第3話 時間稼ぎ
「ちょっと待ってよ。さすがにそれはダメだって。転校生だよ? わかってる? 今日きたばかりの無関係だよ? こいつ直子の顔も知らない赤の他人だよ? そんなこいつが本気でやるわけないじゃん」
今度ばかりは菅原に賛成だった。出来るわけがなかった。渡辺は天才だと心で呟いたが、撤回したくなった。
「そうするしかないんだ。田中くんなら転校生を理由におばさんに近づける。本当なら他の人に保健室の場所がわからないと仮病でおばさんに近づかせるつもりだったけど、さすがに在校生には言い訳が苦しすぎるんだ。でも転校生の田中くんならそれが可能になってしまう。生徒手帳を見せれば転校生だってことも証明できる」
菅原は頭を抱えた。
「だったらそれ、麻美先生がやればよくない? 麻美先生なら教師だし何らかの理由でおばさんに近づいても怪しまれないじゃん」
菅原はどうしても田中にその役をやらせたくないらしい。無論田中もやりたくなかった。
「それも考えたんだが、そうすれば作業員を止めることが困難になる。教師の麻美先生なら食品を届けにきた証明書にサインする際に色々と時間を稼ぐことはできる。それは麻美先生にしか出来ない。かといって生徒が派手な方法で作業員を止めるのもリスクがある。だから一番安全なのは、麻美先生と菅原が連携して時間稼ぎと鍵を盗んで、田中くんがおばさんをどうにかするんだ」
菅原は黙り込んだ。おいおい何か言い返してくれよと田中は思った。このままでは本当にその役を押し付けられそうだった。
「私は田中くんがやることには反対じゃないんだけど、田中くん自身はどうなの?」
麻美が田中に聞いた。田中は迷う振りもするも、内心出来るわけがないと繰り返していた。
「き、厳しいんじゃないかな」
とりあえずそう言っておいた。
「頼む田中くん。君しかいないんだ」
渡辺が深く頭を下げた。田中は口元を歪め、彼の頭のてっぺんを見ていた。
「も、もし失敗したら……?」
渡辺は顔を上げ、田中と目を合わせる。そしてこう言った。
「君はともかく、他の皆は刑務所にはいるだろうね」
責任重大だった。
「でも田中くんがやらなかったら、もっと成功確率は減る。田中くんがやれば、ぐんとこの確率は上がるんだ。だから頼む」
やはりこんな学校に転校しなければ良かったと後悔した。
「わ、わかったよ……やってみる」
「本当か!?」
「う、うん。でも失敗しても僕を責めないでくれよ」
「失敗したら殺す」
隣の菅原の言葉がナイフになって田中の心臓を突き刺した。
「よし、五分前になった。作戦を決行しよう。菅原達はブルーシートで死体を包んで紐で括ってくれ。他のみんなは教室内の血を拭いて綺麗に頼む」
おお、と皆が掛け声を合わせ、それぞれが作業に入っていく。ただ田中は緊張で足を震わせていた。徐々に吐き気までもしてきた。
「大丈夫か?」
渡辺が田中の肩に手を置く。いつの間にか彼は既に着替えたようで、作業員の格好になっていた。口元には白いマスクがつけられている。
「うんと言いたい所だけど、残念ながら全然大丈夫じゃない。僕は皆と違って心の準備が出来ていないんだ。今日転校してきたんだよ? さっきまで普通に残りの学校生活を過ごすんだと思ってたんだ。それなのに……はあ、荷が重すぎるよ」
「そうだな。本当にすまないと思っている。これが終わったら焼肉を奢るよ」
「僕は寿司派なんだ」
こんな状況なのに渡辺は純粋に笑ってみせた。
「わかった。寿司を奢る。覚悟は出来たか?」
「正直まだ出来てないけど、やるしかないんだよね」
「その通りだ」
渡辺が手を伸ばしてきた。田中は渋々それを握って席を立ち上がった。
「渡辺、準備出来たわ」
菅原達の足元には死体が包まれたブルーシートが置いてあった。
「よし、そこの窓から死体を落としてくれ」
渡辺は左の窓際に指をさした。
「落ちた時の音で他のクラスに不審がられるんじゃないの?」
田中はふと疑問に思ったことを口にした。
「今は冬だぜ。他のクラスは暖房がついているから窓は閉めているはずだ」
確かにとなる。それに少し音が漏れたとしても、対して気にもしないだろうとなった。
菅原達がブルーシートに包まれた死体を持ち上げ、窓際まで移動する。一人が窓を開けると、せーのの合図でそこから死体を落とした。
ブルーシートの乾いた音に混じった鈍い音が三階の教室まで届いてきた。落ちた所は駐輪場となっていて、朝と放課後しか人はそこに集まらない。
「よし、皆はここで待機しててくれ。俺と麻美先生と菅原と田中くんは駐輪場に向かう」
四人が頷いた。田中だけが自信なさげだった。
教室を抜け出し、授業をしている教室を避けるため、少し遠回りして駐輪場に着いた。
当然、ブルーシートに包まれた死体があるだけで他に誰もいなかった。授業中のような静けさだったが、それが返って田中の中に緊張を走らせた。
「この先を曲がったところに食堂があって、そこに輸送トラックが止まる」
あの角だ、と言って渡辺がそこを指した。
「あと一分くらいね」
麻美先生も緊張しているようで声は少し震えていた。
「最終確認しよう。田中くんがまず不体調を装って食堂のおばさんを保健室に誘導する。そして輸送トラックが来たら作業員を麻美先生と菅原が足止めをする。その時、出来るだけ輸送トラックから離れた場所でやってくれ。そうじゃないとエンジン音でばれてしまうからな。それで鍵を奪取したら菅原が俺にそれを渡す。俺は直子の家に向かう。帰ってきたらスマホで連絡する。それまでは田中と麻美先生と菅原は時間稼ぎしておいてくれよ」
「わかったわ」
菅原が
「そういえば、丁度そこだったな」
ふと渡辺が田中の足元を指さした。麻美と菅原はそうだったわねと首を動かした。
「な、なにが?」
田中は聞いた。
「丁度、今田中くんが立っている所に直子が落ちて死んだんだ」
田中は慌ててその場から逃げるように一歩退いた。
そんなこと言うなよと思った。
「今もきっと、直子は俺たちを見守ってくれている。絶対成功するように祈ってくれてるはずだ。失敗はしない。必ず成功して、また皆が待ってる教室に戻ってこよう」
全員が「了解」と口を揃えた。
「じゃあ始めよう。田中くんは早速行ってくれ」
「ちょ、ちょっと待って。何分くらい時間稼げばいいの?」
「スマホで連絡を入れる。通知をオンにしててくれ。時間で言うと、菅原が鍵をどれだけ早く盗めるかにもよるけど、だいたい十五分から二十分くらいだ」
「二十分か……」
とてつもなく長く感じることだろう。人生で一番長い二十分になりそうだった。
「それまでには必ず戻ってくる。だから頼んだ」
「わかった。じゃあ行ってくる」
田中は重い足取りで食堂に向かった。
角を曲がると、コンクリートの道が続いていて、右沿いに校舎に入る扉のない入口があった。そのすぐ左が食堂となっている。そこには非常ベルも設置されていたが、あまり使われていないだろうと田中は思った。
田中はそこまで行くと、激しい動悸を抑えようと深呼吸をする。三回それを行うと、食堂の両扉を向こうに押し開けた。
すぐに奥にいるおばさんと目があった。六十代だろうか、顔には多数の皺が刻み込まれており、目もそれの一部に見えた。
「おや、さぼりの生徒かい。久しぶりだね」
そいうや否や、おばさんは電話機に手を添えた。職員室に連絡する気だ。
「あ、ちょ、ちょっと待ってください」
田中は慌てて止めた。
「なんやの」
「ぼ、僕体調が悪くて保健室に行きたいんですけど、保健室の場所がわからなくて」
実際田中は保健室の場所を知らなかった。
おばさんは失笑した。
「スリッパの色からしてあんた三年生やろ。三年生で保健室の場所を知らんはずないやろ」
またもやおばさんが電話機に手をかけた。
「ち、違うんです! 僕、転校生なんです」
「転校生?」
おばさんは皺だらけの顔を更に皺くちゃにした。そして、不審そうに田中の顔をじっと見つめた。
「確かに見ない顔やね。生徒手帳を見せてごらん」
田中がおばさんに近づくと、ポケットから生徒手帳を取り出しおばさんに渡した。
おばさんはそれを開くと、数秒後に「おおっ」と声を上げた。
「ほんまに転校生みたいやね。疑ってごめんな」
おばさんが申し訳なさそうに生徒手帳を田中に返す。田中は「いえいえ」と手を振った。
「それで、保健室まで案内してくれませんか?」
んー、とおばさんが唸る。
「もうちょいで業者さん来るねんけど……まあ、しゃーないな。ついてき」
ふう、と胸を撫で下したくなった。とりあえず第一段階はクリアだ。
田中はおばさんの少し後ろをついていった。
「どれくらいで着きます?」
田中は腕時計を確認しながら、おばさんに聞いた。
「どれくらいって、五分もかからんよ」
「えっ」
田中は思わず足を止めた。おばさんが振り向き「どないしたん」と首を傾げた。
五分、往復でも十分。稼がなければならない時間は二十分、十分も足りない。このままでは作戦が失敗に終わる。焦りがこみ上げてきた。
「あ、あの、ちょうどいい機会なんで他の教室とか案内してくれませんか? ほら、僕転校生でどこにどの教室があるのかわからなくて」
すると、おばさんは嫌な顔をした。
「なんでうちがせなあかんのよ。うち食堂のおばちゃんやで? 同じクラスの子に頼めばええやないの。それがきっかけで仲良くなったりすんねんで」
「で、でも……」
「それにあんたも体調悪いんやろ? はよ保健室行かなあかんやん。それかなに、仮病なんか?」
「い、いえ違います。すごくしんどいです」
「ほんならはよついてき」
再びおばさんが歩き始めた。田中も渋々ついていった。
どうすればいい。全然だめだ。二十分なんて不可能だ。
田中の頭の中は諦念でいっぱいだった。
だが、このまま素直に諦める訳にはいかない。田中は頭をフル回転させて打開策を練った。
「にしてもあんた、なんでこないな時期に転校してきたんや」
「え?」
時間稼ぎの方法を考えていると、少し前を歩くおばさんが田中の方を振り向いていた。田中は脳に集中していたので、おばさんの話をまるで聞いていなかった。
「だから、もうすぐ一ヶ月もせんうちに卒業やのに、なんでこの学校来たんや」
あー、となった。おばさんにしては当然の疑問だった。
正直策を考えたいが、だからといって無視してると機嫌を損ねて食堂に戻りかねないので、話し相手になるしかなかった。
「前の学校が嫌いだったからですかね」
「嫌い? なんでや」
「前の学校で、クラスの女の子が自殺したんです」
その女の子が自殺したのは、去年の冬休みに入る前だ。今思えば同じ時期に直子も自殺していたんだな、と何だかえも言われぬ気分になった。
「自殺ねえ。なんでまた」
おばさんが目尻を下げて聞いた。
「いじめです。よくある話ですよ。僕はそのいじめてた奴らと一緒にいることが辛かった。だからですかね」
辛かったから転校した。しかし田中の場合、それは口の重宝だ。本当は逃げた、田中はそれを自覚している。
田中は自殺した少女を見捨てたとはいえ、何度も彼女を助けようとした。それはただの正義感からではなかった。
田中はその少女のことを好きでいた。地味な女の子だったけど、その分優しかったのを田中は知っている。
だから彼女がいじめられた時は彼女を庇った。
しかし、それが返っていじめをひどくした。自分と関わらないでくれと田中は避けられた。
どうしていいのかわからないまま、彼女は自殺した。思い出したくない悲劇だった。
だからといって、田中は復讐を考えなかった。
「いつになっても自殺は絶えないね。こんなこと言うべきではないのかもしれんけど、ほんの最近、この学校でも自殺があったんやで」
「え、そうなんですか」
田中はわざと驚いてみせた。
「そうや。多分そっちで起きた自殺とはまた理由がちゃうやろうけど」
そこまでおばさんが言うと、大きなため息をついた。
「なんであないな子が、あんな目に合わないかんかったんや」
曇り顔でそういった。強姦のことだろうと田中は思った。
「あんなことって?」
「誰にも言わんといてくれって本人から口止めされてたんやけど……」
おばさんはそういって語るのを躊躇っているようだった。
しかし、転校生の田中にそれをする意味がないとなったのか、やがて皺だらけの唇を開けた。
「彼氏に強姦されたんや」
「えっ」
この田中の驚きは、決して演技なんかではなかった。本当に意表を突かれてしまったのだ。おばさんの口からは彼氏ではなく『先生』というワードが出てくるとばかり思い込んでいた。
だが違った。出てきたのは彼氏。つまり渡辺のことだった。
渡辺が直子をレイプをしたのだ。
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