第16話 駆け足で
スマホの画面を凝視していたら、もう一度、ポコン♪、と音が鳴った。
俺は慌てて画面をタップして、ロックを外し、通知画面からチャットアプリを起動した。
未読、2件。
マシロ。
俺は先ほどの光景を思い出しながら、冷たくなってしまった指先で、マシロと書かれたアイコンを選択した。
『マシロ:おーい。まさか、帰宅してないよね?』
『マシロ:スタンプ(おろおろ)』
おろおろ、じゃねえよ。
おろおろしたのは、こっちだよ……。
内容がそこまでシビアな感じじゃないので、一気に気が抜けてしまった。
時計を見る。
もう少しで昼休みは終わりはすれども、移動しながらであれば返信は可能だろう。ただ、ながらスマホは危険だからな。送っては、歩いて、受信しては、止まって見て、また返したら歩くという風に進んでいくことにする。
しばらく考えてから、慎重に言葉を選択して送信。
『ヨウ:帰ってないぞ。パン食ってただけだ』
数歩歩く。
するとすぐに、ポコン♪、と音が鳴る。
「……はやすぎるだろ」
入力速度の話ではない。
それなら俺も負けてはいないと思う。
早いといったのは、返信する内容の取捨選択の話だ。こっちはパンを食っている報告だけで実に一分は考えているのに、送ってから数秒しか経っていない。
これが陽キャの日常なのか……。すごいよな、本当に。感情のフラッシュ暗算でもやらされている気分になる。もしくは格闘ゲームに似ているかもしれない。相手の意図を探りながらも、反射神経が試されるところが。
残念ながら俺は、格闘ゲームは趣味程度で、本格的にはやっていない。Aは気持ち悪いほどうまいんだけどな。
……って、時間を無駄にしている場合ではない。
はやくチャットアプリを見なければ。
こちとら、反射神経は圧倒的に遅いのだから。
『マシロ:それは、よかった』
抽象的で少し、返答に困る。というかこれは返答が必要ないのかもしれない。
なんて、思っていたら、そのままチャットは続いた。画面を開いているので、音は鳴らない。
『マシロ:ごめんね。色々と押し付けちゃって』
『マシロ:スタンプ(ごめんなすって)』
「……何かをしたという、自覚はあるのか」
やっぱりあれは、藤堂なりの『処世術』みたいなものなんだろう。
俺が、ボッチになって自衛しているように。
藤堂は、ああやって自分の意見を周囲に発布するのだろう。一方的に、拒否を許さぬ形で、法律のように、女王のように。
あとスタンプの趣味がよく分からない。
なんか、風来坊みたいな恰好をした猫が、こっちにむかって仁義を切っている。
やっぱりどこか、気が抜けた。
藤堂が気を使ってくれている――とはさすがに考えすぎか。
「それにしても、なあ……」
俺はまだ甘ったるい口の中を意識しながら思う。
助けてもらったのって、絶対に俺だろ。
なのに、助けた側から謝ってくるとは……どうしたもんかな……。
俺は小さく息を吐いてから、入力する。
『ヨウ:別に、気にしないでくれ』
送信。
既読。
――なんで。
送信するまでは、気がつかなかったのに。
――なんで、俺は。
送信してから、すぐに気がついた。
――なんで俺は、素直にお礼を言えないのだろうか。
ああ。
なんだこの感覚。
いま、一瞬で、俺という人間の進む道が決定してしまったような脱力感を感じてしまった。
たとえばそれは、意識せずに『ポイ捨て』をしてしまったように。
それを『だめだよ』と指摘されて、はじめて自分の愚かさを自覚したように。
そのくせ、それっぽい言い訳で、自分の立場を取り繕っているように。
俺は今――俺自身が、クソみてえな場所へ、逃げようとしていることを理解してしまった。
「ほんと、俺、なんでこうなんだろうな……」
自宅以外で自嘲するのは久しぶりだ。
だって自嘲しはじめると、最終的には、枕に頭を押し付けて、うならずにはいられなくなるからだ。
残念ながら、俺は今、枕を持っていない。
でも、そうしてしまう理由も分かっているんだ。
俺だって気の迷いで、ボッチ人生を選択しているわけじゃあない。
だって。
だって――もしも俺が素直に感謝したら。
きっとアイツはもっと俺に構ってくるはずだ。
それだけならいい。
笑って、ごまかしてりゃいい。
面白くない話題にも、笑って回答して、流しておけばいい。
でもそれはいつしか変化するだろう。
藤堂だけなら、もしかすると、うまくいくもしれない。
だが、地球上には藤堂以外に、何億人も人間がいる。
そこには、人の意志がある。
藤堂との出会いから、もし、人の交流がひろまったら――誰かが、ふと、俺に何かを求めるかもしれない。
『もっとこうしなよ』
『こうしないからいけないんだよ』
『こうするのが――正解だよ』
分かる。
分かるさ。
俺はクズだろうし、キモイだろうし、本当に人間としては終わってる部類なんだろうよ。
でも――これが『俺』なんだ。
そして――こんな俺を認めてくれる『家族』だっているんだ。
お前らの正解が、俺の正解になるなんて、思わないでくれ。
犯罪をしているわけじゃない。
誰かと敵対しているわけじゃない。
むしろ、人に迷惑をかけないように、なるべくひっそりと生きているんだ。
心の中で何かを思わない人間がいるのか?
不快に思わない人間がいるのか?
そんなことを非難してくる奴のほうが、俺は怖い。
お前ら、顔面に何を塗りたくって、生活してんだよ――本心はどこにあるんだ、お前らって。
母に言われたことがある。
『ヨウはさ、きっと、人が大好きだったはずなんだよね。だっていっつもニコニコしてたもの。でも気がついちゃったんだと思うよ。警察の人だって罪はおかすし、弁護士だって法を守らないし、政治家だって私利私欲を持つ――そういう人間の良くない部分に気がついちゃったんだろうね。矛盾を許せないでしょ。だってヨウ、0か1かの性格だもん』
茜はそれに追従した。
『まじめか』
俺が真面目かなんてこと、俺自身が分からねえ。
分からねえけど、母さんの言っていたことは、どこか理解が出来た。それはオブラートに包んでいる言い方で、俺の言葉にすればこうなのだ。
『人間が怖い。なんで平気な顔をして、偽れるのだろうか――』
お前だって、内心、クソ野郎じゃねえかって言われるのは分かる。
でもそれでも俺は怖い。
人間が、なんだか、俺とは別の生き物にみえてくる。
『みんなで、仲良く、すごしましょう』と言っていた教師が、一方的にいじめられていた子供に『君が悪いんでしょう? いじめられる理由は、あなたにも、あるんじゃない?』などと確認していたら、俺は何を信じればいいのだ。
「……やめろ。今は、“それ”じゃない」
……だよな。
今はそれじゃない。
もしここで俺が、“それ”を理由に放棄したら、俺はもう、終わりな気がした。
いきなり人は変われない。
そんなことは分かっている。
だが、変われなくとも、逃げていい理由にはならない――。
「……くそ」
相変わらず俺の口は悪い。
そんなもん、すぐに直るわけがねーだろうが。
それでも俺は立ち止まる。
とりあえず歩くことをやめて、チャットに集中しなければならない。
なんとか、自分の気持ちを伝えようと思った。
変われなくてもいいから、伝えようと思った。
すでに藤堂からの返信は、届いている。
俺は、悪癖のため息とは異なる、大きな深呼吸をして、スマホを見た。
『マシロ:ああいうの、嫌いっぽいもんね』
『ヨウ:得意ではない』
『マシロ:押し付けるつもりはなかったんだけど。なんか我慢できなくて』
『マシロ:スタンプ(あせあせ)』
『ヨウ:いや、問題ないよ』
『マシロ:そっか。でも、ほんとにごめんね。黒木には、黒木の歩くスピードがあるもんね』
「……っ」
手が止まりかける。
こいつは――藤堂は、どうしてそこまでヒエラルキーを一足飛びに、降りてくるのだろうか。なぜこいつは、そこでふんぞり返ってくれないのだろうか。
なんで、こいつは――俺みたいな、クソ人間と、パーティなんか組んじまったんだ。
指が震えている。
理由は分からない。
『ヨウ:むしろ、こっちがすまん』
『マシロ:こちらこそ、ごめんね。って謝ってばっかw』
違う。
この言葉じゃない。
『ヨウ:そっちの立場は、平気なのか』
『マシロ:立場ってなにw まあ、言いたいことは分かるけど、平気』
『ヨウ:そっか』
違う。
この流れでもない。
『マシロ:心配しないでいいよー、ごめんねー』
『ヨウ:いや、心配はしてないけど』
『マシロ:スタンプ(がーん……)』
違う。
助けてもらったのは、俺だろう……!
『マシロ:ていうか、昼休み終わっちゃうよー。うちの学校ひろいんだから、いそいでー』
『ヨウ:問題ない。最短経路は把握してる』
『マシロ:なにそれ。なんかうける』
違う。
これじゃあ、茶化して終わりになっちまうじゃないか……!
俺は大きく息を吸う。
空を見る。
快晴。青空。天気は良い。
あれ、俺、最近、雲が流れる速度、気にしたことあったっけ――少しだけ自分の心が、他人も、自分も、未来も、大人も、何もかもを信じていた『幼少期』に戻った気がした。
『ヨウ:あのさ』
『マシロ:スタンプ(どした? どしたー?)』
最後にこの言葉を口にしたのって、いつだろうか。
仮想空間でなら、何回でもありそうな気がする。
でもリアルじゃあ――わからない。家族には言ってたっけ? 最後に口にしたのは、いつだろうか。
〈あ〉
指を一度だけ動かすと、スマホに搭載されたAIは、俺がうった一文字から何かを検知したらしい。俺が言いたかった言葉は、当たり前のように『予測変換』され、候補として提示された。
ワンタップすれば、文章になる。
――でも、俺はそれを無視して、最後まで自分で打ち込んだ。でないと、何かを落としてしまいそうだったから。
『ヨウ:ありがとな、さっき。ほんと、悪かった』
既読がつく。
だが返信が、返ってこない。
どうしたのだろうか。
悪かった、が余計だったか?
いつもみたいに、『謝ってばっかw』と茶化してくれないのか?
唾を呑み込む。
手の震えは止まっていたが、それは手が冷たすぎて、感覚がないからなのかもしれない。
心臓がバクバクいっている。
ふらふらする。
呼吸がくるしい。
長くも、短い時間は、果たして、打ち込み・思考・判断・書き直し――何に費やされた時間なのか。
それは分からないが、返信は、唐突に、画面に現れた。
『マシロ:じゃあさ。お礼ってことで、一緒にゲームしない? 放課後、二人の秘密の場所で待ってるからさ』
……ふっと肩の力が抜けた。
『一緒にゲームしない?』
その一文が、俺を現実に引っ張っりあげてくれた。
自然と上を向いてしまう。
なんだかさっきより色が濃くなった気のする空を見ていたら、なんでか知らないけども、自由登校のときにかちあった『不良の先輩』の顔が浮かんだ。
めちゃくちゃ怖い顔をしているのに、どこか人懐っこい感じで、でも言いにくそうに、でも伝えなきゃいけない雰囲気を出しながら、『ありがとな』と言ってくれた先輩。
友達になんてなる必要のない関係ながらも、互いに何かが通じ合ったあの瞬間――嬉しかったあの気持ちを、思い出した。
俺はぽつりとつぶやいた。
「二人の秘密の場所っていうなら……先輩と俺の場所なんだけどな」
どうでもいいか、そんなこと。
くだらねえことに、こだわるのは、少しだけ止めよう。
『ヨウ:おう。わかった。今日はお菓子、ないからな』
『マシロ:小倉こっぺでお腹いっぱいw』
俺は随分と軽くなった指先で、それだけを返すと、スマホをポケットにしまって前へ歩き出した。
どこか遠く感じる場所で、チャイムが鳴っている。
昼休みが終わってしまったようだ。
ああ、遅刻決定じゃん。ボッチは目立っちゃいけねえのにな――なんて考えている自分に、『今日はもう手遅れなほど目立ってるだろうが』などとツッコミを入れつつ、俺は教室に戻った。
駆け足で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます