メッセンジャー
てるてる
第1話――メッセンジャー
「逃げて!」という叫び声が耳に届いたときには、何もかも手遅れだった。目の前が光に包まれ、視界が奪われる。低く何かが動き出す音がした。
近くにいたワシミミズクの助手が咄嗟に手を掴んでくれた。声を頼りに安全な場所を探り、這うようにそこを目指す。駆け寄ろうとする者たちを制止しして、早く離れるよう叫ぶ。
「後ろ!」
遠くの方からスナネコの声がした。スナネコの「離して」という声と「ダメだ」という誰かの声がすぐあとに交差する。痛む目を何とか開くと、両手を振り回してこちらに手を伸ばすスナネコと、暴れ回るその体を押さえて逃がそうとするフレンズたちが見えた。その誰もがツチノコとその手を掴んで逃げる助手を見つめていた。
――いや、違う。みんなはこちらを見ていない。こちらの後ろにある”何か”を見ていた。
何を、と振り返ったツチノコが見たのは、煌々と輝く光の中から、蛇のようなツタのような触手が二本、しなるような素早い動きで迫ってくるところだった。
何かを言うより先に、それは助手の頭に取り付いた。そして、自分の頭にも。
叩きつけられるような衝撃とともに、視界が瞬時に闇に包まれる。
闇の奥から立ち昇ってくる光の奔流はツチノコの意識に直接流れ込み、その意識を一瞬にして昏倒させた。
――――
『メッセンジャー』
――これは、人類がフレンズに託した希望の物語
――――
長机の上を見渡して、アフリカオオコノハズクの博士はため息を吐いた。うず高く積み上げられた出土品の山と、それを調べるために集められた図鑑やノートの束が机上を埋め尽くしている。太陽が沈んでかなりの時間がたつが、一向に片付く気配が見えない。
頭上に昇る月を恨めしさを込めて一睨みすると、博士は一番近くにあった遺物を手にとって本の内容と見比べていく。とにもかくにも、作業を終わらせなければ。幸い、自身のようなフレンズは夜目が効く。月明かりさえあれば視界は昼間のように鮮明だった。
火山の麓におかしな物がある。ツチノコが図書館に報告をしに来てくれたのはつい最近のことだ。今まで見たことのないものを見つけた。調べてみたいが、自分一人では手に余る。手伝ってくれる者を集めてほしい。もじもじとフードの裾を掴みながら、そう依頼してきたのだ。
誰かの協力を得ようとする。かつての常に一人で生きてきたツチノコでは考えられない事だった。
かばん達が島を離れてから暇していたということもあり、調査に自分達を加えることを条件に、ツチノコの依頼を受けたのだ。
島中から協力者を募り、集まった者たちにそれぞれ役割を振り分けた。各々の能力や得意分野に合わせて最大限に能力を発揮してもらう。これを"適材適所"というのだと教えてくれたのは、出発する前のかばんだった。
この大規模な調査にヒトの叡知を借りられなかったのは、仕方のないこととはいえつくづく残念だった。
「ひょっこり帰ってきてくれないものですかね」
そして願わくば、また彼女の作る料理が食べたいものだ。
作業の手を止めてぼんやりと考えていたときのことだ。「博士」と肩を叩く者がいた。ヨダレを拭い振り返ると、ヘラジカが浮かない顔をして立っている。
「どうしたのです?」
「博士に頼まれてた、あの遺物の埋まってる部分を調べてくれって話なんだが、一応終わったぞ」
遺物とは、ツチノコが見つけた例のおかしな物のことだ。火山の麓。岩場に囲まれた洞窟の奥。地面から突き出すように顔を出す大きな六角形の円柱。一見すると巨大な鉛筆が突き刺さっているように見えるそれは、博士にとっても初めて見る代物だった。
「そうですか。でかしたのです。それで、どうだったのです?」
「それなんだが」とヘラジカが後ろ頭をかく。
「プレーリードッグを筆頭に穴を掘るのが上手なフレンズ何人かで掘り返してもらったんだが、限界まで掘り進んでも底にたどり着けなかったようなんだ」
「……なるほどですか」
報告の内容に、博士は小さく唸った。彼女らでも無理だったとなると、遺物を尋常でない大きさに違いない。そんな巨大なものは今まで見たことも聞いたこともない。あの遺物が何か目的を持って埋められたのは明らかだった。火山の麓であることも考えれば、おそらく地底深くのマントルまで達しているのかもしれない。なぜ、そんなものを作ったのか……。
「……それで、どうする?」
「えっ? あ、どうするって、何をです?」
ヘラジカの迷うような声が、思案にふけっていた博士を我に返させる。
「だから。遺物の埋まってる部分を調べてくれって話、どうしたらいいんだ。プレーリードッグたちは一休みしたらさらに深く潜れるか試してみたいと言ってるんだが」
博士は首を振る。
「すぐにやめさせるのです。そんな深い場所でアイツらの身に何かあったらどうするのです。とんでもない話なのですよ、それは」
「わかった。プレーリードッグたちにはしばらく潜るのはやめて他の者を手伝うよう言っておく」
ヘラジカは大きく頷くと、安心したように笑った。
「助かったよ。私も同じ意見だったんだが、いまいち納得してくれなくてな。もし博士がプレーリードッグに賛成だったらどうしようかと思ったよ」
「そんなことは絶対にしないのです。みんなを守るのもオサの努めなのですから」
「ハッハッハ! やはり頼りになるなあ!」
「当然なのです。かしこいのですよ――」
――我々は、と言葉をつなげようとし、ふと、自分が一人なのを思い出した。何かを見つけたらしいツチノコに呼ばれた助手が、ここを離れてからかなり経つ。
「そういえば助手は何をしてるのです?」
「ん? 助手ならツチノコと一緒に遺物をいじってたな」
「用が済んだらこっちの作業に戻るよう伝えておいて欲しいのです。……まったく、ただでさえ出土品を調べられるのは私たちしかいないのに、一人にされたら捗るものも捗らないのです。博士と言うものには助手が必要なのですから」
隣に助手がいなくて寂しい、という本音を隠すため、あえてツンと言い放ったつもりだったが、いつも部下と一緒なヘラジカには通用しなかったらしい。
「はいはい」と微苦笑を浮かべて下がりかけたヘラジカは、ふと思い出したように手を叩いた。
「忘れるところだった。はい、博士」
ドンッと長机の上に金属の容器が載せられる。ギシリと音を立てて机がたわむ。
「……これは」
「ちょうどさっき、遺物の近くから見つかったんだ。ついでに渡しておこうと思ってな。それじゃあ、私は作業に戻る」
「…………」
面倒くささを思い切り顔ににじませて睨み付けたつもりだったが、海ぶどう――もとい単細胞生物のヘラジカには通じなかったらしい。笑いながら、洞窟の中へと戻っていった。
洞窟の中、博士から見えない所から作業に集まってくれたフレンズたちの声がする。誰もが楽しそうで、まさに遊びに来たといった様子だった。とても落ち着いて調べ物ができる環境ではないため、こうして外で作業をするハメになったが……。
「まったく、島のオサというのも骨が折れるのです。……にしても何なのですか、これは」
誰にともなく呟いて、ヘラジカに押しつけられた出土品をまじまじと見つめる。遺物の周りには、なぜか人間の置いていったであろう物がたくさん見つかっていた。それはネックレスや宝石などの装飾品だったり、積み木やトイカーなどのオモチャだったり、おおよそこの場に不釣り合いなものばかりだった。
だが、それらはすべてそのままの状態で見つかっていた。わざわざ容器に収められていたことは今までになかった。どうしてこれだけ箱なのだろうか。
――もしかすると、それだけ重要な物が入ってるのかも。
期待をしながら容器の蓋に手を掛ける。錆びてボロボロになった錠は、手で払うだけで簡単に砕けた。蓋を開け、恐る恐る中をのぞき込んだ博士は、その中に入っていた物が、とてもありふれたものであったことに、思わず首を傾げてしまった。
「何でこんなものをわざわざ箱の中なんかに……」
肩すかしを食らい、やれやれと蓋を戻した。と、洞窟の中からまた笑い声が沸き上がる。まったく、人の気もしれないであいつらは。
冷めた思いでみんなの声に耳をそばだてている時だった。
「あっ!」という誰かの短い声がした。何をやらかしたのやら。やれやれと声に耳を傾けていると、声の後を追うように足音が入り乱れる音がする。様々な声が入り乱れる。それが悲鳴と怒声であることに、一瞬気づけなかった。
「一体何が起こって」
洞窟に駆け寄ろうとした博士の目の前を、フレンズたちが這うように飛び出してきた。悲鳴と共に、右へ左へ逃げ出していく。
ツチノコ、助手、捕まって、誰か、動かない、博士を呼べ、助けて、逃げろ。
飛び交う悲鳴の中に、かろうじて聞き取ることのできた言葉に博士は血の気が引いた。二人の身に何かあったのだ――。
博士は洞窟に飛び込んだ。出口へ殺到するフレンズたちを飛び越えて、洞窟の奥を目指す。洞窟の終端に人だかりが見えた。遺物のある場所だ。そこが異様に明るいのなぜか。
「どうしたのです!?」
飛んできた勢いを殺しきれず、たたらを踏んで着地しながら声を張り上げる。人だかりが左右に分かれる。遅れて振り返ったのはヘラジカだった。引っかかれたとおぼしき顔の傷を痛そうにしながら、暴れるスナネコを羽交い締めに押さえつけていた。
「博士! 大変だ。遺物が急に動き出して――」
「ツチノコが! ツチノコが捕まって! 離して! ツチノコが!」
スナネコが金切り声を上げて奥を指さした。釣られて視線を上げた博士は、目の前の光景に凍り付いた。
あれだけ動かないことを確認した遺物が、光を放っていた。熱すら感じるくらいのまばゆい光の中、遺物を中心に無数の立体映像を投影している。そこには無数の読み出しが滝のように流れ落ち、複雑な情報処理が為されているのが分かった。
そして、その遺物の足下。光の洪水の中に人影が二つ、力なく倒れていた。それが誰なのか、博士はすぐに理解した。
「ミミ!!」
言うが早いか、博士は二人の元に駆けだした。「危ない」とヘラジカが止めようとするのを無視して、助手の体を抱き起こす。その体に奇妙な重みを感じたのは、その全身の筋肉が強ばっていたからだ。まるで夢を見ているかのように、全身がガクガクと震えている。時々口から漏れる声は喘鳴めいており、とても意識があるようには見えなかった。
そして――。
「何ですか、これは……」
助手の、そしてツチノコの顔面に張り付いた物を見て、博士は思わず漏らす。鼻から上を丸々覆う黒いヘルメットのようなもの。そこから伸びる蛇腹状の太いコードが、遺物から繋がって伸びている。
「ツチノコ!!」
スナネコがツチノコの体に縋り付く。助手と同じく強ばった体を、半泣きになりながら揺すっている。遅れてやってきたヘラジカが、その肩を掴んで引き戻そうとしている。
「いきなり動き出したと思ったら、その蛇みたいなヤツが飛び出して来たんだ」
スナネコを引き戻そうとしながらも、遺物からは目を逸らさない。
「近くにいた二人が逃げ遅れて、その蛇に食いつかれたんだ。そしたら二人とも倒れて、呼んでも反応してくれなくて、それで、それで」
ヘラジカが言葉を詰まらせる横で、スナネコがコードを掴んだ。ツチノコのヘルメットを引き剥がそうとしているのだ。ツチノコの体が弓なりに反り返る。口から漏れていた声に明らかな苦痛の色が混じり出す。
「スナネコ! やめるのです!」
スナネコを慌てて制止する。その声に気づいたヘラジカがスナネコの手からコードを引き剥がした。それでもなおをコードを掴もうとするのを、ヘラジカが両手を押さえてやめさせる。
「離して! ツチノコが! ツチノコが死んじゃうよ!」
「今はどうすることもできないのです。動かすことも外すこともできない以上、我々にできることは何もないのです」
「でも、でも」
泣き喚くスナネコに、博士は声を張り上げた。その腕の中で、未だ助手は体を痙攣させている。どうすれば。まとまらない解決策に焦りを焦燥感を津ならせていた、そのときだ。
ふいに抱え上げた助手の体が軽くなった。見ると、あれだけ激しかった体の震えがピタリとやんでいた。博士の腕の上でぐったりと全身を弛緩させている。カチャリ、何かが外れる金属質の音と共に、ヘルメットが外れて落下した。閉じられていた目をゆっくりと開く。
「ミミ! ……じゃなかった、助手! しっかりするのです!」
「助手……? あなたは……博士?」
「そうです。気をしっかり持つのです」
「何があったのですか」
助手が両足を曲げ伸ばしをしながら尋ねる。動くことを確認しているようだ。
「調査中の遺物が突然動き出して、あなたたちはそれに捕まって気を失ってたのです」
「気を失って……、どれくらいですか」
「ほんの少しだけです。心配したのですよ。もう、ダメなんじゃないかと……、心配で……」
言いながら、とうとうこらえきれなくなった嗚咽を誤魔化すように、博士は助手の胸に顔を埋めた。泣きじゃくる博士を、しかし助手は無感動に見下ろしている。
「ツチノコ!」
助手と同じく、ツチノコも意識を取り戻したらしい。上半身を起き上がらせ、ぼんやりと周囲を見渡している。何かを確かめるように顔に触れ、
「ここは……洞窟。ここは……ジャパリパーク。お、オレは……」
「ツチノコ! 大丈夫ですか! しっかりしてください!」
スナネコがツチノコの体を揺する。ツチノコの視線がスナネコを合わさった。間近で自分を見つめる親友の顔を見、目を瞬かせる。
「スナ、ネコ……? ……そうか。オレはツチノコ。帰ってきたのか……」
「帰ってきた?」
スナネコの言葉に、ツチノコは返事をしなかった。ただ何かが腑に落ちたような、無表情のまま宙を見据えている。喜怒哀楽の激しい普段の彼女とは思えない横顔を、スナネコはただ困惑して見守ることしかできなかった。
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