ソレラ・ミーア!

「ごちそうさまでした。本当にお招きありがとうございました」

「そんな他人行儀な挨拶よしてちょうだい。あなた達は娘も同然なんだから」

「ごめんなさい、スーツ姿だと、つい」

 おばちゃんは嬉しそうな、でもどこか寂しそうな笑顔で、おねえちゃんの腕をポンポンと叩いた。

「茉那ちゃんも。いつでも来るのよ」

「うん、もっちろん! ありがとう、おばちゃん」

 あたしは手を振った。おばちゃんの後ろにいた美冬も「茉那ちゃん、バイバーイ」といいながら、手を振りかえしてくれる。


 うちの鍵を開けながら、おねえちゃんは「ありがたいね」と言った。あたしは、もちろん頷く。

「ただいまー」

 あたしは玄関の電気を点けて、おふろを沸かそうとお風呂場に入った。

「あれ? おねえちゃーん。おふろ沸かしてくれた?」

「うん。さっき、月﨑さんちにいく前に荷物だけ置いたから、ついでに。茉那、先に入ってて」

「はーい」

 いろいろ、湯船で考えたいことがある。服を脱いで髪を留めると、かけ湯もそこそこに湯船に浸かった。


 湯気がお風呂場に立ちこめはじめた。ぼーっと、その様子を眺める。

 楽しかったな。

 おばちゃんのお料理は美味しいし、つき姉とおねえちゃんが楽しそうに話してたのも嬉しかった。おねえちゃん、友達多い方じゃないからなあ。もっとつき姉と遊べばいいのに。

 それにしても。大人数での食事って、やっぱり楽しい。昔はうちの庭でみんなでバーベキューパーティをしたりもしたけれど、最近はそんなこともなくなってしまった。たぶん、りさ姉がいなくなった頃から、なんとなくそういうことをしなくなってた気がする。

「アイドル、かぁ……」

 あたしは独り言を口にした。

 さっきの、浩司の話。

 あんな話、あり得ない。「ロイドルの中の人」がどんな物かはよくわかってないけど。今のあたしにそんな時間は全くない。

 あたしが、踊るのが好き、っていうのは事実だけど――って、また、見られたこと思いだした。ああもう。やだやだ。

 けど、そうね。パパとママがまだいたら、まだあたしが部活をやっていたら。そして――

 もし、りさ姉が――

 自然に、りさ姉の歌が口をついて出始めた。

 どうして忘れていられたんだろう。

 ――ううん、ちがう。忘れようとしていたんだ。

 夕暮れの闇の中に消えていくりさ姉の姿。記憶はおぼろげになってしまったけれど、りさ姉はなにか、ものすごくつらくなってしまうようなことを言った。

 今思うと、あれが「哀しい」って気持ちなんだろうな。

 目を開けると、水滴が目尻に流れてきて、あたしはお湯をすくって顔を洗う。

 よし。切り替えた。

 あたしが髪を洗い始めると、脱衣所におねえちゃんが入ってくる音がした。

「おねえちゃん? もうちょっとまってー」

「はいはい」

 あたしは急いで髪を洗い、シャワーを浴びてお風呂を出る。

「おまたせー」

「はい、バスタオル」

「ありがと」

 タオルを受けとって体にまいた。さ、髪を乾かさなきゃ。

「あれ? ドライヤーどこ?」

「私が持ってる。髪を乾かしてあげるわ。鏡の方を向いて」

「えっ?」

 おねえちゃんはあたしの肩を持って鏡に向かせると、タオルでゴシゴシあたしの頭を拭いた。

 どうしたんだろう、急に。これまでそんなことしてくれたことないのに。

 鏡越しにおねえちゃんの表情を見る。あたしの髪を、まるで宝物でも持つような手でゆっくりと持つ。

「へえ、茉那、そばかすできたんだ」

「やだ!」

 あたしはほっぺたを隠す。

「どうして? かわいいじゃない」

「やなの! あたしがだてメガネかけてるの知ってるくせに」

「なんだ、あのメガネ、そういう意味だったの」

 あはは、とおねえちゃんが笑う。あたしは少しむくれて、ほっぺたを膨らませた。

「大きくなったのね。そうね、中二だもんね」

 ゴー、というドライヤーの音が脱衣所に響く。髪をゆっくりと梳かしてくれるおねえちゃんの指が、鏡越しに見え隠れする。

「ねえ、茉那」

「ん?」

「りさ姉、覚えてるよね」

「――うん」

「部活やめないって言ってたの、りさ姉のことがあったから?」

 あたしは言葉に詰まる。

 家の事を誰がやるかでおねえちゃんとギスギスしていたとき、あたしはダンス部を辞めたくないといっていたし、おねえちゃんは受験勉強がある、といっていた。

 今考えると、あたしの方がわがままだったと思う。でも、あたしもどうしてもやめたくはなかった。それは、ダンスが好きだからだと思っていたけど――

 あたしは黙って首を振る。

「ちがうの?」

「わかんない」

「そっか。――ねえ、茉那。浩司くんこうちゃんの話、やってみたらどう?」

「えっ?」

 あたしは、振り返っておねえちゃんを見た。おねえちゃんは笑顔をたたえている。

「茉那がダンスが大好きなこと、私も知ってた。お皿洗いの合間とかに、よく踊ってるよね」

「――! キライッ!」

 あたしは顔を伏せてしゃがみ込む。

 おねえちゃんにも見られてたんだ……。やだやだ。はずかしくて死んじゃう。

「ごめん。でも、お姉ちゃん、茉那のダンス好きよ。本当に楽しそうで、ずっと見ていたいもん」

 あたしは返事をしない。

「こうちゃんと、美冬みふゆちゃんも言ってたじゃない。声がかけられないって。私もそうだったの」

 ゆっくり、一言ずつ、おねえちゃんは話してくれる。

「さ、立って、茉那。髪が乾かせないわ」

 嬉しいとはずかしいがごちゃまぜにあたしの中で渦巻く。なにが嬉しいのかわかんないけど、ほんのちょっとだけど、確かにある。あたしは立ち上がって、おねえちゃんを鏡越しに見た。

「――でも、家事は、どうするの?」

「そうねえ……そろそろ、私のお仕事も落ち着いたしね。茉那と半々でも、やれると思うわ」

 あたしが一番気になる所だったけれど、おねえちゃんはあっさりとそれを提案してくれた。

 ホントにいいんだろうか。あたし、ちゃんと両立できるのかな。

「でも、茉那。一つだけお姉ちゃんと約束してくれる?」

「なに?」

「あなたは――、あなたは、りさ姉みたいに――いなくなっちゃ、ダメよ。何かあったら、絶対に相談して」

「――うん」

「絶対よ。私を一人にするなんてこと、しないでね」

 あたしは、無言で頷いた。髪はほとんど乾いて、おねえちゃんは、ゆっくり、あたしの髪を梳かしている。

 あたしは振り向いて、直接おねえちゃんの顔を見た。

「ゼッタイ、約束する」

 おねえちゃんはあたしを、キュッと抱きしめてくれた。

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