第4話 終わりを告げる鐘


「ちょ、どういうことですか」


 田中は食いつくように聞き入った。


「何がよ」


「どうしてそんなことおばさんが知って……」


 何故そんなことを転校生が聞いてくるのだとおばさんは訝しそうにしていたが、田中はそれを気にする所ではなかった。


「うち、その子から相談受けてたんや」


 田中はそのおばさんの言葉をにわかにに信じることが出来なかった。田中が先程教室で聞いた皆の話と矛盾していたからだ。直子と親しかった渡辺や菅原は、彼女から強姦された事など聞かされていなかった。クラスメイト達は、その事実を直子の死体を鑑識されたことによって知り得た。そしてその相手が竹本だということを突き止めた。


 しかしおばさんは、そのことを自殺する以前の直子から相談を受けていたという。しかも強姦した犯人が彼氏、つまり渡辺だとさらっと口にしたのだ。


「そのことをおばさん以外に知ってる人はいるんですか? 例えば、その自殺した女子生徒の友達とか」


「おらんかったはずよ。その子、うちにしか相談でけへん言うとったから」


「それはどうして?」


「友達とか家族には言いづらかったんやろうね。それに口外したら周りの人間が痛い目に遭うって彼氏に脅されたみたいやわ。だから友達とかじゃなく、何の関係もないうちに相談したんや」


「それでおばさんはその子になんて言ったんですか?」


「うちは正直になって家族に話した方がええって言ったわ」


 それが正解だろうと田中も思った。


「でも結局、あの子はそうせんかった。うちが知らん間に、校舎から飛び降りよった」


「知らない間って、どういうことですか?」


「その子が亡くなる直前に、うちは長い休暇を貰ったんや。ちょっと娘の所に行かなあかん用事があったからな」


「なるほど」


「それで戻ってきたら、あの子が自殺したって聞いてな。しかも妊娠もしてたらしいし。それが原因やろうな」


「警察には?」


 おばさんは首を振った。


「もうとっくに捜査は終わっとったよ。それにうちが何言うても結果は変わっとらんかったやろうな」


 いや、変わっていた。犯人が捕まっていなくても、少なくとも今日みたいな惨劇は訪れなかったはずだ。そう、無実の男が殺されることはなかった。


 そうなれば、田中には腑に落ちない点が二つあった。


 まず一つはストーカーについてだ。今の話から察するにストーカーは竹本ではない。多分渡辺だ。


 しかし、彼氏である渡辺がそれをする訳がわからない。それを言ってしまえば、強姦した理由もそうだ。渡辺は彼氏ではなかったのか。いや、それはない。もしそうだったら菅原たちが気づいているはずだ。それにおばさんも直子から彼氏に強姦されたと相談されたと述べていた。


 もう一つはどうして竹本が殺されたのかだ。強姦したのが渡辺だとしたら、わざわざ竹本をめてまで殺す必要はなかったのではないか。直子が自殺して、その理由を作った犯人が自分でないことになれば、それで済む話ではないか。それか、竹本を殺そうと提案したのは他の誰かなのか。


「ついたで」


 あれこれと考えているうちに保健室に到着してしまった。田中が廊下に掛けられた時計で時刻を確かめると、三分少ししか経っていなかった。


 全く時間は稼げなかった。いや、もうその必要はないだろう。むしろ今は一刻も早く渡辺の所に向かわなければいけなかった。


「おばさん、せっかく案内してもらったのに悪いんですけど体の調子が治ったみたいで。ごめんなさい。急いで戻ります」


 田中はそれを言い終わる頃には既におばさんに背を向けていた。後ろで「ちょっと」とおばさんの声が聞こえてくるが、振り返ることなく走り続けた。


 間に合え、間に合え。そう繰り返しながら来た道を全力疾走する。遠目で食堂横にトラックが駐車してあるのが見えた。そこに二人の人物がいた。渡辺と菅原だ。丁度、菅原が渡辺に鍵を渡す瞬間だった。


「その鍵を渡したらダメだ!」


 田中は腹から叫んだ。幸いそれは届いたようで、少し先の二人が田中の方を向いた。その数秒後に、田中はトラックの元に辿り着いた。


「ちょっとあんた何してるの? 食堂のおばさんはどうしたの」


 菅原が鬼のような形相というよりかは驚いた表情をして田中に見せた。渡辺も目をぱちぱちとさせていた。


「それはいいんだ。それより菅原さん、その鍵をそいつに渡したらだめだ」


 田中は肩で息をしながら言った。


「は? 意味わかんないだけど」


「田中くん、一体どうしたんだ」


 田中は乱れた呼吸を整えようと大きく二回深呼吸をする。


「みんなそいつに騙されていたんだ」


 田中は渡辺を指さした。渡辺は眉をひそめた。


「どういうこと?」


 菅原が田中と渡辺を交互に見る。


「竹本先生は無実だったんだ。あの先生は直子さんを強姦なんかしてない。やったのは渡辺くんなんだ。ストーカーも多分そいつで、竹本をはめたのもそいつなんだ」


 まだ田中の頭の中でもまとまっていなかったが、とりあえず話すしか無かった。


「何を馬鹿なことを」


 渡辺は取り乱したりはしていなかった。それも演技に違いないと田中は思った。


「やっぱり殺すべきだったのよ。転校生を協力させるなんて無謀だったんだわ。渡辺、こいつも殺してコン詰めにしよう」


 そんな菅原を無視して田中は話を続ける。


「食堂のおばさんから聞いたんだ。おばさんは全て知っていたんだ。おばさんは言ったよ。直子さんから相談を受けてたって。その内容は彼氏から強姦を受けてたことだった」


 渡辺と菅原の目が見開くのがわかった。


「直子さんはその事実を親しい人達には隠してたんだ。何故なら渡辺くんに脅されていたからだ。話せば周りの人間が危険になると。だから直子さんは一番関係のない食堂のおばさんに打ち明けた。そうすれば話は出回らないと踏んだ」


 渡辺の眼光が鋭くなっている。対して菅原は困惑の表情を浮かべていた。


「めちゃくちゃだな。もういい。菅原、早く鍵を貸してくれ。その後、こいつの代わりにおばさんを引き止めていてくれ」


 渡辺は菅原に手を差し伸ばした。しかし、菅原はそこに鍵を置かなかった。彼女の顔に迷いの色が浮かび上がっていた。


「どうした、はやく貸せ」


 渡辺が急かす。それでも彼女は渡さない。


「転校生がそんな嘘つくメリットはないと思う」


 菅原は言った。渡辺の眉間に皺がよった。


「こいつは結局、俺達がしてることは悪だと認めただけだ。だから邪魔しようとしているんだ」


「悪だよ。君たち、いや渡辺くんだけがそうだ。僕は君がしてることは正義かもと思っていた。でも違った。ただ皮を被っていただけだった。皆から信頼されるように振舞っていただけなんだ。本当は直子さんを襲って、無実の人を殺すようなサイコパスだ」


「田中くん、さっきから君が言ってる事はおかしな点ばかりだよ。どうして彼氏である俺が直子をレイプするんだ。それに直子をストーキングする理由も皆無だ」


「それは最初、僕も分からなかった。でも、何故渡辺くんが竹本先生を殺したのかを考えていたら、ある可能性に気がついたんだ」


「それって?」


 菅原さんが聞く。田中は一呼吸置いてからいった。


「多分だけど、直子さんは竹本先生を好きになってしまったんだ」


 渡辺の顔に動揺が走るのを田中は見逃さなかった。


 そして菅原は、はっとしたように目を見開かせた。何か心当たりがあるようだ。それらを見て、田中は自分の発言に確信を持った。


「直子さんは渡辺くんという彼氏がいながら、竹本先生を好きになってしまった。そして恐らく、直子さんはそれを渡辺くんに打ち明けた。別れを切り出したのかもしれない。それを機に渡辺くんは豹変した。独占欲が強いあまりに無理矢理直子さんを襲った。それからも密かに彼女を監視し続けた。変な手紙も送り続けた。もしかしたら直子さんは本当はストーカーの正体については気づいていたのかもしれない。でも、それを口にするのは怖かった。だから、曖昧に菅原さんや麻美先生に相談したんだと僕は思う。最終的に直子さんは自殺してしまって、渡辺くんは彼女が好きになった竹本先生を憎んで殺した」


 短い沈黙が訪れた。菅原さんは信じられないといった顔をしているが、どこか納得しているようでもあった。


 対して渡辺の顔は引きつっていた。だが、それも一瞬だった。渡辺は口角を上げてみせるが、目だけは全然笑っていなかった。その顔で直子のことも襲ったのだろうと田中は思った。


「菅原の言う通り、殺すべきだった」


 渡辺はそういって作業着のポケットからナイフを取り出した。さっき竹本を刺したのと同じものだ。まだ赤く染っている。


 菅原さんはそれを目の当たりにして、後ずさりをした。怖いのだろう。そう感じているのは、渡辺という男が頼れて信頼できる人間でなく、ただの極悪人だと気づいた証拠だった。


「そう来ると思っていたよ」


 田中はそういうや否や、後ろにある非常ベルを強く叩いた。火事が起きた時に押すやつだ。たちまち校内でやかましい音が鳴り響いた。


「すぐに人が駆けつけてくる。ここで僕を殺したら、間違いなく君は捕まるだろうね」


「お前……」


 渡辺が迫力のある眼力で睨みつけてくる。腹ただしさから奥歯を強く噛み締めているようだ。


「はやく逃げた方がいいんじゃないの」


 田中がそう促すと、渡辺は舌打ちをしてから背後のトラックに乗り込んだ。


「いつか殺す」


 そう告げて、渡辺はトラックの扉を閉めた。すぐにエンジン音が聞こえて、トラックが前進し始める。奥の方でトラックが曲がり、その姿は見えなくなった。


 隣で菅原さんが崩れるようにして地面に座り込んだ。それと同時に廊下から先生達が駆けてくるのが見えた。その中に麻美もいた。



 一限目を終えるチャイムが鳴った。



 渡辺が竹本を殺した動機、それが閃いたのは田中の過去があったからだ。


 いじめられていた少女に好意を寄せていたが、実はそれは浮ついた心だった。他に恋人がいた。


 田中は直子と違って、そのことをかつての恋人に告げなかった。ただ、転校を理由に付き合うのをやめた。彼女は酷く泣いていた。ついて行くとまで言い出した。田中はこのことからも逃げていた。


 もし、もしもあの時、いじめられていた子が自殺する前に、恋人に田中の心の中を打ち明けていたらどうなっていたのか。


 それは今となっては知る由もなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鐘が鳴る時に 池田蕉陽 @haruya5370

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ