体をテスト用として回収した。


 事件から一週間が経ち、やや落ち着きを取り戻したラボでは、皆がコーヒーブレイクをとっていた。

「それにしても、誰なんでしょうねこの女の子」

 記録映像を見ながら、もう何度目になるか分からない疑問をアルベールが呟く。

「ああ、それなんだが、映像を分析した銀河連盟から連絡があった」

 コーヒーを飲みながら手に持った情報パネルを見ていたサラに、ラボ内にいる全員の視線が集まった。

「正体が分かったんですか?」

「ああ、推測だが」

 ハウンドが問うと、サラは情報パネルに銀河連盟から送られてきたらしい資料を映し出し、中央のテーブルへ滑らせた。それを覗き込んだ皆の顔が、見る見るうちに曇ってゆく。博士にとってもあまり言いたくないことなのだろう、珍しく少し言いよどみながら、それでもその推測を口にした。

「彼女はおそらく…」


 ヒトとエイリアンのキメラ体だ、と。


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アンドロイドは英雄の夢を見るか モギハラ @mogihara

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