第4話 英国紳士とイタリア男
モリ達は町を抜けて、山沿いをまわりこむように続く道路を歩いていた。道路は舗装されていて、転落防止のガードレールもある。こういった公共工事は誰かがやっているのかとモリが尋ねると、自分が来たときには既にあったもので、わからないとQは答えた。
誰かが作ったのなら、覚えている人がいるのでは?と聞くが、少なくとも自分は、知っている人を見たことがないと首を横に振られてしまった。
それにしても、島民は多く、それなりに発展しているはずなのに、この島の歴史について知る人はいないのだろうか。なんでも知っているように見えるQにも、答えられないことがそれなりにあるようだ。自分なりの予想はあるのかもしれないが、確証のないことだから、今はやめておこうとはぐらかされてしまった。
そして、ゆるい勾配の山道に息切れしたのか、考え込み始めたのか。Qが喋らなくなり、アルフォンソはやや先を歩いていて、一向にしばし無言の時間が訪れた。
道路にかかる木陰の中をゆくと、柔らかい木漏れ日が頭をあたためる。太陽がちょうど真上にあるのだろう。生来の呑気さなのか、現実逃避なのか自分でもわからないが、モリは歩きながら、こんなのどかに、木漏れ日を浴びるのは久しぶりだと感じた。生まれ変わるような心地と言うのもおかしいが、ほかに適切な表現が見当たらない。モリはあちこちから響く鳥のさえずりに耳をかたむけた。姿は見えないが、かわいらしい声で心が落ち着く。この草木やあの鳥たちも、死んでいるものなのだろうか。
「なんて鳥だろう」
「なんだろうね。俺も知らない」
ぼんやりとひとりごちたつもりだったのだが、いつの間にか少し離れて横を歩いていたアルフォンソが返事をした。そしてなぜだか、モリの顔をじっと見つめてくる。モリはなんともむず痒い心地がしたが、思い切り顔を伏せるのも失礼な気がして控えめに、その青い目を見つめ返した。と言っても、1秒の半分ぐらいが限界だったが。
「えっと…?」
たまらず声をかけたモリに、アルフォンソはああ、と帽子のつばを少し下げて、視線をやわらげてくれた。
「いや、随分顔色が良くなったなと思って。はじめ、雨に濡れた子猫みたいな顔してたから」
ちょっとはリラックスしてくれたかな、と嬉しそうに笑うのを見て、モリはひとつ気づいたことがあった。そういえば、自分はQと話してばかりで、アルフォンソには話しかけられれば答えるものの、あまり自分から話しかけていなかった、と。子供で、あまり視線を合わせてはこないQと違い、アルフォンソはよく目を見つめてくるのもあるが、知らない成人男性、しかも外国人、しかも俳優さんのような美丈夫ともなると、つい構えてしまっていけない。いや、見知らぬ土地で会ったばかりなのでモリの警戒と心の壁は当然と言えば当然だが、知らず二人に差をつけて対応していて、モリは少し申し訳ない気持ちになった。しかもそれを察してか、アルフォンソはQをはさんだり、少しモリから距離を置いて歩いてくれているようだ。
「ごめんなさい、気を使わせてしまって」
謝ると、アルフォンソは解せないという顔をして、困ったように自分の帽子のつばをなぞった。そして、指を1本立てておごそかに言った。
「モリ、いいことを教えよう。お詫びの言葉が聴きたくて女の子に親切にする男なんかいないよ」
大真面目な顔で言うので、モリはまた少し笑って、ありがとうございますと伝えた。
「モリの笑顔はやっぱり魅力的だね、ずっと見ていたいから道化師にでもなろうかな」
油断したところにまた甘い口調で、枕に顔を埋めて布団をかぶって足をバタつかせたくなるようなことを言ってくる。だがここには布団も枕もないので、モリは最低限奇声を上げないように、黙ってQの後ろに回って顔を隠した。本気の言葉というより、彼の国の流儀というか、女性に対する礼儀のようなものだろうとわかってはいる。だが免疫がないのでとても、とても、恥ずかしい。顔を見られたくない。
「…ねえ、モリを口説きたいだけなら街に帰ったら?」
盾にされたQは迷惑そうにしながらも、アルフォンソを睨みつけた。
「俺はただ自然に、思ったことを言ってるだけなんだけど」
「文化の違いを考慮して、抑えて」
「わかったよ、さすが小さくても英国紳士様だな」
アルフォンソは淡々としたQの説教に少し子供っぽく口を尖らせたが、モリにはQ越しに柔らかい表情を向けて詫びた。
「モリ、怖がらせてごめんよ」
「いえ、ちょっとあの、慣れないだけで…怖いとかではなくて」
「本当に、からかうつもりではないんだ。ただモリの笑顔が見たくて」
一度顔を出したモリがまたそっとQの後ろに隠れ直したので、アルフォンソは困ったように、今のもダメなのかと頭をかいた。
「日本人はほんと照れ屋でかわいいな。難しいよ」
「…この男は女性と話すとなると口説き文句しか語彙が無いから」
本当に困った様子のアルの声色と、庇っているのか非難しているのかわからないQの物言いに、そうならば、自分が慣れるしかないのでは…とモリは一瞬覚悟を決めようとした。
「ただ、あれぐらいでハートを掴むつもりだと思われるのは心外だな。口説くつもりなら、邪魔者がいない時にする」
撤回だ。慣れる前に心停止してしまう。ね?とばかりに例のとびきり甘い笑顔を向けられて、そう思いなおした。
「モリ。あんまりこの男と二人きりにならないほうがいいよ」
「はい!」
モリは思わず力強く頷いてしまったが、アルフォンソが笑っていたので良しとした。
なんてことはない雑談まじりに歩いていく一行は、途中、石造りの橋を渡って川の流れを横切った。山からは湧き水も出ていて、いく筋かの川が、森や街中を通って海に注いでいるらしい。
Qによれば、島の中ほどに位置するこの山は規模は小さいものの、火山の一種らしい。幸い、噴火活動などは島民の知る限り、今までのところ起きていないらしいが。反対側の麓には天然の温泉もあり、町にある銭湯はそこからお湯を引いているのだそうだ。
死んでいてもお風呂に入れるなんて、まったく贅沢な話だが、やはり温泉があるのは嬉しい。
「この島には何でもあるんですね」
「島民次第なところもあるけど、まあうまくできてるよね」
そういえば、ダッドはこの島にあらわれた時、店ごといっしょに来たと聞いた。ただQの話では、皆が皆そうではなく、こっちに来てから新しく店を始める人もいるのだそうだ。
「なんていうか…たくましいなぁ、みんな」
自分と同じように右も左もわからない人もいただろうに、皆きちんとこの島に適応して、日々を暮らしている。死んでいるのに生命力も何もないのだが、モリはしみじみ感心した。まだどこか狐につままれたような夢見心地でいるが、寝て起きて、まだ覚めない夢ならば、自分もこの島で暮らしていくすべを、探さなければならないだろう。
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