第15話 地球は割れない
この世に存在するすべてのMMORPGがそうであるかは不明だが、たいていのそのジャンルでは、パーティってのは、不思議なもんで、ログアウトしても解消されないんだ。
どんなに日をまたいでも、どんなに課金をしなくても、どんなに一緒に遊んでなくても――友達ならば解消されてしまいそうなものになっても、パーティはどちらかが脱退しなければ、半永久的に機能する。
だからお互いが同時期に長期休止をしたMMORPGで、ひさびさに復帰したとき、まだ、その相手とパーティを組んでいたということもありうるし、俺も一度だけそんなことがあった。
またなー、なんていって落ちた後、色々とあって、なぜか一晩で別ゲームに気持ちがうつってしまい、約束はしてないけども、どこか罪悪感を感じながら長期休止。そのあと敵のアジトに潜入するような気持でちょっとばかり復帰したら、そんな感じだった。解消されていないパーティに、相手の名前があった。そして相手も休止中だった。
なぜだか、その相手に自分の気持ちが全て見透かされているような気がして、そのときは、焦りながらパーティを解消したものだ。
藤堂は表情を変えないまま言った。
「そういうの疲れないの?」
「……べつに」
「ゲームしてるとき、もっと楽しそうじゃん」
「それはお前だろうが……」
「『お前』っていわないでくれる?」
「あ、ご、ごめ」
なんだか、二人でゲームをしていたときとは、また一つ違う面が、藤堂のなかに見えた気がした。
どれが本当の藤堂なのだろうか――。
そんな哲学的な思考を、リア充のトップ層が構ってくれるわけもなく。
藤堂は、自動販売機から出てくる飲料水のように、ぽんっと、あっけないほどに、決定的な言葉を吐いた。
「なんかさ、わたし、つまらなそうな黒木、見たくないかも――良い思い出が、消えちゃいそうな気がする」
「……は?」
藤堂はそういうと、俺の言葉を待たずに動き始めた。
それはまるで演技のようだった。いや、すまん、この表現は俺の表現力が足りないせいで、どこか嘘くさく聞こえるな。
演技――ではなく、なんていえばいいのか……そう、それは舞台に立つ女優のようだった。
藤堂がゆっくりと、しかし確実に動き始めた途端、なぜか教室の人間の大半が、一斉に目を向けた。
まるで演劇の舞台の緞帳があがったように、開幕のブザーがなったように、それが始まるならば、見るのは当たり前であるというふうに、皆が視線を向けた。
女優は言った。
それはさきほどまでのぼそぼそ声とは違う、とても大きな――いや、違う、大きくはないんだが、耳を右から左へ、左から右へ、つらぬいていくような、脳みそを粉砕するような、アンチマテリアルライフルみたいな声だった。
「へえ、黒木”くん”って、パンが好きってわけじゃないんだね」
それはまるで俺を誘うような言葉だった。
こっちにおいでと誘われているわけではない。俺はどこまでもボッチだから、悪いけれど、何かがあって陽キャになるなんて無理だ。だからその言葉はまるで俺を、その場でダンスにさそうような、優しい声だった。
手取り足取りおしえよう、それに舞台にはあがらなくていいよ、だから踊ってと、一歩も動かぬ俺の手を取り、知らぬステップを踊りながら教えるような、昔の映画で見たワンシーンをほうふつとさせるような行動だった。
「……お、おう」
俺は思わず応じる。応じてしまう。
ワン、ツー、スリー。
ワン、ツー、スリー。
社交ダンスの先生と生徒のような、関係。
「小倉って、そんなにマズいの?」
「ま、まずくはい」
はいってなんだ。はいって。
でもダンスはとまらない。
ワン、ツー、スリー。
「へえ、そうなんだ? 購買のやつだよね。いくら?」
「……80円だな」
「え? そんなに安いんだ。わたし学食だからなー」
藤堂のステップは止まらない。
「一番安いのはシュガーパンだけどな……ていうか、もういいだろ、この話は――」
「そういえば、わたし、小倉こっぺって食べたことないや――ちょっと、もらっていい?」
「……は?」
藤堂真白は、俺がバカみたいな顔をして、盾装備のなべのふたのように、唯一の寄る辺としてかかげていたコッペパンを――俺の歯形のついた食べかけのこっぺぱんを、あろうことか、食べていた方から、むんずとつかむと、ちぎりとって自分の口に入れた。
あっ、と思った時には遅かった。
藤堂は他人の目など気にならないどころか、むしろそれをあえて受け止めきるように、「へぇ、そんなに甘くないんだね。けっこう、好きかも。わたしも今度、買おーかな」なんて言いながら、ペロリと舌をだして、口角についた小倉をなめとった。
俺の体は硬直し、しかし視線だけが、咄嗟に縦横無尽に動いた。
シューティングゲームのスキルが発動。
動く物体を視認、こちらに標準を合わせてるやつを選別。少なくとも右に6、左に8、裏に4――倒せるわけがないだろう!?
な、なんてことをしやがった、こいつ――。
これ、なんか、間接の……なんか、親し気だろうが!?
「あ……、お、おまえ……、なんてことを……」
「お前?」
「と、藤堂……さん」
「なあに? 黒木“くん”。あ、ごめんね、取りすぎちゃったみたい。足りないよね。男の子だもん。今から、購買いって、もう一個かってくれば?」
機能停止。
俺の頭脳は、例の、復唱モードへとなりさがった。
「か、……買って、くるか……?」
「なんでいつも、尋ねてくるの? おもしろいね、黒木”くん”――じゃ、いってらっしゃい、”黒木”」
「お、おう」
その瞬間、緞帳が下りてきたのを俺は感じ取った。
演劇のような、CMのような、なにかのプロパガンダともとれるその行為は終了。あんなに無理やりにステップに付き合わせておいて、辿りついた先で一方的に降ろされた。
俺はもう前すら見れなかった。
ぐらんぐらんする頭を必死におさえておかないと、体からとれて、転がっていってしまいそうだった。
椅子をぎこちなくひいて、下を向いたまま進む。
索敵?
視認?
中二病よ、消えてくれ。
でも消えない。だから、俺は前を向けない。
教室の入り口を通り抜ける時、例の男子グループがなんだかひそひそと話し合っている気配がする。見ることはないが、嘲笑されているような気はしない。なにか疑われているような気配がする。だが声が聞こえないので、分からない。てめえら、くそ、今コソコソと話ができるんなら、最初からコソコソとしておけよ!――でも、んなことは言えない。
だって、この舞台で一番情けないのって、客でも主演女優でもなく、俺だもんな。だって、俺は、自分の力でなにもできないもんな。
もんってなんだ、もんって。
俺が可愛くてどうする?
よくわからない精神状態だった。
興奮と、失意が同時に発生しているような感覚だ。
ただ一つわかる感覚。
藤堂はすごい。
純粋に、そう思っていた。
ゲームで、『わーきゃー』言っているただのギャルではない気がした。
気がした、ではないか。
俺が知らないだけで、あいつはメディアの露出なんかがあるんだろう? もしかしたらどっかで人気爆発して、朝ドラとかでるかもしれないんだろう? わからねえけど。
なんだ。
俺は気がついた。
「……あいつは、最初っからすごいんだよな」
俺はなんて自己中心的なやつなんだろう。
藤堂と交流するようになって、藤堂を意識するようになって、まるで、そこから藤堂の人生が始まったかのような錯覚を覚えていた。
ヒエラルキー。
なにを、勘違いしていたのだろうか。
何度も何度も復唱しているくせに、本質的には理解していなかった――階級差。
そうなのだ。
今、俺と藤堂が出会ったからといって、何かが対等に、平等に、始まるわけはないのだ。
生まれた瞬間から、差がついているというのに、高校までの十数年を生きた結果、それでも同じ位置に立っているわけがなかったのだ。
ゲームで勝っていたから、
こっちが優位になっていたから、
だから、まだ対等と錯覚できた。
正直なところ、あんなおかしな接近の仕方をしたからこそ、俺は藤堂の前に座ることができただけなんだ。
たまたま緊急時に、芸能人とタクシーを相乗りするような、感じなのだろう。
「そうだよな……あいつは、俺と話すまえから、藤堂真白なんだもんな……」
俺はつぶやいた。
なにか、どこか、真理に達したようなすっきり感があった。
先ほど教室でみた藤堂の凄みが思い出される。あれは強烈だ。なにも主張していないようでいて、その実、小倉こっぺの地位をあげたのだ。あんなことされたら、まわりは、俺が食べている小倉こっぺをバカになんてできない。
したら、最後。それは女王にたいする、反逆だからである。
静かなる女王ーー藤堂真白。
彼女こそ、ヒエラルキーのトップに君臨する器だ。
が、それと同時に疑問も生じた。
ならば、階段踊場でみた、あの、いきいきとした藤堂はどこへいってしまったのだろうか。
どう考えても、俺にはゲームをしていたときの、口の悪い藤堂こそが、本当の藤堂に思えて仕方がない。
ゲームを学校でする理由も、結局、わからずじまい。
なんだか、すべてが繋がっているような気もするが、藤堂にきいたら教えてくれるのだろうか。そもそも本人が自覚しているのかすら不明なのに――そこまで考えて、ようやくハッとなった。
「なんで、そこまで気にしなきゃいけねーんだよ……、むこうだって、迷惑だろ、そんなの……」
「ええ? なんだって?」
「……あ」
いつの間にかたどり購買までたどり着いていたらしい。先日の件といい、最近は考え事がおおくてボーッとしてしまう。
購買のおばちゃんは、不振そうに眉をしかめながら、
「なに? なにか買うんかい?」
と、声をかけてきた。
そもそも購買で追加のパンを買うのも、流れできてしまっただけなのだが、まあ、おばちゃんに目をつけられたので、買うしかないだろう。
このおばちゃんは、一見すると男にも見えるぐらいきついパンチパーマみたいなものをかけていて、生徒の間では当初、かなりバカにされていたらしいのだが、その凄みと、なにか仏のような懐の深さから、いまでは生徒から人生相談をされるほどの逸材になったらしい。……俺には絶対できねえ。
「あー……と、小倉こっぺ一つ、ください」
「ああ、いつもの小倉こっぺの子か。なんか、一瞬、わからなかったよ。男子、三日会わざれば刮目してみよってね――」
いや、さっきも買いにきたんだが……。
実に30分ぶりぐらいなんだが……。
「――で、申し訳ないけど」とおばちゃんは続けた。
「小倉こっぺは、売り切れだよ。あれ、人気ないから、あんまり数、いれないんだよ」
「あ、そうすか……」
あれ、人気ないんだ……。
昔から、そういうのを好きになる傾向にあるのだ、俺は。
俺が好きになる週刊誌の漫画、いっつも早期に打ち切られるもんな。
おばちゃんは、「でもこっちはあるよ」とショーケースを指さした。
そこにはこうあった。
『いちごコッペ、80円』
「いちごか……」
「なんだい。きらいかい? それとも男らしくないかい? でもあんた、気にしないだろ、男らしさなんて」
「い、いや……」
俺がそれを食ったら地球が割れてしまうかもしれないーーなんていったら怒られるよな。
ていうか、なんかさっきから一方的にディスられてないだろうか。まあ、おばちゃん相手になにかいえるほど胆力ないからいいんだけど。
でも、そうしなくても怒られた。
「男だろ! さっさと決めなさい! おばちゃん、昼休憩で、チョコたべたいんだよ!」
「す、すんません、じゃあイチゴで」
「あいよ」
小銭をわたして、物は手に入れたが、教室には戻りにくかった。
俺は手に入れたイチゴを片手に持ちながら、校舎内のボッチスポットまで退避。
校庭のはじっこに、たどり着いたところで、いちごコッペにかぶりついた。
「んが……」
一口目から、ずいぶんと多い量のジャムが口腔内に入り込む。
これで80円とは、お得であるが――。
「……なんか、小倉より、あまいな」
何か、いちごコッペに、俺の男らしくない行動を批判されているような気すらして、ああ、ここまで被害妄想が過ぎると、俺、人間として終わるな――なんて、さすがに自制する。
それにしても。
いちごコッペ食ったぞ、おい。
「地球、割れるんじゃねーのかよ……」
よく考える。嫌なことがあるとき、でもそれが絶対に回避できないと悟った時、俺はもう、地球が割れることに望みをかける。
だが、地球は割れないのだ。
人類は滅亡しないのだ。
だから悩みは続くのだ。
大きく嘆息。舌打ちは出ない。
空は快晴。
人生は、そこまで悪くないように思えている。
こっぺはすぐに胃の中へ。
そろそろ昼休みは終わりだ。
「……戻るか」
諦めるように立ち上がる。
ポコン♪――と音が鳴ったのは、チャットアプリがメッセージを受信したからだ。
何を考える訳でもなく、画面を見てぎょっとする。
『マシロさんから、メッセージが届いています』
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