開きかけた扉

 今日は金曜日。

 お夕飯はなんにしよっかな、とスーパーのお肉コーナーを眺めて歩く。

 うーん、ハンバーグもいいし、オムライスもいいなー。あ。でも確かケチャップ切れちゃってたかも。どっちにしてもケチャップは買っとかなきゃ。

 踵を返して調味料の棚に入ろうとすると、真っ正面にお隣の月崎つきざきのおばちゃんがいた。

「あらあら。茉那まなちゃん。こんにちは」

「あ、こんにちわぁー」

「茉那ちゃーん!」

 月崎さんとこの末っ子の美冬ちゃんみっふぃも隣で手を振っている。

「今日は茉莉まつりちゃん遅いの?」

「ううん。おねえちゃん、今日は早いってゆってたから、お肉でなにか作ろうかなと思って」

「それならちょうどいいわ。うちに、昨日の夜から煮込んでたビーフシチューがあるのよ。二人で食べにいらっしゃいな」

 ビーフシチュー!

 とろっとろに煮込まれたおばちゃんのビーフシチューが舌の上に甦る。初めて食べさせてもらったときには、ほろほろと崩れるお肉と一緒に、ほっぺたも落ちちゃうんじゃないか思ったくらい。

「あ、でも……」

 おねえちゃんに聞いて見ないといけないし、どうしよう。

「ちょっと作り過ぎちゃったのよね。きてくれるとありがたいな」

 そう言って、おばちゃんはウィンクをした。

「おねえちゃんに聞いて見ます」

 あたしはスマホを取り出して、おねえちゃんに連絡を取った。既読はすぐについて、よろしくお願いしますのスタンプが送られてきた。

「いいって!」

「じゃ、きまり。そうね、もう一品足そうかな。茉那ちゃん、何かリクエストある?」

 おばちゃんがニッコリ笑ってくれる。あたしもすごく嬉しくて、ふふって笑顔がこぼれた。


   *  *


「もー、茉那ちゃんは美冬みっふぃと遊ぶんだよ、コージはあっちいってよー!」

「兄ちゃんと呼べっていつもいってんだろ! いいからお前こそあっち行ってろって! 俺は茉那とオトナの話があるんだよっ!」

 オトナの話であたしは吹き出す。あの浩司が? 大人の話?

「笑うなよっ! ほんとに大事な話なんだ」

「はいはい、聞くってば」

 あたしが手を振ると浩司はいつになく真面目な顔をしていた。

 その顔に、あたしはりさ姉の面影を見取って少しだけ胸が痛んだ。やっぱり、浩司、りさ姉によく似てるな、って思う。

「お前さ、ロイドルって興味あるか?」

「「ロイドル?」」

 あたしと美冬の声が重なる。

「そう。ロイドル。知らないのか? ここ数年ですごくメジャーになってきた、VR空間でまるで生きているかのような動きをするバーチャルアイドルのことだよ」

「知ってるけどさ。あれでしょ? 天翔あまかけめいとか、ああゆうやつでしょ?」

「そうそう。天翔めいはオープンタイプで、誰でもプロデュースできるんだけど、今度新しいプロダクションメイクタイプのロイドルオーディションが……」

「ちょ、ちょっとまって。なに? おーぷん……?」

 浩司は大げさにため息をついて、「なんだ、やっぱり知らないじゃん」と言った。

「あのねー、浩司、そゆのよくないよ? あたし、あんたの話きいたげないよ?」

 浩司は手を挙げて、

「悪かった。続きを聞いてくれ」

「うむ。きいてしんぜよう」

「しんぜよう」

 あたしが腕を組むと、美冬ちゃんがマネをする。おもわず、くすって笑ってしまう。

「ロイドルって、歌を作る人とダンスを作る人でステージを作るのは知ってるな?」

「そうなの?」

「そうなんだよ。歌とダンスを別々に作って、それを合わせてPVを作ったり、バーチャルライブでのライブを開催したりするんだ。普通は、それを別々の人で作るんだけど」

「ほうほう」

 あたしは、話がサッパリ見えないと思いながら、浩司の話に相づちを打つ。

「天翔めいは、それを誰でも勝手にやれるんだよ。歌を作ってめいに歌わせたり、ダンスのデータを作って、めいに踊らせたり。だから「がねっさP」とか「ナーヴP」とかが有名だけど、この人達はダンスを作らない。逆に、「TAKU」とか「MakotO」とか、有名なモーションデータ職人たちは、歌を作らないんだ」

「なるほどなるほど」

 だんだん飽きてきたぞ。

「そういう、誰でも勝手に色んなことをやらせれるロイドルのことをオープンタイプっていって、一番人気のあるタイプのロイドルなんだよ」

「んでんで?」

「で、プロダクションプラットフォームって言うのは……」

「だーっ! もういいから、本題!」

「今から言うって! 芸能プロダクションが作って、その芸能プロ専従でやるロイドルが今度作られるんだよ! そんで、その声をあてる人と、ダンスをやる人を募集してるんだ!」

「だーかーらー、それが、何っ!」

「だから……だから、茉那、それに応募しないか?」

「へ?」


   *  *


 浩司の話の意味が、あたしの中に落ちてくるのに少しの時間を要した。

 要するに、やつはあたしに「ロイドルの中の人」のオーディションにでてこい、とゆってるらしい。

「なんで、あたしがそんなことしなきゃいけないわけ?」

「え……いや、だって、茉那はえっと……そう、ダンスがうまいから」

 んー? あたしは変だなって思った。

「なんであんたが知ってんのよ」

 あたしがダンス部をやってたのは1年生の6月頭までだし、女子ダンス部の練習はとうぜん男子禁制。その上、あたしはダンスの発表会以前にやめたから、浩司があたしのダンスを見る機会はなかったはず。あやしい。

「いやいや。お前、道の真ん中でよく踊ってるじゃん」

「げっ」

「あー、美冬みっふぃもよく見るよ。茉那ちゃんが道で踊ってるの」

 あたしは頬が急激に熱くなってくるのを感じた。

「ちょ、ちょっと! 美冬、声くらいかけてよ! そういうときは!」

「だってー」

 美冬は浩司と目を合わせて、うなづいた。

「茉那ちゃん楽しそうなんだもん。邪魔したくないくらい」

 浩司もうんうんと首を振っている。あたしは顔を覆って、うずくまる。

「ばかー! そういうの黙ってみるの、犯罪なんだからねっ!」

「えっ? 美冬、おまわりさんに捕まっちゃうの?」

 それを無視して、浩司は力強い声でいった。

「茉那、お前のダンスは人を魅了するんだよ! だから、今回のオーディションはチャンスなんだ! ゼッタイ応募すべきだって!」

「いやいやいや、ムリだよ! 普通に!」

「いや、できる! 茉那ならできるって!」

 浩司がうずくまったあたしの肩に手を置いて、強く揺さぶった。

「頼む、茉那の協力がないと、できないことなんだよ!」

 こ、困ったな、こんなに押しが強い浩司、みたときないよ。うーん。

 あたしは体を起こして、後ろの二段ベッドにもたれかかる。

「で、でもさ、それって忙しいんでしょ。部活よりも?」

「そりゃ――まあ、な。りさ姉も――」

 あたしと美冬は、浩司の顔を見た。浩司は、出してはいけない名前を出したことに気付いて言葉を飲み込んだ。けど、少し視線をはずして、

「――りさ姉も、毎日遅くに帰ってきていたし」

 あたしは黙り込む。

 りさ姉。あたしの、あこがれの人。

 月崎さんのお家は、あたしやおねえちゃんが生まれる前からここに住んでいる。うちがここに引っ越して以来の、家族同然のお隣さんだ。りささんりさ姉は月崎さんのお家の一番上のおねえさんで、2番目の咲月さんつき姉、3番目の浩司、4番目の美冬みっふぃの四人姉弟。そこにあたしとおねえちゃんが加わって、まるで六人姉弟のように育ってきた。

 そのりさ姉は、あたしが小学校低学年の頃から、アイドルとして活躍していた。テレビに出ているりさ姉を応援したり、といったことは、小さい頃のあたしたちの日常だった。

 ステージやテレビでキラキラと輝くりさ姉に、あたしはどれだけ憧れたかしれない。あんな風になりたいと、ずっと思って生きてきた気がする。


 ――だけど。りさ姉は5年も前に、失踪して行方不明になってしまった。


 りさ姉を最後にみたときのことは、はっきりと覚えている。失踪前、一番最後にりさ姉をみたのはあたしらしく、いろんな人に聞かれて、そのときの話を何度もした。

「あ。そっか」

 あたしは、ポンと手を叩いた。

「っ!? な、なんだよ、突然!」

「そうか、あたし、中学でダンス部入ったの、りさ姉になりたかったからなんだ」

 今までぜんぜん、そんなこと気付いてなかった。あたしの中に、りさ姉のあの姿が鮮烈に焼き付いているんだ。そんなことを忘れていた自分に少し驚く。

「じゃあ、やっぱりチャンスじゃないか。やるだろ!?」

「はぁ? ダメに決まってんじゃん」

 わざと肩すかしを食らわせてやる。ガクッと浩司がずっこけた。

「なんでだよ!」

「だからいってるでしょ。あたしは家のことがあるの。おねえちゃんは働き始めたばかりだし、そんなことやってる余裕なんてないよ」

 浩司は、怒ったような、それでいて哀しいような微妙な顔をした。

 そのとき、ガチャッと扉が開いた。

「こんばんは」

「おねえちゃん」

 スーツ姿のおねえちゃんが、そこに立っていた。

「まつりおねえちゃん!」

「ふふ、美冬ちゃん。ひさしぶりね」

「あとで遊んでくれる!?」

「あとでね。さ、ごはんよ。呼びに来たの」

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