第2話――隠しゴト
数日後、スナネコは図書館を訪れた。調査途中だった最後の出土品を届けるためだった。火山の麓から図書館まで、朝から運び始めたはずなのに、気付けばもう夜になろうとしている。我ながら、よくぞここまで飽きずに持ってこられたと思う。
「だれかー。いますかー?」
鼻歌交じりに入り口をくぐる。壁に開いた大穴から差し込む月明かりで、図書館の中は明るかった。あまり訪れたことなかったが、こうして見ると中は面白そうなもので一杯だった。本やテーブルや階段や、色んなものをキョロキョロと見回していると、ふと、本棚の裏に隠れるように座る人影が見えた。
「あー! ツチノコですかー?」
「ん。ああ、聞こえてるよ……」
名前を呼ばれたツチノコが、ちらりと顔を上げる。手に持っていた本を閉じると、山のように積まれた本の山にそれを戻す。
「博士に頼まれた出土品を持ってきたです。ツチノコは読書中だったのですか?」
「ああ、まあな。外に出られないから、暇潰しだ」
あの事件以来、ツチノコは図書館で過ごしていた。遺物の影響がどう出てくるか分からないため、何かあってもすぐに対応できるよう博士が提案したことだった。
スナネコは出土品の詰まった箱をその場に下ろすと、ツチノコの横に腰かけた。ツチノコの顔を間近で眺め、にっこりと微笑みかける。二人の体調を考慮し、図書館へは用事のない者は入れないようにされていた。こうしてはるばる出土品を届けにきたのも、ツチノコに会うためだ。
ツチノコが読み漁っていたらしい本を一つ手にとって開いてみる。どのページも文字ばかりだった。
「こんなもの見て楽しがるなんて、ツチノコはすごいですね」
「これしかやることがないからな。なんなら読み方を教えてやろうか」
「本当ですか? ツチノコは優しいですね」
「ありがとよ。じゃあ行くぞ。文字には三種類あってだな。その中でも最初に覚える必要のあるものがひらがなと呼ばれるものだ。このページでいうと、これが――」
「あ、飽きてきたのでもういいです。まんぞく」
パタンと本を閉じると、それをまくらにゴロンと横になる。うっすら目を開けてツチノコを見たのは、「飽きるなーッ!」とキレるツチノコを期待してのことだった。だが。
「……あはは、お前も変わらないよなァ」
親猫が子猫を見守るような、暖かい目をしたツチノコがポツリと漏らす。
そんな顔をするツチノコを、スナネコは見たことがなかった。まさしく毒気が抜けたといった感じ。自分の知るツチノコとは別人のようだ。
「ツチノコ、なんだか変わりましたね。別人みたいです」
「へえ、そうか?」
「あの変なのに捕まってから、おかしいです」
″変なの″とはあの遺物のことだ。ツチノコの表情に動揺が浮かびかけ、すぐに笑顔になる。
「あー、そうか?」
「絶対そうです。蛇みたいのに捕まったとき、何かあったに決まってます」
「あの時のことは覚えてないんだ。ごめんな。だからほら、いい子だから機嫌治してくれ、な」
駄々を捏ねる子供にするような、優しい手つきがスナネコの頭を撫でる。そのしぐさ一つ一つがツチノコらしくない。
ごろりと寝返りを打ってその手から逃れる。と、階段の上から博士と助手が降りてきたのが見えた。
地べたに寝転がるスナネコに気づいて、博士が息を吐く。
「なにやってるのですか? 図書館は寝床じゃないのです」
「ツチノコが変です……」
我ながら、いじけたような声だった。博士の後ろに控えた助手がちらと目をそらす。
「ツチノコは覚えてないって言うんだけど、助手も何も覚えてないんですかー?」
「申し訳ないのです。私もツチノコ同様、遺物に捕まってる間のことは何も覚えてないのです。おそらく、捕まってる間中、気絶してたからですかね」
「むぅー……」
その話は二人を助け出した時にも聞いたことだった。その場にいたフレンズから様々な質問を投げ掛けられていたが、どの質問にも二人は覚えてないの一点張りだった。
あんなことがあったのだから仕方ないのかもしれない。だけど、あれ以来ツチノコがツチノコらしくなくなってしまったことがスナネコは嫌だった。
なんだか、自分の知ってるツチノコが遠くにいってしまったみたいで。そのことを考えるたび、胸の奥に空洞ができたみたいに苦しくなる。
「ならもういいです。頼まれてた出土品はここにあります。ボクはもう帰ります」
早口に言って、挨拶もそこそこにスナネコは図書館を自去することにした。
「待つのです」と、博士に声をかけられたのは、出入り口をくぐりかけたときだった。
「申し訳ないのですが、スナネコにはもう少しだけここにいてもらいます」
「ボクもう帰りたいです」
スナネコの不平を無視して、博士は助手に紙の束を渡す。キョトンと手元の紙と博士を見比べる助手に、博士は、
「声に出して読んでほしいのです」
「あの、なぜです?」
「思えば、あなたもあれ以来ずっと元気がないのです。何をするにしても心ここにあらずではないですか。これでも読んで頭をスッキリさせて、ツチノコの見本になるのです」
「はぁ……」
気のない返事をして、助手は紙面に目を落とす。見たところ、それも文字ばかりのようだが、さすが島のオサの一人である。口を開いた途端、スラスラと淀みなく文字を読み上げていく。
何かの料理の作り方を言う助手を置いて、博士はスナネコの隣に歩み寄る。退屈さが顔に出てたのか、こちらを見た博士が申し訳なさそうに視線を下げた。
「無理を言って申し訳ないのです」
「暇だから別にいいですよ。でも、どうしてボクがここにいないといけないんですか」
「それは」博士がちらりとツチノコを見やる。助手の読み上げる内容に興味ないのか、どこかよそ見をしている。
「……このあと、あなたにツチノコの支えになってもらうかもしれないので」
「どういうことです?」
スナネコが聞き返そうとしたそのときだった。
ギロギロのセリフ部分の抜粋のページを読み終えた助手が、次のページをめくる。ついで助手の口から出てきたそれに、スナネコは思わず聞き入ってしまった。それはまるで聞いたことのない言葉だった。
単純に聞きなれない言葉というわけではない。それはどれも、普段スナネコたちが使う言葉とは似ても似つかない音をしていた。口の動きもまったく違う。音を聞いただけでは、真似しようにも真似できないだろう。
スナネコは思わず博士とツチノコを見比べた。固い表情で助手を睨む博士とは裏腹に、一方のツチノコはやはりよそ見をしており、まるで興味がないようだった。
混乱しっぱなしのスナネコをよそに、助手は何事もなかったようにそのページを読み終えた。さらに動物図鑑の説明文や、ギロギロの新作エピソードの冒頭を読み終えると、ため息混じりに博士に紙の束を突きつけた。
「これでいいのですか。あまり効果があったとは思えませんが」
「……そうでもなかったのですよ」
紙を受け取った博士は、固い表情のまま目的のページを開いて助手に見せつける。
「なぜ、このページが読めたのです?」
「なぜって、それは――」
言いかけて、助手はハッと目を見開く。ようやく自分の失態に気づいたのだろう。
「そう。ここに書かれてるのは英語と呼ばれるもの。いまのパークでこれを読める者はいないはずなのです。助手、どうしてあなたはそれを読めたのですか。そして」
博士は同じく表情を凍りつかせるツチノコを見やる。
「あれだけヒトの遺した物を研究していたお前が、失われた言葉をスラスラと話す助手に対して、なぜ興味を示さなかったのですか。――答えは簡単です。二人とも、遺物に捕まってたときのことを覚えてるのでしょう。それも、かなり鮮明に」
――――
起伏に乏しいながらも、気迫を含む言い方だった。図書館の中に重たい空気がよどむ。
ふっ、と助手が笑う。どこか冷めた目が博士を見つめる。
「博士も性格が悪いですね。まるで罠にかけられた気分です」
視線から逃れるように博士はうつむいた。
「……私だって、こんなことはしたくなかったのです。こんな嘘をついてまで二人を確かめるなんて、最低だとは思ってます。だけど」
顔をあげた博士が、真っ向から助手を見つめる。
「だけどわかってほしいのです。変わってしまったあなたたちのことを、みんな心配してるのです。お願いです。話してほしいのです」
「そうまでして、聞き出したいということですか。そうですか」
助手がひらりと翼をなびかせて、ツチノコの横へ舞い降りる。何かを確認するようにツチノコを見つめる。辛そうに顔をそらすツチノコに、助手はため息をはいた。
「ツチノコは話したくないそうです。私もできることなら、この件は話したくないのです」
「それは私とスナネコも心配していると言ってもですか」
ハッとツチノコが弾かれたように顔をあげた。見開かれた目がスナネコと合い、辛そうに泳ぐのがわかった。ツチノコの決意が揺らいでいるのだ。
「そうなのか、スナネコ……?」
スナネコはうなずく。
「……博士の言うとおりです。あのときからツチノコ、まるでボクのことを忘れたみたいになりまして。どうしてですか? ボクのことが嫌いになったですか?」
「そんなことない!」
ツチノコが声を荒げて立ち上がる。積み上げられて本がバラバラと床に雪崩落ちる。その音に我に帰ったのか、
「そんなことないんだ。そんなこと……」
弱々しく呟いて、力なくその場に座った。両手で顔を覆い、うつむいて口のなかで何度も同じフレーズを繰り返しているのが、自分に言い聞かせているようで哀れだった。
「私とスナネコ。あなたがたのそれぞれの親友が、ずっと不安を胸に二人が話してくれるのを待ってると言っても、ダメなのですか。あの日あのとき、意識を取り戻した二人が、親友を差し置いて見つめていた虚空の先にあったものを、どうか教えてほしいのです」
「おれは……おれは……」
ツチノコがわなわなと口を震わせる。それを遮るように、助手がツチノコの前に立った。翼を膨らませて、敵意を露に博士をにらむ。
「友情を盾に私たちの気持ちを踏みにじるなんて、大したエゴですね。博士」
「エゴイストなのはあなたもでしょう? 助手」
助手の威嚇に、しかし博士は動じない。
「自分が話したくないから、ツチノコを盾にしてるのです。そうしてなかったことにしようとしてる。違いますか、ミミ」
張りつめた図書館の中に、触れれば傷つけてしまえるのではないかと思えるほどの鋭い視線が交差する。愛情と憎しみが二人の間を飛び交うほどに、空気は重くのし掛かってくる。
「……話そう」
助手の背後、ツチノコがぽつりと呟いた。驚いて振り返った助手に、ツチノコは悲壮に満ちた眼差しを向ける。
「オレからもお願いする。すべて話させてくれ。話さないことでお互いの心が離れてしまうなんて、そんなの耐えられない。オレはもう大切な人を失いたくない」
「大切な人……」
ツチノコの言葉を、助手は反芻する。そこに何か思うものがあるのだろう。去来する感情を堪えるように胸を押さえ込み、顔をしかめる。
そしてややあって、助手は二人を見た。先程の葛藤の欠片すら見えない、表情に乏しいいつもの顔がそこにあった。
「……どこか静かなところへ行きませんか」
いつもの助手がそう言うのに、博士は静かに頷いた。
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