ダンス・ウィズ・ディッシーズ

 カチャカチャ、という優しい音で、目が覚めた。

 顔を少し上げると、向かいにおねえちゃんが座って、食事をしている。あたしは目をこすって体を起こした。

「お帰りなさい、おねえちゃん」

「ただいま、茉那」

 おねえちゃんは嬉しそうに目を細めた。あたしは、おねえちゃんはやっぱりママに似てるなと思った。

「茉那、ダメよ。ちゃんと布団で寝ないと」

 おねえちゃんは、どこか嬉しそうにそう言った。

「だって、おねえちゃんのこと待ってたんじゃんっ」

 わざと頬を膨らませる。

「ありがと。すごく美味しい」

 おねえちゃんは、肉じゃがのお芋を箸で分けて口に運ぶ。食卓をみると、味噌汁がでていなかったので、あたしは席を立った。

 時計を見ると、もう十時前だった。

「何時に帰ってきたの?」

「んー。ついさっきかな」

「あんまりムリしないでよ、おねえちゃん。明日も早いんでしょ?」

 あたしはコンロの火を付け、おねえちゃんの分だけ味噌を溶かずに残してあったお味噌汁のお鍋を載せた。

「いいから、早く寝なよ。茉那。あなたも明日学校あるでしょ」

「だーめ。これはぜったい食べて欲しいの!」

 今日のお味噌汁はおねえちゃんが一番好きなかぼちゃのお味噌汁で、自分で食べても美味しいと思えた自信作。このまま寝ちゃうなんてゼッタイにできない。

「ふふ。お料理うまくなったよねぇ、茉那ってば」

「へへー」

 あたしはおたまで軽く混ぜながら、お味噌を溶く。


 ついこの四月に高校を出て、就職したばかりのおねえちゃん。お仕事は楽しいってゆってるけど、やっぱりいつも大変そうで。ごはんくらいちゃんと食べて欲しいと思って、お料理はじめたのが半年くらい前。

 やっと、最近おねえちゃんから美味しいって言ってもらえるようになった。そのことが単純に嬉しい。

「はい、どうぞ」

 お味噌汁を一口すすったおねえちゃんは、一瞬目を丸くした。

「へえ……茉那、これお母さんのお味噌汁と同じ味だね」

 そう言ったおねえちゃんは、一瞬しまった、という表情を浮かべた。

「でしょっ!」

 あたしはその表情を無視して、笑顔を作って胸を張る。おねえちゃんは少しホッとした顔で、美味しいを連発してくれた。


   *  *


「ごちそうさま」

「おねえちゃん、おふろ入ってきなよ。あたし洗い物するから」

「いいよ、洗い物くらい自分でやるから」

「いーから! 早くお風呂はいってきてっ。着替え、そこに出してあるから」

「はいはい」

 おねえちゃんは苦笑気味に立ち上がって、着替えを取って階段を降りていった。

 あたしはおねえちゃんに、今日はお湯を抜いて洗っといてね、と声をかけて、食器をかたした。

 軽く水洗いをしてから、食洗機に食器を並べてスイッチを入れる。


 食器が洗われていく様子を眺めながら、あたしはぼんやりと考える。


 うちの環境が激変してから、1年とちょっとがたつ。あたしは中学1年生になったばかりのときで、おねえちゃんは高校3年生になったばかりだった。

 あのことの前後は、あんまりよく覚えてない。おねえちゃんと二人きりで暮らさなければならないのだ、ということを飲み込むのに、3ヶ月ほどはかかったと思う。

 あの頃あたしは、自分のことばかりしかゆってなかった気がする。できなくなったことを数え上げて、周囲にぶつけてばかりいた。でもおねえちゃんはそんなあたしを怒るでもなく、無視するでもなく、じっとあたしの癇癪を受け止めてくれていた。


 そんなある日、おねえちゃんが「茉那、大事な話があるの」と言ったときには、正直ドキッとした。別々に住もう、って言われたらどうしよう、と思った。実際あたしは、お葬式のあとであたしが施設に入るって言う話があったことを知っていた。それはしたくない、と止めてくれたのはおねえちゃんだった。


 でも、おねえちゃんの話はそんなことじゃなかった。おねえちゃんは、大学への進学を諦めて、就職をする、という話をし始めた。


 あたしは二重に驚いた。一つはもちろん、あたしの想像としてた話と違うこと。もう一つは、おねえちゃんはずっと、お医者さんになりたいと言っていたのに、ということ。

 おねえちゃんは、パパとママが残してくれたお金では、二人ともが大学には行けないし、まして自分が医学部に行くとあたしの高校進学のお金も危うくなる、だからお金はあたしの進学資金に残しておいて、医者になれないのであれば、大学に行く必要はないから、自分は就職する、と言った。

 あたしは、入ったばかりの部活がどうとか、そんなことばかり言っていた自分がすごくはずかしかった。もちろん、あたしは自分が進学をやめたらおねえちゃんが医学部に行けるならそうして欲しい、ともゆった。けれど、おねえちゃんは、「茉那も高校ぐらいはでないとゼッタイだめだ」と譲らなかった。

 あたしはあの時に、おねえちゃんを支えなきゃ、ってほんとに思った。意地を張ってやめないでいた部活も、素直にやめることができた。


 それ以来、色々と家事を分担する中で、おねえちゃんが就職してからはあたしがほとんど家事をやっている。

 家事をやること自体は苦じゃない、というか、やってみると案外楽しい。お料理もいろいろと発見があるし、掃除も手早くキレイにを目標にやってみると、けっこう工夫のしがいがある。


 でも、たまに。やっぱり、楽しかった部活――ダンス部のことを思い出すことがある。

 食洗機の水が踊る。機械の立てる音が、単調なリズムを刻む。

 あたしの右足が、自然にステップを踏みだす。リズムに合わせて、音楽が聞こえ出す。

 拍の裏を取る。キックターン。ダウン、アップ。手を広げて、回る。


 ――楽しい


 突然、ピーピーピーと甲高い音がして、あたしは我に返った。食洗機が洗うのをやめている。あたしはいつの間にかリビングの真ん中に出てしまっていた。

 キッチンに戻り、布巾を手に取って、食洗機のカバーを開けた。

 すると、後ろから手が伸びてきて、食洗機の一番手前にあるお味噌汁のお椀をひょいと取った。

「わたしも、拭くの手伝うよ」

 振り向くと、おねえちゃんがニッコリと笑った。あたしもおねえちゃんに笑い返して、「ありがと、おねえちゃん」と言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る