IDOLV@NISHES 

文芸戦隊アマルガム

合同誌Amalgam1号

Plologue

 思い出すのは、いつもイメージだ。


 坂を登り切ったところに、立っている誰か。今にも消えそうな、存在感のない人影。夕日に照らされ輝くそれは、だけど確実にそこにいる。


――幽霊だ。


 体がギュッと固まって、ランドセルの肩ベルトを握りしめた。逃げ出したかったけれど、それもできなかった。だってその人は、うちの前に立っていた。

 あたしは人影をにらみつけながら、鼻からゆっくり息を吸って、できるだけ力一杯口から吐き出した。どうしてそんなことをしたのかはあんまり覚えていない。ただ、ともかく怖くてたまらなかった。

 不意に、その幽霊があたしを見た。


茉那まなちゃん?」

 幽霊は、柔らかな声であたしに話しかけてきた。

「えっ!?」

 あたしは心底驚いて、改めてその人を見た。知らない人? とんでもない。あたしは信じられない思いで駆け寄り、そばに立ってまじまじと見た。

「久しぶりね、茉那ちゃん」

 にっこりと微笑んだ顔。見まがうはずもない、その人は「りさ姉」だった。お隣に住んでいて、浩司こうじのお姉ちゃんで、小さい頃から何度も遊んでもらっていて、その上、あたしの憧れの人だった。


 どうして、りさ姉のことを知らないなんて思ったんだろう。


 恥ずかしいのと驚きとで、りさ姉の顔をまともに見ることができなくて、ぎゅっと足にしがみつくと、りさ姉はそんなあたしの頭をなでてくれた。

 顔を上げると、いつもの優しくて、かわいくて、かっこいいりさ姉だった。その笑顔に心の底からほっとして、あたしはとびきりの笑顔でりさ姉に笑いかけた。

「りさ姉、おかえり!」

「ふふ。ごめんね。帰ってきたわけじゃないの」

「えっ?」

 あたしはりさ姉から手を離して首をかしげると、りさ姉はしゃがみ込んであたしと目を合わせてくれた。


 そのあと、りさ姉のお仕事について、色々と話した覚えはあるけれど、詳しい話はほとんど覚えていない。

 けれど、あたしが早く大人になりたい、と言った後の、りさ姉の言葉は、よく覚えている。


「そう? 私は茉奈ちゃんが羨ましいけどな」

「え?」

 りさ姉があんまりにも意外なことを言うものだから、私はりさ姉を見た。さっきまでの柔らかい笑顔は消え、あたしを見かえす目が怖い。

 りさ姉は立ち上がり、遠くを見た。

「大人になる、っていいことばかりじゃないよ。茉奈ちゃんは、私みたいになっちゃだめだよ」

「えっ」

 衝撃のあまり次の言葉が出なかった。そんな経験は、あたしの人生であれが初めてだったんじゃないかと思う。

 あたしはりさ姉になりたいといつも思っていた。

 そんなあたしのあこがれの、りさ姉の口からでた言葉とは思えなかった。

「どうして、そんなこと言うの」

 やっとのことでそう聞くと、りさ姉は少し哀しそうな顔で微笑んで、「行ってきます」と言って立ち上がり、それから一切振り返ることなく立ち去った。

 あたしは、りさ姉の背中を呆然と見送った。


 暑い夏の夕方だった。日は沈みかけ、道の先を赤く染め上げてはいたけれど、アスファルトからゆらゆらと陽炎かげろうが立ち上っていた。その光景はりさ姉をどこか別の世界に連れて行くようにも見えた。


 あれから、ときどきあの言葉を思い出すけど、いまだに意味はわからない。それどころかあの出来事が本当のことだったかどうかすらわからなくなることがある。


 りさ姉は、あの後、失踪してしまった。

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