第9話 ゲームなら負けないのに
「んん……」
静かに寝息をたてていた藤堂が身じろいだのは、寝ている姿を見つけてから実に一時間後のことだった。
時刻、11時25分。
目を覚ましたわけではなさそうだ。
相当疲れてるのか、そもそも睡眠時間が足りていないのか、はては睡眠が趣味なのか――どれが正解かは分からないが、藤堂真白は、目をつむったまま窮屈そうに体を動かすと、
「ふあ……」
などと、寝ぼけたことを口にしながら顔の向きを反転させた。
俺はそのとき、藤堂の真正面に体を開いて座ることに抵抗を覚えており、対面に座りつつも椅子の背もたれに左手をかけるようにして横向きに座っていた。
なぜかゲームをする気にはなれず、かといってなにをするわけでもなく、そわそわとしているところだった。
そこに、藤堂の『ふあ……』である。
思わず、目を向けてしまう。
さらに顔の向きが変わったことにより、藤堂のバカみたいに整った顔がこちらに向けられた。
「――っ」
同年代の異性が無防備に寝ている姿をこんなに近くに見たのは初めてのことだった。
何か悪いことをしたわけでもないのに、心拍数が一気にはね上がり、腰が浮いてしまう。
体が机にあたってしまうと、ドンッと音を立てた。
その衝撃はもちろん対面の机にも伝わる。
「ふあ……?」
なんだそのそわそわしちまう鳴き声は。いい加減にしてくれ――などとツッコむ余裕があるわけもなく、俺は藤堂がゆっくりと体を起こして、目をこすり、右をみて、左をみて、正面をみて、俺の姿にピントをあわせる姿を、だまって観察するしかなかった。
全身硬直状態で。
「……あ、あれ?」と藤堂。
ようやく自分の置かれた状態を理解したらしい。
「や、やだ。なんで起こしてくれないの……!?」
藤堂は一方的にそう言うと、髪の毛を両手ですいたり、おさえたり、でかい鏡を取り出して自分の顔をあらゆる角度で確認したりしている。視認速度がめちゃくちゃ早く、それでいて的確になにかが改善されていくようだった。
俺はそれを見ながら、『そんな動きができるなら、FPSの上達も早そうだな……』なんて考える。
同時に、藤堂の提案は無茶だとも思うので、あるがままの気持ちを伝えることにした。
「無茶を言わないでくれ。俺に起こせるわけがないだろ?」
「人を起こすことは無茶なことじゃないと思うけど……」
「気持ち良さそうに寝られたら、起こせないだろ」
「待ち合わせしてたんだし、私が悪いんだし、気にしないでいいじゃん……」
「だいたいお前は好きで寝てたんじゃないのか」
「ちがうって! 気がついたら起きてたの!」
つまり、いつの間にか寝てたということか。
あとこいつ、寝起きのせいか、なんか素の性格がでてやしないだろうか。やはり運転をしたり対戦ゲームをしたりすると性格がでるもんだよな。『しねしね』と言っていた藤堂真白が本当の姿なんだと思う。
別にバカにしてるわけじゃない。嘘をつかれるより、よっぽどマシだ。本人がそれに気がついているのか、意図してやっているのかは分からねえけど。ま、どっちでもいいさ。
さて。
よくわからない義論が発展してしまったが、俺には間近で無防備に寝ている異性の女を揺り起こすことなんて、人生何度やりなおしたって実行できるわけがないので、この非難にたいしての諦めは容易につく。無理なもんは無理だ。
ちなみに俺だって努力はしたつもりだ。
ボールペンで肩をつついて、起こそうとしたのだ。が、なんか……なんか、気恥ずかしくなりやめた。
だって、押した瞬間に、ぷにっとしそうだった。ぷにっとしたら、なんだか犯罪的な匂いがしそうだろう? 俺はまだ捕まりたくない。そんな俺が藤堂をどうやって起こせというのか――。
――そんなことをオブラートに包んで伝えてみると、藤堂は恐竜の化石でも見つけたかのように目を丸くした。
「机を揺らすとか、スマホ鳴らすとか、いくらでもやりかたある気がする」
「た、たしかに……」
当たり前のことを、当たり前のように発案することのなんと難しいことか……これだから、ヒエラルキートップ組と話すのはイヤなんだよ――なんて現実逃避で心を守ってやらないと俺が消えたくなる。
どう考えても藤堂が正論だよな、これ……。
藤堂はさらに「あと、さ」と付け加えた。
「その『お前』っていうの、ちょっとイヤかも」
「……は?」
「だから、さっき、黒木くん、わたしのこと『お前』って呼んだでしょ。それ、ちょっとイヤだな、って思った」
「はあ……? じゃあなんて呼べばいいんだ」
「え? 普通に名前を呼べばよいのでは」
え?
んん?
おや……?
「……た、たしかに……そうだな……」
これも正論だ。
「おもしろいから許してあげる」
藤堂が真面目な顔をして頷いてくれた。
たしかにそうだ。名前があるんだから、名前で呼べばいいのだ。お前とか、おいとか、どれだけ調子にのってるんだって話だ。FPSでボイチャしてるとどうも粗暴な言い方になることもあるからな……注意しよう。
気づけただけ良し、と自分をなぐさめる。だって消えたくなるからな!
しかしそうなると、だ。
ようするにこの場合の呼び名というのは、つまり――。
「藤堂……さん?」
「なぜ疑問系なの」
「俺にも分からない……」
そういえば俺、こいつの名前を面と向かって口にすることってあったっけ。
心のなかでは散々『藤堂真白』と名指しでよんでいたが、本人を前に呼ぶのって、初めてなのか?
藤堂もそれには気がついたみたいで、「ん……そういえば、黒木くんに初めて呼ばれた気がする」なんて呟いていた。
まあ、まともに話したのが、つい先日だからそれも仕方ないか。
まさか、一ヶ月前の俺からしたら、こんなところで藤堂真白と向き合っているなんて想像もできないだろうし。
「黒木くん」
「な、なんだよ、藤堂……さん」
やりづれえ。
いいづれえ。
『藤堂真白』という不思議と語呂のいい名前をそのまま呼んでやりたいが、それをするには俺の経験値が足りない。
さん、ってつけないと、気まずくてやりずらい。
しかし藤堂は言った。
「さん、なんて付けなくていいよ。藤堂って呼び捨てしてよ。友達はマシロとか呼び捨てするから、それでもいいし」
「い、いや、名前、呼び捨てとか無理だわ」
難易度、高すぎる。
……いや、心のなかじゃあ、好き勝手言ってるけどさ。
「う~ん……、じゃあ、私も『陽』って呼ぶから、おあいこって感じにする?」
「ごめん、まじで無理だ」
「真顔で否定しなくても……すこし傷つくし……」
「す、すまん」
いや、それにしたって、下の名前で呼ばれるなんて、親以外考えられない。
さらに、そんなこと、教室内でされてみろ。俺の境遇が、突然、変化してしまうじゃないか。
うだうだウジウジと、カタツムリみたいな返答をしている俺をどう思ったのかは不明だが、藤堂は折衷案を提示してきた。
「じゃあさ、私は『黒木』って呼ぶことにする。だから黒木も遠慮せずに『藤堂』って呼んでよ」
いきなりの提案。
そしてあたりまえのような呼び捨て……。
「いや、そもそもだな、そこまでして、さん付けを回避しなくても……」
「でも、黒木、言いづらそうだったから。さん付け、仕方なくしてる感じするよ?」
なにがどうバレてるんだか知らないが、俺ごときの心理状態など、コミュニケーションの王様には手に取るようにわかるらしい。
俺はしぶしぶと――しかし、内心、本当に言いやすい印象を受けながら、うなずいた。
「……わかった」
「じゃ、よろしくね、黒木」
「よろしく、藤堂……」
……さん。
あぶね。
言いそうになった。
藤堂はいたずらっ子のような、あどけない笑みを浮かべた。
「あはは、黒木くん、いま、言いそうになったでしょ、さん、って」
「……くっ」
おう――なんて肯定してたまるか。いや、実際には『お、おう』になるんだろうが、同じことだ。
俺は「ふん」と鼻息を荒くして、スマホを取り出した。ゲームなら、こいつにだって負けないのだ。はやいところ主導権を握り返さねば俺のライフがもたない。
だから、この話題は終わり。
だから、『藤堂のほうこそ、黒木くん、なんて、くん付けしてるじゃねえか』――なんて指摘も、いまの俺は口にしないでやるのだ。
だって、なんだか気まずいもんな……。
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