第8話 いったい何がしたいんだ
翌日、土曜日の朝9時。
自宅一階の玄関で靴を履いていると、パジャマ姿の茜が玄関から入ってきた。
うちは二世帯住宅構造の家のため、着替えをせずにおりてくると、こういう変な感じになる。
ふわあ、と欠伸をしていた茜は、俺の姿を認めると、『んん?』という顔をした。
「にいに、もう朝ごはん食べたの?」
「いや、食べてねえけど、もう出かける」
「ふーん……あれ。なんか髪の毛、濡れてない? シャワー? まさか完徹?」
たしかに眠れなかったので、ゲームをしてはいたが、完徹というわけではない。
寝られなかった原因はきかないでくれ。十中八九当たっているだろう。
俺は色々なことをおもてに出さないように、なんとか平常心を保とうと努力する。
「ちげーよ。寝ぐせ直しただけだ。歩いているうちに、風が乾かしてくれるだろ」
「なにそれ、中二病っぽくてうける。いや、にいにの場合、ほんとに中二病か」
「大きなお世話だ――帰り、何時になるかは分からないけど、配信には間に合うようにするから」
「あいあいー」
足元のバックをかつぐ。中には着替えが入っている。
茜は『なんだその荷物』という目を向けてきたが、俺はそれをふりきった。面倒くさいことを聞かれる前に、さっさとでかけてしまいたい。
玄関ドアに手をかける。
入れ違いに上がりがまちに足をかける茜は、ふっと思い出したように俺に声をかけた。
「んー、……にいに、まさか、女友達と会うとかじゃないよね?」
「……は?」
ドキリ、とする。
嘘はつきたくないが……そうならばなんて答えればいいのか。
茜は俺の動揺を見逃して、持論を展開した。
「いや、にいにが、寝ぐせ直してるから」
「ちょっとまて、寝ぐせはいつも直してるだろう?」
俺だって寝ぐせぐらいを直すという社会性はまだ持っている。天才的な棋士や数学者のように、寝ぐせがキャラクターの要素になるなんて、信じ込んでなどいない。
いずれは俺も社会に出なきゃいけないのだ。身だしなみの大切さぐらいは、しっているつもりだ。
その点は家族に感謝している。俺以外個人事業主であるので、確定申告の意味を教えられて見せつけられてこの国の図式を理解することができた。同時に、親のすねをかじることはできねーよな……、という悟りから、不登校やサボりという行動も回避させられている。
『にいには、根はまじめだからなー。口ではあれだけど、実際は堅実だよねー』というのが茜の評価。
俺の言葉に、茜は『あれ?』という表情をする。
「確かにそっか。んー、なんでそう思ったんだろ、ごめんね。なんか楽しそうにみえてさ」
「いいよ、べつに」
「にいにに、女友達なんているわけないもんね、ごめんごめん」
「おう……」
「友達もいないしね。ほんと、ごめん」
「……お、おう」
こいつ謝る気ないよな。
なんで朝から攻撃されているんだろうか。
しかし茜もガキのような容姿だが、女の勘というものがしっかりと備わっているようだ。ちょっと、今後は気を付けていかないといけないな。
「ごっはん、ごっはん♪」
茜の背が消えるのを待ってから、俺は悪癖その1とその2の舌打ちと大きな嘆息をする。
誰にきかせるわけでもない、決意を口にした。
「ま、ゲームをしにいくだけだ。いつも通りだろ? 楽しいとか、楽しくないとか、そういうことじゃない」
そう。
共同する相手が北海道にいたって、米国にいたって、目の前に居たって――いまの時代、大差なんてないさ。
ゲーム画面は同じ。それが藤堂真白であっても、同じなのだ。
だから今から出かけることが、楽しいとか、楽しくないとか、そういうことじゃないのだ。
……多分。
◇
最近のコンビニってのはトイレが広い。
これは俺でも感じる感覚なので、最近の風潮なのだろう。
そこには着替え用のシートなんかもおいてあって、ストッキングの商品案内なんかも貼ってある。
つまるところその着替えスペースは女性向けに設置されたもので、女性向け商品をあつかう企業の販促活動なのだろう。
おそらく、この案をだした社員は、このスペースが『授業のない土曜に、高校に向かうことを家族に悟られたくない男子高校生の着替えに使用される』なんて想定はしていないだろう。
……していないよな?
どうにせよ、俺はそういう理由からコンビニのトイレを利用させてもらった。
茜は何かを感知していたように見えたが、エスパーでもない限り、全てを悟ることは無理だろう。
――よし。着替え終了。
俺は制服の入っていたバックに私服を詰めなおして、トイレから出た。
そのまま店を出るのはさすがにしのびないので、ジュースを棚から取り出す。買い物もせずにトイレ使用はよくないからな。
時間を見れば10時。待ち合わせは10時半。
遅刻することはないが、疑問が一つ。
――昼飯、どうするんだろうか。
今日やるゲームは『エアポケット・ウォーカー』のアプリ版だ。
このゲーム――真剣にやるとなると意外と時間がかかる。
隠れたり、攻めたりを繰り返すため、気が付けば深夜なんてこと、日常茶飯事なのだ。
仮に10時半に集合してから始めたとして、最低でも三回はやるよな……そうすると……、うーん、なかなか判断し辛いラインだな。
とりあえずエナジードリンクは確保しよう。これがないと始まらないし。
もしこれが茜相手だとして考えてみると……そうだな、あいつは間違いなくお菓子とか買っていくと喜ぶよな。
いや、藤堂を喜ばせるつもりはないけどさ……。
ただスマホ版はわいわい遊べるのがいいところっていうしな。たしかに成り行きでゲームに付き合うことになったけど、どうせ一緒にやるならば楽しくやりたいし、楽しくやってほしい。パーティ感は大事だろう。
できるだけ物をひろげたくないボッチマインドの俺だが、あの場所は人がこないだけあって、お菓子とか広げていても、まあ今回は大丈夫だろう。今回だけな。
あとは……そうだな。
一位にならなきゃ面白くない――とまでは言わないが、それでも一位になったときは、何か言葉にできないような脱力感と楽しさを感じるものだ。
そうなるとやっぱり、集中力が必須だからな。甘いもんとか食いたくなるはずだよな。トイレも借りてるわけで、コンビニに感謝もしないといけないわけだから、他にも買っておくか。
「……はっ!?」
気が付くと、手がしびれている。
俺が持っている買い物カゴの中が、お菓子であふれかえっていた。
さすがにやりすぎだ。茜に買っていくよりもはるかに多い。
「く、くそう……」
恥ずかしさを我慢しながら、不要だと思われるお菓子を棚に返していく。
とくには見られていないはずなのだが、なんだか店員に何かを見透かされているようで、レジでお金を支払うまで、やけに緊張してしまった。
『ありあとざっしたー』
やる気のなさそうな――いや、それでも働くことで社会を回している分、俺よりだいぶ偉いだろう――コンビニ店員の声に見送られながら、俺は学校へ歩を進めた。
はあ……それにしても。
なんで、待ち合わせの前から疲れ切ってるんだ、俺は……。
だいぶ減らしたつもりだったが、それでも手にぶら下げたビニール袋は、やけに重たく感じた。
◇
土曜日に学校にくるのは、じつのところ初めてだった。
部活にも入っておらず、図書館で勉強することもないのだから、来る理由もない。
生徒数が多く、敷地も広大な、マンモス高校。
自然の多いベッドタウン。東京の端っこに位置する我が高校は、生徒の自主性を重んじるという名目で、規則はそこまできつくない。
とはいえ、コンビニのビニール袋をぱんぱんに膨らませて校舎に入るほど、俺の心は強くない。
結局、到着する前に思い付き、バックにお菓子をつめなおして、コンビニ袋のほうに私服をいれて、校舎に入ることにした。
ほんと、俺、なにしてんだろうか……。
生徒手帳をかざして校門のゲートを通り抜け、体育会系の学生を横目にみながら、旧校舎を目指す。
土曜日の午前中から部活動をしているのは、熱心なところだけだ。
たとえば野球部、陸上部、サッカー部。
あとは吹奏楽部あたりだろうか。
新校舎の下駄箱で上履きにはきかえる。
旧校舎をひたすらに目指し、到着した後、つぎは階段をあがっていく。
足音を鳴らさないように上ってしまうのは、もう癖となっているので仕方がない。もう暗殺スキルとか言わんからな。
時計を見る。
10時25分。
待ち合わせまであと5分。藤堂はもう到着しているだろうか。
あと三階分の階段をのぼれば目的地である、階段の踊り場にたどり着く。
途中、生徒の誰ともすれ違わず、運動系が外に出払っていることもあって、人の気配すらしない。
あと二階分。
残り一階分になれば、すでに目的地といっても過言ではない距離である。つまり一人でいられる時間はあと一階分だけだ。
耳を澄ます。
ファー、と聞こえてくるのは吹奏楽部のチューニングの音。
それだけしか聞こえない。
あと一階分。
つまり、すでに出会いの圏内。
昨日、俺と藤堂の目があった場所を難なく過ぎていく。
藤堂は居るのだろうか――すくなくとも足音は聞こえない。
無音に近い。
だがすぐに、カキーン、とバットとボールのぶつかる音が、遠くから聞こえてきた。
でも、それだけ。
それだけが過ぎてしまえば、また一人きり。
俺はどこまで階段を昇れば、一人ぼっちじゃなくなるのだろうか。
空間はすぐさま静寂さを取り戻し――俺は目的地の、階段踊り場にたどり着いた。
そこに、新たな音が生まれた。
「すー……すー……」という寝息だ。
藤堂真白はすでに到着していたらしい。
椅子に座り、ボッチとしては信じられないほど豪快に私物を広げている。何度もいうが、これじゃあ何かあったときに逃げられないじゃないか。
時計を見る。
時刻は10時27分。
3分だけ早い到着。
その3分には何の意味もない。
では、藤堂にとって、その3分はどんな意味を持つのだろうか。
「すー……すー……」
寝息の正体は、藤堂真白のものである。
藤堂は、椅子に座り、机につっぷしていた。
顔は屋上のドア側を向いており、見えない。
イチョウ色の髪が、明り取りに設置されたハメ殺しの窓から差し込む光で、輝いている。
音がしないように近づく。
錯乱する荷物をすこしどかしながら、定位置であるだろう、対面に座る。
藤堂はまだ起きない。
どうしたもんか……。
ふと、俺は机に広げられていた手帳を見てしまった。いけね、と考えるも、瞳に逆さまにうつる文字を、脳内でひっくり返してしまった。
それはおそらく藤堂直筆のメモだった。
かなり色々なことがかいてあるが、一番大きく、赤い線でかこってある部分には、こんなことが書いてあった。
『大事メモ! ①周りをみる!②ひろう銃を決める。ARにする。でもSRもいいな……!③敵を撃ったらなるべく、別の場所に移動する!←多分、これ、すごい大事な気がする』
気がする――じゃねえ。それは、シューティングゲームにおけるとても大事な基本行動だ。
「はぁ……」
大きなため息。
変わらぬ悪癖その2。
なるほど、な。
憶測でしかないが、藤堂は夜な夜な『エアポケット・ウォーカー』のことを自分なりに色々と調べて、手帳にメモをしたようだ。スマホにメモをしても、見ながらプレイはできないからな。
それから、学校にきて練習でもしていたのだろう。一人で、雑多な荷物にかこまれて、メモをみながら挑戦していたに違いない。
だが、疲れかなんかから、寝てしまったと――そういう訳なんだろう。
「はぁ……」
俺は視線を上にあげた。
灰色の天上しか見えない。
時刻を見る。
10時29分。
あと1分で、待ち合わせの時刻。
俺にとっては、その1分に大した意味はない。
だがこいつにとっての1分は、どれだけの『楽しみ、が詰まった1分』なのだろうか。
わからねえ。
同時刻に同じゲームをプレイしてる赤の他人と日常的にゲームをして、さらに家族全員でゲームをして、ついでに妹の配信まで手伝っているゲーム三昧の俺からしたら、面白いとはいえ、それでも俺なんかとプレイするシューティングゲームに、ここまで気合を入れる意味がわからねえ。
いや……分からないんじゃないのか。
俺が、そういうことに慣れてしまっただけなのだろうか……。
俺は今だに寝息を立てる同級生の寝顔を、盗み見ることなく言った。
「藤堂……お前、なにがしたいんだよ」
お前が楽しみにしている相手は、ただのボッチだぞ。
お前らみたいに上手に生きていける奴らを逆恨みして、ちょっとなにかあるだけで動揺して、友達の定義もわからないままゲームで遊ぶことに承諾して、コンビニで意味のわからない買い物して気落ちしているような、上手く生きていけないただの童貞ボッチだぞ。
ヒエラルキーのトップである王様が、庶民との遊びを楽しみにしてどうすんだよ。
藤堂よ。
俺に……なにか期待されても困るぞ。
俺は何もできないからな。ゲーム以外は。
「……すー、……すー」
寝息はなお続く。
起きる気配はない。
「……まあ、なんでもいいけどな。俺には関係ねえだろ、そんな深いこと」
いまだに行動理由の分からぬ相手だが、いつかは教えてくれるときがくるのだろうか。
それともこちらから尋ねれば答えてくれるのだろうか。
分からない。
分からないが――今は、まだ、しばらく寝かしておいてやることにした。
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