第5話 日系電波ボーイ
ゆるやかな勾配のある道を歩いていたとき、不意にモリ達の横を風が通り抜けた。フレームの細い、カラフルな自転車だ。すれ違うとき片手を上げたので、アルフォンソたちの知り合いだろう。乗っている自転車は多分、形からしてスポーツ用のロードバイクだ。
「あっ、おい! ちょっと止まれ」
それを見たアルフォンソが急に走り出し、自転車を呼びとめた。結構な速度で走っているロードに追いすがるのだから、なかなか良いバネをしている。筋肉は飾りではなさそうだ…なんて考えつつ、モリは小走りで後を追った。
「何?」
振り向いてブレーキをかけた乗り手は、小柄な男性のようだ。
「ケント、ちょっと話していけよ」
「なんか用っすかバラッカさん」
怪訝そうな様子の声だが、喋り方や声質は若そうだ。バラッカさん、というのはアルフォンソの名字に違いないだろう。
「ちょっとな、連れと話して行ってほしいんだ」
アルフォンソに呼ばれ、自転車を転がしながら歩いてきたのは、やや小柄な日本人男性とそう変わらない背格好の青年だった。背の高い人が多いこの島では、結構小さい方だろう。顔立ちもどことなくアジア系だ。ケントという名前も日本人っぽいし、彼が探していた日本人のひとりなのだろうとモリは思った。
「よっす、ちびっこ探偵。何か事件でありますか?」
ケントはQをみとめると、スッと拳を差し出した。拳をぶつける挨拶のようだが、Qは会釈をしてそっと拳を押し返した。
「そういうのじゃないよ、今日は」
「えぇー!」
ケントは口を尖らせて残念そうにしたが、今度はモリに視線を移して、じっと見つめてから、ちょっと考えるように眉間にしわを寄せた。
「えーっと…前に会ってたらごめん、いや、すっごく見覚えがあるような気はするんだけど…」
ウーンと唸りながらあるはずのない記憶をさぐっている様子のケントに、慌ててモリは手と首を振った。
「いえ、ちがいます初対面です。私、森といいます」
「あ、やーっぱり? 全然見覚えがないからそうかと思った」
変わり身の早さに思わず笑ってしまいそうになったが、モリはぐっとこらえた。いや、ジョークだったなら笑うべきだったかもしれない。判断に迷ったせいで、モリはなんとも曖昧な愛想笑いを浮かべることになった。ケントは気にした様子もなく、ニコニコとしている。よく見ればピアスがいくつか空いているし、メットを脱いだ頭は、ツンツンと上へ立ててある染髪っぽいオレンジ色と、刈り込まれたおそらく地毛であろう黒髪のツーブロック。つまりちょっとヤンキーっぽくはあるが、モリは悪い青年ではなさそうという印象を持った。高校生か大学生ぐらいだろうか。年の頃も近そうだ。
「モリ、よろしくね。俺はケント・オカモト」
ケントに差し出された握手に応じながら、その名前の響きにモリは確信を持った。
「…岡本、けんとさん? 日本の方ですか?」
当然そうだと答えられるとモリは思っていたが、ケントは海外の映画でアメリカ人がそうするように、オーバーに肩をすくめてみせた。
「ノー、生まれも育ちも国籍もアメリカ人だよ。両親もアメリカ人」
その返答にモリは表情には出さないようにつとめたものの、少しだけ気落ちした。それに、なぜかモリ以上にアルフォンソが驚いているようだった。
「あれ、そうだっけ? お前日本人じゃなかったの?」
「ひどいなバラッカさん、今まで俺の何を見てたわけ?」
知り合いなのに国籍を勘違いしていたのだから、ケントが両手を広げて猛抗議するのももっともだ。
「いや、悪い。男のプロフィールは頭に入ってこなくて」
アルフォンソの返答は、あまりにもあんまりだった。
「そういう正直すぎるとこ嫌いじゃないけどさぁ…」
やれやれと首を振ったケントは、ため息を吐いたあとモリに向き直って、にっこりと笑った。
「なんか、がっかりさせたみたいだな?」
「そんなことない、です! ただ、名前が日本人っぽかったので…もしかしてと」
思い切り図星だったので一瞬言葉に詰まってしまいつつも、モリは一応の弁解を試みた。
「うん、俺は日系アメリカ人だもん」
「あ、なるほど…」
日系人。2世か3世かわからないが、かつてアメリカに入植し、大戦中を向こうで過ごした日本人たちの末裔だ。会うのは初めてだが、妙に親近感を覚えるのもそういうことかもしれない。
「日本人に間違われて嫌ってわけじゃないよ! 日本は、もうひとつのふるさとだと思ってるし、日本への留学経験もある」
明るいヤンキーっぽく見えて、かなりきちんとした人なのかもしれない。
「それで、どうして日本人に会いたかったの? ホームシック?」
その通りといえばその通り、猛烈なホームシックなのだけれど、まずホームがわからないんです。
モリがそう言う前に、Qが進み出て説明をしてくれる。
「モリは島に来たばっかりなんだけど記憶がないらしくて。自分のことを思い出すヒントを求めて日本人を探してるんだよ」
「なるほどね、俺も日本のことにはそれなりに詳しいつもりだけど…モリって西暦何年生まれ?」
「ええと、何年…かも、わからなくて」
名前さえ思い出せないのだから、誕生日がわからなくても無理はない。モリが困った顔をすると、ケントはオーケー、と質問を切り替えた。
「好きだったアニメとかゲーム、映画…覚えてない? えーと、カプモンはわかる?」
「…それ、知ってる」
「よし、じゃあ少なくとも1990年代以降に生きてたってことだな。好きだったキャラとかいる?」
「……えっと…」
途端に何も浮かばなくなり、モリは言葉に詰まった。ケントはモリの様子を見てまたどんどん質問を変えていく。
携帯の機種は何だった? アイフォンはいくつまで出てた? 知ってるアメリカ大統領の名前は? などなど、 ケントから矢継ぎ早に繰り出される答え合わせに、モリは必死に頭の中を探った。どれも聞いたことがある気がするし、懐かしい気がする。きっと、ケントと自分は時代的に近いのだろう。けれど、それらに関する具体的なこと、懐かしさにつながる記憶を思い出そうとすると、急に靄がかかったように記憶は遠のいていった。スパイ映画の人物の名前だとか、少年漫画の名台詞だとか、どうでもいい時にふと立ちのぼってくる知識はあるのに、自分の過去の体験の記憶とつなげようとすると途端にわからなくなってしまうのだ。
「えっと……ごめんなさい、知ってると思うのに、答えようとするとわからなくなっちゃって…」
「そっか、大丈夫大丈夫。多分、俺の時代とそう遠くないと思う。未来人って感じでもないし、たぶん、2000年代を生きてたのかな」
未来人。そうか、そういう先の時代の人もいるのか。そういえば時代も国もバラバラだとQが言っていたっけ。モリはいまは未来人については深く考えないことにして、ケントに頷いた。
「…はい、多分。オカモトさんの格好には、違和感ないですし」
「俺らの格好には違和感あったんだね」
アルフォンソにクスっと笑われてしまったが、正直言って、モリから見るとアルフォンソとQの服装は、映画から抜け出してきたようで、現実感がなかった。
ケントはというと、裾の長いカッターシャツにジーンズ、スニーカー、上着を肩にかけて両袖を首で結んでいるのは何かのプロデューサーっぽいが、とりあえず不自然さは無い。
「ケントって呼んでよ。話し方も、あんまりかしこまらなくていいし」
「うん、そうする。ありがとう、ケントくん」
同年代で日本のことを知るケントと知り合いになれて、モリは少しホッとした。だが、こんなに色んなことが思い出せないとは思わなかったので、ケントとの問答の結果は少なからずショックだった。
「オレ、役に立てた?」
モリの不安が伝わってしまったのか、ケントまで子犬のような不安顔をするのでモリは慌てて大きく頷いた。
「うん、すごく助かった!」
「そうか、よかった! また助けになれることがあれば言ってくれ!」
なんとも頼もしいことを言うケントに、アルフォンソがそういや、と話を振った。
「呼び止めちまったけど、何か用事があったのか?」
尋ねられて、ケントは思い出したように山の上のほうを仰ぎ見た。
「それが、山の向こう側で映像が乱れるらしくて。山の中に立てた電波塔を点検しに行くとこなんだ」
「電波塔?」
モリが疑問符をつけて復唱すると、隣にいたQがすぐに回答をくれた。
「ケントはこの島のテレビとラジオの局長なんだ」
「局長さん!?」
プロデューサーどころか局長だった。てっきり気ままな大学生かと思いきや、意外にバリバリのワーキングマンだったのかと、モリは驚いた。つくづく、人を見かけで判断するべきではない。
「そう、この島イチの局だよ! …なにせ1局しかないからね」
胸を張ったかと思うとすぐに自らネタバラシをするケントに、アルフォンソが「倫理委員会がないからやりたい放題」と黒いジョークを飛ばす。しかしケントは気を悪くするでもなく、むしろニヤッとして「そう、深夜帯に延々自作の曲を流したりできる。最高だよ」と親指を立てた。
「局長だなんて、すごいね?」
「まぁね! 生きてたときは下っ端だったけど、今やトップだよ。まぁボトムもいないけどさ」
ケントはちょっと下手くそなウインクをしてみせた。
「ケントくんは、生きてた時の記憶があるんだね…」
「うん、オレは結構はっきり覚えてるほうだよ」
「それでも、ここに来た時とまどわなかった?」
モリなら多分、記憶があったとしても大いに戸惑っただろうと思う。
「うーん、そりゃ色々びっくりしたけど。オレあんまり深く悩んだりするの苦手で…それより、ここへ来た時にテレビ局もラジオ局もなかったから、オレがやるしかないと思ったらもうワクワクしちゃって。死んで終わりかと思ったら、ボーナスステージがあったぞ、みたいな。テレビやラジオを持ってる人も多かったし」
「すごいなぁ…一人で全部やったの?」
「始動までは大変だったけど、応援してくれたり、手伝ってくれる人もいたから」
モリには、少し懐かしそうに答えるケントこそが、何かの番組でヒーローインタビューを受けるべき人のような気がした。すごい行動力のある青年だ。
「…帰りたいとか、思わなかった?」
「帰るも何も…生き返り方もわからないし、第一、死んだ時の記憶もはっきりあるからなぁ…帰れたとしても、いま帰ったらゾンビ映画みたいにもう1回殺されそう。家族が恋しくないかと言えば嘘になるけどね」
「あぁ…そうか…そうだよね…」
場合によっては葬式を出されて、墓までたっているだろう。モリには死んだ実感がないから「帰る」という思考になるが、ケントから「生き返る」という言葉が出て、期待していたよりずっと状況は難しいのだ。
「変なこと聞いちゃって…」
ごめんなさいと言葉が出る前に、ケントは首を振って遮った。
「オレは今が楽しいからいいんだ。ちょっと短めだったけど精一杯生きて、予定とは違ったけど、こうして局長にもなれたし!」
ケントはシンプルなデザインの腕時計を見て時間を確認すると、山の上を指差した。
「そういうことで、アンテナを夜の放送までに直さなきゃいけないから」
そうだった、局長をこんな場所で長話させていてはいけないと、モリは慌てて両手を小さく振った。
「引きとめちゃってごめんね、でも話せてよかった」
これは、モリの本心からの言葉だ。
「無責任なこと言うと、オレはここを、夢が叶う場所だと思ってるんだ。だからモリが本当に帰りたいと思うなら帰れるかもしれないって思うよ」
「…うん、ありがとう。ケントくんの作った番組見るね」
「ああ、モリも良かったらいつか出演してよ。流したいアニメとかあればリクエストして!」
ケントは再びメットを被ってロードバイクに乗り、大きく手を振るとゆっくりと加速して、遠ざかっていった。
「それにしてもケントくん、若いのに立派だなぁ」
斜面を駆け下りる車輪の音に耳を澄ませながら、モリがあらためてしみじみ呟くと、
「うん、あいつは大した奴だ」
とアルフォンソが同意した。
「Qくんも小さいのに私よりずっとしっかりしててすごいよ」
「ついでに褒められて嬉しいよ」
Qは照れ隠しなのか皮肉を返し、アルフォンソは自身を指差しながら「モリ、オレは?」と聞いてくる。
「アルさんは…かっこよくてすごいなぁ」
「…彼に無理に付き合わなくていいんだよ、モリ」
「どうしてお前はそう、オレにあたりが強いんだ?」
Qがため息を吐くと、アルがすわっとQの脇腹に手を差し込んで高く持ち上げた。
「…下ろしてよ」
「いーや、生意気なお子様はダッコの刑だ」
アルフォンソはQを抱え直しながら、モリに微笑んだ。
「モリも何かやりたいことがあったら、何でもやれるさ」
考えていたことをすぐに見抜かれて、モリは目を丸くした。帰る方法を見つけるまで、この島で好きなことをするのもいいのかもしれない。生き生きとしたケントの様子をみて、モリはそう思い始めていたのだ。
「私にも何か、できるのかな?」
「ああ。この島じゃ歳をとらないから、時間はいくらでもあるし…」
「えっ?」
自然な流れで、かなりとんでもないことを言われてモリは耳を疑った。
いや、あまりに皆、生きた人と変わりないので、モリは前提を忘れていたのだ。
生きるとは、変化し続け、前進すること。成長すること。
そして死とは行き止まり、終着点。成長は生きているものの特権なのだ。
当たり前のはずのことなのに、なぜだかモリはひどく、胸の痛む思いがした。
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