第6話 ヘッドショットみたいな一撃

 おうちに遊びにいっていーい?――俺が、このセリフを最後にきいたのっていつだろうか。おそらく小学校高学年か……いや、まさか低学年か?


 少なくとも『異性から言われたのはいつか』と聞かれれば即答できる。

 アンサー。過去には一度もないにきまってるだろうが。


 藤堂真白は自分の言葉が伝わっていないものと判断したのだろうか。

 姿勢を正してから恥ずかしそうに下を向き、ちらっと視線だけをあげて、今一度同じようなセリフを口にした。


「あ……、だ、ダメ……かな? 黒木君の、お部屋、行くの……」


 おちつけ、藤堂。

 お前の言葉はきちんと伝わっている。

 伝わっているから、二度もそんなセリフをぶつけてくるな。お前は俺の持つ盾が鋼鉄の盾だと思っているのか? なべのふただぞ、こっちは。


 俺の視線は右や左に逃げたあと、下に向かって落ちていき、いきなり上にあがったりしていた。

 傍(はた)から見たらヤベえ奴である。

 いや、俺から見たってヤベえ奴である。

 FPSじゃねえんだから。ゲームの視点変更みたいに、マウス、ぐるぐるしてるわけじゃねえんだから――でもしょうがないのだ。俺の思考は停止していたからだ。


 考えることを放棄していたわけではなく、計算すべき数値が膨大すぎてオーバーヒートした形である。

 ただし、そこはボッチのエリート。俺だって何もできないわけではない。

 窮地におちいろうとも表情筋を動かさないことだけは、十数年の修行のはてにプロレベルに達している。それが誇れることかは不明だが。


 ようするに俺は無表情を維持することに成功していた。

 そして無表情のまま、俺は藤堂を見た。見ていた。見続けることしかできなかった。


 頭がぼうっとしているので、今まで受け止めることができなかった藤堂の視線を真正面から受け止めることも出来ていた。

 なるほど、これが陽キャだけが持つスキル『ガチ見』か、と他人事のように把握する。

 俺ら陰キャの行動を100%見逃さないくせに、バカにするべき箇所だけ都合よく切り取るという最強スキルの一つだ。


 「……あ、あのさ」


 藤堂が何かに耐えきれないように下を向いた。

 おお、なんか、俺が勝ったみたいな感じだぞ。


 藤堂は眉をわずかにひそめた。


「な、なんか言ってよ。あと、なんでそこまで見つめてくるの……ちょっとだけ、はずかしい」

「ご、ごめん!」


 やべえ、俺はバカなのか……。

 知能が下がり過ぎて、意味の分からない能力者みたいなこといってたぞ……。


「あー、まあ、でも、そうだよね……」と藤堂が続けて言う。

「ごめん、ね? いきなり、遊びにいっていいか、なんてナイよね。ナイよりのナシだった」

「あ、いや、ごめ。そういう意味で黙ってたわけじゃない」 

「アリよりのナシってこと?」

「ごめ、そういうことでもない」

「なんでそんなに謝るの?」

「ごめ……いや、そういう意味ではない」

「……日本語がちょっとわからないな」

「お、おう……ごめん」


 仮想現実――つまりアバターを相手にしたシューティングゲーム内でのボイスチャットじゃ舌打ちしたり、指示出しをしたり、場合によっちゃ口喧嘩もしてしまったりする俺であるが、リアルの対人戦なんて、こんなもんだ。

 なんで人間関係が嫌になると、『ごめん』とか言っちゃうんだろうか。

 もう俺のせいでいいから、早く解放してくれとか思ってんだろうか。

 我ながら、この会話の不格好さがよくわからない。


 俺は仕切りなおすように一度喉をならす。

 悪癖その2である『タイミング的に意味のないため息』を発動したのち、言う。


「まあ……悪いが、部屋に連れ込むことはできない」

「連れ込んでくれとはいってないんだけど……ね」

「……意味は同じだ」


 いや、同じではないな。

 うん、同じではない。

 やべえ。大変な失言だ。


 だが服の上から接触してきても、なんら金品を要求してこない高い人間性であるだろう藤堂真白は、俺の言い間違いにも固執しなかった。

 俺のたった一人のネット上の知人である『A』ならばそれを理由に、深夜三時まで俺の興味のないMMORPGのレベリングを付き合わせてくる。あいつはそういうやつだ。


 藤堂はあきらめたように何度か頷いた。


「うん、そりゃそうだよ。わたしがおかしかったね、あはは……ごめん、ごめん」


 そういって、人差し指だけで頭をぽりぽりとかいてみせる。

 俺の数少ない唯一のネット上の知人である『A』がその行為をした場合、ビデオチャットでも分かるぐらいのフケが肩に落ちていくのだが、美少女の場合はなにかの映画のワンシーンに見えるらしかった。

 不公平だ。Aが可哀そうである。だがあいつはそんなことを気にしない誇るべき引きこもり人間なので俺はいっさい悲しんでやらない。


 それにしても、一つ気になることがあった。

 なんだかいっきに印象が変わった感じがするのは気のせいだろうか。

 ゲームを語る藤堂はどこか幼い感じがしたのに――いまはきりっとした容姿同様、ヒエラルキートップにありがちな余裕がみてとれる。


 いや、そんなこと、人間レベル1の俺ごときには判断できねーけどさ。

 まあいいや。関係ないだろ。

 俺も頭をぽりぽりとかきそうになって――フケの恐れから、その手をとめて、膝に置く。


「まあ、そういうことで……悪いな」

「いやいや、わたしこそ……はは……気まずくしちゃって……」


 本当に気まずい時、俺は黙るが、コミュレベルMAXのやつは気まずくしたことを謝るのか……すげえな。なんで自分の失敗を笑えるのだろうか。わからない。俺なら、頭を縦にふりながら『うああああ』と言う。トイレで。


 だがまあ、この件に関しては、これが妥当だろう。

 だって、さすがにこんなにもレベルが高い女子生徒を家に連れて帰ることはできない。

 家族が黙ってないし。とくに妹。

 あいつ意外と独占欲が強いから、俺に対しても、藤堂に対しても、頬をぷくーっとさせてくるに違いない。

 あと親父な。

 あいつは駄目だ。ダメな推理小説家なのだ。

 こんな美少女見せたら、すぐにこう言う。


『おお!? こんな美少女がこの世にいたとは……っは!? なんだかインスピレーションが湧いてきたぞ! これは良い密室殺人が思い浮かんだ! 君は最高の形で私が(登場人物として)殺してみせよう!』


 家族としては好きなのだが、人間として終わってるといえよう。

 そして残念ながらその密室殺人は欠陥品だ。たいてい、密室じゃない。密室ならば印税がはいってくるはずだからだ。今の稼ぎ頭は残念ながら母親である。

 やっぱり駄目だな。連れていけない。


 さて。

 放課後、時刻は五時過ぎ。

 季節がらまだ明るく、学び舎はまだざわついている。


 俺達の間に会話はなく、視線もまた交わらなくなってしまった。

 何がきっかけか分からないが、ふっと精神状態が元に戻る。

 

 疑問が一つ浮かぶ。

 

 ……これ、どのタイミングで席、立てばいいの? なにか言ってから立てば、この時間終わるの?

 ……やべえ、まじでわからねえ。


 やっと戻った精神状態が、あらたなラスボスを連れてきてしまった。

 どうしよう、どうしよう、と初めてシューティングゲームをした妹みたいなことを考えていたら、藤堂がゆるやかに言葉を投げかけてきた。


「あの、さ。部屋は、あきらめる」

「……お、おう」


 諦めるとか、諦めないとか、それは俺以外の人間のセリフなのだろうか。俺の家だぞ……?、といってもヒエラルキーの△から外れている俺の言葉は通じないだろう。やめておく。


「で、さ。たとえばなんだけど」

「たとえば」

「仮に、でもいいんだけど」

「仮に」

「なんで言葉を復唱するの……?」

「な、なんでかな」


 いちいち突っ込まないでほしいが、たしかにトップグループのやつらって、こういう細かいツッコミから話と笑いを引き出しているだろから、悪いのは俺か。


「ようするにね、部屋は諦めるから、さ……」


 藤堂はやけに緊張しているように見えた。

 信じられない。

 こんな『チートで転生しました』みたいなのを転生前にすでに実現しているような奴が、緊張しているぞ。転生したほうが残念な感じになるような奴だぞ?

 これ、俺が同じ状況になったら、いきなり爆発するんじゃないだろうか。で、転生もしないんじゃないだろうか。無駄死じゃん。


 藤堂は、小声で『負けるな真白』と語感の良い言葉を口にすると、若干、ぎこちなく笑いながら提案してきたのだった。


「げ、」

「げ?」

「ゲーム、一緒に、したいな……なんて」

「え? 誰と?」

「え? そんなの黒木くんしか居ないでしょ? 二人しかいないんだからさ」


 なんでそこで冷静にツッコめるんだ、お前は。

 そしてゲームをしている声や『しね、しね』でも感じたが、こいつ、なんか本当の自分みたいな奴をナチュラルに隠していないか? 人の目を気にしてるのか? いや……トップグループになるとそれも当たり前なのか。ていうか、人の目を気にしているのは、俺ですよね。知ってます、妹によく言われるから。


 まあいい。

 結論へ向かおう。


 というわけで俺は、ヒエラルキーのトップの奴らが持つ行動パターン『全てを正論としてぶつけてくる』という例の攻撃をくらってしまった。それも不意打ちで、もろに。


 これまで俺が教室で何を言われても、「お、おう」と「ふ、ふが」の三文字ぐらいの返答しかできなかった理由は、すべてこの攻撃にある。

 こんな問答無用の正論みたいに聞こえる、じつは正論じゃなくてただの希望です的な会話をヘッドにショットされてしまったら、初級者はどうにもできずに死んでしまうに決まっている。


 そして今も同じ状況である。

 つまり――。


「お、おう」

「どう、かな。イヤ?」

「イヤじゃないけど」

「じゃあ、イイ?」

「まあ……それぐらいなら、いいけど」


 俺のレベルではそう答えるしかなかったのだった。

 3文字ではなく、10文字以上になっているだけ善処したはずだ。

 

「ほんと?」

「お、おう」

「ぜったい?」

「お、おう」

「……やった。黒木君は嘘をつかない」

「だからなぜ決めつけるんだ……」

「そういう顔をしている」

「どんな顔だよ……」

「こんな顔」


 どこから取り出したのか、藤堂はギャルっぽい、なんかやたらと持ち運ぶのに面倒そうな大きい折り畳みの鏡を取り出して、俺の前に展開した。


「お、おう……」


 そこにうつっていた男の顔は……うん、なんていうか、俺だった。

 髪がぼさぼさで、目つきがわるくて、愛想が無くて……で、緊張しすぎて青ざめている、俺だった。

 ヒエラルキーのトップと面と向かって話していても、いきなりカッコよくなるわけでも、いきなり愛想がよくなるわけでも、いきなり宝くじにあたるわけでもなく、そこにうつっているのは、ロード画面時に暗転したディスプレイにうっすらとうつる、例のゲーマーのボッチだった。

 世界は、そんなに簡単には変わらないのだ。

 知っているよ。知っている。


 俺の思考を知るわけもない藤堂は、しっかりと頷いて断言した。


「これが嘘をつかない顔」


 お、おう――答えそうになって、しかし鏡の中のさえない男子高校生の、かわいた唇が動いたのを、FPSの索敵時ばりに目ざとく反応してしまい、俺は口をとじた。ひびわれた唇が急にはずかしくなり、ぺろりと舐める。舐めたことがさらに恥ずかしくなりリップでも買うか、なんて馬鹿げた気持ちになる。

 なんだか、やりづらい。


 俺は、焦る気持ちをなんとか落ち着けて――ゆっくり頷いたのだった。


 ということで、俺は藤堂とゲームをする間柄になった。


 友達?

 ゲーム仲間?

 やめてくれ。


 そんなもの作ったら、俺の人生が変わってしまうじゃないか。

 まるでラノベみたいに、『これからの俺の人生、いったいどうなってしまうのだろうか』なんて、あきらかなフラグをたてるとでもいうのか?

 陽キャのフィールドに足を踏み入れて、短期集中の努力をすれば、世界が変わるとでも?

 

 おい、黒木。

 黒木、陽。

 知ってるだろ?


 お前は主人公じゃない。

 申し訳ないが、変われる奴は、もともと変われる奴なんだ。

 何をしても変わらねーから、変わらねー奴なんだよ。


『小説家ににゃろう』の作品みたいに、実は過去に何かがあったのでボッチになったというわけではなく、中学時代は彼女がいたがこっぴどくふられたからボッチになったというわけでもなく、昔は正義感をふりかざしていたが高校ではMOBに徹するのだとかいうわけでもなく、ただただ何も変わらないだけだっただろう?

 

 自業自得のボッチプレイ。


 なのに……お前は何をしているんだ。黒木、陽。

 縁をきるつもりが、縁が強まってしまったじゃないか。


「やったね……」


 藤堂の呟きは、俺の耳に強くひびいた。

 それは、はじめてスナイパーライフルでヘッドショットを成功させたときのような、静かな達成感に満ちていた。


 『これから俺の人生、どうなってしまうのだろうか』


 そう思いたくなる自分の心を必死に押しとどめながら、俺は「……きゅ」と意味不明な声を喉の奥から出した。

 やだもう、シにたい。

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