第70話 二つ目

 漆原は何も言わない。

 俺の喉はひりついている。


 何かを言えばいいのだろうが、何を言えばあの時の、ひとりよがりの衝動が伝わるのかがわからなかった。

 俺は一度だけ、大きく喉を動かして唾を飲み込んだ。

 それが合図だったかのように、漆原の口が動いた。


「わたしね、少し変わったの。昔とは、ちょっとだけ違うと思うんだ」


 たしかに、と俺は思った。

 頷きはしない。

 漆原はたしかに、どこか変わった。

 深みが増した――なんだか恐ろしい表現だが、そんな感じがしてならない。


 少なくともその表情は、俺が知っているどの同世代の女子よりも、大人っぽかった。


「で、なぜだか昔の自分がよく思い出されるの。それでね、いつも中学生のときの記憶は、黒木くんが出てくる」


 俺は無意味に頷いた。


「わたしは、そうすると、いつもIFの世界を考えるの。こうしてたら、どうだったろうとか、こうだったら、どうなるかな、とか――でね、この前やっと気がついたんだ」

「……なにに?」


 やっと出た言葉はそれだけ。

 だがそれだけで十分だったようだ。


「気づいたんだ――あ、そうかって。そうか、わたし、高校生になってから、色々と上手くいかなくなったんじゃないんだ。中学生の頃は、守ってくれる人がいたから、うまくいってただけなんだって」

「守るって、そんな大げさな……」

「大げさじゃないよ。失って、初めて気がつくものは、いつだって大きいんだから」

「失う?」

「そう、失ったの。そもそもさ、自分が頑張っているつもりだとして、それが仮に合っていたとしても、自分”だけ”が頑張っているわけでもないんだね――そういうことをわたしは、知ることができたんだ」


 漆原は座ったまま、大きく伸びをした。

 中学校の頃には目立たなかった胸元がやけに目立つようになっていることを、知覚する。

 そういえば、昔が痩せ型だったはずだが、今はどこかふっくらとしているようにも見える。

 

 なんだか見てはいけないものを見た気がして、俺は視線を外した。


「ね、黒木くん。それで、答えは? わたしがずっと考えていたこと合ってるかな――まさか答え合わせなんてできるとは、思ってなかったことだけど」


 俺は何て答えればいいのだろうか。

 嘘がどうとか、そういうことではない。


 守る――そこまでのことはしていないだろう。

 当時こそ、そんな想いに似た感情も持っていたのかもしれないが、今ではただただ相手の意思を無視した、一方的なおせっかいだと思う。

 

 ストーカー。

 まさにそんな言葉が似合っているといっても、過言ではない。


 だから俺の答えは曖昧だった。


「……半分……、いや、半分以上、合ってるかもな」

「そっか。じゃあ、四捨五入すれば、あたりだね」

「おう……悪かったな」

「え? なにが?」

「勝手に、かまったからな。過剰なおせっかいは、悪意になることもあるだろ」

「そんなこと、ないよ。とっても感謝してるんだ。気づくのが遅くなっただけど、ありがとう、黒木くん」

「……礼なら、もうもらってる」

「え?」

「卒業式のときにな」

「あ、そうだね。あはは……まあ、あらためてってことで」


 おどおどとしていた、漆原はどこへ行った?

 なぜ三つの質問が始まった途端に、こいつの人格は入れ替わったのだ?

 俺こそ、三つほど質問をしたかったが、それは叶わなかった。


 なぜなら、漆原が二つ目の話を始めたからだ。


「それでね、そんなことに気がついてから、わたしは黒木くんが好きになっちゃったみたい」

「……は?」


 スキニナッチャッタミタイ?


「付き合ってって、言ったの、あれは、嘘じゃないよ」


 付き合ってって――やっぱりそう言うこと?


 脳裏に金髪美少女の、どこか拗ねたような顔がよぎった。


「お、おう……? いや、ちょっとまて、その、お前は何を言ってるんだ?――偶然この前あっただけだろ、それで、その、なんていうか、そういう話をいきなりするのは、いくらなんでも性急すぎるというか、そもそも俺なんかじゃなくても――」

「偶然と久しぶりは、現実の話でしょ? わたしはいつも、頭の中で黒木くんと会ってたよ。それに助けてくれた人を追いかけてしまうのは、普通じゃないかな」


 真面目な顔をして言う漆原に、若干のやばさを感じる。

 先日も俺の目についた、漆原の目の下のクマが、別の意味に見えてきた。


「わかった、お前、寝不足だろ? とりあえず、一度帰って寝ろ。それからだ、話は」

「眠くないよ、大丈夫。それにね、この二つ目の話は、なるべく早く回答が欲しいんだ。だって、黒木くんにはそれができるだろうし」

「いや、簡単に答えられることじゃねえだろ……」


 なんだか頭が痛くなってきた。

 色々な話が重なりすぎて、計算が追いつかない。


「簡単でしょ?」

「なんで、お前がそんなことを決めつけるんだよ」

「だって、黒木くん、彼女いるんでしょ。なら答えは一つじゃないと」

「……は? 彼女?」

「うん。金髪の、とっても、とっても、美人な子。さすが黒木くん、すごいね。わかる人にはわかるんだなあ」

「いや、ちょっとまて」


 それ、あれだろ。

 金髪の子って、あれだろ。

 藤堂さんちの、マシロさんだろ?


「なあに?」

「漆原、一つ言っておく。あいつは彼女ではない。命をかけても、違う」

「え? そうなの? あんなに中よさそうに一緒に帰ってるのに? それで彼女じゃないの?」

「帰ってはいるが、だからといって付き合っているとは限らねえだろうが」

「じゃあどんな関係なの?」

「どんなって……」


 俺は答えようとして、しかし口が動かないことを悟る。

 どんな関係か――そんなもの、俺こそ一番知りたいのだ。


 ゲームをして。

 二人で机をつきあわせて。

 実家にもきて。

 妹とも遊んで。

 相手の両親と約束をして。

 テスト勉強のために一緒に帰って――それってどういう……いや、ちょっと待て。


 流してしまったが、漆原の言葉は、おかしくないか……?


「な、なあ、漆原」

「なあに、黒木くん」


 やはりどこか、深い表情で、漆原は小首をかしげた。

 以前の、おどおどとした漆原はおらず、そこにいるのは大人びた少女だけだった。


「お前、なんで、俺と藤堂が……、その金髪の女子が、一緒に帰ってること知ってるんだ……?


 漆原はその、少しだけ黙った。

 何か、自分のしでかしたことがバレてしまったような気まずさを感じるようでもあった。


 漆原は口角を少しだけあげた。

 それは不思議なことに、笑っているようにも泣いているようにも見えた。


「内緒」

「いや、待て。お前まさか――」


 脳裏によぎる単語は、自分に対して使っていたせいで、簡単に飛び出るようになっていただけだろう。

 だから失礼なことは十分承知。

 それでも一つの言葉がよぎった。

 

 ストーカー。


「黒木くん、付き合ってなかったんだね。なら、答えは少し保留にしようか」

「あ、おい、ちょっと待てって!」


 漆原は黙り込む俺の隙をついて、立ち上がると、夜の隙間を縫うように俺の元から立ち去った。

「黒木くん、また数日後に、ここで! 三つ目の質問も……またあとで!」


 どこか元気になったような気のする漆原の声は、夜にしては大きく、昼に発するには小さすぎる声で――やっぱりあいつは、漆原だなんて思いつつも、しかし俺の言葉はこんなことを呟くのだった。


「俺、告白されたのか……?」


 人生初だった。 


「どうすりゃいいんだ……」


 脳裏の金髪美少女は困ったような顔をして、しかし明らかに怒っているようだった。

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