静岡県のゴルフ場
「アニキ、やっぱりゴルフ場はええですのう!」
アニキとヒロは、静岡にあるゴルフ場に来ていた。もちろん遊びに来ただけではない。出張での仕事を終えたあとのお楽しみである。
「あいつらホンマしらばっくれるとは思わんかったわ。今頃駿河湾の底で後悔しとるやろうけどな」
「アニキの選択肢の『浮くか沈むか』って一択ですやん」
Dead or Dieの問いかけは、アニキ達の業界にとって珍しいことではなかった。
ブラックリストに乗りつつもカネを借りるような奴らは、どのみちものすごくくだらないことにカネを使い、親族や友人といった周囲を巻き込むのだ。ならば終わらせてやるのも慈悲だろうとアニキは思っている。
ヒロのショットがとんでもない方向に飛んでいった。ヒロ、パワーはあるが、スイングがめちゃくちゃなので、どこにボールが飛ぶかわからないのだ。恐らく、普通に18ホール回る人の倍以上、20mくらい歩いているのではないだろうか。
昼食を終え、ラウンドを続けようとしたところ、ヒロ、急にもじもじしだした。
「アニキ、ちょっとわし、トイレ行ってきますわ」
走ってトイレに向かったヒロを見送り、アニキは買い替えたばかりのスマートフォンで、横浜のオヤジに仕事の報告をした。
アニキ、ヒロの帰りが遅いので見に行くと、ヒロ、行列に並んでもじもじしていた。
「空きませんねん。全然進みませんねん」
前に並んだ数人の初老の紳士に殺気を浴びせながらヒロは地団駄を踏んでいた。
だがヤカラに殺気を浴びせられようが、切羽詰まっている人にはそんなもの通用しない。
よく歩いたから胃腸が活発になっているのだろうか、ヒロの腹からは唸りのような音が響いてくる。
「ヒロ、きばれや。そんな素直にこんにちはさすな」
「せ、せやかて」
「いっぺんヒトになったら、なかなか人間には戻れんぞ」
そう言ってアニキ、遠い目をした。先日の横浜の一件は、アニキの人格に少しだけ影響を落としてしまったのだ。
そんな話をしながらも、列は動かない。前に並んでいる人たちは、もっと長い時間我慢しているのだ。
言っていいものかどうか迷ったが、終わらせてやるのが慈悲だろうとアニキは決断した。
「ヒロ、あんな?」
「へい」
「小便器あるやろ」
「へ」
ヒロ、小便器を見やり、アニキの表情を伺い、前に並んだ不動の列を確認し、最後に、再度アニキの顔を仰いだ。
「アニキ、アニキ、ホンマにええんですかのう」
「ええんやで」
アニキは菩薩のような優しい笑顔で返した。
ヒロ、顔から表情が消え失せ、ゆっくりと小便器に向かう。
小便器に向かって腰を向け、臨戦態勢を取るやいなやすさまじい炸裂音がした。
アニキが歌でごまかそうとしても、しきれるものではなかった。
ヒロ、下を向きながらたまらず嗚咽。
「アニキ、わしは、わしは」
「ええんやで。悪いのはヒロやない」
「ううっ。小便が」
「ターンせえや」
ヒロ、ズボンとパンツを膝まで下ろしたまま、足首の動きだけでゆっくりとターン。泣きながら半回転し、少し経って泣きながらゆっくりと一回転した。
すげえ昔、大当たりするとこんな感じで動くパチンコ台あったよな、とアニキの記憶は過去に飛ぶ。
ふと見ると、並んでいた者達もヒロにならっていた。どこかの社長がいるだろう、もしかしたら地方の議員もいるかもしれない。いずれ劣らぬ、戦後日本を支えてきた歴戦の猛者たちだ。それらが皆、嗚咽を漏らしながら小便器に腰を向けたり、ゆっくりとターンをしている。
記憶が過去に飛んだままのアニキは、思ったままを口にした。
「地獄の新装開店、大フィーバーやな」
「ううっ。アニキ、アニキ。もうあかん」
「なんや4番台」
「ケツが、ケツが抜けませんねん」
小便器に、ヒロのケツがすっぽりと埋まっていた。
ヒロの手を引っ張っていると、スマートフォンが鳴った。横浜のオヤジからだった。
「はい、はい…。え? 振込されていた? だってもう。いやもう無理です。なんですか教会行けって。生き返るわけないでしょう」
アニキはスマートフォンを右手に、左手にヒロの手を握り、呆然と立ち尽くした。
ヒロ、アニキに礼を言うつもりで頭を上げたところ、スマートフォンをカチ上げた。天井にぶつかったスマートフォンは角度を変え、ヒロがはまっていた小便器に落下。音はしなかった。
アニキ、嗚咽が充満するトイレの中で膝を折り、長い時間固まっていた。
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