第69話 一つ目

 深夜。


 待ち合わせの公園が自宅からだと少し遠く感じるのは、先日の勉強の熱冷ましのための散歩で思ったよりも遠方に来てしまったからか――もしくは、たどり着くまでの道のりがもどかしかったからか。


 どちらにせよ、俺は公園にたどり着くと、かすかに薄れかけている記憶通りに道をすすみ、目的のベンチへとたどり着いた。


 果たして、漆原はそこにいた。

 まるで先日の続きのように、当たり前のようにそこに座っていた。

 

「あ、黒木くん、きてくれたんだね……」

「そりゃ、くるだろ。約束したんだから」

「だよね、あはは……」


 言いつつ、俺は思う――俺も同じようなことを考えていたのだけど。

 言いつつ、隣に座る――漆原との関係性を示すように、限りなく離れて。


 しばらく無言。

 何を話せばいいのかわからないというわけではない。

 なんというか、どっちから話を始めればいいのか、考えていただけだ。


「はぁ、はーっ」

「……? なにしてんだ」

 

 漆原は、星を見るように顔を上にあげていた。

 それから口を開けて、しきりに息をはいている。

 まるで顔のついた機関車みたいな感じ。つまり蒸気機関。


「白い息がでないかなあって思って」

「でねえだろ。冬じゃねえんだから」

「あ、うん……でも、外気温より高ければ、出るよね……湯気もそうでしょ……? カップラーメンから湯気でるよね」

「お前の体内にはボイラーが入ってんのか……?」

「あ、や、まあ、そんくらい体温は熱いかなって」


 よくわからねーが、会話は始まっていた。

 そして始まっているのであれば、俺は聞きたいことがある。

 実際それは、聞きたいというよりも、はっきりさせたいことではあるのだが。


「なあ、漆原」

「はーっ――ん、なにかな」

「なにかな、じゃなくてだな」


 こいつは昔から本当に変わってねえな。

 率直に言えば、マイペース。


「うん」

「つまり、俺は一つ、はっきりとしたいから、ここに来たんだ」

「え、あれ? わたしが呼んだんじゃなかったけ……?」

「……そうなんだが、俺も聞きたいことがある」


 いや、そもそも漆原の言葉を待てば、俺の問題も解決するのか?

 悩んでいると、漆原は機関車の真似をやめた。

 最後まで蒸気は出ていないようだった。


「ねえ、黒木くん。そもそも、わたし、黒木くんに聞いてみたいことが三つあるの」

「三つ?」


 そんなにあんのかよ。

 俺の人生で教えられることなんて、三つもあるんだろうか。


「うん。だから会って話したかったんだけど……、わたしが先でもいいかな」

「まあ、俺にわかることならいいけど」

「黒木くんにしかわからないことだよ」


 漆原は今一度空を見上げた。

 お世辞にも満点の星空とはいいがたいが、それでも星はそこで瞬いていた。


「黒木くんさ、中学校のころ、わたしを助けてくれたよね」

「……え? ああ、まあ、そんなこともあったな」


 若干、動揺。

 そんなこともあったか――なんて、よく言えたものだ。

 ここ最近は、そんなことしか考えていなかったというのに。


「卒業式のこと、覚えてるかなあ」

「卒業式」

「うん。最後に二人でお話ししたじゃない?」

「したっけか――いや、したな」


 嘘になるところだった。


「あ、覚えててくれたんだ」

「まあな……」

「で、あのときわたし、言ったよね。『わたしの悪い癖を直してくれてありがとう』って」

「少し違ったろ。『悪いところを直してくれてたんだよね、ありがとう』だった気がするぞ」

「え? そうだっけ。良く覚えてるね……」

「お、おう」


 失敗したが、嘘ではない。


「とにかく、そういうことをしてくれたよね、黒木くんは」

「したな。悪かったとは思うが、まさか今更クレームをいれてくるとか、ないよな」

「ないない。ていうか、黒木くん、あの時、わたしのこと……少し騙したでしょ」

「……は? いや、なにが?」

 

 なんだこの会話。

 いきなり推理小説みたいな展開にするんじゃねえぞ。


「悪いところを、直してくれた――なんて、嘘。黒木くんは、直してなんて、くれてないでしょ」

「どういうことだよ……」

「黒木くん」


 漆原はその時、ふっと空から目を話、こちらをみた。

 クレームじゃねえだろうな、と身構えたせいで俺は漆原のほうを、みていた。

 

 意図せずに、俺の視線と漆原のそれとが重なった。


「黒木くんは、嘘をつくのが下手だったんだね」

「え?」

「黒木くん、わたしのこと、直してなんかないしょ?」

「だから……、なにがいいたんだ、お前は」


 多少のいらつき。

 いや、それは焦りか。

 恥ずかしさと、後ろめたさと、なにかしらの恐怖と。


「黒木くんは、わたしを直そうとしたんじゃない」


 天然タイプ? そんなこと、誰が言った。

 今の漆原はまるで、狡猾な手段で小動物を捕食する、猛禽類のような鋭さを備えていた。


「黒木くんは――わたしのこと、助けてくれてたんでしょ? 直そうなんてせずに、ただただ、わたしがわたしでいられるように、助けてくれてただけなんだ」

「いや、それは……」

「これがわたしが、黒木くんに、聞きたかったことの一つ目なんだよ」


 漆原は、薄く笑った。

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